ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山の害3

 
  楽山の害3
 
 
この記事は、確定に至っておりませんので、今後、何度も加筆して再録することになりそうです。楽山という自己愛性パーソナリティ障害NPD(自己愛性人格障害)の特徴は今までも書いてきましたが、一応まとめておきます。
 
◯ 楽山の狡猾で執拗な詭弁:ボンヤリ言語による詭弁の刷り込み。
 
批判する意志を持たずに読めば、気づかないうちに、楽山を、そう言えばそうかな、みたいに、否定できないでいて、やがて、それが、受け入れ、肯定してゆくことにつながってゆくことになります。
 
丁寧語、ときに若者言葉、曖昧表現、社交の世辞、などを使って、はっきり言わず、先入観的な内容や印象を、刷り込んでゆくところの、ボンヤリ言語は、特に感動したわけでもないのに、いつのまにか、受け入れてしまうという事態を生じます。
 
犠牲者は、ゆくゆくは、楽山に似た人格傾向が表れると思います。つまり、全体に、うすぼんやりした発言しかしなくなる危険があり、それによって、楽山と同じように、自己満足して、刷り込みによって、責任を回避しようとすることになるでしょう。
 
楽山の、不感不応による無反省と無責任と無理解と他者の無視と同じような人格像に陥るかもしれません。曖昧にネチネチ言い張ることしか出来なくなり、言葉の使い方にとどまらず、人格そのものが鈍化してゆくでしょう。これは、成長の要素が皆無であり、人格破壊と言ってよいと思います。
 
似て非なる言葉の同一視による刷り込みもあります。例えば、「人それぞれ」「人は人、自分は自分」「自分を貫く」といった平板で曖昧な妥当性からの、"自己中心" の正当化などがあります。実際は、上の3つは、個人の意志の尊重であり、自己中とは全く意味が違います。
 
楽山の、極めて有害で人格破壊的な詭弁としての、「と言えなくもない」「と否定できなくもない」「なさそうである」「相通ずるものがある」「ならなかったのではなかろうか」「かなあ」「ていうか」「なんだろうな」という言い回しは、責任回避のための、異常な婉曲表現です。
 
 
〇 楽山の反省芝居:トホホ言語による謙虚芝居。
 
反省、および、反省を表す言葉、実際に "とほほ"、自己否定的な言葉、これらは、総て、楽山の三文芝居です。
 
ゆえに、文脈において表現が浮いており、その前後においても、楽山は、何も変わっていないことが、流れの中で、判断の証拠となってきました。つまり、楽山は、平気で、利己のために、嘘を吐く男です。読んでいく時の、何とも言えない違和感・不快感に気づくことが大切です。
 
楽山は、弱気など持っていません。弱気を表すのは、卑劣な受け狙いであり、ゆえに、極めて有害な、三文芝居による詐欺行為であります。つまり、楽山は、弱気どころか、真逆の、訂正不能の鉄面皮の、厚顔無恥であります。恐らく、自己中による高等感情の鈍麻から来ていると思われます。
 
楽山は、共感、深い、心から、感動、などという言葉を、わざとらしく書いて強調することがありますが、前後の文脈から乖離しており、それまでの記事の流れとも矛盾しており、作為的な、冷淡な人格を隠すための嘘なのです。楽山は共感性がありません。
 
楽山には、しんみり悲しむこと、共感すること、などの深い情緒の感受性が、欠落していると思われるので、真に受けてはいけません。楽山の理路は幼稚で、簡単な理路を組み立てることも出来ないことが、深い理解もなく、気安く、オモチャを並べるような文章に表れてきたからです。
 
そのくせ、結果だけを、執拗に書いてくる筆致は、先入観に執着するだけの表れであり、訂正不能になっています。楽山は、学習しないから成長せず、都合の良い材料を、他者の文章から探してきて、そのまま、繰り返すしかなくなっています。
 
本を読んでも、新鮮な知識や情緒を受け取ることが出来ず、楽山自身の、軸のない先入観の固定観念に合う部分だけを、自分の好みで拾って書いて強調するだけになるのです。偉そうな人の文章を、偉そうに、分かったふうに、引用して論じているつもりになっているのです。
 
人間は、一生涯、学習し、反省し、成長する生き物です。そういう努力をしない者は、どれだけ、読書の数を重ねても、どんな有名人の話を引用しても、努力したことにはなりません。本や有名人の名前を出してきても、信用してはいけません。
 
