ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山の失禁

 
  楽山の失禁
 
   呪いの言葉(st氏のツイートより)
   2022年01月06日 楽山日記(LD)
  http://mn266z.blog.jp/archives/31684955.html
 
 
また、私の発言を、断片的に引用していますが、思慮の乏しい楽山は、量だけで勝負するか、今回のように、引用するだけみたいになります。私は私の記事の引用は復習として利用するだけです。楽山は、感情の処理も思考の整理も出来ないようです。退行が起こっているのかもしれません。
 
呪いと言えば、楽山の今までの記事がそうです。特に、この記事もでしょう。私の意見が呪いだという証明も、その根拠も書かずに、後半にポンポンと説明もなく、短く書くだけで、楽山の怨念が発泡しているようです。堕ちてゆくサイコパス楽山の悲鳴が聞こえてくるだけです。
 

*誹謗中傷
前の記事では、st氏のツイートのうち、比較的おちついたものについて感想を述べた(1、2)。
今回は、悪口ツイートについて感想を述べておきたい。

 
インテリ気取りの楽山は、今度は、本気でディスってやるぜ・・みたいなことでしょうか。どこまでも、楽山は、自分が上だという信念~妄想的確信が根底にあるのが分かります。うわべだけ冷静を装っても、卑しい根性は、記事の構成や内容に、滲み出てくるのです。
 
最近の私の記事は、コピペして、ほぼ全部、ツイッターになります。それが何だというのでしょう。
 
 
(私の記事の引用)
 
 「
 
楽山には、冷血はあっても、「冷静」はありません。楽山は、正当な対話が出来ません。不快なことや都合の悪いことは無視します。自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)なので、自己中の単方向しか持っていません。それを、丁寧語で、ごまかしているのです。
 
(私)
楽山やシャロームという病質者は、ガス抜きが必要なほどに、何の役にも立たない雑言を、殆ど発作のように繰り返すのです。聞く者の理路を混乱させ、ボンヤリさせて、その深い情緒や理性を破壊するためです。その先には、人格破壊が待っています。どうか、この二人に近づかないでください。
 
知情意の全てが不足~欠損している楽山が、「知的生活」などと言っています。気取りを隠さなくなったようです。正しい教訓を真摯に受け止めているなら、現在のような嘘と詭弁のお気楽山にはならなかったはずです。また、嘘を吐きました。信頼度ゼロらしい日々を過ごしているようです。
 
「状況を改善する努力」という当たり前のことを、全然、してこなかった楽山が、今さら、何をするつもりなのでしょう。楽山には、何を言っても信じてもらえず、相手にされなくなって、独り言だけの日々が待っているとしか思えません。人間で在り続けることから、どんどん、遠くなるでしょう。
 
楽山は、先入観と偏見と妄想で、いつも、「決めつけて」きます。そして、他者のの言葉を、都合のよい言葉だけ、都合の良い方向に、引用して、味方が多いように見せかけてきます。一般常識がありません。良心がありません。たくさん成りすましていると思います。
 
 」
 
どこに書いたか、確認する気もないですが、全て本音なので、この私の文章に、特に、訂正したり書き加えたりすることはありません。楽山は、引用して、・・それだけなのでしょうか。何も書いていません。扱えないのでしょうか。混乱して面倒臭くなってきたのかもしれません。
 
 

*相変わらず
一連のツイートを見ての感想は、およそ三つある。
まず一つは、st氏は相変わらずだということである。
ヤフーブログ時代は、シャローム氏に対してこの手のことを書きなぐっていたが、今は楽山に向けて書くようになり、いずれ他の人をターゲットにして書くのだろう。

 
私は、相変わらず、一途に、言論不可の無反省男を、批判し続けています。つまり、批判対象になるのは、楽山のような、無反省、無視、自己中、訂正不能で、その割に、理路も感性も乏しい幼稚な思い込みの言を吐く者です。それを指摘して、批判しています。「相変わらず」だから、何なのでしょう。
 
そういう批判対象となる人が、かつてはシャロームshalomであり、今は楽山ということです。おかしいと思うから、他の人が知らないで関わって酷い目に遭うことのないように、批判して、少しも改善が見られないから、批判を続けて、さらに、近づかないように、呼びかけています。
 
楽山は、やたら誰でも批判しているという印象を吹き込みたいのでしょうか。さすが詭弁畑に生えた拙劣な荒らし根性のやり方です。下等な詭弁で何か良くなると思うなら、それこそが、悪と偽善の証明になるということが分からないのです。
 

*投影
もう一つは、今回もまた自己紹介ばかりだということである。
st氏のことを知っている人なら、これらのツイートを見れば、「なあんだ。自分のことばかりじゃん」と言うだろう。

 
楽山を批判しているのに「自己紹介ばかり」というのは、どういうことでしょう。やはり、楽山は、日本語が苦手のようです。自己顕示という意味なら、それは、まさに、楽山が、詭弁と嘘と妄想によって、ずっと続けていることであります。
 

*可哀想
最後は、こういう呪いの言葉を吐き続けないではいられない状態は、よほど苦しいだろうということである。本当に気の毒だ。st氏が癒やされ、救われることを祈りたい。

