ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山の自己顕示欲

 
  楽山の自己顕示欲
 
 『新約聖書入門』三浦綾子
 2021年11月02日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/31014880.html
 
 
自己愛性人格障害強迫症状とも言えそうな記事を書いてきました。再読だそうですが、得るものがないのは、この記事から得るものがないことに表れています。書かずにはおれないのでしょう。他にすることがないのかもしれません。こうしている間に、残り時間は短くなってゆきます。
 
既に、楽山が、キリスト教を全く理解していないことは、今までの記事で、明らかになっています。なのに、性懲りもなく、聖書について書いてきます。勉強したいなら、読むだけにしておきべきであり、メモしても、キリスト教の信仰について、楽山が書くものは、空しいだけです。
 
文字にするのが面倒なのか、本のページを画像で出してきます。怠慢か、嫌がらせかの、どちらかでしょう。底意地が悪く、どうしても、自己主張したいのでしょうが、書いて責任を負わないのなら、批判をもって全否定するしかありません。問題は解釈ではなく楽山という人間にあります。
 

*再々読
先日、ひさしぶりに『新約聖書入門』を読み返してみた。気がついたことをメモしておきたい。
*修身
まず一つは、著者は聖書によって自らを省み、教訓を学び、人格を磨こうとしているということである。自分が著者の本がすきなのはこれが理由らしい。

 
「自らを省み、教訓を学び、人格を磨」くことを、一切しなかった楽山の醜さが、ここにあります。書き続ければ、こちらが、うんざりして批判しなくなるだろうとでも思っているのでしょうか。それとも、批判者のほうが先に死ぬだろうと、高を括っているのでしょうか。
 

*素直
二つ目は、著者は聖書をそのまま信じているようだということである。福音書ではパリサイ人はイエスを陥れようとしている悪役になっているが、著者はこれをそのままに受け取っている。現実のパリサイ人らは本当にそのような人々だったかという考察は見当たらない。
著者の立場であればこれが当然かもしれないが、著者のような人であっても聖典に○○人は悪いたくらみをしていたとあれば、それをそのまま信じるのだとすれば、信仰とは一体何なのだろうと考えてしまう。

 
画像の中の聖句ですが
 
 (ローマ人への手紙、口語訳)
12:19
愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。
12:20
むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである」。 
12:21
悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。
 (ローマ12:20-21、新約聖書
 
信仰の敵である楽山は、敵を助けることが正しいとでも言いたいのでしょうか。この聖句では、敵は飢えており、無力であり、既に敵ではない状態です。敵が飢えていても楽山のように敵意があり、こちらが害されそうな状況で、食事を与えなさいということではありません。
 
楽山は、無理解から、嫌がらせとして、論(あげつら)って、キリスト教はおかしいと言いたいのでしょう。だまされてはいけません。楽山は、飢えていてもいなくても、人を傷つける自己愛性パーソナリティ障害NPD(自己愛性人格障害)です。書けば詭弁にしかならない楽山です。
 

*引用の仕方
三つ目は、引用部分についてである。
「DSCN3271 三浦綾子新約聖書入門』 ロマ書
(『新約聖書入門』三浦綾子著、光文社、1995年、pp.254-255)」
(画像省略します。)
どうやら著者はここで、ロマ書の12章19-20節のもっとも驚かされる表現のあるところを省略したらしい。
ちなみに、この部分は共同訳ではこうなっている。
愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」
(新共同訳 ロマ12章19-20節)
ついでに、定方晟氏による三浦綾子批判を見てみると、こうなっている。
DSCN3274 定方晟『憎悪の宗教』 ロマ書 三浦綾子
(『憎悪の宗教』定方晟著、洋泉社、2005年、pp.80-81)

 
ここは、訳によって大して変わらないような気がします。楽山の指摘が、いい加減なために、キリスト教批判になっていないようです。いよいよ理路が発散して、悪意の欲望だけになっているのではないかと思います。
 
画像の本のページでは、新共同訳が、表現を穏やかにし過ぎていると言っています。前に書きましたが、新共同訳は、姦淫の戒めの「女」を「人の妻」と書き換え、神を恐れることを、畏れると書き換えていますから、私は信用していません。信仰を分かってない人が訳したのでしょう。
 

