ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山のハラスメントの手法

 
  楽山のハラスメントの手法
 
 『闇祓 yami-hara』辻村深月
 2022年12月07日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/35087550.html
  を批判。
 
 
自分の発言に責任を負わず、思いつきで悪口を書いている楽山には、ハラスメントについて語る資格はありません。ましてや、警鐘を鳴らすような文章を書いてくることこそ、楽山の訂正不能の有害性を表しています。あらゆる詭弁を弄して、自己正当化を企んでいる楽山からのハラスメントです。
 
嫌がらせと言わず、ハラスメントという特別の名称で呼ばれるように、人格を破壊することにつながるために、一人の人間の一生を変えてしまうほどの危機を与える嫌がらせなのです。罪悪感のない変態には、自己正当化しか出来ないのでしょう。大事なことは、一刻も早く、黙ること、去ることです。
 
 

モラハラ
本作は連作短編のような形式になっているが、一つの物語ごとに、自己愛性パーソナリティ障害とおぼしき登場人物が、標的を選び、虐げ、支配しようとする過程が克明に描かれている。

 
自己愛性パーソナリティ障害NPD(自己愛性人格障害)の楽山が、こういう記事を書いてくることこそ、ホラーなのです。嘲笑っているのだと思います。楽山ほど、克明に表れている自己愛性パーソナリティ障害NPD(自己愛性人格障害)を知りません。呆れた無罪作話~妄想です。
 
 

物語の背景には若干のホラー風味が加えられているので、そこはいかにもエンタメ作品という感じではあるが、モラハラ加害者の異常さはもちろん、被害者の戸惑いや怖れなどの心情は実にリアルに描写されており、読み応えがある。本作は、モラハラ問題に関心のある人には、とても興味深く読めると思う。

 
この楽山の記事は、それ自体がホラーです。そして、エンタメ作品と評して、大したことないとでも言いたいのでしょうか。楽山の言は、根絶やしにするほどの全否定が必要だという理由がここにあります。「読み応え」「興味深く」という真剣味の無さを覚えてください。興味ではなく恐怖です。
 
 

*ヤミハラ
ちなみに、作中ではモラハラという言葉は使われず、ヤミハラと表現されている。本作の主人公は、不思議な技によって加害者の心に巣食う闇を祓うという設定なので、その意味の闇祓にもかけた命名なのだろう。<
 
大きな特徴として、加害者は、その闇に気づかないということです。相手が傷つくのを楽しんでいるサディストなのです。楽山は、傷つけておいて、疲れたんじゃないですか、などと聞いてきます。疲れさせたのは楽山なのに。そのとき、楽山は、ニヤニヤ笑って満悦気分に浸る鬼畜なのです。
 
 


ヤミハラ。
自分の心にある闇を振りまき、押しつけ、他人をそれに巻き込むのは闇ハラだ。
(『闇祓 yami-hara』辻村深月著、KADOKAWA、2021年、p.93)
 」
また主人公は、ヤミハラの加害者と被害者との関係について、次のように語っている。

「僕が捜してるそいつらは、自分の闇を押しつけることで相手の闇を引き出して、相手を同じ土俵に引きずり込むんだよ。追いつめて、相手から思考力や気力を奪って、何が正しいのかもわからなくさせる。視野を狭くさせることで相手の中の闇を育てて、狙いをつけた相手自身のことも、厭なふうに変えるんだ」
(同上、pp.330-331)
 」

 
楽山によってもたらされる闇は、ふつうの、無駄とか、疲労とかいうものではなく、人間性と人間信頼を根底から覆すような絶望的な闇であります。もちろん楽山には自覚がありません。それが、そのまま、その後の批判につながっています。楽山こそホラーなのです。既に、闇だからです。
 
自己愛性パーソナリティ障害NPD(自己愛性人格障害)の楽山には、罪悪感がないのみならず、人間にとって大切な反省する心も共感性も全く見られません。今までの記事と、またしても、傍観しているかのように、教える立場であるかのように、書いて来れることこそが、根拠です。
 
 

