ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山が霊言を評論?

 
  楽山が霊言を評論?
 
 HS信者との対話(人権、霊言、信仰、無神論、議論)
 2022年12月10日 幸福の科学とは何だろうブログ by 楽山
 http://mmknky21.blog.jp/archives/18041050.html
  を批判。
 
性懲りのない楽山は、なおも、宗教評論家気取りか、リーダー気取りでもあるかのように、偉そうな上からの評価を書いてきます。実際には、楽山は、対立者への、嫌みか、嫌がらせレベルでしか語れません。楽山は、超常カルトに興味を持っていて、日常の現実を学習も理解もできない人です。
 
※ 記事本文と、ツイートは、楽山の発言として、区別せずに引用しています。
 
 

ツイッター
先日、ツイッターで、信者とやりとりをしたので、その一部をここに保存しておくことにする。
こうしておかないと、ツイートは行方不明になってしまいがちなので。

 
楽山は、ツイートでの発言を行方不明にしてしまう人です。つまり、楽山は、他者の言ったことも、自分の言ったことも、忘れるか無視してゆく処世なので、全く言論の責任が負えないのです。そのくせ、言いたいことを考察もせずに、好きなように言って終わる卑怯者です。自己顕示欲だけだということです。
 
 

*人権の由来
まずは、ここでは人権の話を少しした。
(日付部分をクリックすれば、ツイッター上のやりとりをみることができる)

 
議論の案内をして、自分はこう思う、ということを書いたと言いたいようですが、楽山は、想うことに一貫性がありません。かつ、双方向になりません。それを指摘すると、今度は、理屈の迷路に誘って、理路を混乱させます。結局、何の実りもなく、楽山の議論は、疲労をまき散らして途絶します。
 
 

アンティゴネーについては、検索すると、あれこれでてきますね。
改めて見ると、系図がややこしい(笑

 
アンティゴネは神話の登場人物のようですが、知識も理解もない楽山は「系図がややこしい」と言って「(笑」と笑うだけです。だったら、その話に関わるべきではないのですが、関わったと見せかけて、笑って、終わりです。
 
 

*霊言と信仰
こちらは、霊言を信じているかどうかの議論である。
信者なら、「霊言を本気で信じていますか」と問われら、「信じてます」というのが当然だろうに、なんだかんだと話をそらして答えない人がいたので、信仰心が弱いと評したら、その人から、嘘だ、捏造だと怒られたという話である。

 
楽山は、信仰を、超常現象を信じ込むことだと思っているようです。人間が、超常の有り様を云々し信じ込むのはカルトの特徴です。キリスト信仰においては、超常について、人間の理解を超えていることとして、分からないことを前提とするべきだと思います。人間には、それを超える立場はないのです。
 
聖書に書いてあっても、それは、神の偉大さを表しているのであって、人間が、超常を分かっているかのように云々したり、超常現象としての奇跡が起こることを信じ込んだりすることは、神に対する傲慢と弁えるべきでしょう。
 
 

捏造だと思い込んだんだろうと推測してたけど、
田中さんが、これだけ他の人たちとも、もめ事を起こし続けてることからすると、こういうのは単純な誤読ではなく、根はもっと深い問題がありそうな予感。

 
値に深い問題のありすぎる自身については、一度も問題視していない楽山です。だから、遣り取りすれば、うんざりして去らせるか、批判されることにしかなりません。得るものが何もないからです。そして、そのことを、平気で、忘れてしまうか、無かったことにするから、また、このように書けるのでしょう。
 
つまり、罪悪感がないから、相手がどんなに傷ついても、ケロッとしていられる男なのです。そして、また、何事も無かったかのように、いい加減発言を繰り返して、かつ、忘れてゆくのです。ゆえに、楽山について、望ましい結果は、ただ楽山を忘れてゆく道筋を作ることでしかありません。
 
 

ちなみに、他の信者さんに霊言を信じるかどうか質問したら、即、「信じております」と明言してくれました。感謝。
信じてることは、信じてると信仰告白をする。これ、信者として王道だよなと思います。

 
信仰告白は、王道などといって説明したことにできるものではありません。故人の告白なのですから、楽山のように、「だよな」などという短い台詞で済むことではありません。本心のない楽山ならではの、いい加減な発言です。ことの重大性を、楽山は理解できないのです。
 
 

無神論
こちらでは、信者が無神論者を悪く言っていたので、「分類の仕方によっては、あなただって無神論になるんですよ」と言ったら怒られたのであった。

 
楽山の無神論は、話にならないほど、幼稚なものです。楽山は、宗教、特に、キリスト教の信仰について、何も理解していません。即ち、自己愛性パーソナリティ障害NPD(自己愛性人格障害)の自己中妄想からは、信仰を理解することは不可能です。
 
信仰理解が不可能だという指摘をしても、楽山は不感不応という姿勢しか持っていないので、何も変わりません。ゆえに、楽山の言を、病質の症状と、詭弁や嘘の有り様と、書き続けて、一般読者が、楽山に関わらないのように呼び掛けるしかないのです。
 
自己中で自己満悦だけを求めている楽山は、何かを信仰する、信じる、信頼する、ということが出来ない人です。楽山が肯定することは、自分の偏見や妄想に都合のよいことを、上から肯定してあげる、という態度なのです。楽山の、賛同や、褒め言葉を、決して真に受けないでください。
 
 