ここでは当然ながら、「燃える炭火」について省略はせず、解説までしている。
「燃える炭火」について、三浦綾子は、カッパ・ブックスでは省略せず文庫化にあたって省略したのか、もとから省略していたのかは分からない。しかしどちらにしてもこの省略は意図的なものであろうし、伝道のための苦心の現れなのだろうけれども、三浦綾子がこのような引用の仕方をしているというのは意外であった。

 
楽山は、理解も出来ない信仰のことで「意外であった」という言葉で、三浦綾子さんを、婉曲的に、侮辱しています。丁寧語の偽善者は、こういう言い方をするのだということを覚えてほしいです。悪意の底が、荒らしの罵詈雑言よりも、さらに深いのが特徴です。
 
楽山は、小説家が「燃える炭火」を省略したしないに、こだわっています。しかし、神の裁きの、燃え盛る炎の怒りを自らに積んでいるのは、楽山その人なのです。楽山は、勉強しても、聖句を見ても、自分の都合のよいようにしか解釈しません。そのような者には、聖書は、関係ないのです。
 
楽山の今までの記事から、楽山は、聖書を読む人ではなく、いつも自分の霊能者気取りと教祖願望からの、いちゃもんになりそうな字面を読んで拾ってくるだけであり、良きものを何も受け取っていないことが、文章に表れてきました。
 
聖書を必要とする人は、分からないところは分からないと言い、保留します。楽山は、それを、あざけっているだけです。
 
聖書には、一定の解釈をすることが難しいところもあるようです。当該聖句の「燃える炭火」について、私も、よく分かっているわけではありません。
 
(ネットより)
「燃える炭火を積む目的は不純物を除くこと、つまり敵のよくない不純物を取り除く効果がある。ということです。」
「敵に親切をするなら、相手のよくない感情は取り除ける。ということを表す古代の金属精錬工の習慣から来ている例えなわけです。」
「燃え盛る炭火を敵である人の頭に積んで、敵の頭の中にある、貴方に対する敵意を、燃やし尽すようにしなさい。燃え盛る炭火とは敵が欲しがっているものの事です。」
使徒パウロが敵に食べさせ飲み物を与える、食物と暖かさを与えるために 火の付いた炭火を積み上げることと同じと言っていたと思われる。」
「聖徒たちの中で生じている敵に対する強い復讐心、すなわち聖徒たちの「燃えさかる炭火」を彼らの敵の頭に善をなした行為として積むことで、神からの敵の裁きがさらに一層強められるということを強調しているのではないでしょうか。」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1466981569
 
ざっと検索しても、これだけの解釈があります。キリスト信仰は、解釈が全部正しくて納得したから信じるのではありません。
 
上のような解釈例と解釈への努力の一切は、楽山には関係ありません。楽山は、けなしたいだけの反キリストです。楽山に説明しようなどと、決して思ってはいけません。
 
解釈が分かれているところはあると言えば、楽山は、ニヤッとするでしょう。それが楽山の生き甲斐なのでしょう。楽山には、生きることの一切が関係なく、信仰に必要なものは、楽山の目の前を通って、過ぎ去って、跡形もないのです。
 
楽山のキリスト教否定の記事を、その都度、唯一、一貫している不成立ということをもって、批判すること以外には、精神衛生のために、楽山みたいにならないために、楽山に関わってはいけません。悪意の意図だけで書いてくる楽山には、宗教も信仰も良心も、何の関係もないのです。
 
恐らく、楽山は、良いものを受け取るということが全然ないのではないかと思います。無反省で無責任の自己中では、成長につながる良いものなど分からないのでしょう。だから、受け取るということが出来ず、的外れに唾を飛ばして、笑うか怒るかしかないのでしょう。
 
丁寧語や芝居でごまかしても、意味はありませんから、このまま年取ったら、廃人になるのでしょうか。楽山が大きなテーマについて何を語っても、楽山は、そのテーマとは、何の関係もありません。悪影響を受けないためにも、楽山には関わらないでください。
 
 

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               無縁
 
 
(2021年11月04日)
 
 
 
私の祈り: 我が神、我が神、何ゆえ、我を造り給ひしか
 
 
 
