ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

危険人物3

 
  危険人物3
 
 
危険人物とは、犯罪性の強い人でしょうか。犯罪性の強い人は、日頃から乱暴であれば気づかれやすいでしょう。しかし本当に恐ろしい者は、そういう印象から遠いところにいます。
 
自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)者は、よく見せるための言葉を身につけます。しかし、注意深く見ておれば、芝居だということが分かるでしょう。本性は、反社会性であることが多いです。サイコパスとも呼ばれます。反省し学習し修正し成長することが出来ないのです。
 
 
聖書では
偽善者と言われています。
守っている
知っている
分かっている
見えている
という確信に満ちて
しばしば教えたがり
出来た人物と言われるのが大好きです。
 
聖書では、まず、カインがサイコパスに相当するように思われます。
 
 (創世記、口語訳)4:5
しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。
 (創世記4:5、旧約聖書
 
供え物が受け入れられなかったとき、カインは、悲しむのではなく、憤った、つまり、怒ったのです。しかも、神に対してです。そして、アベル殺害に至ります。これは、サイコパスの特徴です。悲しみを感じることが出来ません。笑いと怒りしか持っていません。
 
また、キリストに批判されて、ついには、キリストを殺してしまったパリサイ人も、全てではないが、同様であろうかと思います。
 
 
自己愛性パーソナリティ障害とかナルシシストとか言われます。反社会性人格障害とかサイコパスという言葉もあります。文字通り自己愛が強く、自我を自分で砕くことが出来ず、不備や欠点など自らの非を決して認めず、罪悪感がなく反省せず無責任で、あらゆることを自己中心にしか考えません。
 
あらゆる不都合において自分を責めることが出来ず、人のせいにします。ときに丁寧語や幼児語のような
平易な言葉で表し、精神療法のように優しく言って、柔和な自分をアピールします。
 
自己顕示欲が強く。気障(きざ)で衒奇(げんき)的で、"ひらめき"や、ときには霊感を誇示して、繊細で特別な神経を持っているかのように、一見、上品に振る舞います。しかし高等感情が無いために、人に対する思いやりや配慮に欠けていて、人と共感することが出来ません。
 
ネガティブな忠告をすることを遠慮せず、あらゆる深謀遠慮が不可能で、自制することが出来ないので、相手が傷つくことを配慮して遠慮するということが出来ません。
 
特に自らの失敗を処理できずに、弱そうに見える誰かに対して情報不足や無遠慮などお構いなしに、不向きや不適正のマイナスの忠告めいたことをして、アドバイスしたのだからと、いいことをしたかのように自己満悦します。
 
「向かないと思うね、うん」「ひらめきとしてね」「かなあ」「言えなくもない」とか、語尾「ね」付きの気色悪い丁寧語には十分注意しておく必要があります。実際は侮辱であり、受けた側は長くトラウマにさえなりかねないので、そういう人ととは、まともな付き合いなどしないことです。
 
出くわしたり何か言われたときは、そういう人だと分かったときも、逃げるしかありません。あるいは言い返すことも出来そうですが、言い返しても根腐れなので不感不応です。
 
偉そうな態度と併せて、謙虚そうな芝居をしますから、うわべの評価は一定しませんが、一度被害に遭うと一生忘れることはないでしょう。自分を責めることが出来ない人です。責められると、いつでも、腹いせの復讐を考えるような、陰険な原始反応しかできない人です。
 
勝ち負けと快楽原則で世渡りをしていて、人に勝つこと負けないこと優ることを生き甲斐とします。その前提で謙譲芝居をしてインテリぶっていますが、実際には真の勝利など全く知りません。
 
褒められることを快感としますが、人格的に欠陥があるので、多く失敗します。それらを知られることを何よりも恐れています。欠点を隠すことしか出来ず、生産的に反省し修正することが出来ません。
 
思想は通念的で独創性がないので、気取った言い方で、うわべ賢そうに見せかけますが、正体が分かれば、いちばん、つまらない人、そして、嫌われる人なのです。人格者として一定の尊敬を得ている場合がありますが、まともに見せかける芝居をしているだけです。
 
実際は、偽善者であり、人間らしい温もりがなく、冷淡で、自己満悦か、快と不快の快楽原則しかなく、大方、結局、怒りと怨念だけになっています。しんみり悲しむことが出来ません。だから共感が出来ないのです。代わりに、世辞の褒め言葉を多用する傾向があります。
 
代わりに反省や共感という言葉だけだったり、やさしさ芝居をするだけの大根役者です。本物と言えるような精神の産物を持っておらず、学習も進歩もしない怠け者で、冷酷な性根ですから、宗教・教育・医療など、人の命や人生を左右する仕事についてはいけない人です。
 
