ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山の排泄行進曲

 
  楽山の排泄行進曲
 
 2021年09月07日
 「幸福の科学 • • ダメだこりゃ• • 理解不能。。」を見た。
 幸福の科学とは何だろう?ブログ by 楽山
 http://mmknky21.blog.jp/archives/10967633.html
 
 
既に、2半々にわたる楽山の発言と、そのいい加減さ、そして批判があり、それを前提に書いています。いちいち2年半前に戻って、一から話を始めることはしていません。2年半の間、楽山がまともな文脈を書いたことはなく、悪意の嘘と欺瞞と詭弁といった醜いものばかり見てきました。
 
書けば書くほど醜さが表れても、なお、平気で書いてくるのは、ただの意地ではなく、元々が、そういう病気だからです。自分だけのために生きているというのは、そういうことです。そういう者が、公共の場に発信してくる、もっともらしい言い草に、決して乗ってはいけません。
 
楽山の言は、無責任の分、発言になっておらず、ペテンでだまして快楽を得ようとする分、言い草というより糞であります。一度、無責任ぶりに気づいた後は、何の役にも立たず、参考にもならない楽山を、聞いても読んでも、その詭弁の悪臭に吐き気を催すだけなのです。
 

*ものは試しに
ツイッターで流れてきた動画を見てみた。以下に感想を書いてみたい。
幸福の科学 • • ダメだこりゃ• • 理解不能。。【大川隆法】【大川宏洋】
(動画省略)

 
自己満足疾患の楽山が、また、性懲りもなく、他者のことを書いています。「ダメだこりゃ」「理解不能」・・と笑いたいのでしょう。目的は、他者を、自分より劣った者として笑うこと、それだけだと思います。楽山から漏れる笑いは、自分は高い、相手は低い、という嘲(あざけ)りです。
 
楽山のカルト批判・・ではありません。楽山は、批判する必要もなく、その資格もなく、ましてや、笑うより、笑われている自分を知らない愚か者です。楽山が、うまくやっているつもりの個人カルト思想~妄想を持っているからです。洞窟のピエロが独り笑っています。
 

*100パーセントの信仰
動画を見て思ったのだが、この支部長の信仰観は自分が信者だったころのそれと大体同じかもしれぬ。
ちなみに自分が信者だったころの信仰観はこんな感じだった。
大川隆法への信仰は100パーセントでなければならぬ。この教えは信じるが、こちらの教えは信じないというのは自己都合信仰にすぎず、大間違いだ。大川隆法のすべてを信じ切らなければならぬ。
大川隆法を悪く言ったり、それによって救世活動を遅滞させたら地獄に堕ちる。
大川隆法に疑いをもったり、それを口外して他の信者にも疑いをもたせたら地獄に堕ちる。
これらは『仏陀再誕』に書いてあることだけども、この信仰観は支部長の様子からすると今も教団内では続いてそうだ。HSは自由を尊ぶというけど、それはあくまで建前にすぎず、実際はそうではないのだ。

 
楽山の、今に至る思い込みと、ほぼ同じだと思います。自分100%だから訂正不能であり、代わりに他者を、まず、この世の疲労と混乱の地獄に落とします。批判されても、平気で、無視できます。楽山は、どうしたら・・ではなく、今のままで、十分、地獄の住人です。
 
楽山は、以前、自由というHNを使っていましたが、楽山だけの自由に過ぎず、それは、勝手気ままに発言して、反省せず、責任をいっさい負わないということです。つまり、楽山に話しても、無責任が返ってくるだけです。ゆえに、楽山が何か言っても、何の重みもありません。
 
しかも、それら一切を、全く反省しません。そうやって生きてゆける、そうやって物を言ってよい、という病質をもって、今に至っていて、誰かが何か言っても、全然、変わることがないわけです。ゆえに、自己愛性パーソナリティ障害であり、人を傷つけても、何も気にせずにいられるのです。
 

*豹変
入会しそうかどうかで対応が変わるというのも、自分が信者だったころと変わらないな。自分が通っていた支部では、入会しそうな人にはチヤホヤしたり、無料サービスしたりするけれども、批判や疑問が多い人は、霊格が低いとか、悪霊憑きとして敬遠されたのだった。

 
物わかりがよさそうな、バランスが取れているような、中庸を装い、受け入れる人には、やさしい先生のようですが、ひとたび、疑問を呈したり、批判したりすると、豹変して、言い逃れの詭弁や、当てつけの悪口しか言えないという出来損ないです。
 
