ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

被害的・他罰的2の2の2

 
  被害的・他罰的2の2の2
 
   楽山から見た st、shalom 問題を振り返る
   https://ameblo.jp/aankzf2019/entry-12547467881.html
   楽山日記(a)2019-11-21 に対する批判を加筆して再録。
 
 
実際は、 「st、shalom 問題」ではなく、 「st、楽山、shalom 問題」であり、最も大きな問題は、楽山の、無反省・無責任・訂正不能・自己愛性病質であります。
 

・shalomさんが、stさんのことを自他未分化と批判してた。
初めて聞く言葉なので、その意味ははっきりとはわからないものの、字面からゆくと、一理あるかもしれぬとは思う。

 
ここで、はっきり、私が自他未分化、ということに、「一理ある」と賛同しています。おとしめる発言の重大性を考えれば、「かもしれぬ」は、付けても付けなくても一緒です。婉曲表現を重ねながら、だんだん、シャローム寄りに導いてゆこうとする作為です。
 
「意味ははっきりとはわからない」のに「字面から」「一理あるかも」という楽山の破綻です。字面しか見ないことだけが、楽山に当てはまります。「かも」・・ボンヤリ言語です。まだ、通用すると思っているらしい。
 
シャロームこそ、人間としてあるべき分化・成長をしていないと思います。何故なら、神と自分の区別もつけていないからです。いつも神の啓示と聖霊の導きだと訂正不能に確信して、どこにも届かない妄想教を捏造し、教えようとします。
 
これは、神と自分の区別をつけず、自分の作為で神を利用して、都合が悪くなったときの、苦し紛れの逃げ口上なのです。信仰の始まりとして、神と人という区別をつけていない未分化は、決して信仰とは呼びません。
 
元牧師を自認するシャロームは、神と人の区別をつけない真っ赤な偽牧師です。聖書を悪用する冒涜者です。常に、徹底的に拒否し、根こそぎ否定しなければいけません。楽山の成りすましの可能性も考えておかないといけません。
 
人間としての身の程を弁えないと、シャロームのように、神の立場から人を裁いて、ふんぞり返るようになります。そういう神と人の区別が、信仰も宗教も知らない楽山には分かるはずもないのです。同一性障害、自己愛性人格障害に、見られることです。
 

stさんは、楽山に対して、shalomさんと口を利くなとか、あれこれ命令してきて、楽山が独立した人格であることに、てんで気づいていないようだったので。

 
そう言ったかどうかは覚えていませんが、少なくとも、今は、楽山とシャロームには関わってはいけないと思います。シャロームも楽山も、独立した人格ではなく、受け入れれば、社会悪につながるような狂った判断に誘導してくる同じ穴のムジナとして同調していると判断しているからです。
 

・もう一つ、shalomさんがstさんのことを、自戒と他戒の区別がついてないとか批判してたことがあった。
そう言われて見れば、stさんが訂正不能はダメとかいうのは、訂正不能にならないようにしようという自戒というより、shalomは訂正不能だからけしからんと裁くことに使われてた。偽善とか、その他のことについても同様だ。

 
訂正不能にしてしまう人格障害だから、成長がなくなり、今に至っているのです。訂正不能を批判するのが、どうして「裁く」ことになるのでしょう。被害的とは、このこと。「けしからん」などと、感情的な言い方はしていないと思いますが。
 
私は学習を意識し努めています。ゆえに訂正可能です。楽山もシャロームも、こちらが訂正するような示唆や意見を言ったことが、一度もないだけです。このことも、何度か書いてきたのに、受け取っていないようです。
 
シャロームは、訂正不能の妄想を豪語し、楽山は訂正不能の偏見から理路にならない決めつけを、曖昧ボンヤリ言語で、一方的に並べるだけなのです。決して近づかないでください。彼らは、常に明らかに異常です。冷静を装いながら、理路ではなく、メチャクチャになる特徴の二人であります。
 
誰よりも、自戒が出来ず、他戒にもならない嫌らしい当てつけや、嫌がらせをしてくるのが、楽山とシャロームであります。今回もそうです。自己愛性パーソナリティ障害は不治の病のようです。読み返してみると、なおさら、楽山の卑怯さと狡さが、身にしみて感じられます。実に嫌らしい。
 

・shalomさんはお話し好きなようで、他のブログのコメント欄を訪問することがよくあった。でもそうすると、そこにstさんが突撃して、shalom批判を連投していた。
そういう場合、そこのブログ主さんは、shalomさんとは対話しても、stさんはスルーしてるようであった。

