ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山の空想~症状2

 
  楽山の空想~症状2
 
 『小説 地球万華鏡』大川隆法
 2021年09月21日
 幸福の科学とは何だろう? by 楽山
 http://mmknky21.blog.jp/archives/11192194.html
   を改めて批判。
 
 
楽山は、結局、脱会とアンチは表札のようなもので、実は、ORのようになりたい、教祖になりたい、多くの自分の信者に崇拝されたいのでしょう。実質のないリーダー願望は、超常趣味を通して、結局、無神教カルト妄想へ向かいます。空想の故郷から、離れられないのでしょう。
 
楽山は、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)のために、何でも、誰でも、上から見下ろして、自らの先入観の決めつけを客観のつもりで刷り込んできます。それを真に受けると、後に続く詭弁と嘘に、まんまと騙されてゆくのです。決して関わってはいけない男です。
 
 

*はじめだけ
 『小説 地球万華鏡』がツイッター上で話題になっていたので、はじめの三編ほど読んでみた。以下に感想を書いてみたい。
*あらすじ
まずは、はじめの三編のあらすじをメモしてみる。
第一話では、天災地変のことを天照大神、天御祖神の神罰と考えている人が、カエルやヘビになった人たちと会って問答してる。
第二話では、閻魔大王が現代人の宗教心のなさに苛ついている。特に不可知論にダメ出ししている。最後は一話目と関連をもたせている。

 
「カエルやヘビになった人たち」「閻魔大王」・・楽山の大好きな超常ホラー話のようです。お伽噺とも言えるでしょう。大人になれなかった楽山の、憩いのひとときなのでしょうか。それで、カルト批判を書くとは、どれだけの勘違いと嘘と虚妄に生きているのでしょう。
 
 

第三話の主人公は、著者自身がモデルらしい。心臓の病で重体となり、一人目の妻がどうした、再婚してどうしたとか書いている。後半は広瀬すずがモデルらしい霊がでてくる。最後は、すず霊とは前世で男女の仲だったのではないかと期待したのだが、そうではなく父娘の関係だったと分かって残念がるのがオチになっている。

 
結婚、女優、前世の話、男女の仲、・・楽山の夢想と願望が無意識に抽出されているような気もします。楽山の父子の関係はどうだったのでしょう。恋愛と結婚はどうだったのでしょう。こういうことを本にするORへの憧れでしょうか。羨ましいのでしょうか。どこがアンチHSなのでしょう。
 
 

*場面
上の三編を読んで脱力してしまったので、あとはぺらぺらと飛ばし読みするだけにしたのだが、その時に目に入った場面をメモしておく。
白人女性とホテルに入ったのだが、シャワーを浴びている間にお金を盗られた話。
ゲイは当時はホモと呼んでいたという話と、パンツを下ろされた話。
…ふう、自分はここらでぺらぺら飛ばし読みでも力尽きてしまった(笑)。

 
ぺらぺらと飛ばし読みしたところを、わざわざ書いてくるのは、「お金を盗られた」「パンツを下ろされた」ことでもあるのでしょうか。しかし、余計なことばかりですから、全体の感想文を、くだらないものにしてゆくでしょう。そういうことに気づかないようです。
 
 

*感想あれこれ
以上のことについて、自分はこんな感想を持った次第である。
大川隆法とその周辺の人々がモデルとなっているらしい作品は、HSウォッチャーにとっては面白かろう。

 
HSウォッチャー、まさに、楽山自身ではないかと思われます。自分を見ることだけは出来ない楽山は、他者を批判すれば、批判する資格がないことを指摘される立場です。ゆえに、古巣?に、回帰するような気分が動機なのかもしれません。居心地が、よかったこともあったのでしょうか。
 
以上の文章では、HS批判者の立場を守っている自分を見せるために、表面的な事柄について、ゴシップのように、いちゃもんのクレームをつけています。本質的な宗教と信仰の問題から、空想の方向に目を逸らしていることに注目するべきでしょう。
 
 

三作品については、小説としての味わいは皆無。名句のような趣、名歌のような情感もなし。
文体、雰囲気は、鼻につくところがある。

 
予測できそうなものです。予測したら見ないでしょうが、楽山は、もはや、ORの書いたものだから、何を言ってもいいだろうと思っているような気楽さで書いているのでしょう。「味わいは皆無」「情感もなし」という評論家気取りが、ブーメランで楽山を表していることに気づかない哀れさです。
 
つまり、以上の楽山の文章には、味わいがあるでしょうか、「名句のような趣き」があるでしょうか、「名歌のような情感」があるしょうか。皆無です。あったのは、ボンヤリ言語の曖昧さと、トホホ言語のわざとらしさだけだったのです。厚顔無恥の自己中だから書けることです。
 