言論にしても、思想にしても、感想にしても、公表するだけで、賛否を問うて反省と学習をしなければ、思考の糧になることはないわけですから、楽山の無反省は、無意味で一方的な主張の繰り返しにしかならないわけです。それは、子供が、言い張って聞かないのと同じなのです。
 
そういう者は、結局、よく思われるために、うわべを繕うことしか出来ず、そのために、数々の、嘘や詭弁や、権威や有名人の名前までも利用~悪用して、飾って、だますしかなくなるのです。悪用したとしても、ネットの片隅だから、迷惑行為もバレないと高をくくっているのでしょう。
 
それにしても、約3年も批判されて、まともに弁明できないくせに、反省もせず、修正もせず、嫌がらせのような記事とツイートを書いてくるだけで、答えにも返しにもなっていないのに、書くことだけはやめない高慢というのは、どう考えても、異常であります。
 
そう考えてゆくと、相当に、思想も精神も荒廃しているとしか思えない、というのが、今までの経過であります。つまり、飽くなき執着による、無反省、無神経、無責任、無理解が、自己愛と自己中によって、無益な文章を書き続けている病質であろうと判断しています。
 
 
ネットですから、私は、楽山の書いた文章から判断しています。
楽山は、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)の悪質な詭弁屋で、精神の詐欺師だという判断です。
 
楽山については、既に、批判する前の、だまされていた数か月を、私は経験済みですが、結局おかしいと気づいた時も、その後の、それぞれの記事を読んだ時にも、いつも、吐き気がして、加えて、ただの意見の相違にとどまらない、とても異常な疲労感を覚えます。
 
私自身への害だけを考えるなら、関わらず、批判を書かなければ済むことですが、それでは、キリスト教の信仰を、ほしいままに、おとしめる者がいることを知りながら放置することになるので、やせても枯れても言論するキリスト者としては、看過できないということであります。
 
こういう場合に、神の導きに任せる、などと言うことは、できることがあるのに、それを放棄することになります。キリスト者の実践的務めは、ただただ、できることする、ということに尽きます。ですから、何かできることがあるのに、しないというのは、明らかに、神の前に、怠慢であります。
 
批判が苦手だからしないというのは、個人の性格として、信仰上も赦されるでしょう。しかし、批判は神の御心に反するとか、全てを神に任せる、というのは、明らかな、信仰を言い訳にした自己正当化であり、偽善の始まりと言うべきです。
 
この記事は、私レベルでも、確信・確定には至ることはありません。今後、生きておれば、必要なら加筆して、再録することになりそうです。楽山は、偽善者の典型的な病質の実例なのです。罪悪感も羞恥心もなく、学習機能もないので、また、ケロッと忘れて、評論家気取りで書いてくるかもしれません。
 
 

      

              鬼が染めてゆく地獄
 
 
(2020年)
(2021年)
(2022年12月26日、再録+加筆)
 
 
 

★こも/楽山日記3
@komo266
とある宗教を念頭に置いて試したら、合計150でした。さて、これは健康といえるのか、いえないのか?

「教会健康度チェック」
JECACでは教会のカルト化について具体的な例に触れながら学んできました。そのなかで、自分が所属する教会につい…
https://jecac.org/check/
 」
2022年12月25日

 
点数が大きいほど不健康ということのようです。傲慢の尺度でもあるでしょう。楽山は、以前から、一部のキリスト者の信仰の在り方や、教会の一部の在り方の、異常なところをあげつらって、宗教を否定するのに必死な自己愛性パーソナリティ障害NPD(自己愛性人格障害)です。自己中で手段を選びません。
 
上のチェックの高得点をもって、不健康だと言いたいようです。いちばん不健康で邪悪なのは、こういう貶めしか書かず、訂正不能の詭弁をもって、ほぼ妄想的に、一部の不健康をもってキリスト信仰全体を否定してくる楽山のほうなのです。まともだと思わないでください。典型的な偽善者です。
 
楽山は、丁寧と中庸を装っていますが、訂正不能の自己愛妄想がベースです。丁寧語に騙されないでください。自己愛は、楽山の中で自分への権威付けとなって、宗教と言えば超常の奇跡だという幼稚な先入観から、キリスト教を否定して、かつ、利用できるものは何でも利用します。決して関わってはいけません。
 
楽山と数か月のコメントの遣り取りをして本性を知りました。議論できない単方向の人です。その後、3年以上、批判を続けています。私の批判記事は、むしろ、楽山に関わることのないように、読者に向けて書いています。楽山の本性は、自己満足だけの、悪意と傲慢だけの、不潔な荒らしなのです。
 