 
私は警鐘を鳴らしているだけです。シャロームは、他のブログの言い分を理解していないのに、他者の言葉にシャロームのゴタクを混ぜて、褒めあげるという卑しいやり方で悦に入るという常習の性癖があります。だまされないでください。
 
楽山とシャロームは、病的な自己愛からの、だまし好きであって、お話好きではありません。二人は、深い意味では、誰とも話が通じない者たちです。だから口数は多いでしょう。シャロームは、妄想からのベタ褒め讃美、楽山は、曖昧ボンヤリ言語と謙虚芝居のトホホ言語が特徴です。
 

・易坊さんはいつどや、stさんと楽山はさびしいんだと思うとか、友達を欲しがってるとかそんなふうなことを言ってて、私はいまいちピンとこなかったのであるが、今はstさんはそういうところはあるように思う。

 
実に、余計なお世話であり、同情とは全く別の、楽山の軽蔑のやり方でしょう。シャロームもそのような同情めいたことを言うことがありますが、結局、自分を高みにおいて、相手を哀れで未熟な者として下に見ることが目的です。
 
つまり、さびしいんだ、友達を欲しがっているんだ、という決めつけは、それだけ、相手にされない哀れなやつ、という、おとしめに他なりません。楽山は、今回も、婉曲的に、持ち前の嫌らしさを出してきました。
 
相手を、低く見なすための、一種の常套手段なのです。同情の言葉など通用しない状況でも言ってくることで、バレる嘘なのです。上から見下ろすことばかり考えて、ふつうに思いやることの出来ない、というシャロームと楽山の特徴で、ゆえに、一人による成りすましを疑っています。
 
二人とも、相手を低く見て、シャロームは教師として教えようとし、楽山は注意・忠告のような書き方をしてきますが、そういう上からの話は無礼だから控えるべきなのに、自分を見ることが出来ないために、分からないのです。親切ごかし、そして、偽善です。
 
話し合いをする上で、平等だという大事なことが分からない二人なのです。決して二人と話し合ってはいけないと思います。付き合い続ければ、異常・病気が体質として刷り込まれる可能性が高いです。自分を見ないゆえに反省せず、ゆえに他者の気持ちが全く分からない自己中なのです。
 

shalomさんと私が話をしてると、強引に割り込んできたし、人は人、自分は自分という風に、他に過干渉することもされることも回避する考え方に、猛烈に反発するのはそのせいかなと。
人恋しい人が、スルー推奨という考え方に賛同するわけもなかろと。

 
コメント欄では、そういうことはあるわけだから、それを異常と思うことが、むしろ異常です。答えられないものだから、今、いちゃもんを付けているだけです。私は、人恋しくても、楽山とシャロームに、それを向けることなどあり得ません。
 
スルーということで言えば、二人は、都合の悪いことを、スルーといって無視します。自分の都合の良いことだけを発言し、注意・批判をスルーするなら、交流も議論も成り立ちようがありません。
 
こういうことさえ、理解しないのが、楽山とシャロームなのです。都合の良いことだけ言って、都合の良い世辞しか受け入れないような相手と、いったい誰が交流し議論できるというのでしょう。
 
人は人、自分は自分、というのは、人格として独り立ちしていて、それぞれに、責任感のある人間同士に成り立ちます。楽山とシャロームは、人の気持ちも、人の迷惑も、何も考えてない者たちです。今回も、一方的主張で、私をおとしめています。それが、自己愛性人格障害という病気なのです。
 

・そんなこんなで、私の立ち位置は少しずつshalomさん寄りになって行ったのではあるが、私が、過干渉はよくない、人は人、自分は自分、人それぞれをよしとする記事を出したことが決定的となったようで、以降、私はstさんから、shalomさんと同軸だと判定され、批判対象とされるに至った。

 
楽山の宣伝と詭弁に合うような「そんな」も「こんな」もありません。人それぞれを、自己中正当化に使うのは、シャロームも楽山も、同じです。楽山やシャロームと荒らしの易坊を易坊類と呼んでいますが、一人による成りすましではないかという疑いがあります。
 
自己中心、無反省、無責任、訂正不能、罪悪感と羞恥心の欠如、災いを人のせいにする、人の言うことは聞かない、だけど言いたいことは言う、という点において、楽山とシャロームの二人は共通しており、同軸であります。ゆえに、許容してはいけない言論の妨害者です。
 

