ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

細い道2

 
  細い道2
 
 
信仰は、この巷では、細い管、細い道です。聖書を読んでも読まなくても、キリストの共感に共感できる人は少ないのです。信仰を信じ込むことだと思っている人は、一つの宗教を信じると、視野が狭くなると思っているのかもしれません。
 
信仰を曲解して視野が狭くなるのは、恐らく、信仰を勘違いして、豪語したり、戒律的だったり、夢想~妄想的なことばかり言って、それが信仰だと思っている人たちかもしれませんが、それは、宗教の間違ったあり方です。
 
キリスト信仰は、人間の良心、すなわち、悲しみと共感に、たとえれば潤いと温もりに、人間を惹きつけ、働きかけるものなのです。
 
良心を持っていない人には、宗教が、ご利益の都合のよい超常現象か、念じて頷く自尊か、神と人の取引関係の仕組みに見えるのでしょう。そういう人は、人格障害の病質者として、現に存在しています。
 
信仰は、信じ込むことではありません。共感することです。その共感が忘れられないことになって、心も思考も、人間らしさを失うことはなく、むしろ求めて、人間として真実を追求する道を進むでしょう。
 
一部の、言葉だけの絶対化に走る教条主義が、わざわざ人間の器を狭くしている、というカルト的な事情は、二千年前と、まるで変わっていないのです。真の信仰は、信じ込むこととは全然違います。洗脳とは全然違います。
 
信仰に、そのような偏見を生み出したのは、一部の曲解している人たちです。それは、カルトの道であります。人が決めた道から外れると、とたんに、呪いのような言葉をかけてくるでしょう。そして、そのような、呪いのような決めつけは、宗教を自認している人だけではありません。
 
反宗教にも、そのような、偏見を与える者たちがいます。彼らは、自分の傷当てに、宗教をけなします。では、彼らが宗教の代わりになる救いを与えられるかといえば、何も提示できはしないのです。無神論は、見たところ、全く論ではなく、むしろ、無神教カルトと言ったほうがよいでしょう。
 
宗教をけなして、けなしっぱなしの者には、責任など負えません。まわりまわって、彼らが、ついには、けなされるのを、待っているだけの存在です。反宗教の煽動者は、せいぜい、宗教は、信じ足りなくてもいけないが、信じ過ぎてもいけない、などという、いい加減で中途半端なことを言ってきます。
 
実際、悩み苦しむ人に何の助けにもならないようなことを言って自慢してくる者がいます。その中に、自己愛性人格障害者・病的ナルシスト・サイコパスも含まれていることを知ってください。彼らは、自慢~自慰をしているだけなのです。
 
真の宗教は、悩みがないという自覚の人に信仰を勧めたりはしません。不安を煽ったりもしません。宗教と信仰を知るのは、何らかの悩み苦しみが生まれた時からでいいのです。何故なら、悩みのない人に、悩みから救われる道を伝えるのは意味がないからです。
 
 

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                細い道 道なき道
 
 
(2021年03月15日、再録+)
(2022年03月21日、再録+加筆)
 
 
 
  細い管
 
 
まことに そこはかとなく
細い管の先で 出会うもの
泣いたり笑ったりの
デリケートなところを
もらっている
または
覗いている
 
求める主体も
求める対象も
人間
または
温もり
 
それを追うためだけに
彷徨う
または
遊ぶ
 
響き合うメロディやリズム
ふらちな首や手足が
貧乏ゆすりのように
合わせようとして
外れる
または
踊る
 
喜 怒 哀 楽
 歌 音 楽 快 不快 悲
顔を向け 背け 振る
受け取って
我流に
流す
または
楽しむ
 
自己中の自己満の自覚から
流してしまいたい欲求に
答えてくれよと
欲望
または
共感
 
導かれてリンク先
ヘビメタ 重金属
顔が分からぬ
メロディが分からぬ
歌詞が分からぬ
ノイズ
または
サウンド
 
ダンシン、ダンシン、20代
ディスコなんか行ったことないのに
飲み会、二次会、空いたスペースで
酔っぱらって踊っているタコのオレ
向かいの女の子が
きれいな笑顔で近づいてきて
怖じけて引いた
今も後悔
または
今も思い出
 
まぶしいライトの
デコレーション
ミュージック
点滅
または
煌めき
 
数分が重なって
一時間二時間
過ぎる
または
過ごす
 
まことに 
そこはかとなく
費やす時間の
傷当て
または
娯楽
 
 
(2020年)
 
彷徨う(さまよう)
煌めき(きらめき)
怖じける(おじける、怖ける)
 
