ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

体質と言葉2

 
  体質と言葉2
        (再録+)
 
 
体質とは、ここでは、
先天的または後天的に規定されるところの
その人の言動を特徴づける人格の意味で使っています。
 
(ネットより)
百科事典マイペディアの解説。
体質:
すべての精神的・身体的な人間の形質の総和で,遺伝と環境の相互作用によってつくられる。
https://kotobank.jp/word/%E4%BD%93%E8%B3%AA-91236
 
思想・宗教の言葉は
それを表した人の言葉によってではなく
それに反対する人の言葉によってでもなく
それを発する人の体質によって
救いともなり
邪悪ともなる。
 
神の言葉は
受け取った人の言葉になると
人を生かすことがあり
人を壊すこともある。
 
こういうことがなぜ起こるかは神の秘密であろう。
以上は、認めるしかない事実である。
認めない者は、自分信仰になる。
 
神の言葉は
人の言葉となって
先ず、人は、
神と人の、そして、
神の言葉と人の言葉の違いを学ぶべきである。
 
神の言葉の真理は不可知であり
人の言葉の真実は曖昧に可知である。
 
この違いのみが、心掛けて弁えるべき信仰の節操である。
 
 
受け取ることと、信じ込むことは違う。
 
思うことと、、決めつけることは違う。
 
判断と、断定は違う。
 
救いの希望と、不変の境地は違う。
 
いずれも、前者がキリスト信仰である。
 
絶えることがないのは、
常時の平安ではなく、
必要なときに
祈りに答えて与えられる癒しと平安である。
 
人は、受け取れるものを受け取るが、
信仰が、物としてのプレゼントと違うのは、
受け取って忘れるのではなく、
受け取ってそのまま置いておけるものでもなく、
即ち、固定できるものではなく、
いつも人生に必要だから否定できなくなることであり、
 
それは、信仰が、
固定して揺るがないのではなく、
忍耐強く求め続けるものであり、
否定の判断が下せないほど必要だと思い、
希望し続ける祈りの生き方による。
 
それゆえ、信仰は、
いつも、新しい目覚めを求め続ける。
 
完全に知ることが出来ないゆえに、求め続けるのである。
信仰は、成長する。
 
正直な祈ることによって人は
神の偉大さとキリストの愛と共感を新たに知るからである。
 
 
異常な体質の特徴。
 
自分を責めることができない。
罪悪感がない。
しんみりと悲しむことがない。
自己中心にしか考えることができない。
 
思考と感情に深みが見られない。
短絡しやすく、上気しやすく、妄想化、固定化しやすい。
 
それゆえに
不都合において、自分の罪を認めず、反省せず、すべてを人のせいにする。
思慮深く理路を整えることができず結論的決めつけを繰り返す。
情緒面で、深い高等感情が発達しないし、
他者の意見を受け取っておらず、学習不能で、自己修正できない。
 
能力ではなく、異常な人格が、理路と感性を奪うからです。
ふつうに共感できることが、過大な自尊のために出来なくなります。
 
ゆえに、バランスが保てず、バランスが分からず、
ゆえに、大仰な讃美言葉や、世辞の褒め言葉、
そして、整わないまま結論を、でっち上げて、
作り話や、デマなどで、相手を侮辱するしかなくなる。
暴論も正論も理解できず区別できずに、
自分に都合の良い欲望の方向と、相手をおとしめ罵る言葉だけを繰り返します。
 
しかも、その間、高みから見下ろす嘲りが感情の表現として見られる。
自分が上だという立場から抜けられないために
相手を見くびった発言しか出来ず、そういう見下し言葉だけを探しては出す。
 
そういう者が、人の意見を聞く耳を持たず、しかも、上から教える態度だけに凝り固まって、万事が益となると信じ込んで、自分の利益、つまり、正当性の根拠として、よく引き合いに出しているのが以下の聖句です。
 
 (ローマ人への手紙、口語訳)8:28
神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。
 (ローマ8:28、新約聖書
 
共に働くことなく、自説に慢心している者には、"万事を疫"病となるように、今に至る成り行きが出来ているようです。
 
決して、友達にも、仲間にもしてはいけない破壊的人格です。
批判するのでなければ、遠ざかることだけが最善の方法です。
 
 
(2020年03月16日)
 
嘲る(あざける)嘲笑い(あざわらい)
 
 

    f:id:stdsts:20210324000111j:plain

                 逃げなさい
 
 
(2021年03月24日、再録+)
 
 
※ 
 
 楽山のリツイートですが
 
楽山は、他者の言を引用すれば、責任はないと思っているようです。
 
しかし、例えば、リツイートなどで引用して、批判対象としないことは、引用の意図が、そのまま賛同か、利用したことになるという責任を、全く理解しないのが楽山の、自己愛からの自己中の病質なのです。口出しするな・・ということを、他者の口にしゃべらせて平気な楽山です。
 

心機一転★こも楽山さんがリツイート
ゲイの精神科医Tomy
@PdoctorTomy
·3月21日
何にでも口出ししてくるお節介な人っているじゃない?
そういう人はね、
暇なのよ。
別にアナタのことを気にしてるんじゃないの。暇つぶしなの。

 
他者を気にせず、暇つぶし、これは、まさに楽山のことでしょう。楽山は、おおよそ、関わるだけの真実も心得も持たない宗教とカルトの問題に、さも分かっているふうに、コメントや記事を入れてきます。
 
人の迷惑を考えず何でも自分勝手にやるのが自由だと思っているのです。それに文句を言っているのは、全部、余計な口を出すことで、お節介だといいたのです。
 
通らない屁理屈の刷り込みで、いちゃもんだけのボンヤリ言語で、真実に反する卑怯な迷惑行為をして、根拠もなく良いこと言っているつもりでいる裸の王様が楽山なのです。
 
そして、批判されると、このリツイートのように、他者のツイートから都合のよい文言を選んで当てつけてくるのです。自分で説明とか弁明とかが、全然できないからです。
 
それに、楽山が、暇つぶしで宗教・信仰・真実について書いているとしか思えないわけですから、とんでもない無礼な話であり、ゆえに、引用元に対しても、無礼な話であります。
 
以上より、このツイートを引用する妥当性は、楽山が、していること、してきたこと、言ってきたことなどを考えれば、どこにもありません。人のことを考えず、なりふり構わない楽山の自己中の病質が今回も表れています。
 

中途半端に相手すると、どんどん入り込んでくるから、
笑顔で一言こう言いなさい。
「あ、大丈夫です」
午後2:45 · 2021年3月21日·Twitter for Android
https://twitter.com/PdoctorTomy/status/1373511102223454208

 
人を巻き込み、評論家気取りで、子供じみた幼稚な先入観で物を言い、かつ、責任は一切負わず、詭弁で言い逃れを書いて、全くの無反省でいられるような楽山は、ずいぶん前から、病質の者であり、全く "大丈夫" ではない、とても有害な人です。
 
前に書いたように、楽山の笑顔は、微笑みではなく、意地悪な、ほくそ笑みか、高笑いであります。それ以外に求めるものがないようです。また、他にすることもないようです。
 
楽山は、悪意と作為について、結果を気にしなければ、平気でいられると思っているようです。あらゆる結果を気にしないということは、正常心理では、ありえないことなのですが、楽山は、病識がないので、反省することもなく悔いることもなく生きていられるのでしょう。
 
そのようにして、何度も何度も、楽山は、自ら、醜い自分を表して、恥をさらしに来るのです。
 
 
(2021年03月24日)
 
 
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(ここは、ブログ記事をリンク・抜粋)
 
 
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