ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山の詭弁と狙い

 
  楽山の詭弁と狙い
 
 論点整理(人の心がわからない)
 2022年03月24日
 http://mn266z.blog.jp/archives/32428147.html
  を批判。
 
 
罪悪感の無い楽山は、何も言えないときでも、何か言って、反論したことに満悦します。引用も、私は忘れているのをよいことに、自分に都合のよいことばかり引用してきます。荒んだ心の形骸に、身をゆだねると、さわやかさを微塵も含まない陰険な企みに生きることになるのでしょう。
 
今の問題を語れず、反論も出来ない楽山は、4年ほど前の私のライブドアブログのコメント欄を掘り出してきて問題があると言いたいようです。一種の逃避ですが、楽山としては、記憶が薄らいで曖昧なところしか、恣意的な解釈が通らないからでしょう。
 
「>・・<」は楽山、
「>>・・<<」は、シャロームshalomです。
 
 

*自己中
st氏は、楽山は人の心がわからない、共感ができないと繰り返し書いている。
でも、st氏は過去にこんな問答をしている。
>>
私がstさんと話の内容がよく合うのではないかと紹介したブロガーの方とは初めはとても親密な交流がなされていたようですが、相手の方もstさんに困ったことを相談をしていたこともありますが、その後はその方もstさんの激しい批判とその方の個人情報を使っての人格否定、人格攻撃まではじめて、病的な状態に追い込まれてしまわれました。
<<

 
楽山との関わりが続くと、このような疲労、混乱から、人格破壊のような結末になること、以前から書いていますが、楽山は、以前から、自分に向けられることを、こっちに向けてくるという、卑怯な手段を取ってきます。楽山のように底まで汚くならないと、このような悪だくみは出来ないでしょう。
 
 
>>
今その方は自分のブログの過去の記事をよめないようにしておられます。stさん自身の宗教記事の初めにコメントを書いておられます。医師免許を持ちながら、医師を続けることができなかったことも、そうしたことはおそらくくstさんの個人的な背景に起因している考え方、生き方ではないかと私は思います。
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私は完璧な人間ではありません。偽牧師シャロームは、私の個人情報をバラして、おとしめることで、退かせようとしています。こういうのは、よほど悪意に満ちていないと出来ないことですが、楽山が、よく使う方法でもあります。底意地の腐ったシャロームのコメント、楽山の鬼畜の引用です。
 
 
>>
stさんは本来他の人と面と向かえば話すこともできないと書いておられますが、パソコンの普及によってブログはそんなstさんにとって、言葉や思いのたけを思いっきり吐き出す自由な時間、生き方を与えてくれたのでしょう。
<<
 
シャロームは、私の対人緊張症を、あげつらって、おとしめています。こういう人です。それを、悪意の楽山が、また掘りだして引用してきます。こういう人です。成りすましの可能性が高くなります。人間の情感を持たず、丁寧語で、ごまかしても、こういうところに、獣性は表れてきます。
 
頭も心も整理できない楽山は、人に向かって、思想や宗教について、話す理路を持たない人物です。にもかかわらず、ネットだからと、無責任と無反省で言いたいように言って悦に入り、他者を、どんどん、おとしめて、優越感を感じようとします。とっくに退場処分になってもよい人です。
 
 
>>
そのブログでの自分の自由な生き方、考え方が否定されるような考えには鬱積された怒りと批判がとどまることなく大量に吐き出され、ありとあらゆる批判、否定、攻撃となるようです。
2018/11/4(日) 午前 11:40[ shalom ] 
<<
 
冷静に書いているように見えますが、シャロームは、偽牧師です。「罪は悔い改めなくても許されるから気にしなくていい」と書いたことで、バレました。前にも書いたことです。楽山が、今も、シャロームの言を引用するところに、楽山の病質が表れています。楽山による成りすましも疑っています。
 
 
>>
一旦批判が始まると相手が弱み、謝罪を示すまでとどまることはないようです。それをもって悔い改めだと考えておられるようです。
<<
 
論争になると、楽山は、際限なく、理路を混乱させて、雑言を浴びせます。そして、相手が参って疲労を表すと「疲れたんじゃないですか」と、ねぎらいの芝居をします。得意技のようです。楽山は、理路を崩すのが得意で、理路を組み立てることは出来ません。まともな議論など、したことはないのです。
 
だから、否定を言い、次は、肯定を言って、軸がないのに、それをもって、責任問題は生じないなどと言ってのけます。議論を、まるで理解していない証拠です。楽山とは、戯れにも、試験的にも、議論しようなどと思ってはいけません。楽山の議論は、いつも、罠(わな)なのです。
 