 キーワード: 縁
 
  無の真実
 
独り思いは掌中に風化し
砂のように行方も知れず
毀(こぼ)れ落ちる
 
後には何も残らないか
と尋ねられれば独り思いは答える
毀れ落ちたという真実が残ると
 
それは意義や意味
といったものには縁のない
売れない虚無の踊り子だ
 
しかし売り出し中の
毳毳(けばけば)しいダンサーよりも
しばしば長く残る
 
拍手喝采のない舞台で踊り続け
舞台を選ばず外でも内でも
ホーホーラララ・・・♪
 
けれど耳に聞こえず目に見えず
掌中から去って久しく
ときに手のひらよりも胸に
遠い浜からの潮風を通す
 
 
  蓄えた死
 
蓄(たくわ)えたものの中から
奇麗なものを選び取る
ことさえできない
 
死屍累々(ししるいるい)の先祖も
未だ続く身の過ごした日々も
肉弾戦法と玉砕かと問えば
肉弾というより肉塊そのまま
戦法というより
避けがたく卑しき業(ごう)のよう
 
玉砕などではなく
自慰か慢性自殺行為に過ぎない
 
過ぎないというものが
好きだったつもりが
過ぎ去った弾(たま)も玉(たま)も
みな身を焦がして貫いた痕(あと)だけを残して
遠く通り過ぎていったものばかり
 
振り返れば漠々(ばくばく)として
天に連なる縁(えにし)さえ疑う無法の地に
血しぶきを浴びながら去ってゆく少年
血しぶきを浴びせながら倒れてゆく青年
 
幾たびか幻に立ち竦(すく)み
乾いた負の血痕の上に続く
吹きさらしの後ろ向きに蓄えられ
蓄えたことさえ忘れそうな
砕け散ることさえ忘れそうな
遠く近く既に身の脈管を離れ
夥(おびただ)しく累々と連なる
棘(とげ)とも毒とも付かぬ骨肉の
血縁の骸(むくろ)を曝(さら)し続けている
 
 
  眠りの音信
 
別れて久しく
音信も途絶えた人が
見知らぬ地にて永眠するとき
揮発のアンダーグラウンド
泡沫(うたかた)の
嘗(かつ)ての縁(えにし)
は胸に巣くう鬼畜を眠らせ
血腥(ちなまぐさ)い流れを冷水に
冷水を雫(しずく)に
そして雫が形を失うとき
二つの問いを残すのです
「俺はそんなに悪かったか」
「水さえも永遠ではない」
契(ちぎ)りもなくて罪に濡れ
柵(しがらみ)を越えるよりも先に
冷たく遠く離れ去って
眠り続ける土塊(つちくれ)深く
失われゆく形骸は
永遠の水を求めて
地上からの吸引に逆らうでしょうか
 
 
 
悪意が止まず、精神の崩壊の続いている楽山は、また、成り立たない記事を書きました。これが、自己愛性人格障害の訂正不能の症状なのでしょう。嘘がバレて、他に何も出来ないときに、嘘と詭弁を積み重ねることしかできない楽山です。
 
楽山ブログに見つけたコメントの再録です。誰のコメントかは不明です。
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html
コメント欄から抜粋引用しておきます。
 
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら 誤ったら 素直に詫びて
 自分 正さなくちゃいけない」
「それが出来て 初めて人間だと
 それ出来ないなら 人ではないと」
「嘘ばかり 重ねる君よ
 保身だけの 卑怯者の君よ
 そんな君は 魅力の欠片もないのに」
「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は
 最大限の償いと 最大限の反省と共に
 開いた出店を 畳むしかないんだよ」
「人間で在り続けるのなら
 人で在り続けるのなら」
 
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、
これを実践するのは難しいんだよなあ。
恥ずかしながら、自分もそんな風です。
これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
2019年だから、それほど古いコメントではありません。
 
楽山は、自分ではなく「人間の性」のせいにしています。一般化されては、たまりません。
 
楽山は、人間であり続けることを、拒み続けています。ふつうのことが、出来ないのです。
 
また、軽口の出まかせを書いてきたようです。自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)は、治癒するということはなく、効く薬もなく、言動と生活の範囲を自由に決めても、その責任を負わないならば、どうして人間であり続けられるというのでしょう。
 
 
 
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
ツイッター
https://twitter.com/st5402jp
(ここは、ブログ記事をリンク・抜粋)
 
 
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