ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山のねっとり右翼

 
  楽山のねっとり右翼
 
 『餓死した英霊たち』藤原彰
 2021年08月22日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/30222075.html
 
 
楽山がネトウヨぶりを発揮して、戦争を不可抗力と主張し誘導したいようです。楽山は、そこでアウトです。既に、あちこちでアウトですが。自己顕示欲だけの自己愛性パーソナリティ障害者が縋りつく右翼思想に付き合わないでください。
 

*きっかけ
もう随分前のことになるのだが、ひょんなことから知り合ったお年寄りと雑談するうちに、いつのまにか戦争の話になり、南方に行った兵隊の大半が餓死または病死したと聞いたことがあり、そのことについて書いた本はないかと探していたところ本書を見つけたので読んでみた。

 
戦争の話というのはトラウマを語ることにもなり得る重いテーマですが、「ひょんなことから」知り合って出てくるようなものでしょうか。そもそも、楽山のような軽薄な人が、深い経験を持つ人と語り合う・・などということが、まず、信用しかねるわけです。
 
しかも、結局、記事の中身は、本を読んだ、という、体験者とは別の話なのです。面談したというのは、また、楽山の、インテリ気取りの作り話の自慢話ではないでしょうか。
 

*概要
まず本書は前半において、ガダルカナルポートモレスビー攻略戦、ニューギニアインパール作戦、フィリピン戦、さらには中国戦線でも餓死、病死が多かったとしている。太平洋での戦いだけでなく、中国での戦いでも食糧難、栄養失調に起因する死が多かったというのは意外である。
後半ではこのような悲劇の原因は、日本軍の補給・人権の軽視、精神主義の偏重、作戦参謀らの能力、人格的欠陥などが原因であったと指摘されている。これらはすべて著者の言う通りであり、もっともな理由なのだろう。

 
楽山の意図は、次に、明らかになります。「著者の言う通りであり、もっともな理由」と言いながら、全然、逆の方向に誘導してゆく、気持ちの悪さが表れています。
 
これから、もっと、ボロを出してゆくのでしょう。自己愛性パーソナリティ障害の宿命でしょうか。柔和を装い、婉曲と詭弁と嘘を表してゆく楽山は、むしろ、自慢したいらしい思想モドキによって、滅びつつある自らの姿を表してゆきます。
 

*賭け?
ただ、日本軍が兵たちに降伏を禁じることなく、「もし降伏が認められていれば、実に多くの生命が救われたのである」(p.265)というのはどうであろうか。
『人種偏見』(ジョン・W. ダワー著)の内容が真実だとすると、日本兵が降伏しさえすれば、米軍から人道的な処遇を得、餓死、病死、玉砕、自決以上に過酷な運命と対峙することにならなかったとは限らないのではなかろうか。この辺りのことはやはり大きな賭けにならざるを得なかったのではないかと思う。

 
降伏を禁じることはない、降伏すれば助かったとは限らない、と言って当時の日本の軍部の戦争犯罪を、不可抗力として、免責したいという、ネトウヨらしい意図です。事実関係について、私は、よく知りません。しかし、情報操作の臭いがプンプンしてきます。
 
それは、楽山が、今まで、嘘を吐き、詭弁を弄し、他者の意見を無視し、言うには言うが聞かないという成り立たない身勝手に偏重した態度で、反キリストの考えや、右翼の賞賛や、自己正当化の言を、重ねてきたという負の実績があり、その時点で、信頼度ゼロだからです。
 
楽山が何か書けば、決して鵜呑みには出来ず、その裏の意図があるということが、2年半にわたって、積み重なってきたのです。ここで、また、このようなインテリ気取りの発言を、平気でしてくることが、失敗や悪に不感不応で、何も感じないでいられる病質の表れだということです。
 
戦争は、決して是とはされません。その惨禍が、歴史として明らかになっていることを、ねじ曲げて正当化してゆく姿勢は、戦争正当化から戦争讃美へ向かう姿勢であります。それをしているのが、楽山というペテン師の反キリストのネトウヨとなれば、ますます、信用してはいけないと思います。
 
