ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山の無神論漁り

 
 
  楽山の無神論漁り
 
  「新無神論bot」を見てみた(1)無神論を支持する有名人
   2022年01月03日 楽山日記(LD)
   http://mn266z.blog.jp/archives/31660221.html
 
 
自分の言葉が破たんして、何も言えなくなっている楽山の常套手段は、有名人の言葉を引用して、こんな人も言っているよ・・みたいに、無神論を、論ではなく、印象として擦り込んでゆくことです。引用部分は、大方、世界に多々ある偽物のキリスト教に対する批判であります。
 
正当なキリスト教と信仰の本質に触れるものは一つもない誤解だと思います。キリスト教と信仰は、堕落しても、立ち直りを喜ぶ神の寛容によって、いつでも改めることも出来ます。一方、楽山は、同じような文章と詭弁と嘘と悪用だけを続けているので、赦される要素は皆無です。
 

*まえおき
「新無神論bot」を見てみた。その感想を書いてみたい。
ハリー・ポッター

僕は信仰は持たない。僕は無神論者だ。そして、宗教が立法に影響を与えようとしたときは、戦闘的な無神論者にもなるよ。―ダニエル・ラドクリフ
 」
これは意外だ。役柄と俳優本人は違うと承知してはいても、ハリー・ポッター役の俳優が無神論者だというのは意表を突かれた思いがする。

 
間違って権威主義になっている偽キリスト教はあるでしょう。戦闘は穏やかではありませんが、それに対する無神論者の闘いは、むしろ、人間らしいものだと思います。宗教が堕落し変質すると、人間離れ、現実離れして、サイコパス的恐怖になるのです。今、似たような楽山を批判しています。
 
しかし、サイコパス人格の楽山は、これらの有名人とは全く違って、人を苦しめて快感を得るサディストとして、有名人を、安っぽいブログの小手先で利用しようとする者であり、ゆえに悪用に他なりません。人間の本心を見抜けず、思想の字面の浅いところだけを舐めてきた破綻は、ここでも表れています。
 

*アミダラ女王

私はあの世なんて信じない。この人生こそがすべてだと思ってるし、それが最も賢明な生き方だと信じてる。―ナタリー・ポートマン
 」
こちらも意表を突かれた。シャーリー・マクレーン美輪明宏などの影響のせいか、芸能人にはスピリチュアルなことを信じている人が多いイメージがあるけれども、当然ながら必ずしも皆がそうだというわけではなく、結局は人それぞれということなのだろうな。

 
引用部分は、自然に受け取れる意見です。人生こそが全て、生きている間が全て、・・当然です。私もそうです。何故なら、あの世があっても、地上を生きている私たちには、信ずるべき具体は確定できないのであって、今できることをして祈るという信仰者の姿勢に、何の変わりもないのです。
 

*ザッパ

キリスト教の神髄はエデンの物語に表れてる。あなたのあらゆる苦しみの根源は物事を知ろうとしたことだ。黙って問いを発することなく大人しくしてれば良かったと。賢くなったら痛い目に合わせるぞなどと主が語る宗教はなんと反知性的だろう?―ザッパ
 」

 
例えば、神は、カインを殺しませんでした。カインが、弱みを見せたからです。神は、冷たい超常の存在ではありません。「物事を知ろうとしたこと」「黙って問いを発するなく大人しく」・・これは神髄ではありません。キリストについて、人に分かるのは、洞察と共感であります。
 
「問いを発することなく大人しくしてれば良かった」「賢くなったら痛い目に合わせるぞ」・・キリスト教を自認する偽物は、日本も外国も、ひどいことを言ってる人がいると感じます。神への服従は、人への服従ではありません。
 
恐らく、従属を強いる教派の長は、楽山に似ていると思います。誰も楽山のような者の従者にならないように、楽山にだまされることのないように、楽山批判を書いています。議論も意見交換も全くできない訂正不能の楽山がいるのと同様に、狂った病質的教派がキリスト教を名乗っているということです。
 

ザッパには前衛的なイメージがあるので、この発言に驚きはないし、共感できる。
自分には、人が知性を磨くことを喜ぶ神様は想像できても、それを禁ずる神様は想像できない。また女性を学校に通わせない、勉強させないという考え方も分からない。
今どき、宗教について疑問を述べたり、意見を述べただけで、「そんなことは言ってはいけない、黙っていなさい」と怒る人がいることもよく分からぬ。  

 
ここに書いてあることは、あってはならない人権問題でしょう。そういうのは、キリスト教でも信仰でもないのです。これがキリスト教だよ悪い奴らだね・・という印象操作を企む楽山が最悪であります。はっきり、キリスト教でも信仰でもないと言うべきであります。
 
引用された人間の叫びと、反キリストを、区別でないのは、楽山が、冷血の自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)だからです。楽山だけは、偽キリスト教系カルトと、キリスト教を、区別できないことが明らかです。
 
