ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

昔ポエム

 
  昔ポエム
 
 
  御国への希望
 
来世に寄せる望みは儚(はかな)い
見えない何かは やはり見えない
天国は見えない
地獄は見たくもない
今度生まれてくるときは・・・
この世には生まれてきたくない
しかし
召されて死んで
御国に至る希望に生きる
ほかにない それでよい
死後の世界など分からない
御国がどんなところか
知らない しかし
希望は抱(いだ)かれるとき
常に現在形である
 
 
 
  エゼキエル書 (抜粋)
 
わたしは生きている
わたしは悪人の死を喜ばない
むしろ悪人が
その道を離れて生きるのを喜ぶ
 
義人の義は
彼が罪を犯すときには彼を救わない
わたしが義人に
彼は必ず生きると言っても
もし彼が
自分の義を頼んで罪を犯すなら
彼の総ての義は覚えられない
 
と主は言われる
 
正しいと思ってすることも
それが自分の義か
主の義であるか
を考えることは大切である
それを考えれば答えは
「わからない」 よって
もし自分の義に過ぎないのならば
主の義に導いてください
もし罪を犯したのならば
お赦しください という
祈りに至るから
 
私は主の羊
主の牧場(まきば)の羊
心安らかに荒野(あらの)に住み
森の中に眠りたい
 
 
 
  年を経て
 
僕にも二十代、十代があったんだよ、と
自分でも信じられないから
心に叫ぶのでしょう
 
今は違う若さから
成長してきた人々の間にいて
全然知らない人生の結実を垣間見ている
 
同じような風景でも
違う生き方の中で
たとえば空も
それを見ている人が
それを見ている間
その人の意味をもつものなのでしょう
 
忘れられない場面
重ねて
遠く
別の人にはまた別の
忘れられない出来事
 
心の層に積み重なって
見えないものは見えないまま
関わっている
人の動き
 
ある日 誰でもいい
人の笑顔が
妙に懐かしく思えるときがあります
 
 
 
  残照
 
窓からこぼれてくる
残照を
拾おうとしている
 
拾おうとした
あの日
抱きしめた偶像が
崩れていくのを拾おうとした
真っ白になった目の前で
ぽたぽた落ちて広がる
失った熱を引きずって
ぬるりと臭気の中で
足場がなくなるのを
切り裂いたものだと知った
 
もう二度と真っ白になれない
残照
残したもの
もうとっくに沈んでしまった
もう暗い
もう遅い
もう遠い
今は
あの山の向こうにでもあるんだろうよ
あの日壊れたものは
今も壊れたままだけどね
 
 
 
  黒い土
 
やっと見つけた黒い土を
しばらく見つめたのち
手に掬(すく)って
握りすぎて指の間からこぼれないように
持って帰って鉢(はち)に入れた
何も植えずに毎日水をかけた
ときどきは目を閉じて触ってもみた
日光に明るく照らされて土
寒い季節が終わる頃
知らない小さな芽を出してきた
未熟な緑
切り取らず
切り取られず
踏み付けず
踏み付けられず今度は
たくましく生きられたらと
語りかけた芽の下に
古い友人が眠っている
 
 
 
  こぴぺ
 
つめたくなでられる
ネガになる
みやすい
やすやすと
きえる
あらわれる
けされる
はられる
もどせる
としをとらない
でんし
おぼえる
わすれる
としをとる
ひと
ネガになる
もどせない
きかない もう・・・
フリーズ
 
 
 
 (抜粋)
 
 とても小さくて
 どこへ行ったのだろう
 とても小さくて心細そうだったのだけれど
 傷心のうちに隠れて見えないのだろうか
 闇の中に潜んでいるのか
 遠くからの光に吸い込まれたのだろうか
 光の中に散乱したのだろうか
 大きさも重さもない点の存在が
 広く広く果てもない波動に同期して
 焦点に向かって終息したというのか
 それとも収束と発散を
 宇宙と木陰を
 高慢と心貧しさを
 一筋の清らかな
 直線でも曲線でもなく
 時空とも呼べないところへ
 透き通ったまま通り抜けて行ったのだろうか
 水とも火とも
 あれは〇○○と
 名付けられる前に
 
 

      

           希望は いつも 現在形
 
 
(2022年07月03日、再録+加筆)
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html

1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」

2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。

 
 
反省が出来ないことを「自分もそんな風です」などと、誰でもそうみたいに一般化できるでしょうか。否です。折に触れて反省、ときに謝罪は、人間らしさです。できないのは人間として異常なのです。それを「難しいんだよなあ」「人間の性」で済ませるのは、さらに異常~病気なのです。
 
 
 

★こも/楽山日記3
@komo266
棒氏は、アンチを論破したら粘着されたと言うけど、現実はこうでしょ。
① 棒氏はアンチに噛みつくも、返り討ちにあってアカ削除
② 新アカつくってアンチに噛みつくも、またもや返り討ちにあってアカ削除
③ ②を繰り返す。
論破されて粘着してるのは、アンチでなく、棒氏の方だよ。

 
楽山は、誰を論破したわけでもなく、しかも、いちゃもんを宗教批判に見せかけながら、ネットに粘着しています。化かし合いを楽しんでいるのです。良心を傷つけることを楽しんでいるのです。浮いてきた垢として、一日も早く、削除されるべきは、楽山の嘘と詭弁です。
 
 

★こも/楽山日記3
@komo266
棒氏は相変わらずだね。
年齢など、議題とは関係ない話に論点をずらしたり、慇懃無礼なやりかたで侮辱したり、アンチを論破したと嘘をついたり、粘着されてると被害者コスプレしたり…。

 
論点をずらして迷路に誘導して酷い疲労を与えたり、丁寧語や世辞で、慇懃無礼な言い方で、侮辱したり、平気で嘘を吐いたり、粘着されてると被害者面をしたりしてきたのが楽山です。そして節操もなく発作的に長い長い記事を書いたり、泡を吹くように、だらだら引用したりするのが楽山です。
 
楽山は、何の根拠もなくネットに寄生して、何の貢献もせず、人をディスってきたり、さらに、こちらが根拠をあげて批判しても、あざ笑って無視してきました。もはや、楽山の顔は、ひょっとこのように、人間らしさを失って、冥界のコメディアンならぬ受けない経読みの独り言師なのです。
 
 

★こも/楽山日記3
@komo266
これは典型的な棒四季論法ですね。
棒氏は、自分にとって都合の悪い話題になると、
そんなことには無関心なポーズをとり、
上から目線で適当にあしらうようなことを言い、
早々に話を打ち切ろうとします。

 
楽山は、自分に都合の悪い話題になると、何事もないかのように無視し、「上から目線で」「あしらう」ようなことを言い、勝手に、話を打ち切ったつもりです。しかも、その後、批判者を粘着ストーカー呼ばわりして雑言を言いまくっておいて、何事もなかったような顔をします。楽山ブーメラン全開です。
 
 
 
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