ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山の超常気取り3

 
  楽山の超常気取り3
 
 三魂説について(「妙貞問答」)
 2020年07月24日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/25640616.html
   を改めて批判。
 
 
今度は、また、他者の書いたことから、いっそう難解な超常言葉を弄してきました。批判に対する弁明の代わりに、意地を張ってくる、しかし、説明になっていない、それが、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)の楽山です。
 
 

*三魂説とアニミズム
前記事で、三魂説について一寸触れたので、「妙貞問答」を確認してみた。

DSCN0509 人と動物の魂の違い。三魂説。
DSCN0510
(『南蛮寺荒廃記・妙貞問答 東洋文庫14』海老沢有道訳、平凡社、昭和39年より)
 」

 
画像は省略。
 
知らない熟語について調べる気にもならないほど、超常言葉の分類みたいなことが書いてあるようです。いつもの、他の人には分からないだろうけど自分には分かる、と言いたい楽山の自己愛と自己顕示欲ですから、いちいち調べたりしないことです。
 
意地やプライドで、調べようとすれば、前から言っているように、楽山の企みによる人格破壊が待っているのです。それが、楽山の目指す勝ちであり満悦なのです。説明責任は、どこまでも、楽山にあります。しかし、楽山は、説明できません。説明すれば、妄想を前提にするしかない体質だからです。
 
 

これはこれで一理あるとは思うけれども、自分はやはり人間以外の動物はもちろん、山川草木や岩石にも魂は宿り、人と同じ感情を持っているという感覚は捨てきれないものがある。「一寸の虫にも五分の魂」というけれども、魂の尊さは五分どころか、一寸の虫でもなんでも人と同じだと感じないではいられない。

 
私にとっては、魂の実体があってもなくても、こうだと断定など出来ず、動物は、人間同士のように話せるわけでもなく、かといって、遊びのように動物を虐待するわけでもないでしょうから、分からないとして保留するのです。
 
おとぎ話のようなことまで、自分の霊能力の一つとして、分かっているかのように書いてくるのが、妄想家の楽山です。そういう楽山の話は、難しい言葉で、謎を深めたように気取りますが、具体的に何かが進展することなど、まるでないのです。
 
 

*「ブラック・ジャック」と「夏目友人帳
そういえば、ブラックジャックはたしか、人間の政治家、一般人の赤ん坊、イリオモテヤマネコが怪我した時には、重症のイリオモテヤマネコ、赤ん坊、政治家の順番で手当てをしていたが、これは情緒的にも論理的にも間違っているとは思えなかったのだった。

 
神社と妖怪が出てきます。信仰について語らず、妖怪で何かを言おうとするところが、霊能者気取り?の楽山らしいのです。アニメに出てくる、霊が分かる孤独な少年に、自分を重ねているのでしょうが、そのことは、人間が知るべき宗教と信仰には何の関係もありません。
 
 

先日から見てる「夏目友人帳」もそういう世界観になっている。
夏目友人帳 | アニメ | 無料動画GYAO!
第一話では物語の大まかな設定が明示されて、第二話以降から少しずつ物語の幅を広げて、第四話以降になると傑作が続いている。あやかし、つばめ、ほたる、子ぎつねの健気な心が愛おしく感じられる話だ。

 
妖怪物語です。これを、宗教と信仰に関わる問題に使ってくるところが、霊が分かるっぽい?自覚の楽山らしい、ということです。人間について、心について、かえって、何も分かりませんと言っているようなものです。共感という理解ができない楽山が、なお無反省ならば、楽山が妖怪なのでしょう。
 
 

これはファンタジーであり、フィクションだということは分かってはいるのだが、ついついアニメ以外の現実世界においても、人以外の妖怪、動物、虫たちも、人と同じ心を持っていると思わないではいられないのだから我ながらおかしい。

 
楽山の話自体が、ファンタジーでありフィクションなのです。楽山だけが、宗教や思想の話と同列のように扱って溺れているので、気づかないだけなのです。だから、楽山は、現実世界での、反省も学習も怠ってきたのでしょう。確かに、楽山は「おかしい」のです。
 
こういうことからも、楽山によって表されたことによって、その背景や心理や体質など、楽山の自己愛性パーソナリティ障害NPDという異常性を、厳密ではなくても、精神病理のように、ある程度は、ヒントまたは題材として、考えることは可能でしょう。
 
 

こうしてみると自分の宗教感覚は、原始的なアニミズムから脱しきっていないし、これは子供時代からまったく進歩していないようだ。この調子だと今後もずっとこのまんまなんだろうな、たぶん。

 
だったら、わけのわからないことを書いて、納得のいく説明をしないまま、人を惑わせたり、自慢したりをやめるべきです。本当にがっかりしたのなら、読者の迷惑を考えて、書かないはずです。常識・良識・良心という、高等感情がないから平気で書いて、謙虚芝居で済むと思っているのです。
 
