ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

謙虚2

 
  謙虚2
 
 
神を知性で捉えて理解することは出来ない
これは地上の人間にとって真実である。
 
しかしそう言いながら
解釈においては
人にとって常識的な論理つまり知性を用いて
人は神との関係を持つことが出来る。
それが神を知ることだと語る。
 
ここまでは
「信仰の原罪」であろうか
不可避である。
信仰者にとって生きるために必要なこともある。
そして、聖書にて
神は・・こう言われています
という書き方になる。
 
信仰は
神を理解することではなく
キリストの命を賭した愛と共感をもって
神を信じ仰ぐことであり
神に正直に祈ることである。
 
しかし
神との関係を持ち
神を知った者が
やはり常識的な論理の言葉を用いていて
 
つまり死ぬまで人知によらざるを得ないのに
 
様々な個別の出来事や事柄を
人の及ばない秘め事であるのに
神の行為と結びつけて判断し
確信の固定をもって伝え広めようとするなら
 
聖三位と同等の振る舞いになり
神と人に対して
明らかな傲慢不遜である。
 
 
神のしもべであっても
様々の驚くべき出来事について
しもべは主(あるじ)が
人知を超えた御方であることを知るゆえに
 
信仰をもって
それを恐れ
主なる神の行いについて
しもべの浅知恵や
限りある経験によって
断定することをも恐れるのであります。
 
慎ましく受け取り
間違いのない神とは違うのだから
確信を持って声高に語ることをせず
慎ましく語り
何事も包み隠さず正直に祈ります。
 
少なくとも都合の悪いことに
目をつぶったり
耳を塞いだり
口をつぐんだり
他者の口を封じたりはいたしません。
 
さらに自らの瑕疵(かし)を消して
まるで最初から
なかったかのように
見せかけたりもいたしません。
 
さもなければ
起こっている悲劇を聞きながら
我が身の多幸を感謝して
自分を満たすために
信仰に見せかけた心地よいの砦を作って
抵抗しない人だけを招き入れ
自分の解釈に神秘の味付けを加え
自分の花園をこしらえ
造花を植えて愛でて
満悦するような偽善者になってしまうからです。
 
 
分かっていなければならないのが信仰ではなく
分からないならば分からないと正直に言うのが信仰です。
 
 
 

 
「いいね」を入れてくれたから見てみると、その人のブログでは、批判というものを害毒のように言ってるようです。
https://ameblo.jp/soyokaze618/entry-12692820005.html
 
批判を書いている人はいっぱいいると思いますが、まず、この人が書いているのは批判ではないのでしょうか。さらに、批判についての基本的な誤解~曲解があるようです。
 
批判と言われているものには2種類あると思います。
 
1)相手を変えるために批判する・・これは、双方向が成り立つ間柄で、忠告や提案をすることにとどめておいたほうがよいでしょう。それ以上は、大方、うまくいかないと思います。
 
2)として、1)のやり方で相手を変えることは難しいけど、放置しておいたら害が増えるだけと思われる場合は、こんなおかしい人がいますから関わらないようにしてください・・というような、情報を公開してゆくことが必要です。
 
私の批判は、おもに、2)であります。つまり、批判記事は、こんなおかしい人がいますから、だまされないようにしてほしいという願いを込めて書いています。つまり、記事を読んでほしいのは、批判対象ではなく、一般読者であります。
 
批判対象は、記事を読んでも読まなくても、都合の悪いことは無視して、平気でいるような輩です。
 
明確な意志と方法を持って批判しているなら、批判することで不安になるようなことはありません。
 
悪いことをする人の情報を書かなくなったら、悪人は、どんどん蔓延ってしまいます。それと、悪い人の中には、善を気取ってだましてくる、いわゆる偽善者もいます。批判を全然しないのが正しいと思い込んでいる人は、偽善者クラスの悪人の手助けをしていることになるでしょう。
 
自分が批判するしないは個人の自由ですが、一般論として、批判はよくないと決めつけるのは、それこそ、認識不足と自説への慢心による間違い~偽善と言うべきであります。
 
 

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             いかなる天上を信ずるのか
 
 
(2011年05月31日)
(2021年08月19日、再録+)
 
 
 
  きぼう
 
そらをみれば
そらにすわれ
こなごなになって
きえてしまいそうで
 
ひとをみれば
ひとみのおくにすわれ
すきとおる こどくのなかで
いきが たえて しまいそうで
 
いつのまにか
うすい いのちに さく
はなのあいだに
ただようかおりまつみの
ほのかな
ぬくもりのかげに にている
 
 
  高い窓
 
壁の 絵の
幼い少女は 手を伸べて
あそこよ と 指さしている
 
それが最初に見た
希望の形だった
 
伸びてゆく 手 が
かすかな影を ふるわせながら
うすい 光の 向こうで
声 を 待っている
 
孤独な 光だけが
医者のように 顔色を変えないで
夜じゅう 診ていたらしい
しらんでゆく窓に 衰弱して
くぼんだ 血管の 足音を聴いている
 
その小さなふるえから身を引いて
あきらめた 手 が
狭い視野から
落ちてゆくころ
 
また朝焼けの始まる
高い 窓の
物陰に隠れて
 
目覚めてはいるが・・・
 
 
 
 楽山のツイッターですが(再録)
 
楽山は、記事も、ツイッターも、自らは、はっきり言わず、責任を逃れようとしながら、他者の言から都合のよい文言を引用して、味方にしようとします。それで、引用の責任さえも、負わないでいいと思うような無責任ぶりであります。
 

心機一転★こも楽山さんがリツイート

優しい藤倉善郎
@SuspendedNyorai
今日の靖国神社前での戦利品は、幸福の科学顕正会法輪功キリストの幕屋の各パンフ類。それぞれが入り混じって配布活動してた。
藤「幸福の科学は宿敵じゃないんですか」
顕正会「相手にしてないです」
藤「顕正会と一緒にビラまきしてて仲いいですね」
幸福の科学国難ですから!(笑顔)」
午後7:49 · 2021年8月15日·Twitter Web App
 」
https://twitter.com/SuspendedNyorai/status/1426858644126134276

 
キリストの幕屋」は、右翼の教団で、信条に大和魂が入っているという話を聞いたことがあります。純粋なキリスト教とは言えないでしょう。そして、楽山は、右翼のA級戦犯を褒め讃えるネトウヨであります。楽山は、今も、まだ、クラゲのように、蠢(うごめ)いているようです。
 
 
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
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(ここは、ブログ記事をリンク・抜粋)
 
 
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