ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

2019-04-01から1ヶ月間の記事一覧

婉曲の災い

婉曲の災い 「実家の親」を苦痛でしんどく感じる本当の理由 https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/28960975.html by shalom (シャローム、シャロム、あなた、彼) https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190429-00278161-toyo-soci などからのコピ…

死を利用する者(2)

死を利用する者(2) [死を越えた生命復活の眼差し」山本れい子さん https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/28960418.html by shalom (シャローム、シャロム、あなた、彼) 一人のキリスト者の死にまつわる美談が、シャロームによって、けがされてゆき…

すり込みの詭弁(2)

すり込みの詭弁(2) 信者とアンチの共通点と相違点 https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41530818.html 楽山のブログ:呆れるほど、ぎゅうぎゅう詰めの記事 前の記事をアップした直後、楽山は、同記事に、その倍もあるような文章と画像による文章を追加し…

すり込みの詭弁

すり込みの詭弁 信者とアンチの共通点と相違点 https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41530818.html 楽山のブログ 楽山は、荒らしの易坊の成りすましではないかと私が疑っている人ですが、前に、HSを脱会したと言いました。カルトを脱会した人は、大方、カ…

排泄の口、誰の前で幼子?

排泄の口 神も聖書も謎だらけだが救いと恵みの後に先に戒めがあっても祈る姿勢くらいは持っていられる しかし信仰と聖句について言行不一致の不正直な人が同じようなことを言ったりするとなぜか違和感から不快になることさえある 自分も言うかもしれないのに…

死を利用する者

死を利用する者 「死を超えた生命復活の眼差し」・・山本七平氏夫人れい子さん https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/28958858.html by shalom (シャローム、シャロム、あなた、彼) シャロームは、他者の信仰を讃えるのだからいいだろうと思っているか…

陰の人々

陰の人々 部屋の灯りを消すとさっきまで腰掛けていた椅子も消えてうすぼんやりと浮かんでくる部屋の形は部屋ではない 黒の漂う夜は過去も未来も臭ってくるが暗夜を行き交うのは生きている人ではなく陰の中の影になった人たち 連れて行ってくれないか恨みでも…

讃美の家批判15

「讃美の家」批判15 (加筆修正) 聖書の聴き語り→「7×7×10=無限」未承認コメント by shalom (シャローム、シャロム、あなた、彼) 聖書のみ言葉の黙想→「聖書と虚無主義」 (私)まず、自殺者を責めて、自殺者は聖書を読み間違えたと、説教のネタに…

讃美の家批判14

「讃美の家」批判14 聖書の聴き語り→「7×7×10=無限」未承認コメント by shalom (シャローム、シャロム、あなた、彼) 聖書のみ言葉の黙想→「罪の奴隷解放者イエス」 >人が自らの善悪の基準を捨て、>ただイエスに対する信仰によって、>人に罪の赦…

信仰は(修正)

信仰は 信仰は史実に依拠しない史実であってもなくても信仰は生まれるからであるまた信仰は出来事に依拠しない さらに信仰は人にも組織にも依拠しない 信仰は神への恐れとキリストの愛のみに依拠する 与えられるのは人間らしい温もりと潤いである 奇跡と神秘…

矢印の人々

矢印の人々 神話と奇跡信仰に生きる人たちは都合のよい出来事を奇跡に結びつける 「何度、奇跡に救われたことでしょう」「私たちは、いつのときも安らかです」 自分に都合の悪い出来事悲惨な死や自殺については語ることが背教であるかのように無かったことと…

過去のシャローム批判(修正)

「讃美の家」批判13(修正) (shalom、シャローム、シャロム、あなた、彼) 聖書の聴き語り→「7×7×10=無限」未承認コメント シャロームの「その名は不思議」ブログが「讃美の家」という名前であったころの批判です。 >イエス・キリストを信じる信仰…

猛者への堕落(修正)

猛者への堕落 人間性を失った名ばかりの信仰にはある種の猛々しさが残る せっせとお味方になる意見を集めているそれは猛々しい文章であるその威勢のよさの分だけまた人間としての共感を失ってゆくのは字面だけを追ってお味方になる意見というだけで好み、褒…

気づくべき荒野

気づくべき荒野 イースターを覚えつつ。。。山本七平の言葉 https://blogs.yahoo.co.jp/jordan_nobita/28956641.html by salom (シャローム、シャロム、あなた、彼) >平成三年十二月十日午前八時半、山本七平氏は天に召されました。故 山本七平告別式次第…

死者と救済

死者と救済(修正再録) 神は生ける者も死せる者も支配し救済するというのは神の全知全能からの思いであるしかし死んだ人のことはもちろん神が生きている人をどう支配し救うかについて全知でも全能でもない人が確信できることは何もない 一方「神は死んだ者…