 
呪いと批判の区別もつかなくなっている楽山です。やはり、思想も宗教も信仰も、その理路を理解することも、感性を受け取ることも、楽山は出来ないのです。単方向の自己中と自己愛から語るということは、こういう有り様になってしまう・・ということを自ら表してしまう成り行きです。
 
「st氏が癒やされ、救われることを祈りたい」・・今までと同様の白々しい大嘘です。何故なら、この記事も、私をおとしめる内容でしかないわけです。そこで、このようなことを言う白々しさが、まさに、証拠になるでしょう。楽山は、そんなことも分からない人です。
 
今回は、前にも増して、楽山の自己崩壊が進んでいると思われます。結局、追及されると、正当な理路を養い損ねている自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)は、思想と言論がバラバラになって成り立たなくなってしまうようです。
 
一つの極端な人格の悲劇がここにあります。相手を可哀想だと憐れむ、という陳腐な嘘を吐き、自己顕示に浸って、自分はまともだと思い込んで、言い張って、強がって、訂正不能のお山にふんぞり返っているサルを表してしまいます。人間性の崩壊による獣性の尿便失禁です。哀れです。
 
 
楽山は今まで一見理性的に見える丁寧語で、実は詭弁の刷り込みで、弱い人を餌食として、好きなように誘導してきました。それは悪なのに、楽山は、それが自分の徳?であるかのように錯覚して慢心しているのかもしれません。しかし、無反省、無責任は、結局、赦されることはないのです。
 
呪いは楽山の大好きな超常ホラーの武器です。批判は、邪悪に対する人間の現実的な言論の武器です。批判を呪いの言葉としか受け取れない楽山は、理路も共感もないことを証明して、自ら言論など何も出来ませんと宣言しているようなものです。
 
楽山は、重要なテーマについて何の説明も出来ないので、超常ホラーの世界に生きて自己満足し、自己正当化して、他者を呪いと決めつけることで、結局、自らに、自ら、自らの呪いを招くブーメランの因業ワールドを這い回っているのです。
 
私は、一所懸命、考えて書いていますが、楽山は、つながりのない文章で、理路もなく、インパクトもなく、少ない材料の手持ちのセリフを投げて、パンパン、ブンプンと、悪口がカンシャク玉のように、弾けているだけです。悲しみを知らず、泣けない男の、ギクシャクした精神の折れ方のように思われます。
 
 

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             あはあ・・の強がり
 
 
(2022年01月08日)
 
 
 
  小用
 
家に居場所がない
行く場所はない
里に帰る
大した用事はない
里に居場所がない
また帰る
帰る場所はない
大した用事はない
どんどん移る
居場所を気にしなくてすむ
車の中がいい
小用ばかりで馬鹿らしい
身も心も失禁したい
また場所を探している
 
 
  自慰昇天
 
モチベーションはマスターベーション
安らかに小便を漏らす
御襁褓(おむつ)は吸収し
我慢できない失禁を捕捉(ほそく)して
じんわりと温もりを返す
微笑する快感は逝く
退(ひ)きもせず進みもせず
ポエジーはオナニー
女に抱かれる心地よさで
係累を裏切ってゆくオーガズム
 
 
  運命の紙
 
運命は常に初め隠れており
やがて必ず顕(あらわ)れる運命にある
「隠れているもので
 明らかにならないものはない」
予(あらかじ)め定められた結果の連なり
として諦めるか
未決の前に立ちはだかる障壁
として抗うか
定め あるいは宿命
一本の紙巻き煙草を吸うにしても
瑣事(さじ)の酷なことよ
何の気なしに指が動くほどに
気晴らし・気分転換・暇潰し・・・
動脈硬化・虚血性心疾患・肺癌・・・
喫煙と禁煙
愛煙と嫌煙
権利と義務 自由と責任
ニコチンかタール
子宮から骨壺
すべて綯(な)い交ぜに
どれかを放棄し
どれかを選択し
「隠れているもので
 明らかにならないものはない」
巷にいる限り
骨牌のように
巡ってくる
紙を巻け
 
 
 
 楽山のツイッターですが
 

★こも/楽山日記3さんがリツイート
精神科医Tomy
@PdoctorTomy
相手が捨て台詞を吐くときは、
正しい対応をした証拠よ。
目論見が上手く行かなかったから、捨て台詞吐くしかないってことよ。
安心しましょ。
午後3:19 · 2022年1月4日

 
今回の楽山の記事に当てはまると思われます。長い目で見れば、嘘吐きで詭弁屋の楽山の目論見が、うまくいくことはありえないのです。ゆえに、文法評価が出来ないまま、引用して、断片的なクレームを書いてくるのでしょう。私は、安心しません。楽山に、安心はありません。
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
 
楽山は、自分がまともだと思い込むことで、何も学習せず、その結果、とても悲惨な頭と心の崩壊を招いています。それを「人間の性」などと誰でもあるみたいに言うことで、見苦しさが増して、何も気づかないから、防ぎようもなく、フンドシが、ぱらっと落ちる日が来るのを、今も知らないのです。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
https://twitter.com/st5402jp
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