それ以降は、私もshalomさんと同じく、やることなすこと全否定されることになった。
ただstさんの楽山批判は、自分の見た範囲でいうと、私の意見を曲解、歪曲したうえで非難したり、私の内面を邪推したうえでボロクソ貶したりで、私怨まる出しで読むに堪えないものばかりだった。

 
全否定に相当することをしてきたのは楽山であります。批判に対して、反論も弁明も成り立ったことがありません。まるで根拠がなく反省が見られません。楽山の災いは、ずっと書いてきました。それでも、ここでも、記事を書き、正常人のように振る舞う楽山の、もはや腐敗臭です。
 
楽山の記事について、私の批判が曲解・歪曲であるという根拠と例示などを上げての説明を、楽山は、一切していません。何を、勝手にまとめて、根拠もなく、言っているのでしょう。それも、言い逃れであり、無根拠の誹謗中傷以外、何も出来ないことの証しです。
 
楽山の文章は、ストレートな批判より、さらに罵詈雑言よりも、はるかに質(たち)の悪い、当てつけと嫌がらせで出来ています。そこが分からない楽山だから、丁寧に書いておけばよいという気安さで、人を侮辱しているのです。
 
ボロクソ節の豪語は、シャロームの得意技です。私怨ではなく、社会悪につながる危険があるから、批判し、二人のことを広く知らせる必要があるのです。極めて偏った人格の二人です。丁寧語に騙されないでください。
 

stさんのshalom批判を見てるときは、stさんの文章をここまで酷いとは思わなかったけど、こういうのは自分が批判対象になると、どこが曲解、歪曲、邪推かよくわかるし、その酷さをはっきり認識できるもののようだ。そういうわけで、今は前以上に、shalomさんに同情しているし、当初はshalomさんに批判的で厳しすぎたようで申し訳なく思う。

 
酷さを認識できるなら、根拠を説明できるはずですが、楽山は、まともな理路を組み立てることが出来ないので、根拠を示せず、このように、決めつけて文句を言うだけになっています。つまり、どこまでも、ストレートではなく、とても汚いということです。
 
そして、「酷さをはっきり認識できるもののようだ」と書いていることに注目してください。「はっきり」と言いながら、「もののようだ」と、やわらげて、あとで、断定していないから責任問題は発生しない、などと言うのが楽山です。楽山のボンヤリ言語と呼んでいます。
 
これが、恐らく体質的な人格の異常からの作為と悪意の誘導であり、結論であり、ずっと訂正不能であり、ときに悪口の機関銃みたいに書いてくる楽山の正体なのです。一切、根拠が示されていません。一見、分析しているふりの丁寧語にだまされないでください。
 
楽山から見て、酷くない文章というのは、楽山の文章なのでしょう。しかし、私から見れば、楽山の文章は、自らの人格破壊を表し、他者に人格破壊をもたらすだけの劣悪な文章です。真摯な中身が何もないような楽山の文章は、気取っているだけのイカサマの粗悪品なのです。
 
批判というものは、自分に向けられたとき、不当に思われ、被害的、他罰的になりやすいものです。そこを自覚し反省し克服できる人が、真実の追求に向いています。楽山の言っていることは、真逆であり、楽山の好む議論?は、空っぽの世辞の世界でしかありません。
 
楽山は、自分が批判対象になって、ますます、その反応に理解力のなさが目立ってきています。今回の記事も、最近の記事も、それを表しています。省みる姿勢が何も感じられません。特徴的な丁寧語によるボロクソ節を言うことに躍起になっている楽山です。
 

・以上、この件についての顛末はこのようなものである。
こんなことを書くと、ますます恨まれて粘着されるだろうことは予想されるけど、このようなことは何回も繰り返されてきたようだし、今後、面倒に巻き込まれる人が出ないように記事にしておいたつもりである。
もちろんこれは私から見た顛末であるし、相手には相手の言い分があるのだろうから、この問題に興味がある人は、相手方のブログも確認してみたらよいと思う。

 
楽山の理路は、相手のせいにし、相手を責める一方向に固定された前提から、駄々を捏ねているだけの子どもだましです。「粘着」するような魅力を、楽山は一切持っていません。楽山には、真実追求のテーマを扱うブログの世界に、いてはならない人です。
 
「相手には相手の言い分があるのだろう」という、相手の言い分を、受け取って、考えて、返すのではなく、上から否定し、悪口だけを並べてゆくのが、楽山・シャロームの議論?なのです。つまり、相手の言い分は勝手にあるだけで、受け取らないという無関心と無視を表すことになります。
 