しかし実際、数式だけは得意だったり、口だけ達者だったりすることがあり、宗教や神秘や超常に関心を持っていて、決めつけていたりもします。人によっては、医者だったり、医学生だったり、指導者だったり、ある程度の知的職業についていることもあります。
 
宗教家や思想家や評論家などのインテリ気取りを伴うこともあるでしょう。しかし、発言は、大方、月並みで、独自性はなく、他者の言葉を、うわべだけ繰り返し、批判や反論をまるで理解していません。返してくるのは、嫌がらせや、いちゃもんや、荒らし的な雑言に終始します。
 
しかし人の悲しみに共感することが出来ないのです。対等の立場においての共感や同情を感じることができず、いつも上から下へ見下ろして教えを施す態度であり、人には反省が必要などと白々しく言いますが、自らの非を認めず反省することがありません。
 
最悪である偽善者は、不快を感じることはあっても、悲しみを感じない人。高等感情が欠けており、罪悪感がないので、反省せず、訂正せず、責任をいっさい負いません。ゆえに、軸のある思想を組み立てられず、共通の狙いがあると、人真似をすることが多いです。
 
丁寧で礼儀正しい外面を持つこともあり、言動の乱暴さが見られるとは限りません。しかし追いつめられると手段を選ばなくなるでしょう。気をつけてください。彼らは、演技と思い付きの気の利いた言い方をして、慢心して、・・腐っています・・
 
 

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          丁寧な恐怖
 
 
(2020年)
(2021年)
(2022年03月24日、再録+加筆)
 
 
 
  もうよそう
 
ひとりは首を吊り
ひとりはビルから飛び降り
ひとりは高い橋の上から飛び降りた
砕け散った肉や骨を拾うのが大変だったという
ひとりは死に際に哀しい視線で・・・
もうよそう
 
死ぬのに勇気は要らぬ
死を上回る恐怖があればいい
生きるのに勇気は要らぬ
死を上回る死があればいい
 
ストレスから逃げて逃げまくって生きてきた
そして死んだ自分を数えている
死んだ自分がまだいる ここに
ひとりの夜に対話する独語
団結はしないね
けんかもしない
 
いつかバイクの後ろに
いつも君が乗っている
スロットルを開ければ開けるだけ
君は笑ってついてくる
 
 
  光と恐怖
 
刃物の鋭さは光 凍結への熱
刃先へ走る一瞬すでに眼を切っている
 
それを際立たせる闇
闇の殺意は鋭い
迫る恐怖に震え立ちすくむ足
否応もなく急がせる
それゆえ光の殺意の鈍さは
ときにショーウィンドウの内と外
写真と人形を眺める恐れの傍観にも似る
 
恐怖は闇によって増幅される
それゆえ光によって鈍くなる
見えない周りに見てしまう
見える周りに見逃してしまう
 
刃物の眼は昼の光の最中(さなか)
いかにして開かれようか
泣いたり笑ったり怒ったり
表情をなくしたり借りてきたり
いかにして光の恐さを知りえようか
 
殺意と恐怖
熱と冷血
鋭さと鈍さ
光と闇
元々それ自体は眼に映らないものばかり
 
 
 
 楽山のツイッターですが
 
 

心機一転★こも楽山
@komo266
·1時間
取材するには許可を取るというのは、マナーとしてその方が望ましいのは当然ではある。でも常にそうしなければならないというのは極端すぎる。
それでは取材される側のご機嫌をうかがうようなことしか書けなくなってしまいかねない。この辺りについては、藤倉氏のいうことに理がある。
午前11:39 · 2021年3月20日·Twitter Web App
https://twitter.com/komo266/status/1373101911323242502

 
「取材される側のご機嫌をうかがうようなことしか書けなくなってしまいかねない」ということから、楽山が書くのは批判を含む記事であることです。そして「氏のいうことに理がある」という評価を加えて、楽山が上から眺めて評価する立場で書いていることが明らかです。
 
楽山は、ご機嫌取りの丁寧語とボンヤリ言語を書き、そして、そのような返しを悦ぶようです。ここでも、人のことを言って、結果として、自分のことを表してしまっている楽山です。批判して、それが自分に返ってくる "ブーメラン" が繰り返されています。
 
なお、批判の場合は、いちいち許可を取ることは、マナーとして望ましいのが当然・・ではなく、必要ないのです。何故なら、批判は、批判対象に、苦言を呈することですから、無視する人はいても、許可する人は極めて少ないからです。それでも書くのが批判です。
 
そういう批判を、ことごとく無視して受け取らず、何事もなかったかのように振る舞い、言いがかりだけを書いてくるのが、嘘つきで偽善者の楽山その人です。そういう人の場合、ことらからの批判だけが続くことになります。
 