広く門を開けているようで、実際は、洞窟の小部屋から、いちゃもんだけを、ぶつぶつ言ってくる卑怯者であり、楽山に出会うことは、心を疲労させ、盗まれるようなものですから、こそ泥に遭うより、殴られるより、悪質であります。詐欺師であり、だまし取られるのは、心なのです。
 

入会しそうな人と、それ以外の人とでは対応がガラッと変わるというのは、宗教としてはあまりに現金すぎるのだが、「救える者から救ってゆく」というHSの教えからすれば、素直に信じる事ができない人は後回しにしてよいとして容認されるのだろうな。

 
楽山は、誰も救いません。そういう意志は、楽山のどこにも表れていません。なのに、救いという話を、このようにしてくるのは、救いに見せかけた誘導によって、相手をおとしめ、自分が快感を得たいからに他なりません。容認も批判も、楽山の満悦のためでしかありません。
 
自己愛性パーソナリティ障害NPDの楽山は、自分だけを愛し、自分で自分を全て赦してしまうというより、最初から、罪の意識など微塵もないのです。自省という精神機能が、元々ないのでしょう。ゆえに、いかなる宗教にも信仰にも、感受性を持っていません。
 
 

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            公共に排泄して垂れ流す
 
 
(2021年09月10日)
 
 
 
キーワード:排泄
 
 
  踏切の子守歌
 
傾く長い棒に頭を打たれて
鎖のベッドでお休み
石ころの上に板を敷いて
砂利のシーツに木の枕に
身を横たえて三つに分かれて
おやすみ
やがて社会を貫いて
やって来る排泄の霧の
蒸(む)れた熱が全てを散らすだろう
上で社会の窓が放熱し
下で社会の首筋が冷たい
鉄の回廊の
血の道
道の駅の
駅に続かない踏切に
信号も遮断機もない
線路さえない
しかし打たれ縛られる
踏切を余儀なくされる
ここは踏切
社会に手も尾も振ることもなく
砕かれながら眠るものよ
散りながら
ゆっくり
おやすみ
 
 
  排泄
 
折れた骨は
変形して固まっている
血も内部で冷えていく
わずかに臓器を残して
排泄する
老いてゆく自画像の裏で
手が動く
綴られなかった一日
読まれなかった行間

見られなかった空間

排泄するために
欠けていく勾配
 
 
  偽物
 
真実を悟っていると少しでも思うときには
たとえば信仰について
いちばん信じていることに
自ら偽物の称号を与えてごらんなさい
少しはへりくだった気持ちになれるでしょう
少しは自ら信じることに嘘がないか
内省してみる気持ちになれるでしょう
それを謙虚と呼びたいのです
 
人は人が知るべき真実に
近づき触れる機会を与えられていながら
見かけの美しい言葉で飾らなければ
理屈で辻褄を合わせ思いで納得しなければ
真実として人前に出せないような気がして
どこにも響かない空気の流れや
派手な排泄物にしてしまうのです
 
 
  分泌液
 
分泌されたいのです
涙は遠すぎる友だち
乾いて脂(やに)
汗は近すぎる友だち
乾いて垢(あか)
粘液・滲出液は膿(うみ)と交わり
腫れ上がって炎症を取り囲み
延焼を防ぎ自壊して
吸収を待つ累々たる屍たち
排泄されたいのです
検尿コップに浸され
試され繰り返される
別れの長い長いテープ
いつかの思いのように
捨てられ汚くなることによって
きれいになるもの
を終(つい)に見ることはなく
乾くほどに不潔は除かれたいのです
 
 
 
  死んでいます
   (信仰告白として)
 
私は日々死んでいます
聖者の叫びは程遠く
詩人の鐘さらに遠く
私は日々滅びています
体は衰え心は萎え
気力は失せて
私の耳は砕け散ったかけら
響きも笛も聞こえない
私の目は汚れた鱗
涙ながらに涙は流れず
渇いて乾いて
重なるものを見抜けない
私の昼は空しい排泄に終わり
私の夜は繰り言の始め
ありふれた風景
世界の末席から転げ落ちて
私は日々死んでいます
私は日々滅びています
しかもそれらすべてが
必ずしも悲しみだけではない日々を過ごしています
 
 
 
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