このような被害を避ける方法については、こう言う。

接触しないことしか方法はない。一度でも接触してしまったら、完全に身を守るのはなかなか難しい」
(同上、p.402)
 」
これはどうにも救いがない答えではあるが、ヤミハラにしても、モラハラにしても、その手のことをする相手とは接点を持たないのが一番だし、仮に接点を持ってしまったとしても、できるだけ速やかに距離を置くのが無難だということなのだろう。

 
加害者の楽山が、加害者と距離を置くように忠告しています。この三文芝居の白々しさは、丁寧語の恐怖だと思います。一見冷静に見えて、悪意の計算機だけが楽山の脳で働いており、前から書いているように、楽山から人間を人間たらしめる良心を見ることは、この3年以上、皆無であります。
 
悪意の開き直りです。楽山と接触してしまったら、「完全に身を守るのは」「難しい」。楽山とは「接点を持たないのがいちばん」「接点を持ってしまった」ら、「できるだけ速やかに距離を置くのが無難」というより必須であります。自由な言論は、責任感のある人間のものです。楽山は違います。
 
注意喚起だからええじゃろ・・とでも思っているのでしょうか。加害者が注意喚起するなどは、恐怖でしかありません。寒気がします。加えて、あざ笑いの病的ナルシストが、本格的に、犯罪に向かっているのだろうと危惧します。自由な言論は、責任感のある人間のものです。楽山は人間外です。
 
 

       

                  悪意の開き直り
 
 
(2022年12月10日)
 
 
 
  妄想
 
見えなかったものが
ぼんやりと見えてくる
閉ざされた沈黙の奥に
歪んでいく闇がある
ぼんやりとしか見えなかったものが
血を引くように
薄暗い
顔に近づき
不明の表情を持ち
青白い
体になり
地を離れ
次から次へと
倒れ込むように重なり
命のない眼が訴えるように揺れ
色が揺れ
熱を帯びて
息がさまよい
口が開いて
黒ずんだ肉を求め
吐き出されたものが
輪郭をあらわにするとき
爛れた粘膜を貫いて
暗闇から
鬼の目が光る
 
 
  秘密と定め
 
二十年後殺人鬼になる幼児は
やはり幼気(いたいけ)であどけないだろう
鵜飼いの鵜(う)は
呑むことを許されないのに
食うために生きているように
養鶏場には首が並び
忙(せわ)しく騒がしく急(せ)くように
卵と肉
食われるために生きている
知られた秘密が
もはや秘密ではないように
羽ばたくペンギンは
水中を飛ぶ
 
 
  アンビバ…烈
 
嘲(あざ)笑いの顔
侮(あなど)りの口
俯(うつむ)いた身を見下ろして
氷を当てて舐(な)め上げる冷たい視線
あるとき世辞
皮肉
頼みもしない評価

の一蹴
無視
何事もなかったかのように
過ぎ去ったそれら
向けられた者には
癒えない傷を残して
しかし向けたことはなかったか
向けたことは
なかったとは言えないはずだ
と癒えない傷が疼(うず)く
自らの目が赤いと感じる
兎の目か
鬼の目か
 
自らの存続から
人類の存続の是非までを
ときに激しく神に問いかけ
自ら慙愧(ざんき)のうちに切々と祈り
強烈なる厭世をもってなお
烈々とこの世を愛さねばならぬ
 
 
  変調の朝
 
鬼畜の色をした夜が明けて
レースのカーテン越しに
ぎらぎらと射し込む朝日が
網膜を焦がし始める
まもなくあれは役場からだろうか
朝7時を告げる音楽が鳴る
夜は眠れなかったから
今日も運転は無理か
たまってくる新聞紙・パンや菓子の
空き袋・空き缶・カップメンの
軽い器・吸い殻
風もなくて
独りの部屋の中でタバコの煙が
低く筋をなして澱(よど)んでいる
消えろ
と息を吹きかける
吹いても消えない空と雲の下で
鬼畜から畜生へ
新聞の見出しを眺めたり
漢字の辞書をノートに書写している
侏儒よりも低く
ようやく眠気が差してくるころ
鳥の声や車の音
何かの工事の音
明るい音に囲まれ
耳鳴りは小さくなって
寿命だろうか生活だろうか
空っぽの抜け殻だろうか
盛んに破裂している軽い器の
重たさに息が詰まる
 