誰でも何でもかんでもエゴのために悪用する楽山にだけは、決して関わらないでください。
 

*科学と宗教

権威に基づく宗教と、観測と理性に基づく科学との間には根本的な違いがある。そして科学が勝利をおさめる、なぜならそれは機能するから。―スティーブン・ホーキング
 」
スティーブン・ホーキング無神論者だという話は聞いたことがあるので、この発言に驚きはない。
「権威に基づく宗教」というのは、その通りだと思う。大概の宗教は、「教祖様(神様)のおっしゃることに間違いはない」「教祖様(神様)を疑うのは傲慢だ。己の分を知れ」という考え方をするものなので。

 
科学は物質と人体に機能しますが、物質だけで、人体だけで、人は生きられません。また、科学と宗教と、どちらが勝利するかなどという問題は存在しません。物質は勝利を目指さず、信仰は勝つことを求めず、神は既に勝っているからです。
 

*連戦連勝

ここにいるみなさんにお伺いしたいが、かつて我々が科学的解答を持っていながら、それが誤りだと判明し、今ではその最善の答えが宗教的なものであるようなことを、一つでも思い浮かべることができるだろうか?―サム・ハリス
 」
こんな事は考えたこともなかったが、言われてみればその通りだ。たとえば、「この病気の原因は、××菌だとしていましたが、それは間違いで神の怒りによることが証明されました」なんて話は聞いたことはない。
 おそらくは、これまでも、これからも科学によって宗教はどんどん隅の方へ追いやられていくことになるのだろう。「科学が発達して、神様は貧しくなった」という話があるけれども、これは本当だと思う。

 
科学的問題を、宗教的なものが答えることはありません。また、宗教的問題を、科学が解決することもありません。科学は宗教を語れず、宗教は科学を語れません。そこを外れたら、科学も、宗教も、成り立たなくなるでしょう。さらに、楽山は、自然科学と人文科学の区別も出来ていないようです。
 

*新無神論とは?

当該アカウントのプロフィールでは、新無神論について次のように説明している。
無神論とは自身が無神論者であることを積極的に公表し公に宗教批判を行う人々によって発展させられている新たな無神論の流れであり、組織宗教に限らず、あらゆる不合理な信念が批判の対象とされる。
 」
自分は宗教に批判的なところはあるが、無神論者ではないし、不合理な信念のすべてを否定しようとは思わないので、どうやらこの定義には当てはまらないようだ。
 けれども当該アカウントのツイートには共感できるものが多々あるので、これからもフォローを続けたいと思う。

 
「宗教に批判的なところはあるが、無神論者ではない」・・楽山特有の、断定してないから責任はない、という言い逃れです。詭弁は、断定より、悪質な悪そして偽善であります。サイコパス性をいかんなく発揮し続ける楽山は、決して許してはいけない人~ヒト型動物です。
 
今まで楽山の引用で見てきたかぎりでは、新無神論は、「新」ではないと思います。「論」は、宗教と信仰を語れないと思います。楽山は、人間ではないと思います。人格障害は、しばしば、人間ではなくなり、ケダモノ以上に冷酷になります。近づかないでください。
 
楽山は、信じることの切実な欲求もなく、また、神を否定しても、別の救いを何も表せず、無神論の論の欠片も書けないでいて、何を引用で語りたかったのでしょう。引用された言葉は、人間性として理解できる範囲です。楽山の文章は、人間に理解できる何ものも含まない、悪魔性の企みに過ぎません。
 
楽山は、人格障害のために、最低限の正常な人格形成が出来ていません。楽山は自分が裸でタコ踊りしていることに気づけないのです。ずいぶん長く続けて、何の学習も成長もないのが、証拠でしょう。これからも、ケツ丸出しの、みっともなさを、出してくるのでしょうか。吐き気がします。
 
 

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           他者を利用して発情する偽善
 
 
(2022年01月05日)
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
 
結局、誰にも相手にされなくなるであろう訂正不能の嫌な奴、楽山は、ペテンを止めません。私は、こういう人間が一番嫌いです。ずっと前にも、少し前にも、丁寧語で、人を平気で傷つける者がいました。サディストと言っていいような、こういう人は、隔離された場所で生存するべきだと思っています。
 
どうして楽山のような者が、生まれて、生きているのでしょう。いかなる生産活動もできず、いかなる知性的または感性的な糧(かて)も産みだせず、参考となる経験談も、何も持っていない人格です。原因は、学習せず、反省しないからです。そして、怒りと笑いだけで、弱そうな他者を侮辱して楽しむ人です。
 
人類の敵は、国家でも、民族でもありません。人類の敵は、サイコパスです。
 
楽山は、理路を理解できず、組み立てることも出来ません。また、共感性もないので、私の批判記事を読んでほしいのは、楽山以外の当ブログを訪問してくださった人たちです。異常者についての一種の警鐘として書いています。時々書いている厳しい比喩表現だけが、楽山に向けて書いたものです。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
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(古い記事は載っていません)
 
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