ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

心の波動2

 
  心の波動2
   (過去記事再録+)
 
 
心を表し伝えるために言葉を使います。
しかし、私たち人間は罪深いゆえに
人間の心を表すために使う人間の言葉も罪深く
心を、いつも、間違いなく正確に言葉にすることは不可能です。
ゆえに
伝えたつもりで伝わらない
分かったつもりで分かっていない
ということが起こります。
 
心を表すために対応させている言葉は
それこそ人それぞれの学習経過により
微妙に、時に、著しく
人によって違うものを伝えてしまい
誤解を生じ曲解に至ることがあります。
 
 
心と言葉が正確な対応でないゆえに
言葉を確定することによって
言葉に対応させているつもりの心は
確定されるものではないのです。
 
言葉は心を託し伝えるための暗号であり
 
言葉で対応するための心は
喩えるなら波動のようなものなのでしょう。
 
固定した形を持つ言葉と
揺れ動く現象である波動を持つ心
一対一の対応などありようがないのです。
 
心の波は振幅を持っていて
言葉および感覚可能な媒体によって
あるとき感動という大きな波を生じても
別の時には振幅は減衰しています。
 
感動は、いつも新しいものであり
一方、過去の感動は、感動したという記憶に過ぎず
感動そのものではないことがあります。
 
ゆえに、感動を伴うべきこと
例えば信仰において
言葉としての信条を唱えるのは
記憶を強化するが
感動を強化しません。
ゆえに、信仰を強化しません。
 
感動、癒し、慰め、恵み、赦しなどの
信仰にとって、なくてはならないものは
言葉の反復によっては強化されないのです。
 
しかし、私たちは、
信仰を表すのに言葉しか持ちません。
 
言葉に関わることで
信仰を新たにすることについて
聖書は、端的に述べています。
"悔い改めなさい"と。
 
悔い改めるためには
特に祈る時には
訂正不能ではない反省する心と
学習意欲が必要です。
 
悔い改めることは
求道者が信仰者になる時だけではなく
信仰者の信仰生活の主軸であります。
何故なら
それは祈りに他ならないからです。
 
私たちは地上で完全になることはありません。
ということは
気づかぬうちに罪を犯しているということ。
だから
私たちは精いっぱい正直に祈る必要があり
それこそが悔い改めです。
 
悔い改めによって
反省して改めて学習することが
信仰の成長なのです。
 
私たち信仰者は悟ってなどいません。
完全なる神の前には
いつも恥ずかしい存在なのであり
その恥じらいを敬虔と呼びます。
 
恥を知らない者になってはいけない。
 
言葉に頼るしかない祈りも不完全であり
神の前には恥ずかしい言葉なのです。
人の祈りは
完全な祈りではありません。
 
しかし、いかに不完全で恥ずかしくても
繰り返し、折に触れて、正直に、祈る必要があるのは
私たちが、不完全の自覚を持つゆえにこそ
神は、寛容をもって、神の民である私たちが祈るのを
いつも待っておられるからです。
 
正直な祈りは人から神への唯一の音信であります。
生ける神への、生ける人からの、唯一の音信であります。
 
正直な祈りを覚えることが信仰生活の初めであり始めなのです。
 
 

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            生きる波動
 
 
(2020年02月17日、同日一部修正)
(2021年02月23日、再録+)
 
 
※ 
 
 楽山のリツイートです
 
楽山は、また、人のツイートを悪用して、自分の破綻した人格を、不相応に、高く尊く見せようとしてきます。届きようもない人の話に飛びついて、まるで、自分であるかのように、同列であるかのように、努力と才能の人を装います。楽山に努力と才能の跡が見られたことはありません。
 
楽山は、いつも、我が身を反省せずに、楽な山の上から見当違いの物を言っているだけなのです。この楽山の高慢に付き合うことだけはしないでほしいと切に思います。
 

心機一転★こも楽山さんがリツイート
無神論bot
@AtheismBotJP
学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるかを思い知らされる。自分の無知に気づけば気づくほど、よりいっそう学びたくなる。―アルベルト・アインシュタイン
午後9:22 · 2021年2月21日·twittbot.net
https://twitter.com/AtheismBotJP/status/1363464072889466885

 
楽山は、他者の意見をリツイートして、自分は無知を知っていると言いたいようですが、ならば、上から目線で物を言ったり、人の意見を無視したりは出来ないはずなのです。しかも、アインシュタインです。楽山のような減らず口の怠け者が引用するのに最も相応しくない人物です。
 
学ぶ気もなく人のことばかり文句言っているのが、楽山です。さらに、自分の無知と無恥にいちばん気が付いていないのが、楽山です。
 
このように、楽山は、他者を利用して "謙虚アピール" をしてきますが、実際は、自己愛の先入観と偏見で、訂正不能に、同じことを繰り返し言ってくるだけなのです。そして、バランスが取れているつもりのようですが、それどころか、自分を改善しようとする動機さえ、まるで持たない人です。
 
バランスというより、動く必要を感じない人です。無知に気づくというより、無知と無恥を、徳や柔和や謙虚や視野の広さと勘違いして訂正しない人です。そういう人ほど、自分とはスケールが甚だしく異なる有名人の言葉の引用に飛びつくのでしょう。全然、見習えていないのに。
 
楽山のように無反省・無責任・無神経の自己愛からは、人がみな自分を褒めているように見えるのでしょうか。読んでも何の糧にも参考にもならない文章を書き続けています。自分を変えることのできない者は、ゆえに成長できない者は、他者に何かの良い影響を与えることなど出来ません。
 
固定した病質の精神から、都合のよいことだけを表し、都合の悪いことは無視して人のせいにするような、楽山の訂正不能性は、関わる人に、結局、言い知れぬ徒労と疲労を与えるだけなのです。
 
 
(2021年02月23日)
 
 
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