 
 
楽山の害毒メモ:
 
今までに表れてきたこと。これは、楽山に限らず、聖書においてキリストの敵となった宗教指導者や、世に数多いる偽善者の特徴でもあります。この世で最も迷惑な人の特徴です。楽山は無責任です。決して信用しないでください。しかも犯罪行為に及ばなければ強制的に抑制は出来ません。
 
楽山は、1つのことを書いて、別の時には、それに反することを平気で書いてきます。そこで、反省、修正、というステップを置かず、あたかも最初から思っていたことのように書いてきます。自分に誤りを認めない自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)だからです。
 
偽善者の特徴でもあります。
 
人格:
自己愛が強く自己中である。
笑いと怒りしかなく、悲しみの情がない。
共感がなく、罪悪感がなく、反省しない。
自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)と思われる。
平気で嘘を吐く。様々な詭弁を弄して誘導し、柔和に見せかける。
深い情感がなく、共感性がない。相手が疲れるのを見て快感を得る。
後悔、反省、修正ができない。学習による成長がない。
罪悪感、羞恥心が見られない。サイコパスと思われる。
アドラー心理学の宣伝をしていた。自己中心である。
中身や実質のない形骸的精神機能しか持たない。
 
奇怪な単細胞。
 
議論:
議論や交流が、表面的で、整わないし、できないし、元々する気もない。
相手の意見を受け取っていないので、反論、弁明が成り立っていない。
理路が常識的にも浅く、基本的に訂正不能である。理解力がない。
自分なりの堅実な理路を組み立てられない。
読書自慢。感想は平板で、独創性や深みがない。
様々な気取り。読書家気取り、評論家気取り、インテリ気取りなど。
分かっているという我執から離れられない。
非を指摘されると、逆に、こちらに当てはめて被害者面をする。
人を批判~誹謗中傷するが、その言葉で自分が斬られるブーメラン現象。
真面目に応答~議論すればするほど、病的な徒労感と疲労のみをもたらす。
ボンヤリ言語:語尾を濁し曖昧で婉曲的な言い方で、印象を刷り込もうとする。
トホホ言語:謙虚で弱いと思わせて悪意を隠すための嘘の芝居。
しばしば、自身への同意を期待して、見え透いた世辞を言う。
「反省。とほほ」などと書くが、不自然であり、前後で何も変わらないので嘘です。
騙して、言い分を詭弁や嘘で通そうとする、通っていると思い込む。
 
訂正不能の偏執。
 
宗教:
反キリスト、反宗教。聖書およびキリスト信仰を、貶めてくる。
精神構造はカルトに似ているので、無神教カルトと呼んでいる。
キリスト教とキリスト信仰を字面だけで云々し、理解していると思い込む。
HSを脱会したと言っているが、真実かどうか、疑わしい。
霊能者のつもりだが、それに見合う直観的洞察は皆無である。
 
慢心して中身の無い形骸。
 
楽山の書いた文章を、3年数か月のあいだ見てきた結果ですから、大きく変わることはないでしょう。これらについては、新しい情報によって、必要なら加筆し、繰り返し載せることになるでしょう。
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html

1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
 

2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。

 
楽山の思考が齟齬を来たし、元々欠落している感受性のために、いい加減で、拙劣な文章しか書けないようです。それだけ自己崩壊してゆきながら、なおも、自慢だけは忘れないという病質は、哀れではありますが、仕出かしてきた悪事を思えば、手加減は出来ません。なぜ、書くのを止めないのでしょう。
 
楽山と接触してしまったら、完全に身を守るのは難しいです。楽山とは「接点を持たないのがいちばん」「接点を持ってしまった」ら、「できるだけ速やかに距離を置くのが無難」というより必須であります。もともと、深みのない丁寧語は、世辞の嘘からペテンに使われやすいので要注意です。
 
 
 
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