ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

後悔しない楽山2

 
  後悔しない楽山2
 
 後悔しない生き方(『聖フランシスコ・ザビエル全書簡1』)
 2021年06月13日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/29440103.html
 
 
楽山に見られるところの、わざとらしさ、うさんくささに気づいてほしいと思う記事です。
 
 

ザビエルの書簡集をつまみ読みしていたら、川で溺れて九死に一生を得た男の話が紹介されていた。この男は救けられたあとで、水中で死を覚悟したときをふりかえって「生きているあいだ中、自分が死ぬための準備を何もしていなかったこと」、修道院に入りたいと思いつつも「何も実行していないこと」の二つを後悔したといっていたという。ザビエルはこの話を次のようにまとめている。

私は友人や知人が、善い考えや主なる神に奉仕したいとの望みを抱きながら、実行に移す時を延ばしていると、いざ行おうとする時には、時間も機会もなくなってしまうのではないかと、気の毒に思っています。
(『聖フランシスコ・ザビエル全書簡1』河野純徳訳、平凡社東洋文庫579〉、1994年、pp.62-63)
 」
これは出来すぎた話のようにも思えるが、この教訓はまったくその通りではあるし、それだけに耳に痛い言葉だ。自分は昔から怠け者の面倒くさがり屋で、何でも先延ばしにして、せっぱつまってから慌ててはじめるという風なので…。

 
「耳に痛い言葉」「昔から怠け者の面倒くさがり屋」という卑下が白々しいのです。「せっぱつまってから慌ててはじめる」・・何を始めるというのでしょう。知りもしないキリスト教と信仰を、浅知恵で決めつけて否定するだけです。何も始まっていません。
 
歴史的に有名な人物の書いた書簡を、「つまみ食い」するのだそうです。恐らく、聖書も、他の書籍も、いかなる有名人の名言も、同様だったのでしょう。だから、おつまみ程度に、いい加減な記事を、趣味的に書いてきたのでしょう。書くべき必然が、どこにもありません。
 
楽山は、「いざ行おうとする時には、時間も機会もなくなってしまう」というザビエルの言葉を受けて、同情を誘いたいのでしょうか。しかし、「耳に痛い言葉」「反省。」「自分は昔から怠け者の面倒くさがり屋」「せっぱつまってから慌ててはじめる」は、大嘘です。
 
楽山は、「反省、とほほ」と書いたことがありますが、その前後で、全く変わりなく、今に至るまで、ずっと、自己中の、偏向した記事でした。自分を見ることが出来ないのです。また、楽山は、他者の言うことを、世辞以外、すべてと言ってよいほど、無視してきました。何も変わっていないのです。
 
したがって、他者の言葉が、「耳に痛い」こともないのだろうと思います。平気で、無視して、平気で、同じようなことを繰り返し書いてくるのです。人間として大切な反省をせず、責任を負わないのですから、「面倒くさがり屋」ではなく、邪悪で、怠慢で、学習意欲がないのだと思います。
 
都合の悪いことを平気で無視するので「せっぱつまってから慌ててはじめる」のではありません。あわてて訂正や反省を書いた記事があるはずですが、全く見られません。前に、アドラー教の、気に入らないことは無視しましょう、という信条?を書いて宣伝して、そのまま実行しているのでしょう。
 
このように、楽山の軽々しい芝居は、うさんくさくて、嘘だと分かる人もいるでしょう。楽山というHNを見たら、あるいは、話に出てきたら、嘘吐きだと教えてあげてほしいと思います。この2年間、いいほうには何も変わっていません。
 
今になっても、こういう白々しいことを書いてくるところを見ると、やはり、原因は、元々訂正不能自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)だと思います。平気で、嘘を吐くのです。それに引っかかって、「やさしいお人柄ですね」というコメントが付いたこともあります。あくどい。
 
今でも、そういう嘘が通用すると思っているのです。知性・感性・洞察力・共感力は、自己中によって鈍麻しています。だから、また同じことを言えるのでしょう。ふつうなら、察しが付くところを、気づかない哀れな人です。それにしても、よくも、また、白々しいことを書いてくるものです。
 
 