なお、謝罪は期待していません。それができる人とは思っていないからです。また、二人が謝罪しても、信頼度ゼロだから、本気として受け取ることは出来ません。もはや、早くネットから、いなくなってほしい二人であります。全否定される前に改めるべきでしたが、それだけはしない楽山です。
 
 
>>
自由さんはstさんの良き理解者になることができるかもしれませんね。わかりませんが。時間がある時、stさん自身で書かれた記事を日記などほかの記事もよく読んでみられるといいですね。
2018/11/4(日) 午前 11:45[ shalom ]
<<
 
楽山の冷静、シャロームの優しさ、いずれも、芝居です。楽山一人の成りすましも疑っています。本性は、罪悪感の無いサイコパスです。ゆえに、何を言われても、自分を責めることなく、反省することなく、何事もなかったかのように平気でいられるのです。高等感情が、無いのです。
 
 
>>
私がstさんと話の内容がよく合うのではないかと紹介したブロガーの方とは初めはとても親密な交流がなされていたようですが、相手の方もstさんに困ったことを相談をしていたこともありますが、その後はその方もstさんの激しい批判とその方の個人情報を使っての人格否定、人格攻撃まではじめて、病的な状態に追い込まれてしまわれました。今その方は自分のブログの過去の記事をよめないようにしておられます。
<<
 
Vさんには、弱気が見られ、誰かの圧力がかかっているようでした。こういう人は、楽山やシャロームと付き合ってはいけません。楽山とシャロームには、いやらしい善人言葉を見せかけにして、言論者からは、ほど遠い卑怯さが、見られます。気づくまで、時間がかかったということです。
 
 
(当時の私のコメント)
誰のことでしょう。Vさんのことでしょうか。彼とは、物別れに終わって、ずいぶん経ちます。Vさんがやったことは、シャロームが間違っているということが、Vさんという人は哲学者なので分かるはずなのに、シャロームに大事なところで調子合わせをして、その間、私のコメントを隠したことです。そういう大事なところで逃げる行為は、3度目だったので、縁を切りました。
2018/11/4(日) 午後 1:27st5402jp
 
Vさんは、哲学者としての実質を持っていたようです。楽山とシャロームは、同一成りすましかもしれないが、共通しているのは、言論の、いろはも知らないということです。まるで理路になっていません。だから話を逸らして、迷路に誘導し、混乱させてくるのです。
 
楽山は、自己正当と他罰性の前提に立って、悪口だけを言い、根拠を示せません。ゆえに、あの人もこうだった、攻撃してくる、などと、平気で言えるのです。負の宣伝、プロパガンダに過ぎません。議論の実質には何も触れていません。
 
私は、いちいち、過去記事やコメントを掘り出すことはしていませんが、楽山は、利用できるものは何でも利用~悪用します。今の、最近の、無反省、無責任、自己中の指摘には、何も答えたことがないのです。この世の悪の卑怯な偽善性を体現しています。
 
 

st氏は、自分のせいで病的状態にまで追い込まれた人がいたと知らされても、一言の詫びもなく、自己弁護をするばかりである。

 
シャロームと楽山は、一方的に私のせいにしています。かつ、真っ当な説明も弁明も出来ません。手段を選ばず自己弁護に終始します。高等感情の無い病質だからできることです。これからも基本的に変わらないでしょう。自分の都合だけで、おとしめに利用しますから、決して相手にしないでください。
 
 

論争中の相手に対して厳しくなるならともかく、すでに交流が絶えて久しい人に対しても、「言い過ぎた」「申し訳なかった」の一言もないというのは、まったくどうかしてる。
こういう事例をみると、「共感がない」「人の心がわからない」というのは、st氏の投影、自己紹介だと判断せざるを得ない。

 
論争中の相手にこそ、間違ったら、訂正して「言い過ぎた」「申し訳なかった」も言うべきです。信頼できない相手と分かった時点で、一切の、謝罪は、してはいけません。そして、そういう判断を裏切ることなく、楽山は、書くたびに、病質の悪性を露わにしてゆくのを、今、見ています。
 
 

*甘え
ところで、st氏は上のコメントで、V氏がシャローム氏を支持し、st氏から離れたことを責めているが、思い返してみれば、私にも同じようなことを言っていたのだった。st氏は、私がst氏ではなく、シャローム氏を支持したことを怒ってた。

 
Vさんの話をしても、Vさんの発言はありません。Vさんには、弱気が見られ、誰かの圧力がかかっているようでした。シャロームと楽山については、シャロームは約10年前に、楽山は3年余り前に、とんでもない人と気づいて、真実の敵だと思っています。
 
 

こうしてみると、st氏がいう「共感がない」「人の心がわからない」というのは、結局、こういう意味なんだろう。
「どうしてシャロームの味方をするんだ。どうして私のことを分かってくれないんだ。あなたには人の心がわからないのか。人に共感するということができないのか」(要約)
これは甘ったれた考え方だが、孤立してる人がこう考えるのは已むを得ないことであり、可哀想なことではあると思う。

