ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

讃美の家批判14

  
  「讃美の家」批判14
  聖書の聴き語り→「7×7×10=無限」未承認コメント
   by shalom (シャローム、シャロム、あなた、彼)
  
  聖書のみ言葉の黙想→「罪の奴隷解放者イエス
 
 
>人が自らの善悪の基準を捨て、
>ただイエスに対する信仰によって、
>人に罪の赦しと永遠の命を与える保証とされたのです。
 
あなたは自分の判断が
自らの善悪の基準によらないと言えますか。
あなたは反対意見封殺のことを、改めもしないまま、
エスに対する信仰による行いだとでも言うのでしょうか。
 
私(のコメント)は、あなたの書庫の奥の奥に生き埋めにされたまま、
もはや知らない人は、どこであるかさえも分からなくなっています。
 
2011/10/5(水) 午前 4:37[ st5402jp ]
 
 
土の器→「一人も滅びないように」
 
ヨナ「わたしにとっては、
 生きるよりも死ぬ方がましだからです」
神「あなたの怒るのは、よいことであろうか」
ヨナ「生きるよりも死ぬ方がわたしにはましだ」
神「とうごまのためにあなたの怒るのはよくない」
ヨナ「わたしは怒りのあまり狂い死にそうです」
神「あなたは労せず、育てず、一夜に生じて、一夜に滅びた
 このとうごまをさえ、惜しんでいる。
 ましてわたしは十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、
 あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか」
  (旧約・ヨナ書4:1~11)
 
「とうごま(唐胡麻?)」は、
ここでは日陰を作って暑さを凌ぐ植物で、
神がヨナに与え、戒めのために奪ったもの。
神は「滅ぼす」という預言をヨナに託されたが、
神がそれを思いとどまったことで、
ヨナが預言者としての面子がつぶされた怒りを叫ぶ。
ヨナが三日のあいだ魚の腹の中にいたのち外へ出たことは
キリストの復活にも譬えられる。
神と預言者が対話するという旧約聖書の興味深い物語である。
2011/10/5(水) 午前 4:39[ st5402jp ]
 
あなたも私も、神でも預言者でもない。
あなたは牧者かつ信仰者、私は信仰者であるのに、
あなたは私(のコメント)を長いあいだ~恐らく永遠に?
あなたの腹の中に閉じ込めるのでしょうか。
 
あなたは小さな「一人」の狂いそうな思いを察することをしない。
あなたは悔い改めた町ニネベに対するように思い直すこともしない。
あなたは、私を閉じ込めたまま、無視と無反応を貫く。
悔い改めなかったから、という理由はどちらに当てはまるのか
・・・もはや今の私には分からないが、
あなたは、悔い改めないのは私のほうだと言いたいのか。
あなたは神なのか。私は神でも預言者でもない。
なのに
「(とうごまのために)あなたの怒るのはよくない」
という聖句の記載された記事を持ち出してくる。
 
なおも、あなたは牧者の「面子を保つ」ために
「とうごまと神とヨナ」の話を信仰者に説こうとするのか。
 
神でも預言者でもないあなたが
神でも預言者でもない私に与えた「とうごま」は違う種類のようです。
 
「・・・猛毒リシンを含む。ひまし油を製し・・・」(広辞苑
 
2011/10/5(水) 午前 4:51[ st5402jp ]
 
 
無題→「出発の仕方」
 
いい話ですが、行いが矛盾している今のあなたが語ると
言葉にも受け入れがたい矛盾が自ずから表れてきます。
 
>「イエスの焼き印」を身に受けている人は、できないことがあるのです。
 
できることがあるのにしない牧者もいます。
「自我の焼印」を身につけているからでしょう。
 
>教会という、祈りの場所から出発してみていただきたいのです。
>もう一つのドラマがきっと生まれます。
 
あなたという牧者と私の関係においては
一つの悲劇が生まれ、未だ終わっていません。
 
2011/10/6(木) 午前 9:48[ st5402jp ]
 
 
聖書のみ言葉の黙想→「羊と羊飼い」
 
>人を隷属化してしまい、蟻地獄のように人を呑みこんで行くのです。
>生ける神を見失い、神を畏れることのない人のわざは死に至るのです。
 
反対意見を封じる牧者のイエスマン専用ブログこそ、
このようなものだと思います。
 
>禁止癌(近視眼?)で、
>目の前にある草を食べることに一生懸命になり、
>自分がどこからどこへ向かっているのか、
>今どこにいるのか、まわりを見て危険を察知したり、
>危害を加える獣と戦う力もないのです。
 
遠視眼で、神について自分の考えに従順な人に語りながら、
自分が踏みつけたままになっている人を見ようとしない牧者もいます。
 
2011/10/6(木) 午前 9:49[ st5402jp ]
 
(2011年10月05日)
(2011年10月06日、追加修正)
 
 
(私)
自らの善悪の判断を捨てよ、と私に当てつけ、
とうごまの聖句を持ち出して、私の怒るのは良くないと当てつけ、
「イエスの焼き印」を身に受けていると自己正当化していますが、
(私)
自らの善悪の判断でコメントを隠蔽・削除し、
気に入らないコメントを削除するときに怒っているか冷血となり、
「イエスの焼き印」を受けたと言いながら、
神を恐れず、どこへ向かっているのか察知することもなく、
自己正当化に聖句を悪用して、悔い改めもしないシャロームなのです。
(私)
シャロームが引用する聖句も、読む本も、
総て、シャローム自身を斬ることになる、という成り行きが今も続いています。
 
(2019年04月26日、加筆修正)
 
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