ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山の余計な感想

 
  楽山の余計な感想
 
 『私の死亡記事』文藝春秋[編]
 2022年09月16日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/34163141.html
   を批判。
 
 
楽山は、短くて、上手とも思えず、深い考察もなく、なぜ、感想を公開するのでしょう。自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)からの自己顕示欲によって、それが、まともだと、楽山には思えるのでしょうか。思考と意志の異常なのでしょうか。
 
いつものように「すごい」「すきだ」「考えさせるものがある」「さすがだ」で、独自の思想など、一言もありません。恥を知らなくなると、このように、短くて、粗雑な記事を書いてくるという例になります。楽山も、自分の死亡記事でも書きたいのでしょうか。
 
 

本書は著名人が自分自身の死亡記事を書くという企画によるもので、100人あまりが参加している。このような企画を思いついた編集者はすごい。

 
楽山は、永遠に生きるつもりでしょうか。自分自身の死亡記事を読んでも、楽山は自身の、記事にならないかもしれない死亡や、無名の死について考えることがないのでしょうか。深い心がないと、このような、乱暴で雑なことを、ぽろっと書くしか出来なくなるという例です。
 
 

ではその中身はどうかといえば、ざっと見たところでは、ほとんどの記事が自己の業績を事細かに並べ、意識が高く、幸福感に満ちており、いかにも著名人らしい文章となっている。そんな中で中野翠だけはたった二行の文章と墓の絵だけで済ませているのは微笑ましい。この方のユーモアと美意識はすきだ。

 
見れば本のようですが、「事細かに」・・細かだからなんだというのでしょう。「意識が高く」「幸福感」・・何が言いたいのでしょう。いったい何を伝えたいのでしょう。ゴシップ好きの、好事家の、趣味以上ではないところの、雑文を書いて、楽山は、どこに満足できるのでしょう。
 
 

死因については、老衰や病死としているものが多いが、安楽死としている人も少しいる。奥付を確認すると本書の出版は2000年10月となっているが、この頃はすでに延命治療を厭う空気はあったということだろう。ちなみに西部邁の「私の死亡記事」は老いと自死について記されており、さまざまに考えさせるものがある。

 
「さまざまに考えさせるものがある」・・どう考えたのでしょう。それを書かないで、ブログ記事になるのでしょうか。主題は何なのでしょう。楽山は、自分の死について書くのでしょうか。死なないと思っているのでしょうか。また、いつものように、高みから眺めるだけでしょうか。気色悪い。
 
 

最後に本書中でもっともおかしかった文章は、自分にとっては横尾忠則のものだった。それは死んで霊となった横尾忠則本人が霊言をするという体裁になっているのだが、「波動」「送信」「受信」というスピリチュアリズムの設定に則っているところはなかなかに芸が細かい。さすがだ。

 
「おかしかった」で「さすがだ」だそうです。楽山は、人の死に、おかしさを求めているのでしょうか。「霊」「霊言」「波動」とは、HS回帰でしょうか、それとも、スピリチュアル賛歌でしょうか。「芸が細かい」・・どこが細かいのでしょう。「さすがだ」・・どう、さすがなのでしょう。
 
身の程知らずのインテリ気取りの、楽山の、評論家気取りが、有名人について、ふつうやらない自分の死亡記事を書いたことを述べて、述べるだけの記事です。本一冊分を、ブログの薄く浅く短い記事一つで済ませて、何が言いたいかというと、自分の有名人気取りを表しているようなものです。
 
自己顕示欲が強いために、生について、特に死について、何も考えられない人なのでしょう。だから、他者の死についても、遊び道具にして、深刻味もなく、スパイスもなく、褒めたからええじゃろ・・という安易さになります。思いつきだけで、いつも、書いては捨ててゆく楽山です。
 
楽山には、自分の死亡記事は書けないと思います。病質のために、知性と感性がなく、つまり、理路と共感がなく、生も死も考察できないからです。いつまでも、偉くなる夢を見ているのでしょう。楽山の老後と死は、とても恥ずかしいものになるだろう、という予感しかありません。
 
いつもながらの、楽山の、小学生レベルの作文です。これで文章を書いたつもりでしょうか。何が言いたくて書いているのかが、全く不明です。何も求めておらず自己顕示欲だけで書くと、こうなる、という例です。3年以上見ていますが、何の魅力もなく、何のためにもならない駄文への誘導です。
 
騙されることのないように、楽山に、誰も関わらないでください。関わる価値はありません。楽山の自己満足なら、ノートに書いて、机にでもしまっておくべきです。それを見せて、さらには、嘘と詭弁で、誘導し、騙してくるから、楽山は、いつまでも、どこまでも、病質からの、悪質なペテン師なのです。
 
私は、過去に数か月遣り取りをして、こちらの発言を全く受け取れないことから批判に転じて、今に至っています。3年以上批判しても変わらないのは、自己愛性パーソナリティ障害NPDという病質だからです。本人だけが、それを理解できず、ヘラヘラと、正常人を気取って書いてくるのです。
 
この楽山の記事は、自分は読書家で書評もするのです・・ということを顕示したいのでしょう。騙すための世辞は言っても、共感力がない楽山の丁寧語に騙され続けると、楽山の文章に誘導されて、疲労して奴隷みたいになるか、人格が鈍麻して、それこそ、読む人が、おかしくされる恐れがあります。
 