*霊言が真実である証拠はある?
これは私は関わってはいないが、信者が「霊言が本物という証拠もあります」と断言したことから始まった議論である。
結末は、案の定、信者側は十分な証拠を一つも挙げられずに終わったのだった。
ちなみに自分は、この議論を見てこういう感想をもった。「『証拠はないけれども信じる』というのなら信仰だろうが、証拠はないのに『証拠はある。これは本物だ』というのは事実誤認だ。この人は、信仰と事実誤認の区別がつかないんだな」
ただこの感想は公言しないでおいた。すれば、また怒られて面倒なことになると思ったので。

 
このように、超常現象の霊言を事実誤認だと言っている楽山ですが、その楽山は、仏様の気持ちが分かるという記事を書いているのです。こういうところには、楽山の、自己顕示欲や、人より上に立つことや、超常ホラーの教祖願望が表れてきます。紛らわしく巻き込んでゆく楽山と関わることは禁忌です。
 
 

*議論
こちらは上の話の流れで、相手の人格を否定するのはよくないが、相手の意見に意見を述べるのは自由だという話である。
私はここまでクールにはなれないが、これが正論だよなあとは思う。

 
人格に問題のある場合、その人格が正常な言論を妨げている場合、人格の病的要素を指摘し批判することは不可欠です。楽山は、またも、人の意見から、自分の問題を、人格批判はよくないと一般化して、自分の問題と害悪と病質から読者の目を逸らそうとしています。
 
 

        

                 零 言 
 
 
(2022年12月12日)
 
 
 
  対話
 
光が街中で叫んでいたのに
二人腰掛けて
向かい合って話していた
一人は一人の後ろの人を
もう一人はまた別の人を
二人が話していたという場面
それは対話
光も記憶もそれ以外を写さなかった
光が街中で叫んでいるのに
あれから数々の対話
人とだったか
幽霊だったか
幻だったか
夢だったか
話す方も答える方も
数さえわからない
対話?
今も光が街中で叫んでいる
 
 
  小枝
 
木の幹に知らぬ没落
嘆いている御婦人の笑顔
懐かしく見苦しい
さり気なくいとおしい
報いはやがて来るでしょう
握りしめた手を折らないように
そっと太陽を隠しましょう
忘れるためではなく
許すためでもなく
やがては枯れる木の皮の
はがれて落ちる日のために
捧げるものは嘘の光
痙攣の祝福を浴びて
孕みましたか そろそろ
霊に水気をはらいましたか
木の幹のまわり
子供達が駆けていきます
見て見ぬふりのあなた
木の幹に腕を曲げ
涙拭く姿勢の小枝
太陽のいたずら
嘘の町
子供らは駆けていく
 
 
  テレビ
 
あぐらをかいて座っている
男の顔は
肌色を消されて
明るくなったり暗くなったり
赤くなったり青くなったり
次々に変化していく
座っているのは同じ男なのに
幽霊になったり鬼になったりする
男は光源を見ている
光源は男を照らす
光源からは目をそらすことが多いのに
じっと見つめ
泣いたり笑ったりを
光源からもらっている
 
焚火を囲む人たち
その顔は炎の色に輝いている
男の顔も赤くなる
しかし炎の色ではない
炎は熱い
テレビの火は冷たい
火を受けて凍りつく顔
 
外に出て星を見上げた
輝く星の光を受けて
男の顔は真っ暗だ
 
 
  誰の死
 
一つの死を前にすべての言葉は無力だ
茶色のうねりだったような道の中に突っ立っている
夕暮れの青ざめた人々
夕焼けさえ悪意の色で迫るかのように
焼かれる炎は
さらに焼かれる
誰のものなのか
いきなり破裂する
色も光も音も
皆ばらばらの吐物のようだ
誰のものなのか
鈍く包んでいく闇では終わらない
幽霊でもなく
幻でもなく
朝よりも静かな熱をもって
墓標よりも先に
冷ややかに立ち上がる
誰のものなのか
一つの無力の前にすべての言葉は命だ
 
 
 
(ネットより)
 自己愛性人格障害
 https://jobcarri.com/jikoai.html
   付き合い方
自慢話が多い、自分の話だけを長々とする
  口先で称賛し調子を合わせる
恩を売る、世話を焼いてくる
  感謝だけはして、恩は買わない
罪悪感や羞恥心をあおり、心理操作しようとする
  自分の軸を持つ、人の話を鵜呑みにしすぎない
見栄えの良い仕事はするが地味な作業は人に押し付ける
  あらかじめ役割分担する
他者のアイディアや手柄を奪う
  記録を残し、職場の他の人と共有する
自分の「優位性」を強調し支配しようとする
 「勝ち負け」「優劣」の土俵に上がらない
平気で嘘をつく、情報をかく乱する
  感情的にならない、同じレベルで争わない
上司が自己愛性人格障害の場合
  上司の偉大さを映す「鏡」となる
  進言は避ける
被害を受けていたら全速力で逃げること
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html

1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
 

2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。

 
反省しないことを「人間の性」と言って言い訳になると思っているのが、楽山という自己愛性パーソナリティ障害NPD(自己愛性人格障害)です。反省しない人は成長しない、成長しない人は大人の人間になれない、反省しない人には自我からの妄想や雑言ばかりがたまってきます。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
ツイッター
https://twitter.com/st5402jp
(ブログ記事をコピペすることあり)
 
 
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