楽山は、反キリストのネトウヨから、本格的な右翼思想家として出世したいのでしょうか。今さら真面目に書いた姿勢を見せても、その根底にある腐った自己顕示欲と自己愛性パーソナリティ障害は、否むべくもなく、楽山がどこにも立場のないことを示しているのです。
 
 

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             立場など無い者
 
 
(2021年08月23日)
 
 
 
 楽山のツイッターですが
 

心機一転★こも楽山さんがリツイート
みんなの動画(動画省略)
@minnano_dougaww
·22時間
お母さんのいじめに対する教育が素晴らしすぎる…
午後10:10 · 2021年8月21日
https://twitter.com/minnano_dougaww/status/1429068465474727941

 
いじめは、謝っても、傷は残り、完全に元には戻らない、謝ったからいいじゃろ・・という言い訳は成り立たない、という話です。あとで謝るような、悪いことはしないようにしましょう、という話でもあります。
 
決して、謝っても無駄だから謝らなくていいという話にはなりません。
 
世の中には、謝りもしない人もいます。訂正すらしない人もいます。この話は、一方で、そういう人の悪意を際立たせてもいて、そういう人は、さらに、救いがたいということを忘れてはいけません。
 
楽山は、また、勘違いして、あるいは、故意に、都合がよいと思ったのか、自分の罪が軽くなりそうだ、いっしょだろ、みたいな印象を吹き込もうとしています。楽山は、そういう印象操作をする人です。だまされないでください。
 
楽山のように、自分で語らなくても、暗示で詭弁を仕掛けてくる人がいるという例です。楽山は、このように、自己の正当を暗示するために、言い訳みたいに、今までも本などから、都合のよい文言を漁っては引用して、自己正当化を試み、己の醜さを増幅させてきたのです。
 
 
 
  動物気分
 
人は鳴かない
時鳥(ホトトギス)が鳴いている
部屋の中までよく響く声だ
確かに「てっぺんかけたか」
とも聞こえるが
それより「ほととぎす・・・ほととぎす」
と自分の名を頻(しき)りに唱えている
 
人は飛ばない
 
蠅(ハエ)が一匹
部屋の中を飛び回る
死んだ誰かの生まれ変わり
 
まだお恨みですか
 
でもまさに五月蠅(うるさ)い
スプレーで狙い撃(う)ち
二度外れ
三度目に命中
鳥の声は聞きながら無視
何の生まれ変わりだろうと
虫は殺して
せいぜい黙(もだ)すこと数分
 
またどこからか飛んでくる蠅
隙間だらけの家の外では
犬があちこちで吠えている
 
この町にどれだけの猫の眼差し
動物は何でも知っていて
知らない振りをする
 
ふと鶯(ウグイス)はまだ鳴いているだろうか
と徐(おもむろ)に出かける支度を始める
 
山に向かって
人は鳴けない
人は飛べない
・・・
から
 
 
  忸怩
 
怒りは常に自らを嘖む
烈火のごとく
仮借ない呵責である
 
繰り返してみるがいい
あらゆる初(うぶ)と
あらゆる甘さを廃された
否定しようのない道は
そこで完結し
進めぬ先を更に塞ぐ
それゆえ泣いても笑っても
人の顔は美しく
自らは常に醜い
 
怒りは嘖む
滑稽なほどに
火は常に焼かれている
 
 
  忸怩たるもの
 
独り思い倦(あぐ)み
独り遊び学ぶことしかできない
忸怩(じくじ)たるものよ
そのままでいいとは言わない
しかし今こうあること
しか考えられないあいだは
そうありなさい
 
さいわいなるかな弱きものよ
役に立たない力なき腕よ心よ
自らを責め呵(さいな)むものよ
 
烈々たる強き腕は未熟な腕を取り
助けることができるが
脆弱(ぜいじゃく)な腕や心を気づくこともなく
ずたずたに切り裂き潰すこともあるのだ
 
だからたとえ侮(あなど)られ嘲(あざけ)られ
さらには総ての嫌悪と憎しみが向けられて
死ねばよいと思われているとしても
今日一日のパンが与えられているなら
今日一日のうちに死んではならない
 
 
(二千年代か)
 
 
 
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