ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

猛者への堕落3

 
  猛者への堕落3
 
 
人間性を失った名ばかりの信仰?には
ある種の猛々しさが残る
 
せっせとお味方になる意見を集めている
それは猛々しい文章である
その威勢のよさの分だけ
また人間としての共感を失ってゆくのは
字面だけを追って
お味方になる意見というだけで
悦び、褒めまくるからである
 
一般的にヒューマニズム云々を
社会通念に過ぎないものとして批判して
そして福音のヒューマニズム化を嘆くのだが
 
そういう福音の変質を語る前に
他者を語る前に
人が考えるべきもっと重大な
自らの問題を考えていない
 
人間性を欠いた信仰?は
神性と神聖と真正の確信?に満ちて
正当化だけに懸命になる畑で偽善の種を育てる
 
自らに目を向けず
反対意見に耳を貸さず
お決まりの聖なる?文句を呪文のように繰り返して
ますます話し合う余地のない確信に凝り固まってゆく
 
そして実際に賛同者以外とは
つまり反対者とは話さなくなる
そしてその根拠を神に担保してもらっているつもりである
 
しかし、いったい
神への恐れを知る信仰ではなく
むしろ神を恐れず誇大化した自我からの
尊大な妄想的確信に
担保されうる何があろうか
 
しかし、それでも保険のように
神の側に担保される
という神の意志を自らのものにして
さらに確信してゆくので
恥ずかしげもなく
信仰の名を借りた残酷物語の主人公になってゆく
 
元々信仰に対して羞恥心を持つ必要はないのだが
信仰によって恥知らずになっていいはずはない
 
人が持つべき羞恥心は
実際には
信仰?によるつもりであろうがなかろうが
自己の不完全性の無知と無恥からの
異なる意見の軽視~無視に対してであり
 
さらに最悪な恥知らずとして
信仰?によるという間違った確信において
異なる意見を封殺するような非人間性による自己正当化である
そういう者は聖句さえ悪用する
 
しかも嘆くべきは
確信に満ちた非人間性
自分とお仲間と被害者以外の賛同を得られない妄想であり
詭弁に満ちた言説の崩れ方でありながら
何事も無かったかのように慢心していられるほどの厚顔で
罪悪感を持たないでいられるという特徴なのだ
 
 
以上は、偽牧師シャロームについて書いたことです。
 
カルトは、根拠のない超常的妄想をベースとしていて、行動化以前であっても反社会性を潜在的に主張の中に持っているので、いつも、そのベースにおいて崩れる定めである。
 
キリスト教内外に、カルト臭が漂ってくるような時代に、私たちは生きている。
 
しかし、真のキリスト信仰は、物や肉体の奇跡が本質ではなく、人間の心において理解可能な共感性が中心となっていることによって、いつも、そのベースにおいて説得力がある。
 
キリスト信仰は、たとえカルトが同じ名前や言葉を使っても、カルトには決して真似のできないところの、共感性に溢れた理路というところから癒しと救いを宣べ伝えることが出来るだろう。
 
 
(2011年09月22日)
(2019年04月25日、修正)
(2020年05月06日、さらに修正アップ)
 
 

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          猛者(もさ)
 
 
(2021年05月07日、再録+)
 
 
 楽山について考察
 
楽山の書く文章というのは、大方、月並みです。社会通念とか先入観や固定観念からの発想に過ぎず、独自の、直観的、または、経験からの、これだけは伝えたいという切実さがありません。
 
そこをごまかすために、楽山は、読書の履歴を書いて引用してきますが、引用の基準は、自分の固定観念に都合がよいかどうかでしかありません。
 
さらに、有名人や学者の名前と、学術用語や宗教用語で飾って、自分も同列であるかのように気取ってくる楽山の態度は、その引用の恣意性や、聖書についての誤解と曲解とともに、楽山独特の詭弁と婉曲性と曖昧さをもって、まわりくどい図々しさを表してきます。
 
肯定するときには、「せつなくなる」「一言一言に力があり」「心に迫ってくる」「期待して読みすすめたいと思う」などという、深みのない賞賛の言葉を付けるだけです。そういうことしか書けないのだろうと思います。
 
一方、反対の時は、「好悪は分かれそうだ」「カルト信者にありがちなこと」「強まる傾向はあるように思う」「という話もある」「慎重に吟味すべき」「よく聞く話ではある」「現時点での正直な感想ではある」「一理ある」などと、婉曲的に語ります。
 
楽山は客観的に書いたつもりのようです。でも引用して批判しなければ賛同ですから、人の口を利用しても自分の主張であることに変わりはありません。徹底して責任を負いたくないという意図なのです。
 