つまり本音ではなく、これが、楽山の、トホホ言語、という、同情をひくための芝居なのです。自分が、どれだけ、人を疲れさせ、傷つけているか、まったく気にしていない、自己愛性パーソナリティ障害NPD(自己愛性人格障害)、または、サイコパスの白々しさであります。
 
もう一度、書いておきますが、説明責任は、どこまでも、それを書いた人すなわち楽山にあります。しかし、楽山は、説明できません。説明すれば、妄想を前提にするしかないからです。
 
楽山には、説明責任放棄の無責任な不正の履歴が、記事を書くごとに積み重なってゆきます。
 
楽山が、批判のつもりの悪口を、たくさん書けば書くほど、それが、楽山を批判する、という、ブーメラン現象が、ますます、それこそ、定理のように、起こってくるでしょう。これこそが、楽山のように自分を見ない者が、他者にだけ批判を向けるならば、当然の経過と結果として、起こってくることです。
 
 

    

            超常まで荒らそうというのか
 
 
(2020年)
(2021年)
(2022年10月08日、再録+加筆)
 
 
 
  ボールペンⅠ
 
引き抜かれた芯は
細い裸のまま
ふるえる指先のふるえを受けてふるえる
 
書けない責任を負わされて
インクの残りを見るための
視線にすーっと舐められてゆく
 
いきなり激しいめまい
天井と床の間で振られ
さらに口からの荒々しい熱い風
悪臭にさらされる
 
このような移動と臭いは好まないと
断るすべもないままに
次は強い圧力で
押しつけられる紙の上で
嘔吐して刻まれた溝に流す
「まだ使えるな」と
その身が尽きるまで続くのだが
 
外筒におさめられ
改めて押される速さに
右に左に上に下に
圧力は無理矢理に片寄り
やはりふるえる指先の
ふるえを受けて
刻んだ直線を歪ませる
 
 
  いやなやつ
 
今だから言うけど
(今になったら責任はないのかね)
昔のことは言いたくないんだが
(まさに言おうとしているじゃないか)
あの時のことなんだ
(あの時が一体いくつあるんだい)
つまらない些細なことなんだが
(そのわりに忘れもせずによく覚えているんだね)
確かに悔いは残るかもしれない
(確かに、で何故、かもしれない、だ)
愚痴を言うわけじゃないけど
(言うわけじゃないけど言うわけだな)
いい意味で殺したかったですね
(・・・・・・)
 
 
 
楽山のツイッターですが、画像です。どこにあるか分かりませんので、テキストのようには、コピペできませんでした。こういうのが、楽山のやり方なのでしょうか。しかたないので、画像から、一部を書写しておきます。
 
こういうところにも、楽山の、自分を見ないで言うだけ、反省しないで言うだけ、という妄想的高慢の確信がベースとなっていることを忘れてはいけません。
 

楽山 
心機一転★こも楽山
@komo266・9月25日
「言うべきことは言うべし」とはその通りと思います。自分もそのようでありたいです。
https://twitter.com/komo266/status/1442799736226926600/photo/2

 
楽山に、「言うべきこと」があるのでしょうか。今まで、何も正当なことは伝わっていません。書いてくるのは、楽山の訂正不能の先入観からの偏見だけでした。そのような発言は、自己愛性人格障害の自己顕示欲からの発言なので、決して、まともに受け取ってはいけないことなのです。
 
楽山は、ずっと、我欲によって、いっさい反省せず、責任を負わず、人の意見を聞かないで、言いたいことだけを勝手に言い続けています。つまり、楽山は、言うべきことを責任を持って言う、という「そのようでありたい」言論者の姿からは、真逆の方向しか持っていない人です。
 
「言うべきこと」がある人は、責任をもって発言し、人の言うことも聞いて、間違えたら反省し修正する心構えで言うのであり、何でも好きなように言いたいように言うだけではいけないこと、常識があれば分かることなのです。自己愛性パーソナリティ障害NPDは、そこを理解しません。
 
つまり、楽山は、そういう当たり前の常識が分からないまま、それを、していない自分を自覚することもなく、誰かの都合のよい言葉の表面だけをなぞって、「言うべきこと」を自分も言ってるつもりになり、「自分もそのようでありたい」などと気楽に言っているのです。
 
楽山が、今まで言ってきたことのテーマは、宗教、信仰、政治など、真実の追求するための、日常よりも掘り下げた深いテーマであります。そういうテーマですから、個人の軽口や、その場の見なしや思い付きで、安易に言ってはいけないことです。
 
楽山は、否定も言い肯定も言ったから、責任問題は発生しないなどと言ってきました。言論に、プラマイゼロという公式はありません。マイナスを言っても、プラスを言っても、言うたびに、それぞれの責任は着いてくるのです。
 
こういう常識についての無理解~欠損が、楽山の病質者たるゆえんであります。楽山は、平気で嘘を吐くので、今、問いただせば、そんなこと言った覚えはない、などと言い逃れを言うかもしれませんが、楽山の発言は、こちらの批判記事に、引用として既に載せられているのです。
 
