ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山のサディズム

 
  楽山のサディズム
 
 『プロテスタンティズム』深井智朗著
 2021年11月05日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/31047120.html
  を批判。
 
サディストの楽山が、また、キリスト教をおとしめにきました。こういうことがあって、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)の楽山は、また、反社会性の精神病質、つまり、サイコパスでもあるだろうと判断しています。おとしめて、いじめて、鬱憤を晴らす楽山です。
 

プロテスタントにはさまざまあると聞いてはいても、それぞれの特徴、区別はよく分からなかったので本書を読んでみた。

 
いくら本を読んでも、読んだことにならないような記事を書いているだけの、婉曲の悪口です。楽山は、悪口を言って、ひととき、優位に立った気分になるために記事を書くのでしょうか。何か言ったことにしたいのでしょうか。悪意の偏見では、何も言ったことにはならないのです。
 

主に前半はルターの宗教改革について説明されており、後半はプロテスタントを古プロテスタントと新プロテスタントに分けつつ、前者と後者の特色、政治との関わり方について語られている。おおまかに言えば、前者は権力との結び付きが強く「支配者の教会」であり、後者は「自発的結社としての教会」ということになるらしい。

 
信じてもおらず、常識的な取っ掛かり程度の理解さえも出来ていない哀れな楽山が、キリスト教を時代で分けて何の意味があるでしょう。ただ、勉強して知ってるつもりだけのインテリを気取りたいだけの、これもまた、自己顕示欲と、さらに、執拗な分、凶暴性を表しているのです。
 

それにしても、この種の本を読むたびに思うことだけども、宗教とは結局のところ神の働きによるというよりも、人々の願望、社会的要請などによって生じ、広まってゆくもののようだ。

 
宗教は人が作った、つまり神はいない・・と言いたいのでしょう。理解力のない自己愛性人格障害の楽山は、「というよりも」「のようだ」という婉曲的な言い方で、宗教は捏造じゃろ・・と、自己の欠格を否定したいのでしょうが、執拗に書いてくることが、悪魔性の人格を表すのです。
 

でもよく考えてみれば、この種の本は宗教を内側からでなく、外側から説明するものであるし、宗教の教義、歴史的事件、社会的影響などについて書かれてはいても、信者個々の宗教的体験、霊的な諸事情、心理的影響などについてはあまり掘り下げて書かれてはいないことが多いのだから、そういう感想を持つのも当たり前か…。

 
今までの記事もですが、こういう楽山の記事は、婉曲的な悪意に満ちていて、決して「当たり前」ではなく、知性も感性も途方もなく外れたままの、鬱憤晴らしの五里霧中遊泳でしかありません。どんどんどんどん自己破壊の瓦礫を積み上げる楽山は、大人になれなかった子供です。
 
 
私は、歴史のことは、高校の世界史で勉強したくらいしか知りません。歴史が正しいからでもなく、教理が正しいからでもなく、聖書を読んで心に残って、いつまでも消えないほどには、キリストを好きになり、洗礼を受け、教会から離れた後も、考え続けているのです。
 
こういうことは、誰にでも、御縁があれば起こり得ることですが、御縁を自覚しなくても、神が、キリスト教を通さずに何らかの使命を与えて、生きる糧を与える可能性は否定できません。しかし、楽山は、そういうことも当てはまらないほど、無反省・無責任の、心ない反キリストなのです。
 
宗教と信仰は、リアルでもネットでも、テーマとしては地味で、目新しいカルト的な話題で煽ったりしない限り、アクセスも少ないと思います。楽山は、ブロガーとしても、面白い文章も深い文章も書いたことはありません。
 
むしろ、そういう地味なテーマで、楽山は、価値を最初から認めていないからこそ、考えもせずに、好きなように壊れた理路を押し出せるのでしょう。検証も分析も考察もできない楽山は、霊能者気取りと学者気取りで、おとしめるためだけに、嘘と詭弁を弄して楽しむサディストなのです。
 
 

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        サディストの因業(いんごう)
 
 
(2021年11月06日)
 
 
 
  浮腫が示すもの
 
眼瞼の浮腫はいずれ破裂して
一番薄い皮膚を引き裂くであろう
不可逆であれ一時的であれ
原因がフェナセチンであれピリンであれ
腎障害や肝障害であれ
心機能の限界であれ
一度起これば次第に頻発し
前より重くはなっても
軽くはならないものがあるのだ
 
浮腫は破裂して皮膚を引き裂くだろう
裂け目から流れ出るのが
涙であろうと水であろうと血であろうと
裂け目に蔓延(はびこ)り残るのが
いかなる黴菌(ばいきん)であろうと
いかなる有機物や無機物であろうと
そのとき既に視力は奪われ
意識は喪失し
命は旅立つのだ
 
生命は性霊のように大切だから
意思は遺志のように儚く尊い
しかし浮腫(むく)んだ皮膚が
常に示してくるのは
再会も音沙汰もない生別と
死別の違いにも似て
 
滅びないであろうこの世に生きながら
自らが滅びるとき自らにとって
この世の滅びを問い続ける細い管から
漏れて戻り損なう循環だ
そう ゆえに
皮膚はいずれ破裂して
浮腫を緩やかに引き裂くであろう
 
 
  何故か
 
何故か知らぬ
ひどい目に会わせた人がいて
因果の繋がりの一段一段は知る由もなく
今こういう目に会っている
それはいい
それでいい
何故か知らぬ
眠りに就(つ)くとき
目覚めを望まなかった
目覚めないことを祈りさえした
何という不遜の祈り
しかも数知れず
それはよくない
それではよくない
しかし今さら善い悪いの問題ではないのだ
そうであった
そうである
ということだ
しかし何故か知らぬ
目覚めを厭わずに眠ることがあった
それはよい
それでよい
と素直に喜べないのは何故か
知っているようで
やはり何故か
 
 
  ある病苦
 
独りきり
価値がない意味がない
楽なのか苦なのか
虚無だ空虚だ
生ける屍だ廃人だ
と思いながらも
病気は本人にだけ分からない
病は気から
原因があるのだ無いのだ
拒否しているだけだ
腹癒せだ引き籠もりだ
仮病だ詐病
と思われながらも
苦痛だけは本人にしか分からない
 
 
 
 
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