加えて「のようだ」「らしい」などもそうですが、自分がどうか、ということではなく、人がどうか、どうするべきか、という、言い換えれば、自分の意見というわけではないから責任は負わないでいいと確認しながら書いているような書き方をしてきます。
 
それら、責任逃れの、通念的発言で、無責任であるなら、アドバイスにも示唆にも参考にもならないということです。本気で書いていない、受け狙いだけ、これならちょうどいいだろうというバランスを捏造して書いてきます。
 
そして、何よりも、重要な是非の問題について、賛否入り混じって、どちらともつかない、真剣味がない、・・こういうことでは、結局、実のあることは何も言っておらず、暇つぶしの、邪魔なだけのセリフになるわけです。つまり、意見交換になっていないのです。
 
楽山は、生まれ育つ過程で、こう言えばよく思われる、受ける、学があると思われる、というような学習か条件付けしか身に着けておらず、実体験から、受け取って、感じて、何が正しいかを考えて、誠実に意見を組み立ててゆくという学習と成長が抜けていると思います。
 
しかも、自身の無責任な発言を、止めようともせず、他者の意見を無視して、先入観のまま、繰り返し書いて、やり返したつもりでいるわけだから、無責任に加えて、無反省かつ訂正不能ということになります。
 
そういう執着性と反復性と継続性から見ても、楽山については、一時的に感情的に意地を張っているのではなく、不可逆の性質を持つ人格障害という病質を考えざるを得なくなっているということです。
 
そういう人物は、リアルな世界では、殆ど発言をしないか、しても認められたことのない人でしょう。だから、ネットの世界では、無反省、無責任に、好きなように書いて、一切、他者の言うことは聞かないし訂正しないでいいと思っているのでしょう。
 
前に、楽山が、私が実名を出しているのは、自己顕示欲だと、けなしてきたことがあります。私は、人それぞれではありますが、できれば知ってほしいと実名を出すことは正常な範囲内だと思っています。さらに、実名を載せることは、自らの発言に責任を付与することでもあります。
 
一方、楽山は、実名を出せないのでしょう。責任ある発言が出来ず、責任を負う気もないからです。
 
そして、楽山の自己顕示欲は、匿名が通用するネットにおいてだけ、生産的な目的もなく、ひょっとしてバーチャル教祖にでもなりたいのかと思うほど、カルトと同じ単方向の、訂正不能、つまり、学習不能な自己愛の誇大妄想性として表れています。
 
以前、楽山は言いました。神がいるなら、なぜ、悪がはびこるのか、なぜ、神は悪を放置するのか・・などという、いちゃもん。確かに、なぜでしょう。それに答えられる人はいません。しかし、そういう考えは、神がいるなら、みんな、ハッピーのはず、という身勝手な前提がある証拠です。
 
だから、今となって、私は、つくづく思います。なぜ、神は、楽山のような偽善者を放っておくのでしょう。なぜ、さっさと片付けて、みんなをハッピーにしないのでしょう。私は思います。救いは、この世の出来事の表層に、はっきり見えてくるものとは限らないのだろうと。
 
本当の救いは、もっと深いところ、あるいは、この世の人生以外のところ、人が気づかないところにあるのだろうか。それに気づく時は来るのだろうか。というのは、神は、人間が、逐一、納得できるような、ご利益の救いではなく、あくまで、神の計画に沿って、裁かれるのだろうから。
 
だから、神は、いつまでも、黙って見ているだけの御方ではないだろう。導きの不思議ということは、人づてにも聞いているし、経験上も、感じてはいるわけです。
 
ずっと神を呪い続けているような楽山が、何もかも、うまくいって、継続して、不幸などなく、いつまでも、満ち足りて過ごす、などということは、想像も出来ないし、あるはずもないことなのです。歴史の出来事も、いずれ、裁かれる時が来たし、これからも、来るのでしょう。
 
神と、条件交渉みたいな、取引でもする気でいる者には、無償の救いが与えられることはないのです。
 
しかし、いつ、神の救いの業(わざ)が起こるとか、どのように起こるとかは、人には分からないのだろう。神は、人に、いちいち説明はしない。正直以外、人が、無条件に救われるために、人の信仰にも、無条件であることが要求されるのではないかと思っているところです。
 
 
現在はネット上の所在も不明の偽牧師シャローム shalom と、荒らしの易坊、そして、楽山は、ネットの発言と交流において、つながりがあります。
 
易坊とシャロームは一緒に私のヤフーブログを荒らしてきました。楽山はシャロームに無条件賛同しました。3つのHNが同一人物の成りすましではないかという疑いも持っています。
 
 
{2021年05月07日}
 
 
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