ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山の嘘2

 
  楽山の嘘2
 
 『大学4年間の宗教学が10時間でざっと学べる』島薗進
 2020年07月01日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/25363963.html
  を改めて批判。
 
 
やはり、楽山は、書いてきます。書かずにおれない自己愛と自己中と、物事や事態を感じ取れない体質だからでしょう。何故なら、その体質のうちに、他者無視という絶対自己中心の体質を持っているからであり、既に、成長なき慢心に住んでいて、実際は、自己崩壊を待っているだけなのです。
 
しかし、それゆえに、楽山は、修正なき反省は成り立たない、という症例として、自らをさらしてゆくことになります。反省がなく学習がなく、成長しない成り行きで、同じことを言い続ける一方通行を歩み続ける楽山です。
 

本書ではいわゆる世界宗教や日本の宗教史、近現代における宗教の置かれた状況、課題などについて解説されている。概論的なものなので個々の問題についてはあまり深く掘り下げてはいないが、特定の宗教だけではなく、宗教全体を把握するには読みやすくてよい本だ。文章だけでなく、図、イラストも多用されているので、記憶にも残りやすい。
ちなみに自分は本書を読んで、宗教に関する知識の不足を実感させられた。本書で説明されているのは、宗教の基礎の基礎であろうに、それさえ知らないことばかりだというのには凹まないではいられない。とほほ。

 
何ごとも「深く掘り下げてはいない」のが、楽山の特徴です。楽をしたい、快感を得たい、心優しい人ですねと褒められたい、そのために嘘を吐く、私が、偽の反省として名付けた、トホホ言語の「凹まないではいられない」です。弱みを見せたように見せかける楽山の印象操作です。
 
何故なら、今までの、得意げな、自慢げな、キリスト教否定の言は、間違っていたこと総ての反省と修正の言なしには、いかなる立派なことを言ったつもりでも、嘘臭さ・・だけしか伝わってこないために成り立つことはなく、虚妄のうちに死へ向かうだけだからです。
 
つまり、このような楽山の言い逃れの詭弁は今に始まったことではなく、自分は心構えが出来ている人、という印象を、表面的な言辞をもって、後付けで吹き込もうとする印象操作として続いています。
 
今さら、反省めいた発言だけしても、長い無反省の履歴が否定しているのです。その時その場で、都合の良い方向に持っていこうとする楽山の自己正当化が、刹那的に続くだけで、恐らく、何を言ったかの記憶もなく、エサを求める小動物の所業になっています。
 

でもおかげで学習意欲を掻き立てられたのはよかった。自分は年を取って知識欲は減退し、向学心も枯れてしまった気はしていたのだが、そういうわけでもなかったようだ。これはうれしい発見ではある。
とりあえずは、前々から気づいていたことではあるが、本書を読んで自分は神道など日本の宗教についての知識が足りないことがよく分かったので、その方面を意識的に調べてみるつもり。

 
人の言うことを無視してきた前歴と、著名人らしい人の言葉から都合の良い言葉を自己正当化に利用してきた前歴は、消えようもなく、読まれるたびに、語られるたびに、楽山の怠慢と自己中と性根の狡さを物語ります。
 
今さら、「宗教に関する知識の不足を実感」「学習意欲を掻き立てられ」などと書いてくるのは、楽山が、反省もするし学習意欲もある自分、という方向に印象付けるためなのです。それは、今までの経過が、ことごとく否定しているのです。
 
人間の性根つまり体質は、そんなに軽く改めることは出来ないだろうと思います。つまり、楽山は、これから何を主張するにしても、言いたい放題というわけにはいかなくなるということです。前後関係を気にしない楽山は、それも、気にしないでしょうけれど。
 
自分を作為的に美化することは、自分の首を絞めることです。
 
修正なき反省のきれいごとは通用しないのだから、楽山は、反省・学習が嘘ならば、どんどん、荷が重くなってゆく、ということです。
 
嘘の前提の上に、真実を積むことは出来ないのです。
 
 
 知的正直さについて(『嘘をつくなかれ』大川隆法著)
 2020年07月01日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/25364037.html
  を改めて批判。
 
 
楽山は、HSを批判していたようですが、大川隆法の本を出してきました。それで、あとのほうで、閉じてしまったと書いていますが、批判するのかと思ったら、そうでもないようです。その段階で、記事を書いて公開するには不十分だと考えないのでしょうか。
 
つまり、楽山にとって、宗教とは、その程度のものだということでしょう。万事において、いい加減で、自分勝手な楽山です。自分が書いたのだから、公開しても大丈夫と思うところは、自己愛性人格障害NPDらいいと言うべきか。