キリスト教の教会は一枚岩ではありません。一部をもって、全体を、そして、本質を、否定することが出来ないはずです。そういうことが全く分からないのが楽山で、知識もないのに、いちゃもんを言って、ただ楽山にとって不快なものを全否定するやり方です。知ったかぶりをする自己顕示欲だけなのです。
 
 
 
  慙
 
沸沸と込み上げてくる
筋を切り道を荒らし押しのけて
辻褄(つじつま)を引き裂きながら
 
胸を叩き頬を打ち
(過ぎた幸運は転落のための落差だ)
乱れた髪を何度も何度も
掻き毟(むし)るように掴(つか)む
疲れ頽(くずお)れて
眠る
 
暗い部屋に座して
項垂(うなだ)れている黒い影は
黒い雫(しずく)を落とす
涙でも汗でもない
影の雫を落としながら
毀(こぼ)れてゆく
 
自分の頬を自分の手で思いきり引っ叩(ぱた)いたことありますか
 
 
  消滅のベクトル
 
味方も仲間もいないことが
自分というものなのだと
細くなり薄くなり掠(かす)れるように
座標から消え失(う)せるベクトルの先を
何によって見ようとしている
 
贅沢病だと言われれば
そうでないことを証明するには
死んでみせなければならないだろうか
 
遠ざかるものが
遠ざかることによって
殺しにかかるなら
黙って殺されてあげようか
 
しかし何の土産(みやげ)もない
天に
何の宝も
未だ積んではいないというに
 
荒廃から崩壊へ
喪失から消滅への
方向しか持たないベクトルに
長さを問う儚(はかな)さよ
 
 
  テレビ
 
あぐらをかいて座っている
男の顔は
肌色を消されて
明るくなったり暗くなったり
赤くなったり青くなったり
次々に変化していく
座っているのは同じ男なのに
幽霊になったり鬼になったりする
男は光源を見ている
光源は男を照らす
光源からは目をそらすことが多いのに
じっと見つめ
泣いたり笑ったりを
光源からもらっている
 
焚火を囲む人たち
その顔は炎の色に輝いている
男の顔も赤くなる
しかし炎の色ではない
炎は熱い
テレビの火は冷たい
火を受けて凍りつく顔
 
外に出て星を見上げた
輝く星の光を受けて
男の顔は真っ暗だ
 
 
  秘密と定め
 
二十年後殺人鬼になる幼児は
やはり幼気(いたいけ)であどけないだろう
鵜飼いの鵜(う)は
呑むことを許されないのに
食うために生きているように
養鶏場には首が並び
忙(せわ)しく騒がしく急(せ)くように
卵と肉
食われるために生きている
知られた秘密が
もはや秘密ではないように
羽ばたくペンギンは
水中を飛ぶ
 
 
  妄想
 
見えなかったものが
ぼんやりと見えてくる
閉ざされた沈黙の奥に
歪んでいく闇がある
ぼんやりとしか見えなかったものが
血を引くように
薄暗い
顔に近づき
不明の表情を持ち
青白い
体になり
地を離れ
次から次へと
倒れ込むように重なり
命のない眼が訴えるように揺れ
色が揺れ
熱を帯びて
息がさまよい
口が開いて
黒ずんだ肉を求め
吐き出されたものが
輪郭をあらわにするとき
爛れた粘膜を貫いて
暗闇から
鬼の目が光る
 
 
 
 楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html
1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら 誤ったら 素直に詫びて 自分 正さなくちゃいけない」「それが出来て 初めて人間だと それ出来ないなら 人ではないと」「嘘ばかり 重ねる君よ 保身だけの 卑怯者の君よ そんな君は 魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと 最大限の反省と共に 開いた出店を 畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 
2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。
 
 
楽山の、誰にでもあるじゃろ・・という、ごまかしの言葉「自分もそんな風」「人間の性」という詭弁に、だまされないでください。実際には、詫びない、正さない、嘘ばかり、保身だけ、卑怯者、魅力の欠片もないという種類であり、質(たち)の悪い自己正当化なのです。
 
楽山、同一だと思われる、rakuは、リツイートで、ごまかしています。takaは、ブロックされたままのようです。(12月21日、午後12:53時点)
 
反キリスト楽山と偽牧師シャロームshalom というHNは、観光案内や、お店の宣伝や、趣味のブログに、似たようなHNやタイトルを見ることが出来ます。楽山は、最初から、そういうHNを選んで似せたのかもしれません。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
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