ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

インチキ思想の楽山

 
  インチキ思想の楽山
 
 『決定版 日本人論』渡部昇一
 2021年11月23日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/31234509.html
 
 
楽山には、宗教も思想も成り立たないので、政治思想を語れば、とにかく右翼的に書けばいいじゃろ・・という投げやりが見られます。今までも、ずっとそうだったのでしょう。言葉を覚えても、言葉を使うための、心が無いのです。ゆえに、説得力もなくなっています。
 
楽山は、人に分かるように説明することが出来ないのです。人に分かるように工夫することが出来ないのです。自己愛性人格障害だからでしょう。インテリ気取りで発表して、満悦する人です。共感性がないので、読む側の気持ちを察することが出来ないのです。
 
インテリ気取りで、まともに見せかけようとしても、読んで受け取れるものが何もない文章です。例えば、小中学校で、感想を聞かれて、・・ヨカッタ・・と答えて、先生に叱られる部類の文章です。それに類する語尾が多いと思います。
 
例えば、「筋が通っているようだ」「何かしたいと思わせるものでもある」「一読の価値ありと思う」・・こういう褒め言葉だけで、曖昧で婉曲で、無責任な結論だけで、切実さが、何も感じられません。「ようだ」「思わせる」「ありと思う」・・楽山の、ボンヤリ言語と呼んでいます。
 

著者は本書において、日本の歴史を振り返りつつ、日本の長所および日本の独自性について語っている。皇室、神社、大和言葉本地垂迹説、武士道など。

 
日本の長所と独自性を、右翼思想で語ろうというのでしょうか。言葉を、並べてみても、その説明も説得力もないなら、読者に無駄な時間を費やさせるだけの、短絡、幼稚、字面だけ、妄想的、訂正不能の危険思想にしか出てこないという楽山の精神病理が、より明らかになるだけです。
 
記事を書いても、文章は短く、短いのに中身がなく、理路は散乱~滅裂となり、思想を語るのではなく、思想の偏りだけが鮮明になってゆくようです。根拠のない偏りを、押し出してくる楽山は、無反省と無責任のペテン師ぶりを、書くたびに明らかにしています。
 

とはいえ著者は日本を褒めてばかりいるわけではない。たとえば靖国神社参拝を問題視する人々の浅薄さを批判したり、

 
靖国参拝を問題視しなくていいという根拠を何も書いていません。結論だけで、説得力の無いことが、明らかです。右翼の旗を振って、その旗に、絡まって、転びながら、言葉と結論だけが、浮いて、納まりもつかないことで、楽山が、いかに、いい加減に思想を唱えているかを表すのです。
 
他者が批判したことを書いて、何の意味があるでしょう。いつものように、怠慢な楽山は、面倒だから、自分で批判しないのでしょうか。それだけではなく、理路を正した批判ができないものだから、無駄に、丁寧語でありながら、シュプレヒコールのように、賛同だけを繰り返すのでしょう。
 

日本は東京裁判の判決は受け入れても、その裁判を受け入れたわけではないにもかかわらず、近年は政治家の中にさえ、この区別に無頓着で判決のみならず、裁判をも受け入れたと勘違いしている輩がいるとして憤り、かつ憂えている。

 
判決は受け入れて、裁判を受け入れない、という摩訶不思議な理屈を、「政治家」という言葉だけをあげて、箔をつけたいのでしょうか。何も言えない楽山の、無理、怠慢、偏見、思い込みが、羅列されてゆく文章など、もはや、理路が散乱して、読んでも、空疎でしかありません。
 
受け入れるかどうかではなく、日本人300万人の命を奪った戦争について、何の見解も持ち得ない楽山の、右翼だから右翼の思想の言葉を並べるだけ、という気色の悪い自己愛性パーソナリティ障害NPD(自己愛性人格障害)の末路が、ここに表れています。
 

そういわれてみれば確かに東京裁判には、事後法だとか、共同謀議を立証できなかったとか、裁判官は中立国でなく戦勝国人ばかりだったなどという批判がある。とすれば、やむなく刑には服したとしても、その裁判は受け入れないというのは筋が通っているようだ。

 
このように「筋が通っているようだ」とボンヤリ言語で書いても、楽山は、根拠と説明が、右翼の意見を書けばいいじゃろ・・という安易さに、帰結しているだけで、知性のまとまりがなくなっています。右でも左でも中立でも、無責任思想の迷惑だけを表している楽山です。
 

本書は「日本人でよかった」という気分にさせてくれる本である。しかしそれと同時に「このままではいけない。日本のために何かしたい」と思わせるものでもある。

 
楽山の言の、どこに「日本人でよかった」「このままではいけない。日本のために何かしたい」という説明が表されているでしょう。このような安い刷り込みをしてくる楽山は、右翼でも思想家でもありません。もはや、右翼的な言葉を、壊れたエンジンのようにブルブルブルと失禁するだけです。
 
右翼に短絡しただけで、右翼を書くだけの素養が何もないのです。さらに、筋の通った思想一般に、楽山の居場所など無いと言えるでしょう。あらゆることに責任を負わない無緊張の生き方は、楽山に、喜びではなく、笑われることだけを与えるでしょう。楽山の思路が、弛緩しています。
 
楽山には、反省も、修正も、学習もしないまま、インテリや学者を真似た気取りだけで、一人前を装う無理が、どんどん表れているようです。全てが、大根役者の、三文芝居だったのでしょう。何事にも、人生をかける気力も勇気も、楽山には感じられないのです。
 