 
それとも、以前から、白々しい嘘を吐いてきた楽山です。挑発的なことを言って、疲労させ、イライラさせるだけが目的で、結局、笑いたいのでしょうか。
 
学習障害というより、学習する気がない、勉強大嫌い、都合の良い言葉だけ漁っている、我執だけが物凄いために、書くことを止めない、だまし方を、次から次に練ってくる、それが楽山だと、思っています。1年余り、記事を読み、批判した経験からです。
 

先日、大型書店に立ち寄ったついでに、アンチHS界隈で話題になっていた『嘘をつくなかれ』をチラ見してみたら、知的正直についての説明で、試験でカンニングしてはいけないとか、問題集の回答をみてはいけないとか、基礎からきちんと勉強しようとか、そういう学校の勉強法のことばかり説明されていたので驚いた。

 
正直さに、知的も情的もないと思います。難しいことはありません。楽山に対しては、ただ、嘘を吐くなかれ、ということだけです。つまり、楽山は、自ら賛同した意見を、自ら裏切ってきた、ということです。嘘を吐くのはよかろうと思うのでしょうか。
 
楽山は、平気で嘘を吐いてきたのに、当然の勉強と学習について、何を、驚いているのでしょう。その正直さを、楽山は、一度も、身につけたことがありません。楽山にとって都合の良い、自分に従え、自分を尊べ、他者を無視しろ、他者にかまうな、というような内容を期待していたのでしょうか。
 

自分は、知的正直とは、自分の心に正直になり、分かるものは分かる、分からないものは分からないとすればよいのであり、分からないにもかかわらず見栄を張って分かっているふりをする必要はないということだと思っていた。

 
正直とは、自分の言いたい放題ではないということです。書いていることとは逆に、楽山は、分からないものを分からないと言わずに、分かっている前提で語り、かつ、人の意見も批判も受け取らずに、ごまかしのボンヤリ言語と詭弁で、我欲の自己顕示だけを書き続けています。
 
「分からないにもかかわらず見栄を張って分かっているふり」をしてきたのは、まさに、楽山その人であります。短絡した理路、部分で全体を語る、全体のおおまかなことを個別に当てはめる、意味の似て非なる言葉を混同して自己正当化をする、などが、楽山の履歴として残っています。
 
その証拠に、楽山は、批判に対して、一度も、反論も弁明も成り立ったことがありません。それで、同じことを、文章の形だけ変えて、まともに見せかけながら、繰り返すしかなくなっているのです。
 
こういう人の言うことを真に受けていると、真実は、うすぼんやりとした霧の中に隠れてしまい、否定も肯定もせずに、感動なしに、なんとなく受け取ることになります。それが、楽山特有のボンヤリ言語による、意識されにくいところの、人格破壊なのです。
 

たとえ世間的にはどんなに高く評価されており、名著とされているものであっても、その良さが分からなかったら分からないとし、世間的にはさして注目されていない雑書の類であっても自分は価値があると思うなら価値があるとするなど。

 
分からないと言わずに、極めて拙劣な知識と思考で、表面的に肯定するか、逆に否定してきたのが、楽山です。しかも、その前提になっているのは、楽山の頭の中の皮相な概念であり、とても、根拠になどならないことです。つまり、楽山の、自分勝手なサディスト宣言になっています。
 
つまり、楽山は、自分の自己顕示欲の価値観を反省しないばかりか、その欲に従う欲望への、信じ込告白をしているのです。自分の邪悪な欲求だけで動いているのは、悪魔です。つまり、楽山は、悪魔への信仰告白をしています。
 
例えば、神がいるなら悪があるのはおかしいと、楽山は言いますが、真実は逆で、神への信仰は、むしろ、楽山のような者からの悪と偽善に、苦しめられたところから、自らの不完全と非力を知って、救いとして求められてゆくものです。
 

でも本書では知的正直について語りながらも、こういうことには触れられず、学校の勉強の話ばかり…。これには唖然としてしまい本書を読み続けることができず中途で閉じてしまったのであるが、はたして本書の後半では勉強法だけでなく、自分の気持ちを偽らないことについても説明されているのだろうか。どうだろう。いずれ再チャレして、どうなっているか確かめるつもりではあるが、大川隆法と自分とでは、渡部昇一の『知的生活の方法』という同じ本を読んでも、その理解にはこれだけ違いがあるというのは面白いことだなと思う。

 
何が面白いのでしょう。結局、HS批判にも何にもならない記事を書いたということです。何も、まとまらない、これが、楽山の、思想?なのでしょう。誰のためにもならず、生きるヒントにもならず、散逸し霧散してゆく楽山の妄想に、誰も付き合わないことを、祈り願っています。
 