 
私が「どうして私のことを分かってくれないんだ」と思っていると?・・とても気持ち悪くて、吐き気がします。共感は、人間性の最も大切な心ですが、楽山には、自己主張に聞こえるとは・・人間性の欠けた病質者らしい感じ方です。楽山には、共感ということを直観的に理解する感性がないのです。
 
共感が直観的に分からず、楽山は、自己中の自己愛によるご贔屓を求めること・・だと思っているのでしょうか。小学校へ行きなさい・・と言ったほうがよさそうです。誰も、楽山のような変質者には、卒業証書は与えないでしょう。学ばなかった報いが、色濃く表れています。
 
楽山のように人の心が分からない者は、表面的な言葉で、人を騙せると思っています。私は、それを批判しています。楽山を変えるためではなく、誰かが間違って交流することのないためです。社交では分かりません。このように文脈もなく悪口の当てつけになる劣悪さから臭気のように暗示されます。
 
楽山が、シャロームのような偽牧師に味方すれば、仲間だろう、同類だろう、くらいのことは考えるわけです。その判断は、今も変わりません。楽山は、さわやかさというものが全くない、とても気持ちの悪い男です。いつまで腐れ続けて、悪臭を放ち続けるのでしょう。
 
ライブドアには、シャロームのいちゃもんコメントがあり、私は、それも批判しています。もうだいぶ前のことです。記事「楽山の三文芝居」HNは、名無しの猫、シャロームであることは、文章の表面だけ丁寧な筆致から、指摘しても、違うと否定しないことから、明らかなのです。
http://st5402jp.livedoor.blog/archives/6645741.html
のコメント欄
楽山とシャロームの、憎悪は、増悪するようです。汚物を見るようで、見苦しい限りです。
 
楽山は、いくら批判しても、理路を理解できず、情緒を受け取れないので、不都合に対する敵意だけで、平気で、記憶が薄くなっている過去の文章をネタにして、詭弁を弄し曖昧な迷路に誘導しようとしてきます。良心の節操が皆無の楽山です。一般読者が楽山に近づくことのないように批判しています。
 
 
自己満足に過ぎないと思いますが、また、楽山の粗製乱造の記事が、多量にアップされているようです。断末魔だと思います。量で優っても、ずうっと質が最悪の楽山です。誰も見ないことを願って止みません。常識も、見境も、なくなってきたのでしょう。前と同様、私も、全部を読むことはしません。
 
こんなに書いたぞ、全部見てみろ・・という楽山の自己満悦が、拙劣な理路と、鈍い心を押し切って、書きまくる衝動に打ち込ませています。悪い病人です。誰も信頼しないでください。関わると、とばっちりを食らいます。結局は、誰からも信頼されることはないのです。
 
 

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                 無知なる闇
 
 
(2022年03月27日)
 
 
 
  ぶらぶら
 
逆さになって
ひっくりかえった
夢を笑う
花を摘み
逆さにして
ぶらぶらと振る
何かを吹き
何かに吹かれて
みんな自分だったと
苦い実を噛む
濁った汁がしみて痛い
 
細かく雑草が揺れるほどの風
受けて少し逆流する
寒けが空っぽの気道を舞う
何を恐れている
それとも憎んでいる
咳き込むほどに渇き
荒れて
濁った痰に癒されるのは
肉体に似て
退いてゆくもの
しかし方角が違う
そちらへ行けば
逆さになって
ぶらぶらになって
 
後ろを向いた眼球を
旅人の姿に隠して
ぶらさがって
空へ落ちかかっている
この世を
そんなものだと
眺めながら
誰にも会わず
去っていったあいつ
 
 
 ユダ
 
私はここにみる
誰よりも激しく主を裏切り
そして誰よりも激しく悔いて
悔いて改めるすべを持たず
主の復活を知らないまま
許されることを求めようもなく
自らを許さず
主に関わった様々な人々の中で
ただ一人自ら命を絶った男を
 
私はここに想う
主をユダヤの救い主と望んだがゆえに
イザヤに示された
茨の道を歩もうとされた主を
誰よりもよく知り、
激しく愛したがゆえに
誰よりも激しく憎んだ男を
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html

1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」

2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。

 
 
人道から外れ続ける楽山は、人間性を、元々知らないか、なくしたのでしょう。記事に書いたように、共感が分からなければ、愛も分かるはずはありません。楽山に近づく特に女性は要注意です。楽山は、知らない、分からない、理解できない・・ということが、病質者を通して、もたらす災いの資料です。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
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(ブログ記事をコピペすることあり)
 
 
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