議論と保身(2)
議論と保身(2)
嫌われる勇気
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41571142.html
楽山ブログのコメント欄の続き。私のコメントは、大方、記事用です。
批判対象:楽山と、シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼 )
シャロームが、口を出してきました。夜のこの時間にシャロームがネットするというのは、あまり見たことがありません。成りすましを疑る根拠が一つ増えたかもしれません。
(シャローム)
> st5402jpさん こんばんは
「愛とか心とか信仰とかいったテーマについて、楽山、シャローム、易坊は、書けないのではないかと思っています。」
あなたにとって「愛とか心とか信仰とかいったテーマ」は
現実のテーマではなく、ブログという仮想現実だけで虚しい言葉を書きつらねる言葉遊びをすることのようですね。
(私)
シャロームは、無責任な妄想の言い張りだけを続けていますが、まだ、自分の意見が言えると思っているようです。仮想現実、空しい言葉、言葉遊び、いずれも根拠が皆無です。こういう人を、まともに相手にしてはいけません。意味もなく挨拶していますが、根性は、荒らしと同一なのです。
(シャローム)
だれでも人は自分の人生ノートにそのテーマについて書くべき言葉をさがし求めながら生きているのではないでしょうか。
(私)
シャロームは、違うと思います。シャロームが書けば、ノートは罪と偽善だらけになるからです。にもかかわらず、こういう、説教口調で書いてくる、それが、シャロームです。聖書に書かれている偽善者よりも、うわべの丁寧な分だけ、裏切りの悪性度は高いのです。
(シャローム)
人のノートの書かれている言葉が気に入らないからと言って、
ただ人を誹謗、中傷するばかりなのですから、あなたの仮想現実という土俵でしかないノートでかわす言葉なんて一言もありませんよ。あなたもそうではないのですか。
2019/8/26(月) 午後 11:02 [ shalom ] 返信する
(私)
気に入らないから書いていると、既に、私が否定したことを、また、あげつらってきます。この人は、根腐れなので、理解力も読解力もなく、言いたいことだけを言って終わりなのです。そして、誹謗中傷と決めつけています。読めないからでしょう。言われそうなことを、言ってくるのです。ネズミかゴキブリのようにゴソゴソと、ウンコのような雑言を振りまく活動様態です。決して近づいてはいけません。
(シャローム)
あなたが今日一日、明日、その後どのように「愛とか心とか信仰とかいったテーマ」に向き合って、自分のノートにどのような言葉を書くか、他の人とどのように生きるかはあなたのテーマです。たまたま共感し合ったり、そうできないとしても、あなたはあなたであり、私は私であり、私の生き方にあなたが干渉したり、また、あなたも他の人に干渉渉されることでもありません。
(私)
テーマに向き合って、どう言葉を書くか、どのように生きるかが、私個人だけの問題だと言っています。とんでもない、これは、重要な人間一般の問題です。シャロームは、どんなに迷惑をかけても、自分勝手に吹聴し、自分勝手に生きてきたから、考えたことがないのでしょうか。
(私)
人は人、自分は自分、という自己中心の身勝手を、真実追求においては、既に私は、何度も否定してきましたが、また、書いてくるのです。何も受け取っていない証拠です。自分に都合の悪いことは何も受け取らない人です。人間とは思えないです。
(私)
鈍感が敏感のふりをし、無理解が理解のふりをする、という、見栄だけで、悪口を決めつけてくる人型のケダモノだと思います。サイコパスと言ったことがあります。この人と関わることは、滅びを選ぶことに等しいと思います。
(シャローム)
もし、そうできないのであればあなたはかけがえのない自分の自尊心を乗っ取られてしまい、自己肯定感のないまま自立も、自律もできていないからではないでしょうか。
(私)
最近、シャロームは、私が何かに乗ったられたからみたいなことを書いてきます。根拠を示せないのに、平気で書いてくる異常者です。シャロームこそが妄想に支配されることが他者に有害となる実例を示しています。
(私)