楽山は、恐らく、勉強が大嫌いなのでしょう。殆ど根拠もなく「自分の気持ちを偽らないこと」を、他者の意見を無視して我を張ることの正当化に置き換えて、宗教についても何も本質を知らずに、訂正不能に妄想的に確信して書いてきたのです。
 
その分、平気で、人を無視してきました。人に嘘を吐いてきました。人に詭弁とボンヤリ言語で刷り込みをしてきました。楽山が言っていることは、自分の身勝手な自尊過大に従って人を、余計なもののように無視することでしかありません。
 
根っから、虚偽であり、嘘であり、罪悪感がなく、だます者であるからこそ、詭弁の誘導を2年以上してきて、2年以上批判されてきて、なお、今も、平気で、書き続けることが出来るのです。恥ずかしいという感情がないのです。
 
訂正不能の妄言には、成長可能な批判を当てなくてはいけません。
 
言葉を裏切る者は、結局、言葉に裏切られるのです。
 
 

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               裏切りに集うもの
 
 
(2020年07月04日)
(2021年07月10日、再録+、同日一部修正)
 
 
 
  裏切り
 
肌と肌は
合わせられた汗が乾くように
いつか離れてゆくだろう
残されて冷めた皮膚の下に
毒々しい鮮血の筋肉を
ときおり凍らせ
ときおり焼きながら滅ぼすまで
 
影と影は
互いに召されたように遠く
いつか盲信のように
沈黙の厚い衣を纏(まと)い
すでに独りであることさえ
忘れながら踞(うずくま)るだろう
影は一滴の黒い雫(しずく)を落とすが
それは何処にも到達しない
もはや土に帰るよりも先に葬られ
薄れゆく皮肉である
 
 
  冬の生殖
 
胸は吹き抜けの希望に満ちている
くまなく暖めるのは至難の業(わざ)だ
腹は吹き溜まりの欲望に満ちている
ほどよく排泄しないと痼(しこり)になる
頭は吹きさらしの妄念に満ちている
直しても整えても破裂し続ける炎症だ
飛んでけ飛んでけ
消えるも加わるも風の生殖だ
枯(から)びた指南の技(わざ)だ
 
 
(90年代か)
 
※ 記事と、詩のようなものは、年代からも分かるように、直接の関連はありません。ただ、少しばかりテーマの類似を考えて、詩のようなもののほうを過去作から選んではいますが、参考にもなるかどうか分かりません。
 
 
 
  理由+
 
 
私は、宗教と信仰というものを、自分が、生きられるか生きられないか、という考え方をするしかない人です。上手く生きるかどうかは、二の次です。ご利益などは、私の思いにおいては、圏外です。
 
しかし、巷の宗教、特にカルトの話を聞くと、上手に生きる、楽しく生きる、完全になる、何らかの利益を得る、満足する、というものばかりのようです。
 
上手には生きられません、楽しいばかりではありません、人間は不完全です、ご利益など、満足など、無理です、というふうにしか見えないのが、私が見る世界です。自分の心を見れば、悔いることや、嫌なことのほうが、より多く、思い出されるからです。内にも外にも。
 
それを耐えて生きるには、生き甲斐というより、むしろ、生きる理由が必要です。なぜ、悲しかったり苦しかったりの人生を、生きることに耐えなければいけないのでしょうと、仰ぐところに、私の場合、神、そして、キリストがいる、という成り行きであります。
 
そのことを無視することは出来ません。そこに、現実と、信仰の、交差点があります。
 
楽山が言うような超常と空想の話は、全く信仰にも反信仰にも根拠を持ちません。
 
(2020年07月8日の私の記事の一部を再録+)
 
 
 
 楽山と思われる"taka"サイトですが
 

taka
@taka84156681
·7月4日
物申す系YouTuberは「必ずしも物が言えるとは言えないが、いかにも自分は何でも言える風に見せる」これがその本質だと思う。メディアに出てる人はテレビだろうがネットだろうが見せ方が大事なんだと思った。
午後3:31 · 2021年7月4日·Twitter for Android
https://twitter.com/taka84156681/status/1411573383091814412

 
インテリ気取りで、「いかにも自分は何でも言える風に見せる」のが、楽山なのですが、本人だけが気づかないままなのです。楽山の言は、理路は整っておらず、賛否両方言って一貫性もなく、共感などの情性は欠如して、いっさいが、何の参考にもなりません。
 
なのに、しつこく書いて、本質を語ったつもりになるのです。そして、見せ方が大事などと言いますが、本質が嘘と詭弁しかない楽山には、見せ方は、だまし方と同じです。楽山には、Youtuberのことなど、言う資格はないのです。我が身を見ない者の、恐ろしいまでの、迷惑と惨劇です。
 
 
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
ツイッター
https://twitter.com/st5402jp
(ここは、ブログ記事をリンク・抜粋)
 
 
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