ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

見当違い2

 
  見当違い2
 
 悟りとは何か?(『漱石全集月報』)
 http://mn266z.blog.jp/archives/24499132.html
 楽山日記(LD)
 
 
楽山が、二人の小説家の言葉を、単純と言っています。単純なのは、楽山です。
 

野村傳四氏によると、夏目漱石は悟りについて次のように言っていたそうだ。

私は途中、先生に「悟り」と云ふ事を御尋ねしたら、先生は言下に「彼も人なり我も人なりと云ふ事さ」と敎はつた事を明らかに記憶して居る。
(『漱石全集月報』岩波書店、1976年、p.355)
 」
これは「一切は過ぎ去ってゆきます」と言うように、目の前の現実をそのままを語っているだけで、言葉としては随分単純なものではある。

 
「彼も人なり我も人なりと云ふ事さ」の、同じ人間、過ちを犯す人間、という意味を、太宰の「人間失格」だったと思いますが「一切は過ぎ去ってゆきます」という時間の無常と言い換えが出来るでしょうか。
 
私は、前者を、同じ人間、後者を、過ぎ去って消えてゆく、空しい、という意味に受け取りましたが、楽山は、説明もしないのでしょうか。いつもながら、乱暴です。
 
さらに、「目の前の現実」を無視して、嘘と詭弁ばかり書いてくる楽山よりは、「彼も人なり我も人なりと云ふ事さ」も「一切は過ぎ去ってゆきます」も、人間としての、限界や悲哀という深い意味に結びつく言葉なのです。
 
楽山は、それが分からないのか、また、自分で広げて考えることが出来ないために、自分の未熟と不足を嘆くのではなく、「そのままを語っているだけ」「随分単純」と、小説家のほうをおとしめるという厚顔を表しています。
 
こういう、できない自分ではなく、できる人を低く見ることは、自己愛性人格障害であることの根拠の一つとなるでしょう。才能とか読解力とかで、ありもしない持ち物を、あると思い込んで批評する誇大妄想性の愚かさです。
 

でも自分はミジュクであるせいか、いまだにこの考え方を身につけることができていないのだから恥ずかしい。言葉の意味は分かっているつもりなのだが、どうにもこうにもこの言葉通りの思考ができないのだ。

 
上で、眉を潜めたくなるような誇大・尊大を、楽山は示しておきながら、ここでは、白々しくミジュクと書いてくる・・全て、芝居だという証拠であります。未熟の自覚があるなら、上の「そのままを語っているだけ」「随分単純」などと言う言葉遣いはしません。
 
楽山は、言葉の意味が分かっているつもりと言っています。違うんじゃないでしょうか。それと、これらの言葉は、思考を表しているのでしょうか。人生観だと思いますが。楽山は国語を語れない人のようです。しかも、傲慢です。だから、未熟ではなく、「ミジュク」という、ふざけた書き方をしてしまうのでしょう。
 

生まれつき、根がどこまでも理想主義者にできているせいか、

 
楽山は、利己主義であって、理想主義者ではないと思います。何故なら、宗教の理想も意味も、分からないのに否定し、あざ笑っているだけだからです。
 

いったん相手に惚れ込んでしまうと、極端に美化して神のような存在にまつりあげてしまったり、はたまた臆病で被害妄想の癖があるせいか、相手によくない印象を持った時には、その人は悪意に満ちたモンスターかなにかのように決めつけてしまったりして、ついつい相手も自分と同じ人間だということを忘れてしまうのだ。これは本当に反省しなければならぬ。

 
この部分は、人間としてアウトになるようなことです。こういう人になってはいけないということです。極端に美化、神のような存在、被害妄想の癖、悪意に満ちたモンスター、など、悪い例をボロクソに書いていますが、楽山は、これを、婉曲的に、批判者に向けたいのでしょう。
 
楽山は「ついつい相手も自分と同じ人間だということを忘れてしまう」と書いていますが、相手を人間とは思えないほど異常だと思うとき、つまり、無反省、無責任、不感不応、訂正不能、自己愛性、人間的配慮の欠損など、自己中に徹底している者に対しては、人間だからお手柔らかに・・ということは、除外されます。精神病質に対しては甘くなってはいけないからです。
 
無反省という実績しかない楽山が「本当に反省しなければならぬ」と書いています。このように、反省という言葉だけ書いてくるのが、楽山の特徴です。「ついつい」「忘れてしまう」「反省しなければならぬ」と書いていることが、楽山が、今まで、そうしてこなかった証拠になります。
 