 

「僕のユーモアは最高に機知がきいてるだろう」「僕の書くものはすごく面白いだろう」という得意気分が丸見えになっていて軽佻浮薄。どっしり腰を落ち着けて、よく考え、推敲を重ねようとする真摯さは感じられない。

 
楽山は、高慢が表れているORの筆致に、軽佻浮薄と書いています。私は、この四字熟語を、楽山に当てはめたことがあります。言いたいのは、上のような高慢は、誰よりも、楽山に当てはまるということです。しかも、楽山の場合、それをごまかす丁寧ボンヤリ言語付きなのです。
 
まさに、これは、深く考えてもおらず、推敲もしていない楽山の筆致のことです。そのまま、楽山の無反省・無責任に対応します。しかも、楽山は、その自己愛性人格障害から、おとしめ、だます意図をもって、書いてきたということです。自らの優越意識から悪意を表してしまう楽山です。
 
 

昼間、一般女性に対してさえ、「やあ、ねえちゃん」と呼びかけ、ニヤニヤ、ベタベタする昭和のセクハラオヤジの雰囲気があちこちに見え隠れしている。そういう人のギャグセンスと同質のものがある。

 
「やあ、ねえちゃん」・・この例示だけだと、ギャグセンスの問題ではなく、下品なだけのような気がします。例をあげないで、「ニヤニヤ、ベタベタ」「セクハラオヤジ」・・などと汚い悪口を並べれば、楽山の、文章のセンスが問われてくるのです。
 
 

神秘というけれど、自分が見た範囲ではどれもHS教義にそった物語になっている。マジックリアリズムの作家のような驚くべき発想、神秘、迫力はない。著者はラテンアメリカの作家の作品はまったく読んでなさそう。

 
(ネットより)
マジックリアリズム(英: magic realism)、魔術的リアリズム(まじゅつてきリアリズム)とは日常にあるものが日常にないものと融合した作品に対して使われる芸術表現技法で、主に小説や美術に見られる。幻想的リアリズム、魔法的現実主義と呼ばれることもある。
1940年代ヨーロッパから帰国したアレッホ・カルペンティエールミゲル・アンヘル・アストゥリアスなどがラテンアメリカの文学表現として使い始めたことにより主にラテンアメリカ作家が好んで使う技法となった。

マジックリアリズム - Wikipedia


 
HS教組がHS教義に沿った話を書くのに、楽山の趣味に合わせることはないでしょう。また、ラテンアメリカの作品を読むべき必然がどこにあるのでしょう。楽山は自慢したいのでしょうか。むしろ、子供みたいに、自分中心に世界が回っている精神が表れているだけのようです。
 
 

不可知論、懐疑論に特にダメ出ししてるところは面白い。大川隆法は何でも分かる、知っていると言いたがるタイプだから、人の知には限界がある、分からないものがある、何も知ることはできないという考え方が好きでないのは了解できる。

 
「了解できる」の了解というのは、理解して了承するニュアンスを含む言葉ですが、楽山は、不可知が好きでない、即ち、知っている、というORの考え方に賛成なのでしょうか。教祖願望から、アンチではなく、擁護するようなことを言っています。
 
ここの引用も、今まで、訂正不能に、神聖の辻褄合わせが成り立たないから神はいないと、何でも分かっている妄想的自己愛から、いちゃもんをつけてきた楽山に、そっくり当てはまるのです。他者のことを言うが自分だけは見ない楽山の病質が表れています。
 
やはり、楽山は、オレなら、もっと知的で、優秀な教祖になれると教祖願望を夢想しているようです。しかし、楽山には、今まで、ずっと、他者に丁寧語でごまかして取り入ろうとしても、病的ナルシストの悪臭があるだけで、カリスマ的な非凡さも魅力も、皆無であります。
 
 

無神論者には「神も仏もあるものか」という単純な考えの人は多いし、そういう人はHSに関心を持たず、いちいち批判したりもしなかろうが、懐疑論者はHS教義を吟味し、細かい所までつつき回して矛盾点を暴き立てようとする傾向はあるだろうから、大川隆法が前者以上に後者を毛嫌いするのもある意味当然かもね。

 
「細かい所までつつき回して矛盾点を暴き立てようと」して、キリスト教と信仰を否定してきた楽山の言は、極めて幼稚な超常話の延長にある子供じみた駄々に過ぎませんでした。心の問題について、楽山は、ひと言も語れなかったのです。代わりに、わざとらしい感動芝居が臭かっただけです。
 
 