楽山という面倒は、全く自覚のない粘着性の訂正不能の自己愛性の病質者ですから、誰も関わらないように、相手にしないように、近づかないように、心から願って、批判し続けています。
 

・ついでに、この件での教訓を書いとくと、
ネットストーカーとか、
他人を攻撃せずにはいられない人とか、
サイコパス人格障害とか、
その手の知識は前もって知っておいた方がよいということ。
これ、ほんと、大事。

 
このように、気に入らない相手には、自分が言われそうな見なし、ネットストーカー、攻撃だけする人、サイコパス人格障害、などと、逆に、決めつけてきます。自分が言われそうなことを何の根拠も示さないで相手に当てはめて、まともに返したつもりなのです。
 
思慮がないというか、結論だけというか、話にならない人です。こういうことが、ずっと続いてきたのです。楽山とシャロームに対して、善人芝居と詭弁と嘘という偽善の予備知識は「ほんと、大事」です。
 
しかし、この二人は、慣れているようですから、だまされないためには、相手にせず、関わらず、近づかないのが、いちばんでしょう。楽山は、本当に大事なことを全く知らないと思います。自分の決めつけや思い込みが災いだということを認識できないのです。
 
恐らく情緒面にも欠陥があり、冷静な理路を読み取り組み立てる判断も出来ないのだろうと思います。自己愛と自己中は、結局、本人の人格破壊をもたらします。現在進行中です。このことは、哀れではありますが、もともとの体質が、そうなのかもしれません。
 
少なくとも、私が関わってから、私がトホホ言語と呼んでいる反省芝居を時にするようになりましたが、一度も、真実味のある内省的なところを見せたことがないのです。つまり、その前と後で、何も変わらないので、芝居だとバレてしまいます。
 
やさしげで砕けた言い方に惑わされないでください。楽山は、自分が、上から目線という高慢な自己中体質に当てはまることを認めたくないから、逆に、そういう丁寧語で書いて、ごまかすしかないのです。楽山・シャロームの丁寧語は、悪と偽善をカムフラージュする処世術です。
 
よくも知識が必要などと言えたものです。楽山は、子供じみており、一方的で、自画自賛のインテリ気取りで、話の分からない駄々っ子なのです。かといって、やさしく接すれば、それだけ、思い込みを強くするだけでしょう。
 
楽山は、言葉を覚えるだけで、その意味も使い方も理路も分かっておらず、感性的享受もない人です。恐らく何ごとにも本気で感動したことはないと思います。言葉だけで、深みがありません。本を読んでも、都合のよい字面を探しては引用して、著者の見解を、恣意的に悪用してきました。
 
今までは、それで、だまされて受け容れてくれる人が多かったのでしょう。しかし、重大なテーマ、宗教、思想、人生などについて、楽山が語ることは、信頼できるものは何もないのです。決して、関わってはいけないと思います。
 
今回、楽山は、何を、だらだらと書いているのでしょう。あることないこと、ぶちまけて、私のせいにして、何が、よくなると思っているのでしょうか。憂さ晴らしと嫌がらせ以外の何ものでもない、いちゃもんと、ひねくれた一人前気取りの独り相撲に過ぎません。
 
私の批判対象は、今は、楽山とシャロームです。易坊はどうしているか知りません。ただ、3者の、一人による成りすましを疑っています。もっと多いかもしれません。
 
楽山は、今回、まとめて批判したつもりなのかもしれません。しかし、読んでみると、楽山が、いちゃもん、クレーム、文句、不平不満、という悪口だけで、正当な批判を、全然、区別できていないことが分かります。理路がなく、決めつけているだけです。
 
シャロームのような楽山のお仲間や、楽山やシャロームと仲良しで、既に、楽山のボンヤリ言語やシャロームの丁寧語に染まって、すっかり、二人を無条件で贔屓しているような人については、何を言っても無駄でしょう。恐らく、似たような、破壊された人間の様相を表すのでしょう。
 
しかし、楽山やシャロームとの関係を断つなら早いうちがいいです。致命的な影響を受けないうちに、染まることのないように、冷静に、楽山から、離れてください。そして、二度と関わらないようにしてください。二人は、自分が何者か、まるで分かっていないのです。
 
私は、誰でも批判しているわけではない、という事実が、楽山がだらだら書いた長文を、全部、否定しているのですが、この二人だけは、それが分からないのでしょう。特別に悪質な二人であり、ふつうを装っても、結局、バレてゆく宿命を感じます。
 