批判には、許可ではなく、根拠を示すというマナーがあります。それを無視して、好きなように、いちゃもんを書いてくるのが、楽山その人です。それは、批判を返すことではなく、ただの悪口に過ぎません。実に、よく見れば、楽山の言には、汲み取れる何の価値もありません。
 
楽山は、宗教、特に、キリスト教を、幼稚な先入観で、つまり、机上の理屈だけの固定観念で、繰り返し、無根拠に、無神経に書いて、似たような文言で、こちらをおとしめてきました。楽山を批判すれば、こうなるということですが、議論とは違う低次元ですから、批判は続くことになります。
 
ご機嫌取りとして、楽山は、優しそうな丁寧な言葉を使います。つまり、楽山の優しさは、世辞で取り入るための方便、つまり、便宜上の手段に過ぎません。そこには、冷静な楽山という印象の刷り込みがあり、やさしいお人柄・・などというコメントが来るのを喜ぶだけの楽山が見えてきます。
 
批判は、一つは、相手に間違いを改めるように説得することですが、自己中で訂正不能の楽山には無効です。理路の破綻と高等感情の鈍麻によって、理解が進歩しない曲解として固定しています。その有り様は、楽山の、カルト的体質を表しているのです。
 
ゆえに、もう一つの批判のあり方として、相手が不当であることを、読者一般に敷衍して、注意を促すことになります。不感不応の楽山に対する批判がそうです。批判対象に関わらないように注意を喚起するための批判~警鐘です。
 
 

心機一転★こも楽山さんがリツイート
Algorab archives
@Algorab_MAIKA
·18時間
人殺しになりたくて入信した人は一人もいない。そんな彼らがなぜ加害者としてこの最期に至るのか、その背景を丁寧に理解しようとしないままでは、いつかどこかでまた繰り返される。
地下鉄サリン事件犯たちの“最後の言葉” 
#地下鉄サリン事件 #オウム真理教 #文春オンライン 
午後5:25 · 2021年3月20日·Twitter Web App
https://twitter.com/Algorab_MAIKA/status/1373188890257813508

 
楽山は、なぜ、加害者に至っているのか。その背景を、楽山自身が、述べようとしないのだから、知る由もないのです。@rakusyo raku のような生い立ちなのでしょうか。
https://twitter.com/rakusyo34
嘘吐きの楽山という履歴を積み重ねてきたのでは、信用できないし、何も解決しません。
 
何よりも、楽山が、無反省・無責任のままで、何も変わりはしないのです。変わることなく、嘘を吐き、詭弁屋の偽善者のまま、薄笑いのパーソナリティになりたい人がいるとは、信じがたく、驚きであり、脅威であり、恐怖であります。
 
楽山が、バラまいている精神の毒は、喩えるなら、水銀か鉛のようなものです。気づかずに受け入れていると、進まない理路のために、感性が疲労~鈍麻して、やがて、耐えがたい痛みに襲われるか、あらゆるところが傷んでくるのです。
 
 

心機一転★こも楽山
@komo266
家田さん、宏洋さん、どちらの動画もおもしろい。絵文字(口を開けて笑っている顔)
お二人の様子は、家田さんの動画の方が和んでるみたいだから、こちらの方があとに撮ったんだろか。絵文字(考えている顔)
個人的には、宏洋動画の最後、これ以上突っ込んだら動画で流せなくなる…が、えらいウケた! ははは。大爆笑
午後7:16 · 2021年3月21日·Twitter Web App
https://twitter.com/komo266/status/1373579208656482305

 
楽山は、カルト批判をしているはずですが、このように、絵文字を入れて、繰り返し大笑いするのが、悦楽なのでしょうか。高等感情が育たず、原始的な感情だけになっているのでしょう。
 
楽山は、感情が、一つは陰性の怒り憎しみ恨み、もう一つは、微笑ましい嬉しい喜びではなく、誰かを低く見て、面白おかしいと感じて、あざ笑い、大笑い、高笑い、バカ笑いすることなのだろうと思います。怒りと笑いの感情だけでは、決して、理路が整う考え方にはなりません。
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html

1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」

2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。

 
 
楽山は「反省、謝罪は大事なことだと」分かっていません。「難しいんだよな」・・出来ない人は人間ではありません。「自分もそんな風」・・つまり、楽山は人間じゃない。「人間の性」のせいではなく、楽山が異常だということです。楽山は、反論したつもりで、実際は、否定されてゆくだけなのです。
 
 
例えば、批判返しに同じ主張を繰り返し書くというのは、常識人はしないです。しかし、楽山は、平気でやってきます。また、理路の流れの末節から、屁理屈の迷路に導いて混乱させ疲れさせるというやり方も、楽山が、理論家などではなく、腐った荒らしだから、できることなのです。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
ツイッター
https://twitter.com/st5402jp
(ここは、ブログ記事をリンク・抜粋)
 
 
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