こういうところは本気でなおさなければならないなと思う。

 
ですから、これも、嘘です。この2年余り、楽山の本気は、自分を改善する方向に向いたことはありません。楽山に、本気はないと思います。「なおさなければならないと思う」も嘘です。前から書いてきた自己愛性人格障害によって、楽山は、自分を直す必要を感じないからです。
 
直す気があるなら、とっくに、反省して、この記事のような言葉面だけでなく、記事の内容に、はっとさせる何らかの変化があるはずです。何もないとしか言いようがありません。はっきり言って、こういうことを言うときの楽山は、笑っていると思います。嘘が上手いつもりでいるのです。
 
ただ、だんだん、白々しさが増しているようです。人格破壊が、また、進んだのかもしれません。少しずつ、内面に比例した、下手くそを、否応なしに出してしまう、という傾向はあるでしょう。嘘の理路、自己中の辻褄合わせは、いずれ、無理を生じることが考えられるからです。
 
 
 
 楽山のツイッターですが
 

心機一転★こも楽山
@komo266
ナタリー・ポートマン守護霊の霊言では、その美しさを強調しているが、
本人は、見た目で判断することに思い切りダメ出ししとるじゃないかい。
ナタリー・ポートマン、女性を見た目で評価する軽薄な価値観を批判
午前7:07 · 2021年6月13日·Twitter Web App
https://twitter.com/komo266/status/1403836506674851843
心機一転★こも楽山
@komo266
「宗教者よりも、あの世を信じない唯物論者の方が倫理的なことが多い」という話があるが、これもその例か。
午前7:11 · 2021年6月13日·Twitter Web App
https://twitter.com/komo266/status/1403837298806956034

 
何も信じておらず、人を惑わし傷つけるだけで、無反省・無責任の、反倫理・反キリストが、楽山です。今日も、霊言とばかり、知ったかぶりで、女優のことを言っています。こういうゴシップと、宗教・信仰とを、同じオモチャ扱いで、雑に、批評する軽々しさが、楽山の特徴です。
 
「宗教者よりも、あの世を信じない唯物論者の方が倫理的なことが多い」などという決めつけは、反キリストならではの暴言です。キリスト教の悪口だけは忘れないようです。好きなだけ、ゴミをばらまいて、自己満悦の散歩でしょう。日課のように公共を荒らしています。それしか出来ない人です。
 
今まで、理路は好きなように捻じ曲げ、知識は小学生レベルの拙劣な理解、共感の深みは皆無であり、我執だけが強く、芸能・作家・宗教家・学者など、遠慮もなく勝手に引用して、同じ悪口を、繰り返し言ってきます。真面目な態度が皆無で、様々に言っても、結局、偏向した揶揄の域を出ません。
 
楽山は、何気なく書いているつもりでも、揶揄しか出来ない体質は表れてしまいます。自己愛性人格障害の因業だと思います。それを隠そうとする欲動と、自慢しようという欲動によって、楽山は、だんだん、曇りガラスのような、正直も本音も見えない人になってきたのでしょう。
 
楽山は、今まで、我執と怨念によって、同じことを繰り返し書いたり、思いつきを書いたり、安定しない、いい加減さを、表してきました。それもこれも、一切、責任を負わないし、負えるだけの芯を持っていないことを如実に物語っているのです。
 
※ 
 
こういう楽山のような人は、書いてくる文章を観察し、筆致を、つまり、書き癖のようなものを、できるだけ読み取ってゆくしかありません。したがって、継続的に、経時的に、今まで3年間余り、そして、これからも、楽山の記事を、読み続け、批判してゆく必要があるのです。
 
楽山の体質は、人の言うことを無視して平気でいることです。それを利用して、鈍麻した警戒心と散漫な注意力のために平気で書いてくる記事が、資料となりうるのです。楽山には、バレるから書かないでおこう、という選択肢が想起されないのだろうと思います。白々しさに気づかないからです。
 
 

     

               偽善者は笑う
 
 
(2021年06月14日)
(2022年06月15日、再録+加筆)
 
 
 
  惑いの台詞
 
わかっているさ
 が
 繙(ひもと)こうとしているのは
解けない帙(ちつ)の夥(おびただ)しい中味
 
勝手だろ
 が
 映し出す姿は
儘(まま)ならぬこの世の物事に
圧倒されている詰めの甘い自分
 
ほっといてくれ
 が
 教えることは
ほっとかれて為し得る事の乏しさ
 
詰まるところの惑い
 
まだ団居(まどい)を求めているか
中身のある談笑を信じたいか
 
 