シャロームの丁寧語や楽山のボンヤリ言語を聞くと、吐き気を催すようになっています。もう殆ど、生理的に、感知している悪意なのです。今回の楽山の記事で、楽山は、何か弁明か、批判返しをしたつもりなのでしょうか。全く理路がなくて、じめじめした陰湿な悪口だけになっています。
 
楽山は、文章の歯切れが悪く、掘り下げることが出来ず、判断することも出来ず、わざとらしい砕けた言い方で、柔和に見せかけて、ごまかしていますが、受けを狙って、わざとらしく、さらに陰気になってゆきます。
 
今回の楽山の文章に賛同する人は、かなり、自我の弱い人で、それこそ、楽山に騙(だま)されている御ひいき筋ということになるでしょう。楽山に影響されて、楽山と同じように、言葉の組み立ては出来ないのに執拗にねちねちと文句だけを言うような人には、ならないでほしいです。
 
そして、今後は、楽山の文章こそが、ブーメランのように、被害的で他罰的な精神が固定されて訂正不能になっている楽山を、逆に否定してゆくのです。そこには、楽山の異常性の証拠が、前にも増して、積まれてゆくでしょう。
 
自己中心が招く人格破壊は進行性です。シャロームにおいては、既に、如実に表れてきました。楽山が、正直であろうとするなら、間違っていたことを認めることから始める以外ないのです。正直とは、そういうことです。いくら、言葉面を、よさそうに、まとめても、無駄なのです。
 
 
問題は、楽山とシャロームなどの小さい二つの異常な個人カルト思想屋も、ひょっとしたら、大きなカルトと関係があるかもしれないということです。その辺は、なかなかネットでは分からないところです。同一人物の成りすましを疑っても、ネットでは証明できません。
 
気味の悪いのは、楽山とシャロームが、示し合わせたかのように、同調していることです。一人による成りすましも疑われますが、今のところ、主張内容の異常さは明らかでも、どういう関係で繋がっているのかまでは分かりません。
 
楽山とシャロームが、個人カルトに留まるのか、ゆくゆく社会問題となるのか、既に、大きな組織のメンバーなのか、そういったところも見てゆかねばなりません。この辺が、個人が批判してゆく限界なのかもしれません。
 
 

     f:id:stdsts:20211207235418j:plain

        破滅の刃
 
 
(2019年11月23日、同日一部修正)
(2020年11月29日、加筆して再録)
(2021年12月08日、再録+)
 
 
 
  測れない
 
測れない遠くで
破滅しているようなのは
こだまさえしているようなのは
ほんの少しの行き違いで
想い出に成り得なかったシーンが
しずかに自壊してゆくのでしょうか
ちょっとした選択の違いで
あり得なくなった未来の一コマが
消え去ってゆくのでしょうか
今破れるもの
今滅びるもの
今壊れるもの
今消えるものにさえ
気づきもしないでいて
気づくはずのないものが
最後の別れを告げるように
遠くで
でも測れない
ひょっとしたらすぐ近くで
名残を惜しんでいるのかな
もし少しでも手を振ってくれたら
ちぎれるほど手を振って返して
唇をかみしめたまま
そのまま果てても構わないのに
そのまま屍のように生きても構わないのに
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら 誤ったら 素直に詫びて 自分 正さなくちゃいけない」「それが出来て 初めて人間だと それ出来ないなら 人ではないと」「嘘ばかり 重ねる君よ 保身だけの 卑怯者の君よ そんな君は 魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと 最大限の反省と共に 開いた出店を 畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
誰かが注意しても、聞く耳を持たない楽山は、反省も謝罪もしておらず、邪悪な性根の根深さが治りません。「人間の性」「自分もそんな風です」などと言って、人間一般のように、醜い詭弁の言い訳をしていますが、そういう主旨のコメントではないでしょう。楽山固有の悪と罪と偽善です。
 
自己愛性人格障害の楽山には、病識がありません。効く薬もありません。信仰もなく、信仰をあざ笑っているので、救いもありません。これほど、自らに危機意識のない人は珍しいのです。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
ツイッター
https://twitter.com/st5402jp
(ここは、たまにブログ記事をリンクする程度)
 
 
ブログ村ランキングリング:INポイントが付かない。
https://poem.blogmura.com/darkpoem/ranking.html
にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]
https://philosophy.blogmura.com/christian/ranking.html
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字をクリック)]
 
ブログランキング
https://blog.with2.net/rank4482-0.html