現状を肯定するとともに、現状打破を志すというのはなにやら矛盾しているようではあるが、この矛盾こそが前に進むために原動力となるものなのだろう。月並みな言い方ではあるが、本書は日本人なら一読の価値ありと思う。

 
結びに「日本人なら一読の価値あり」と、理路の過程を何も書かず、結論だけを書いて、ごまかしています。このように、つまるところ、何も分かるような説明など出来ない楽山です。楽山は、自らの現状を打破できないのに、人に、現状打破を向けて、何が成り立つと言うのでしょう。
 
楽山は、何事を主張するにも根拠を示せない、ということが分かる結びです。現状肯定と現状打破、矛盾が原動力、などと、意味のない理路を並べています。こうなってしまうのは、楽山に、心が無いからです。楽山においては、肯定も否定も安っぽくなって、結局、何も主張できないのです。
 
こういう人がいると、その集団の主張は混乱し、詭弁だらけとなり、嘘だらけとなり、丁寧語で、ごまかしても、いずれ、馬脚をあらわして、誰からも信用されなくなります。まともそうだけど、見ているうちに、ただの自信過剰の怠け者だとバレてしまうのです。
 
楽山は、右翼ではなく、我欲しかありません。楽山は、思想ではなく、屎尿のような臭さだけの文章を、恥知らずだから、載せてくるのでしょう。楽山は思想など持ってはいません。楽山の心無い精神においては、何も、まとまらないのです。人格破壊が進んでいます。
 
 

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           屎尿(しにょう)排泄(はいせつ)
 
 
(2021年11月24日)
 
 
 
  祈り・神の法廷
 
人の法廷を恐れるよりも
いかなる嘘も言い訳も通用しない
神の法廷を恐れなさい
そこを仕切るのは全知全能
人は騙(だま)せても
神は騙されない
手練手管・戦略・弁舌・ディベート
あらゆる人の知恵の空しい所
なぜなら総ては余すところなく
すでに知られ見抜かれている
最も恐るべき神の法廷であるのに
ついに一円の宝も
天に積むことのなかった罪人は
しかし祈り願うのであった
救いを求めるかのように
喜びを求めるかのように
ただ一度かけられる
たった一言を
もうそろそろいいだろう寿命だ
迎えに従って昇ってきなさい
神の法廷が待っている
 
 
  涙の定め
 
売れない役者の嘘の涙
売れる役者から買った涙
忘れたくないのは
演じることのできない
孤独な舞台に立たされて
売ることも買うこともできない涙
を受け止める器(うつわ)において
忘れたはずの涙も
今流している涙も
隠して耐えることをしなくても
いずれ必ず乾く定めを持っており
元々涙は売ることも
買うこともできないということだ
 
 
  仲間と責め
 
ねえねえ
・・・だって
・・・だよねえ
ねえ
孤独な仲間たち
寄り添う
似たような視線になる
責めをすり替える
身を守る
捨てられたものがある
ときに加担する
ときに捨てられる
仲間ではない仲間
責めではない責め
 
 
 
 
 楽山のツイッターですが
 

★こも/楽山日記3
@komo266
すごい容赦ない言葉だ。
でもこれが残酷な真実というやつか…顔文字(考えている顔)
引用ツイート

アドラー心理学サロン(アドサロ) ポジティブ心理学サロン
@PositiveSalon
 · 11月17日
頭の悪い人は自分の無知・愚かさを理解できていない。自分の欠点を認める謙虚さが足りない傲慢な人達です。そんな人に理解させようとしても時間の無駄。本人の意欲が低く、努力ができないのなら、もうどうしようもない人だと諦めることも賢人には必要です。そうしないと、あなたまで狂わされる。
午前8:48 · 2021年11月17日
https://twitter.com/PositiveSalon/status/1460756652915757056
 」
午後9:09 · 2021年11月17日
https://twitter.com/komo266/status/1460943238617964546

 
人のことしか言えず、自分を見ない楽山は「考えて」はいないと思います。相手の理路を受け取って、その上で物を言う、ということが、全然できない人です。挨拶と世辞の遣り取り以外は全く無意味です。正誤ではなく、正常な遣り取りが出来ないので、異常な疲労が残るだけです。
 
楽山は他人事と思って書いているようですが、引用ツイートが、楽山に、ぴったり当てはまっています。実に「残酷な真実」です。精神衛生の問題として、人格を破壊されたくなかったら、楽山と議論しても経過も結論も成り立たないので、関わらないことです。
 
「無知・愚かさを理解できていない。」「欠点を認める謙虚さが足りない傲慢」「理解させようとしても時間の無駄」「意欲が低く、努力ができない」「どうしようもない人だと諦める」「必要」「そうしないと」「狂わされる」・・ほぼ全文ですが、楽山は、そういう人です。
 
 
 
 
楽山日記へのコメント再録(1.が誰のコメントかは不明)
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら 誤ったら 素直に詫びて 自分 正さなくちゃいけない」「それが出来て 初めて人間だと それ出来ないなら 人ではないと」「嘘ばかり 重ねる君よ 保身だけの 卑怯者の君よ そんな君は 魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと 最大限の反省と共に 開いた出店を 畳むしかないんだよ」
「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
誰かが注意しても、聞く耳を持たない楽山は、反省も謝罪もしておらず、邪悪な性根の根深さが治りません。一般の「人間の性」などではなく、ゆえに、「自分もそんな風です」などという詭弁の言い訳は成り立ちません。楽山固有の悪と罪と偽善です。
 
 
 
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
ツイッター
https://twitter.com/st5402jp
(ここは、ブログ記事をリンク・抜粋)
 
 
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