謙虚芝居も、良識的センスが病質のために欠損して、ここまで、下手くそになると、バレるわけですし、バレた以上、楽山の立場など、どこにもなくなっているのです。何も書く資格のない人が、自己顕示欲と我執で書くと、こうも白々しいことになるという例です。
 
信仰は、このような言い訳めいた反省を勧めてはいません。神の前に正直であることは、ネガティブな言葉だけを当てはめて反省を装うこととは、全然、違います。自己愛性をごまかすために、妄想を癖という軽さで言ったり、気楽に「ついつい」と書いて反省したつもりになるのとも、全然、違います。
 
この違いは、楽山の虚偽によるものです。楽山の自己愛は、癖ではなく、病気なのです。それが、言い訳にも表れているということです。
 
楽山と太宰は、違います。太宰は嘆くべきことを嘆いていますが、楽山は嘆いたことなどない人だと思います。悲劇のヒーロー芝居でしょうか、気取りでしょうか。太宰や他の小説家を持ち出しては、最も恥ずかしい自分の下劣さを表してしまうのが、楽山の常となっています。
 
楽山が、次から次に書いてくる言い訳は、とても見苦しい詭弁ですから、成り立つことはなく、根拠もなく批判者を侮辱し、かつ、有名人の言動を恣意的に悪用する悪意の産物として、さらに批判記事という資料を重ねる結果と経過になってゆきます。
 
楽山は、時に、反省と書いてきますが、その前と、そのあとで、何も変わらない筆致であることと、自らを省みず人のせいにばかりする姿勢と態度が、まるで変わらないことをもって、逐一、見せかけだけだと、言い逃れだと、否定されてゆくのです。
 
そういうことも、楽山批判に組み込まれているのですが、楽山が気づかないということこそが、病的ナルシストの症状として記録されてゆくでしょう。
 

そういえば随分前に見たジョン・レノンのドキュメンタリーでとても印象的な場面があった。ジョン・レノンは自宅の庭内に忍び込んできた熱烈ファンらしき若者に対して、自分の姿をよく見ろ、他と変わらぬ人間だろうとか何とか言っていたのだった。

 
また、同じ人間、ということを言っています。どうやら、記事の文脈には、とても臭い作為があるようです。楽山は、同じ人間ではありません。「とか何とか」ではなく体質的異常者です。
 

どうも自分のことを英雄視したり、偶像化するなということらしかった。そしてその後は、しょんぼりしている若者に朝食は済ませたかを問いかけ、まだなら食べて行けと優しく声をかけていた。
これはヤラセ無しの事実だったのか、それとも脚本があったのかは分からないが、どちらにしても名場面であろうし、ジョン・レノンは「彼も人なり我も人なり」を悟り、身につけた人だったのだろうと思う。

 
ジョン・レノンの行為は、同じ人間ということなら、ヒーロー願望からは対極にあるでしょう。また、悟りと言うほどの、珍しい発想でもないでしょう。当たり前のことを、実践的に掘り下げたかどうかということでしょう。楽山は、格言を、誇大妄想で、勝手に結びつけています。
 
楽山は、違う人の言った言葉に勝手に結びつけて、まともぶって、都合のいい意味付けをして、また、著しい曲解によって、人をけがしています。どこまでも、教える立場に立てない楽山が、毎度毎度、話にならない文章を、気取って書いてくる厚顔無知に呆れます。
 

でも自分はこの場面を思い出すたびに、やっぱりジョン・レノンはすごいと、ますます神格化してしまっているのだからどうしようもない。自分がこれを悟るにはまだまだ時間がかかりそうだ(笑)。

 
ますます神格化、というのは、楽山の言葉の信頼度ゼロという私の立場からは、むしろ、楽山の、こんなに自分は特別なのに不当に扱われているという恨み、いわゆるルサンチマンを感じます。だから、こういう種類の文章に不似合の「悟る」などと書くのでしょう。
 
楽山の、人を上から見る「(笑)」は、苦笑いではなく、苦笑いを装うだけで、あらゆることを軽視して、掌か机上で軽く扱って、分かってるんだと言ってしまう尊大な態度なのです。そのような卑下の言葉をもって、改まるような自己愛性人格ではないということです。
 
ルサンチマンは、弱者に募る怨念、負け犬根性、負け犬の遠吠え、などとも言われます。
 
(ネットより抜粋)
ルサンチマン(仏: ressentiment、 (フランス語発音: [rəsɑ̃timɑ̃]) )は、主に弱者が強者に対して、「憤り・怨恨・憎悪・非難」の感情を持つことをいう。
ニーチェによれば、ルサンチマンを持つ人とは「本来の『反動』、すなわち行動によって反応することが禁じられているので、単なる想像上の復讐によってその埋め合わせをつけるような徒輩」[1]である。
ジラールによればルサンチマンとは、乗り越えることのできない理想的モデルに対して誰もが抱く単なる嫉妬心にすぎない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%9E%E3%83%B3
 