どうも大川隆法の本音は、法話よりも、詩や小説の方によく出ているようだ。一般の作家は作品とは一定の距離を保つから、作中人物と作者とが完全に重なるとは限らないのだが、大川隆法の場合は自分の考えをそのまま作品に出さないでいられないタイプらしい。

 
楽山は、体質的に、何か書けば、そこに自己愛性人格障害が表れてきました。つまり、楽山は、無反省と無責任に加えて、羞恥心と罪悪感と反省力の欠損が見られ、情緒を受け取れないために大仰な感動言葉や、「反省、とほほ」といったお情けちょうだい言葉を多用するしかないのです。
 
 

作品の完成度より、自己顕示欲を優先してしまっているのだろう。これはHS映画でも同じかな。HS映画の完成度を落としてでも、自分が表に出たがるとか。

 
まるで、楽山は自分のことを楽山が言っているようです。このようなピエロ的な成り行きに、病的ナルシストは、押し出され壊されてゆく必然なのでしょうか。ちなみに、楽山の書いてきた文章は、完成度を云々する以前の段階であり、症状であります。
 
 

とりあえず、今回の感想はここまで。
気力が回復したら、本書の続きを読んでみるつもりだけど、他の作品も、冒頭の三作品のようなものばかりかな。それとも「賢者の贈り物」のようないい話はあるかな。期待はできなそうだけど、きっとあるはずだと思うことにしておきたい。

 
楽山の感想文で、いい話は伝わってきません。何故なら、楽山が、反省せず、自己愛と自己中で、自分を高める方向にしか進めないからです。楽山の無反省は、今まで、見せかけだけの反省や痛いところなどと書いても、その前後で何も変わらなかったことが証拠です。
 
楽山の感想文は、いつも自己正当化と自己賛美のために書かれる、ということが、今回も、くずれた知情意によってあらわになっています。人格崩壊の秒読みが始まっているのでしょうか。文章の質などお構いなしに、書かずにはおれない楽山です。
 
 

       

            脳天気 愚かさを知らない愚か
 
 
(2021年09月23日)
(2022年10月03日、再録+加筆)
 
 
 
  白い目のピエロ
 
薬をのむ
白い目のピエロが現れる
鉛のような倦怠が襲ってくる
長いトンネルの無為にふらつく
暗闇で見る幻に
縫合の糸をかける踊り
血を抜いた
平気な顔をして笑う好褥の皮膚
その傷から生えてくる
歯を抜いた
血の味 細菌の熱をのどで飲み込む
昔のんだ鼻血の味が残っている
拳銃と注射器の危うさに
火の粉とガラスをまき散らす
白い目のピエロ
何度も身を引いて
しばらくすると戻ってくる
静まりかえった舞台で踊る
曲もなく詞もなく拍手もなく
そのたびに眼が白くなっていったという
不眠に遊び
白髪を覆い隠して
笑うために ピエロ
また薬をのむ
脳に回った毒が笑う
泣く
 
 
  美しい表情
 
人間の表情の中で一番美しいのは
笑顔だと思っていたことがある
しかし愛想笑い・軽薄な笑いや
悪意に満ちた笑みもある
嘲笑や
謀(はかりごと)がうまくいったときの
ほくそ笑み
 
どんな無益なことでもいい
仕事・学術・研究と呼ばれなくてもいい
何かに夢中になって
興味と
苦悩の色さえ入り交(ま)じった
一途なときの表情が
今は一番美しいと思っている
 
大真面目な漫画の落書き
誰にも読まれない滅裂な文章を書く夜
血が上り巡り巡る孤独な机上の空想は
冷血の川下へ寒く流されて
賽(さい)の河原の石積みに崩れながら
なおも求めつづける熱意によって
直(ひた)向きに濡れ続ける顔
 
本当の楽しみは
誰からも与えられず
誰にも見えないもの
冷血の俎(そ)上において燃え上がり
常同行為のうちに焼け落ちる作業場だ
 
 
  遭遇
 
前にも言ったような?
がデジャブではなく
物忘れの繰り言になるとき
言うのをやめる
ことを覚えるだろうか
記憶を
とりわけ記銘(きめい)を失うことは
日常をそっくり
超常の異土に変えてしまうが
経過の道のりが
日常であるか超常であるかは
経過させるものに任されており
足元から世界までをジャメブの
底知れぬ不安と不穏に落とし入れる喪失も
遭遇から終焉に至るまで
出くわす有象無象と有情非情によっては
穢土(えど)から冥土(めいど)への旅も
安堵から浄土までの邂逅(かいこう)である
これも前に言ったような?
 