 

        

               拙文の豆まき
 
 
(2022年09月18日)
 
 
 
  人間不信と手袋
 
誰も信じることができない
と君はいう
 
自分だけが頼りかと聞けば
その自分自身が
いちばん信じられないと君は言う
 
信じるに足る人がいるものかと
食ってかかる君がいる
 
君は限りなく零下へ凍りつくことで
冷たさを凌(しの)ごうとしている
冷たさにそれ以上の冷たさで
 
されど君よ
そういう冷たさに耐えるための手袋を
人は全く持っていないだろうか
 
信じるに足る人はいない
しかし逆に全身を任せるように
信じられることに
君は耐えられるだろうか
 
君が誰かを凍りつかせないために
資格のない不遜の礫(つぶて)だが
砕けることが出来るうちに投げておこう
 
絶対零度に人は耐えられないように
絶対孤独もあくまで離人の世界だ
 
氷結しているような孤独でも
人が温もりのゆえに苦しみ
冷たくなろうとすればするほど
冷たさに痛く赤く染まる頬があり
手袋で隠そうとするから
手袋で温(あたた)めている
 
そういう手袋は常に懐(ふところ)の奥に
はにかむように柔らかく用意され
出番が始まるのも終わるのも待っている
 
 
  千巌山・二
 
「血」の果てまで続く復讐
は神様に任せるとして
もう一度ぐらい
行ってみたい 千巌の
お山へ
絶筆かもしれぬ
老人会の落書きを見に
乱暴に刻まれた岩の
下手くそな相合い傘を呪いに
 
景色はしばらく眺めるだけにして
何も書かずに帰って来よう
いずれすべては消されるのだから
もう一度だけ行ってみたい
消えないのは感謝で
消えるのは悦(よろこ)びになる日
 
それぞれの孤独の上に
何も置かない
天と地の山へ
 
 
  氷の泡
 
氷の中の気泡である
身動きが取れない
殻を破ってあげようと
氷を割れば
消滅する
 
氷の中の気泡である
位置は分かるし
見えているようだが
見えるはずはないのである
気泡は空気なのである
 
氷にしたって
求めて取り込んだわけではない
氷は無色透明だ
 
気泡にしたって
望んで入り込んだわけではない
空気は無色透明だ
 
せいぜいできることといえば
出来上がる前の
水や温度と出会(でくわ)したときに
弱いものの常套手段だ
できるだけ小さく
できるだけ多く
できるだけ速く
できるだけ密に寄り添い合って
白い氷にしてやった
 
透かして見ることできないだろう
ざまあみろというわけである
 
 
 

★こも/楽山日記3
@komo266
地獄に堕ちるのが怖くて、やめたいけど、やめられないというのは本当につらいだろうな。
宗教は違うけど、自分もそういう恐怖心に悩んだことがあるから分かるよ。
>>
紀藤久保内弁護士「私たちはサタンではありません/私たちはあなた方の敵ではありません/家庭連合を離れてしまうと"地獄に落ちてしまう"そう信じてやめられない方がいるかもしれません/でも大丈夫です/家庭連合をやめて地獄に落ちた人はいません」霊感商法対策弁連が集会で呼びかけ
https://news.yahoo.co.jp/articles/210114c70b28d43746e98f43cc123b6610d5ee3c
<<
午前7:36 · 2022年9月17日
https://twitter.com/komo266/status/1570904537938145282

 
今は、すっかり、悪と偽善が身について感じなくなっていることを、楽山は、前は地獄に落ちるだろうと「恐怖心に悩んだ」が、今は、悩まなくなったと言っているのでしょうか。それこそ、罪悪感の欠如であり、自分の悪に気づいていない証拠になります。最近は、証拠になることが多い楽山です。
 
 

★こも/楽山日記3
@komo266
カルト教祖も、この流れになってるかも。
<<
じゅんご
@jungo_FanMarke
9月16日
嘘をつかれたら「信じてあげる」ことです。そうすると、もっと大きな嘘をついて自滅していきます。
<<
午後7:57 · 2022年9月16日
https://twitter.com/komo266/status/1570728562524819457

 
楽山の言うことを信じなくても、楽山は「もっと大きな嘘をついて自滅して」ゆくようです。ふつうの作文も、無味乾燥になって、自己正当化と、正常人芝居に、明け暮れているのでしょうか。芝居では、何の改善もしないし、自分を見ない限り、悪と偽善に変わりはないでしょう。
 
批判の目的は、一般の読者に、病質者そしてペテン師である楽山の存在を知らせて近づかないようにしてもらうことと、併せて、楽山の、ネットの言論での居心地を悪くすることであります。したがって、楽山が批判を読むかどうかは分からながら、見ても、いい気持はしないように書いています。
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html

1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
 

2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。

 
最近は、短い記事を書くことが多いようです。自分でも、まとまらなくなってきて、長い文章を書くのが面倒になったのでしょうか。くどくど、ネチネチと、長文を書かれるより、そのほうがマシかもしれません。いずれにしても、理路のない賛辞が多く、人格の荒廃が進んできている可能性があります。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
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(古い記事もインポート済み)
 
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(ブログ記事をコピペすることあり)
 
 
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