カインとアベル

カインとアベル カインとアベルについて、聖書は簡略な書き方をしているので、なぜ、カインが退けられたのか、ずっと分からないでいます。カインの子孫を見ると、レメクという乱暴者が出ています。 (創世記、口語訳)4:23レメクはその妻たちに言った、「ア…

マリヤとマルタの愛(加筆・再録)

マリアとマルタの愛(再録) 前にも記事にした箇所ですが、また、少し追加修正して再録します。 (ルカによる福音書、口語訳)10:38一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。 10:39この…

原初の信仰から

原初の信仰から 最初に信じたことがダイレクトに心を揺さぶったのであるならそれは後付けされた理屈を否定する。 生きている個人が最初に信じたことつまり原初的で根源的な信仰こそが後付けされた傲慢な辻褄合わせの「確信」を否定する人が作った信仰の尾ひ…

みにくい羊

自らを呪っているような祈りのようなものです みにくい羊 みにくい羊はいてはいけないのでしょうかまばらに毛も禿げ落ちて太るだけの羊は病んで痛みにほろほろとよろよろと躓きながら人里離れて奥山で草を食みながら命が尽きるのを待っています 飼い主に殺し…

古い批判の続き

古い批判の続き シャロームshalomの「讃美の家」批判11 「7×7×10=無限」未承認コメント続き 土の器→「平和の福音」 >まず行って兄弟と仲直りをし>わたしたちも互に愛し合うべきである 最初に私を敵としてコメントを葬ったのは誰でしょう。それを改…

謙遜

謙遜 例えば元気で熱心な牧者や信仰者にもありがちな発言として「「神のうちに生き、動き、存在している」という視点に立つとき、私たちの存在の意味や価値を謙遜に見極めることができる」 折に触れて自分について神の意思は?と考えるのは信仰者としては当…

痛み

痛み 痛みがなくなることを願うひどいときは痛みよりは死を願うことがあるそれは治癒ではないのに 痛いときに声を出す誰も聞いてはいないくらいにあらゆる恨み言を吐く亡父を呪い先祖を呪う何故戦争で死ななかった いつの恨みいつの怒りそれはそのまま自らを…

依存と拒否(古い記事修正アップ)

依存と拒否 神に依存すると神は人に忠告したり否定したり直接なさらないからいつも神を裏切っているような気にもなる。 そうならない信仰者は少しおかしいと思う。 人に依存すると人に思いがけない忠告をされたとき自分を否定されて裏切られたような気になっ…

神のうちに

数日、歯が痛い。鎮痛剤を飲んでも痛い~鬱陶しい。 頭がボーっとしている・・・ でも書く動機が今あるなら、ボーっとした頭でも考え、 指と手が動くから・・・書いてみる・・・何度も似たようなことを書いてきたような気はするが・・・--------------------…

古い批判記事の続き:シャローム批判

「讃美の家」批判10: shalomシャローム批判聖書の聴き語り→「7×7×10=無限」 未承認コメントの続き 聖書のみ言葉の黙想→「イエス信仰と人依存」 記事全体として牧者などの人に依存した信仰の在り方をあなたが語れば以下のような感想~批判にしかなり…

ジッチャンは

ジッチャンは ジッチャンだけどいつまでたっても子供だよ未熟だってことだけど自分が分からないから枠とか当てはめたりしないこうでなければ、こうであればなんて確かなもの何もないから情緒不安定で怠けもんでほおうっとしていて力が抜けたり入ったり冷めた…

古い批判:未承認コメント

「讃美の家」批判9 : 未承認コメントの続き聖書の聴き語り→「7×7×10=無限」 (私) ※ 「讃美の家」は、「その名は不思議」の以前のタイトル名です。 その前は、「聖書の聴き語り」というタイトルでした。 トラブルがあると、シャロームは、ブログの名…

ゆく夢、炎症(旧作修正)

ゆく夢 未来は砂漠の蜃気楼を羊がふらついて歩いている 過去は洞窟を色違いに塗り変えた あれはあったのか本当にあったのか 今は失われる色も、形も ヒト、人、人間モノ、物、動くもの、止まるもの 食うことも出すこともなく何も必要ではなく何も期待されず …

信仰の厳しさ(古い記事修正)

信仰の厳しさ 信仰は厳しくなければならない もちろん暴力という意味ではない いかなる場合も強制力は不可である 微笑みを絶やさず柔和に などというのは自らの失敗に気づかないだけだ 話し合うことに人によって気遣いは必要だが遠慮や忌憚があってはいけな…

信仰者の感謝

信仰者の感謝 感謝だけでは信仰は語れない 感謝する人の善い話と感謝しない人の善くない話だけでは信仰は語れない 感謝できないこともある人の心 人の心に触れ人の心を通して人の心を考えなければ神の下にある人の信仰は語れない 悲しみから仰ぎ祈り求めると…