 
  憂い
 
 
若者は虫歯が痛くなり
老人は歯が無くなる
 
若者は食べ物の味を気にするが
老人は食べ物の硬さを気にする
 
若者は肌の色と荒れを気にするが
老人は肌があれば気にしない
 
若者は前に足を伸ばして進むが
老人は前に倒れるのを
足をつっかい棒にして進んだことになる
 
若者はソファーの上に跳ぶことが出来るが
老人はソファーの上にいつも落下している
 
若者は慌ててトイレに駆け込むが
老人は慌ててトイレの前で濡れる
 
若者は疲れて眠るために
老人は眠るだけなのか知らないまま
目を閉じる
 
 
※ 
憂い(うれい)
慌てる(あわてる)
 
 
 
 
  楽山のリツイートですが
 
楽山は、また、他者の発言を借りて、言い逃れをしてきます。
 

心機一転★こも楽山さんがリツイート
>>
山本芳久
@201yos1
ヨブ記」の講座の準備の為に内村鑑三ヨブ記講演』(岩波文庫)を読んでいるが、めちゃくちゃ面白い。ヨブの苦しみに肉薄していく内村自身が人生の中で味わった様々な苦難が、迫力のある文体を呼ぶ寄せ、稀有な作品となっている。人間をよく知る者こそ、神をよく知るのだ。
https://iwanami.co.jp/book/b270884.html
>>>引用ツイート
山本芳久
@201yos1
 · 2月28日
【4月期オンライン講座のお知らせ】
新設講座「旧約聖書入門:「ヨブ記」を読む」を開講します。この世界に生きる誰もが避けて通ることのできない「悪」や「苦しみ」にはどのような意味があるのか。この根本問題に正面から取り組んだ「ヨブ記」を冒頭から丁寧に読解します。
https://nhk-cul.co.jp/programs/program_1225650.html
>>>
午後1:01 · 2021年3月14日·Twitter Web App
https://twitter.com/201yos1/status/1370948219975331841
>>

 
「人間をよく知る者こそ、神をよく知るのだ。」・・そうです。私の主張でもあります。この発言において、引用元は、正当だと思います。楽山は、人間を、考えることすら出来ません。だから、超常のことばかりで宗教を語ります。楽山は、人間も、神も、まるで知りません。
 
神を努めて知る、ということは、人間を努めて知ることと同値であります。人について考えることなくして、神を知ることはありません。神を知ることは、聖書を読んで考えること、そこから、人間について考えることと同値であります。
 
神を知ることは、決して、人間を超えて、神聖や心霊になることではありません。ここを間違えている例が、超常信仰であり、楽山その人であります。
 
人は、この地上で生きる限り、神聖には成れません。人は、人と世界を見て、神聖にあこがれ、神聖に究極的な希望を託す身であります。ここを間違えている例が、楽山その人であります。
 
楽山は、人間を知りません。その表れが、無反省・無責任・無理解・無神経となって表れています。人間を知らないから、楽山は、そのままでいられるのです。そして、性懲りもなく、また、人の口を借りて、言い逃れをしてきます。当然、楽山は、神も信仰も知りません。
 
楽山は、神聖も分かるんだ!・・と、妄想を叫んでいるようなものです。リツイートにしても、本からの引用にしても、利用~悪用されたほうは、たまったものではないです。冷静を装う文章は、狼狽に過ぎません。
 
(ネットより)
ろう‐ばい〔ラウ‐〕【×狼×狽】 の解説
[名](スル)《「狼」も「狽」もオオカミの一種。「狼」は前足が長くて後ろ足が短く、「狽」はその逆。「狼」と「狽」は常にともに行き、離れると倒れるのであわてるというところから》不意の出来事などにあわててうろたえること。「株価の急落に―する」「周章―」
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%8B%BC%E7%8B%BD/
 
楽山は、神を知りません。なのに「神をよく知る」者のように尊大な口を利きます。楽山は、屁理屈で、神?を、オモチャのように、もてあそんでいるつもりのようです。実際には、楽山が、救いからも聖書からも、はてしなく遠いオモチャの世界に戯れているだけなのです。
 
楽山には、真面目さ、真摯さが、どこにもありません。この2年間で、楽山が表したのは、そのような偽善と作為と悪意と訂正不能の自尊過大の凝固性だけの偽物でした。善人、学者、評論家ぶっている丁寧語に、だまされないでください。
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
 
楽山の本性が荒らしであることが明らかになっても、控えることのない厚顔で文句を言ってきます。仲間を頼むか、またしても成りすましによって、「素直に詫び」ることなく「嘘ばかり重ねる保身だけ」で「卑怯者」で「開いた出店を畳む」こともしない立枯(たちがれ)病となっています。
 
(ネットより)
立ち枯れ病はカビが原因で、植物が感染する病気です。初期であれば生育不良を起こしますが、そのまま進行していくと根が腐りますので、徐々に下から枯れていきます。
https://greensnap.jp/article/9649
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
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https://twitter.com/st5402jp
(ここは、ブログ記事をリンク・抜粋)
 
 
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