つまり、楽山には、自分の言うことに全く責任を持つ気がないことが既に明らかになっており、ゆえに、楽山の発言は、邪魔なだけの、いい加減な、無駄話か、いちゃもんに過ぎないということです。どうか、相手にしないでください。どうか、楽山の丁寧語や賛辞に、だまされないでください。
 
 
 
(楽山の無責任発言について)
https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12623018261.html
 
 

自分の記事のテーマは、「ある言論が、正当な批判か、誹謗中傷かを区別するのは難しい」ということなので、発言責任に触れても触れなくてもその論旨にはさほど影響はない。

 
批判か中傷かを区別しないわけですから、楽山には、言論の資格がないということです。それで、何でもOKだから、そこを前提にして、責任を負う必要はないと言っているのであれば、もはや、楽山は、大人の言論者ではありません。まさに、異常な自己愛と学習障害が生んだ荒らしです。
 
 

自由と責任のどちらに重心をおくかは、次のようにテーマと立場によって、コロコロ変わる。

 
今読んでも、腹が立ちます。言論の自由と、言論の責任は、コロコロ変わったりしません。権利と義務、自由と責任、これは、言論の鉄則であり、どちらにも重心があり、変わることはありません。楽山が、変質してゆくだけなのです。
 
楽山は、自由に発言しておきながら、責任を負わないし、何もなかったかのように忘れてしまうのでしょう。以前から、楽山について指摘してきた無反省・無責任は、楽山の自己愛性人格障害からの異常性を示す体質的な精神病質の症状です。
 
この2つは、もはや、詐欺師の言い逃れです。
 
 
 
楽山の害毒メモ:
今までに表れてきたこと。これは、楽山に限らず、聖書においてキリストの敵となった宗教指導者や、世に数多いる偽善者の特徴でもあります。この世で最も迷惑な人の特徴です。楽山は無責任です。決して信用しないでください。
 
楽山は、1つのことを書いて、別の時には、それに反することを平気で書いてきます。そこで、反省、修正、というステップを書かず、あたかも最初から思っていたことのように書いてきます。自分に誤りを認めない自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)だからです。
 
偽善者の特徴でもあります。
 
人格:
自己愛が強く自己中である。
笑いと怒りしかなく、悲しみの情がない。
共感がなく、罪悪感がなく、反省しない。
自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)と思われる。
平気で嘘を吐く。様々な詭弁を弄して、柔和に見せかける。
深い情感がなく、共感性がない。相手が疲れるのを見て快感を得る。
後悔、反省、修正ができない。学習による成長がない。
罪悪感、羞恥心が見られない。サイコパスと思われる。
アドラー心理学の宣伝をしていた。自己中心である。
中身や実質のない形骸的精神機能しか持たない。
 
奇怪な単細胞。
 
議論:
議論や交流が、表面的で、整わないし、できないし、元々する気もない。
相手の意見を受け取っていないので、反論、弁明が成り立っていない。
理路が常識的にも浅く、基本的に訂正不能である。理解力がない。
自分なりの堅実な理路を組み立てられない。
読書自慢。感想は平板で、独創性や深みがない。
様々な気取り。読書家気取り、評論家気取り、インテリ気取りなど。
分かっているという我執から離れられない。
非を指摘されると、逆に、こちらに当てはめて被害者面をする。
人を批判~誹謗中傷するが、その言葉で自分が斬られるブーメラン現象。
真面目に応答~議論すればするほど、病的な徒労感と疲労のみをもたらす。
ボンヤリ言語:語尾を濁し曖昧で婉曲的な言い方で、印象を刷り込もうとする。
トホホ言語:謙虚で弱いと思わせて悪意を隠すための嘘の芝居。
しばしば、自身への同意を期待して、見え透いた世辞を言う。
「反省。とほほ」などと書くが、不自然であり、前後で何も変わらないので嘘です。
騙して、言い分を詭弁や嘘で通そうとする、通っていると思い込む。
 
訂正不能の偏執。
 
宗教:
反キリスト、反宗教。聖書およびキリスト信仰を、貶めてくる。
キリスト教とキリスト信仰を字面だけで云々し、理解していると思い込む。
HSを脱会したと言っているが、真実かどうか、疑わしい。
霊能者のつもりだが、それに見合う直観的洞察は皆無である。
 
慢心して中身の無い形骸。
 
楽山の書いた文章を、3年数か月のあいだ見てきた結果ですから、大きく変わることはないでしょう。これらについては、新しい情報によって、必要なら加筆し、繰り返し載せることになるでしょう。
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html

1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
 

2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。

 
楽山は、現実の生き方に救いがなくて、妖怪のような超常を空想するのが好きなようです。それゆえに宗教と信仰の真実を求めることではなく、架空の存在になりたいのでしょうか。何を考えても、一足飛びに非現実に向かう白昼夢から逃れられないのかもしれません。
 
 
 
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