 
  超常現象
 
リンゴが落ちる
引力の法則に従って
しかし引力の法則が
明日も成り立つことを
今日のうちに証明できる人はいない
物理現象には法則があり
それはあらゆる時空において成立する
という証明できない前提の上に
物理学が成り立つように
リンゴが明日は逆さまに落ちる
と思う人がいないように
明日は必ずやってくる
法則の成立しない時空が部分的に
あるともないとも証明できないように
明日の中に自らが含まれることは
常に超常だ
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html

1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
 

2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。

 
楽山の興味は、日常にはなく、超常にあります。だから、宗教と信仰についても勘違いして、超常のこととしてしか考えられないようです。そのような考え方だから、奇跡や史実にこだわりますが、宗教と信仰の、いちばん大事なことについては、かすりもしないのが楽山です。
 
楽山は、最近、続けて、HS批判に見せかけた遣り取りを、だらだらと引用して長文の記事を、次から次へと書いています。自己顕示欲の集大成のつもりでしょうか。楽山の臭い見せびらかしを、誰が熱心に見るのでしょう。まとめることに失敗したデータが、床に散らばってゆくようです。
 
 
 

★こも/楽山日記3さんがリツイートしました
>>
naru@自己愛人間被害からの脱却
@kokorodrugstore
自己愛人間は他者を過小評価&自分を過大評価することがデフォなので嫉妬深くなってしまうのですね。
>>>
仁科友里
@_nishinayuri
嫉妬って自分より下の人にいいことがあったときに起きるということがわかってるんだけど、これって結局嫉妬はする側の問題ってことだから(勝手に人を下にみて、勝手にショックうけてる)、嫉妬されたときに私が悪かったって思う必要ないんだよ。
<<<
<<
午前0:41 · 2022年10月2日
https://twitter.com/kokorodrugstore/status/1576235988015230976

 
「他者を過小評価&自分を過大評価」・・むしろ、楽山という自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)の宿命です。下に見る視線しか持っていません。楽山に「悪かったって思う必要ない」と思います。自分のために引用して、自分が斬られていることに、まるで気づかない楽山です。
 
 
>★こも/楽山日記3
@komo266
返信先: 
@9rBlzF7VUe4k5IA
さん
そうです。神は絶対とすると、運命論、決定論になります。
だから人の自由意志を最優先とすれば、絶対神を否定する無神論者にならざるを得ません。
そこまで人間中心になれず、絶対神を否定しきれないなら、神の絶対と人間の自由意志とを両立させようと、あれこれ悩むことになります。→
午前6:14 · 2022年9月26日
·Twitter Web App

 
神の絶対が、運命論や決定論になるとは、思考も視野も幼児並みに狭い楽山の見解~妄想に過ぎません。神の絶対とは、神の意志と行為を、人が、これがそうだとは確定できないということです。それを、運命だの決定だとと言う楽山は、決めつけに生きているからで、知恵が決定的に足りません。
 
自由意志を、何でも決定できることと思っている楽山の自己中に付き合ってはいけません。楽山は、信仰を何も分からない人です。神の絶対の下で、神が不可知ゆえに、人の自由意志は存在します。楽山は、もはや、結論だけを言い張ることしかできないようです。
 
神の絶対と人間の自由意志の両立を、楽山に聞かないでください。楽山は、コールタールのように鈍重で融通の効かない頭しか持たないので、発想と洞察のないセメントのような頭から、おかしなデマばかりを先入観として刷り込んでくる悪魔性の不能者です。相手にしてはいけません。
 
 
>★こも/楽山日記3
@komo266
返信先: 
@komo266
さん, 
@9rBlzF7VUe4k5IA
さん
ちなみに、この二つを両立させる考え方としては、「神は絶対で、全てを予定されているが、人には自分は救われるか、救われないか、どちらが予定されているかは知りようがないので、人にとっては未来は決定されておらず、したがって自由である」というものを読んだことがあります。
午前6:21 · 2022年9月26日
·Twitter Web App

 
楽山のように、辻褄合わせで納得してゆくような、信仰理解の道はありません。大事なことは直観的に直感的に共感をもって与えられるでしょう。組み立てられない理屈の積み木を重ねて、いつも、自分で壊してゆくのが、楽山です。楽山からは、いかなる真善美も生まれてきません。悪意だけのようです。
 
神について言われているのは、全知全能、絶対完全、永遠不変、ということです。これらの一つも、人には成り立たないので、人は不完全です。それを理解もせずに、我執の屁理屈を振り回す楽山は、語るたびに、ますます愚かになり、それを人前にさらすことになるでしょう。恥ずかしい人です。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
ツイッター
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(ブログ記事をコピペすることあり)
 
 
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