ちつ【×帙】 の解説
[名]書物の損傷を防ぐために包む覆い。厚紙を芯 (しん) とし、表に布をはって作る。文巻 (ふまき) 。文包 (ふみづつみ) 。
[接尾]助数詞。帙入りの本を数えるのに用いる。「和本三―」

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%B8%99/
 
 
  わからないと
 
わからないと
なぜ言えない
まずいものを無理やり飲み込んで
頭のどこかから笑みをとってつけて
力み続けるつもりか
飲み込んだのは食べ物だったと
なぜなら飲み込んだから
という理由しかないのに
 
わからないと
なぜ言えない
辻褄を合わせて硬直した顔は
喉に引っかかった異物のために
すでに歪んでいるのに
誰にも文句を言わせないと
ここからは通さないと
道を塞ぐとき
食道も塞がってしまうのだ
 
わからないと
なぜ言えない
絶対に耐えられるのか
本当にわかっているなら
わかっているという顔をして言ってくれ
 
 
  すごい団欒
 
「じゃあ」と手を上げて
別れたあとも門の前で
頭をかきながら、うろうろしている
恋人を置き去りにして
 
娘は茶の間に飛び込んできた
「すっごい面白かったよ」
「すごい」を連発している
娘の一日の話に
「すごい」を連発している
息子たちを見ながら
 
母さんは終始
微笑んでお茶を飲んでいた
父さんは
すごさがわからなくて当惑した
じいさんは、この家が
荒れ果てていくように思えて悲しんだ
 
隣の部屋に寝ていた
ひいじいさんは
ひ孫は外国語が上手になったのだと
安心して昇天していった
四世代にわたる
すごい夜の団欒である
 
 
 
 楽山のツイッター追加ですが
 

心機一転★こも楽山
@komo266
HSの場合、
「神に従順であれ」というのは、
大川隆法に従順であれ」という意味になってしまうからね。
大川隆法の教えに、異論を述べたり、従わなかったりすると、
「従順でない」「自己中だ」と叱られてしまう…これはもう話にならん(笑)
午後7:20 · 2021年6月13日·Twitter Web App
https://twitter.com/komo266/status/1404020780950716418

 
楽山は、いかなる不正も批判する資格はありません。楽山はアンチではありません。楽山は、自己愛性人格障害です。他者を揶揄して遊んでいるだけです。だから今日も「((笑))」と書いて結んでいるのです。軽薄で、表面的であり、真摯さ、真剣味が、何もない人です。
 
自己中の楽山を鵜呑みにすると、人格を破壊されます。人を誘導して、だますような、楽山に従順であってはいけません。自分の害悪に気づけない病気の体質なのです。悔いることも改めることも反省することも責任を負うことも出来ない人ですから、近づかないでください。
 
楽山は、いつも正しく中立な自分に従えと言いたいのです。サイコパスでサディストで、他者を下に見て、学者気取りで教えたがるのは、カルト教祖気取りの人格です。ゆえに、双方向が成り立ちません。一見、まともなことを言っているように見せかけている分、いちばん悪性度が高いのです。
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html

1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」

2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。

 
 
罪悪感がなければ、悔いることがなく、ならば、学んで成長することもないのでしょう。上から眺めては、善悪や正邪の判断を、自分で決めつけてきますが、自分については、決して非を認めることがないのです。上に、反省は難しいと書いていますが、ふざけて「反省。とほほ」と、何度も書いてきました。
 
反省と書けば、反省したことになるのでしょうか、否です。反省したならば、その前と後で、違ってきて当然です。実際は、何の変化もありません。さらに「とほほ」は、反省するときに書かないでしょう。反省と書いたから、ええじゃろ・・と嘲笑っているのです。ふざけているのです。
 
 
 

 
無神教カルトにけしかけられて、神の存在の証拠を巡って論争するのは愚の骨頂です。証拠があれば、信じる必要はないのです。さらに分かりやすい証拠をもって存在する神は、キリストが表し、信仰者が信じる神ではありません。
 
全知全能・絶対完全・永遠不変の神は、不完全な人間に、ご自身を容易く表し理解させるような安い神ではないからです。
 
 
 
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