ルサンチマンは、意識されず、隠れていることが多いでしょう。楽山の今回の記事にも、隠れている、隠している、隠されている、とても暗いものがあるような気がします。暗い暗いところで悪意を燃やしている潜熱を、これまで、楽山は、性懲りもなく書かずにはおれない自己顕示欲によって、自ら醜い芝居の役者となっているのです。
 
楽山が隠している詭弁と誘導は、よく読まないと見えにくいが、とても邪悪な一方向をもって、病識も自覚もなく、人をおとしめてゆく攻撃的な悪魔性なのです。
 
 

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            闇の袋小路
 
 
(2020年04月23日)
(2021年04月30日、加筆して再録、同日一部修正)
 
 
※ 
 
 楽山のツイッターですが、国語の勉強もかねて。
 

心機一転★こも楽山
@komo266
幸福の科学では、公式でもこんな言葉遣いをするんですね 絵文字(にやにやした顔)
引用ツイート

幸福実現党政務調査会
@hr_party_prc
· 4月22日
緊急事態宣言の発出とCO2の大幅削減を同時間帯に発表するとは恐れ入った感覚です。これはサービス業、製造業はじめ日本経済が何によって支えられているかを政治やマスコミが理解していないかの証しではないでしょうか。依らしむべしってか?「うっせぇわ」。
午前7:13 · 2021年4月25日·Twitter Web App
 」
https://twitter.com/komo266/status/1386080899523964929

 
また、楽山の、開き直りの、にやにや顔文字です。公開でも「こんな言葉遣いをするんですね」ということを、既に、おかしいと言ってるのに、わざとやってくる厚かましい病的な自己愛です。
 
今までの、詭弁と嘘の履歴からは、言葉遣いについて、何も言えない楽山が、何も気にせず、好きなように言っている。つまり、図々しく、憎まれっ子世に憚る、という例です。
 
(ネットより)
憎まれっ子世に憚る
【読み】 にくまれっこよにはばかる
【意味】 憎まれっ子世にはばかるとは、人から憎まれるような者ほど、逆に世間では幅をきかせるものであるということ。
「はばかる(憚る)」とは、「幅をきかせる、のさばる」ということ。
http://kotowaza-allguide.com/ni/nikumarekko.html
はばかり【×憚り】
[名]
1 はばかること。遠慮すべきこと。「大先輩に対して何の憚りもない」
2 差し支えること。差し障り。「実名を出すのは憚りがある」
3 《人目をはばかる所の意から》便所。
[形動][文][ナリ]「憚り様」に同じ。
「お酌は―だが先生に願うで」〈二葉亭・其面影〉
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
https://kotobank.jp/word/%E6%86%9A%E3%82%8A-604046
はばか・る【×憚る】 の解説
[動ラ五(四)]
1 差し障りをおぼえてためらう。気がねする。遠慮する。「世間体を―・る」「他聞を―・る」「だれにも―・らず自由に生きる」
2 幅をきかす。増長する。いばる。「憎まれっ子世に―・る」
3 いっぱいに広がる。はびこる。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%86%9A%E3%82%8B/
 

心機一転★こも楽山
@komo266
教祖がこんな発言をするとは怖い、怖すぎる…顔文字(絶叫した顔)

 
教祖が殺人を正当化したというツイートに付けたリツイートですが、「怖すぎる」と言いながら、まるで他人事のように、ネタと同じように、真剣味の無い絶叫の顔文字で、怖がり芝居をする楽山です。
 
こう言っている楽山が一番怖いと思います。大袈裟に怖がって見せるのは、他者が怖がるのを面白がりたい心境の表れです。怖いのだからと、わざわざ顔文字を付けるのも同じでしょう。絶句、唖然、本当の恐怖、という心からの表現を持たないのです。
 
原始感情だけがあって、高等感情がない、つまり、共感や思いやりのない者が、下手に感情を表そうとすると、こうなるという例でしょう。また、病質を表してしまう楽山です。
 
 
楽山は、深い思考力と感受性に欠けていて、遠慮がないので、いっそう、憚るようなことをしてきます。憚りのある人を、差し障(さわ)りの大いにある人を、憚らせてはいけません。批判目的以外で、楽山を相手にしないでください。改めて、本当に、ひどい文章です。
 
 
{2021年04月30日}
 
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
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(ここは、たまにブログ記事をリンクする程度)
 
 
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