前に、唐突に、あなたは自他未文化ですね、と書き始めたことがあります。どこからか仕入れて言葉を分かりもしないで当てつけてくる低劣な悪口が特徴です。そして、賛同者には、痒くなるような世辞を平気で言います。このような人がいること自体、驚きでした。今も何も変わっていません。
(シャローム)
心を乗っ取られた怒りと不信、うらみをぶつけて他の人の心を自分の支配のもとに取り込もうとしても、自分の心を取り戻すことは出来ませんよ。それ心を癒し、回復してくださる方がイエスさまです。あなたのイエス様にはできないのですか。
2019/8/26(月) 午後 11:04 [ shalom ] 返信する
(私)
約8年間の、シャロームがキリスト者ではないという批判があり、反論も弁明も出来ず、今も続いている現状で、上のような癒しと回復を語ることが、実に気色悪い偽善の表れになる、という長い文脈の流れが、シャロームには分からないから、気づくこともなく、また、書いてきています。吐き気がします。
(私)
怒り、不信、恨み、いずれも、シャロームの言動の源泉です。それを相手に向けて、心を乗ったられたなどといっています。シャロームは、心の無い人です。
(私)
シャロームの讃美言葉の酸味は、腐敗しか表しておらず、実に気持ち悪いことです。
(私)
「あなたのイエス様にはできないのですか」という言い方でも分かるように、シャロームのキリストは何でも癒やして回復してくれるシャロームの奴婢のような存在なのでしょう。このようにキリストを私物化しているのがシャロームなのです。
(私)
シャロームの神は、ただシャロームを愛してくれて、誉めてくれて、救ってくれるだけで、戒めもせず、懲らしめもしないのでしょう。そんな信仰が、人間にとって、何の助けになると言うのでしょうか。シャロームのキリストは、さぞかしシャロームそっくりの顔をしていることでしょう。身の毛の弥立つほど気持ち悪いことです。
(私)
このように、以前から、根拠なく批判者を病気と決めつけて、求めてもいない説明をしてきます。恐らく不都合な場合には、いつも、このように他者を悪か病気に決めつけて逃れてきたのだろうと思います。卑怯だけ、嘘だけ、偽りだけ、偽善だけを、生きる生業にしてきたのだろうと思います。決して近づかないでください。
(私)
シャロームが、回復してくださるのがイエスさま、と言っているのは、聖書のキリストではなく、シャロームの救われ妄想の中で、いつもシャロームの味方となり、いつもシャロームが正しいと言ってくれる捏造の偶像です。加えてシャロームがキリストを讃美するとき、シャロームは、褒めておけばいいじゃろ、という、最悪の罪を犯しています。有形無形の事実を総て、既に、ご存知の御方に対してです。
(私)
このように、聖書とキリストと神を悪用しているのですから、その罪と偽善の重さは、測り知れません。しかも、恐らく、故意だろうと思います。罪だけでなく、神とキリストについても、利用する以外、何とも思っていないのだろうと、最近、私は、思います。
(私)
本気ならば、本気で信仰によって、批判に抗してくるはずですが、時に「(笑)」と書いたり、今回のように牧師の説諭であるかのように装って、実際は、嫌らしい当てつけと悪口しか言っていないのです。
(シャローム)
私と、楽山さんと易坊さんはなりすましの同一人だという
あなたの妄想に付き合っているほど時間はありません。
もう十分すぎるほどの多くの時間を費やしているとは思いませんか。
(私)
時間があるかどうかの問題ではありません。
(私)
私は成りすましの疑惑と言いました。妄想は決めつけることです。また、間違えている。
(私)
そして、妄想は、シャロームが持っているものです。そして、今、私を対象にして、妄想だと言っている悪口が、その例です。いつも、シャロームは、何でも人のせいにする最悪の実例にしかならない、ということが表れています。
(私)
多くの時間を費やしても、不感不応の、オトボケや、繰り言や、妄想が返ってきます。シャロームを説得することは、とうに諦めています。シャロームが出てくるたびに、批判を貼りつけて、警戒を呼び掛けています。
(シャローム)
人はそれぞれ、自分の思い、感情、言葉、行動には自分に責任があるのです。
(私)
その責任を、一切、負うてこなかったのがシャロームです。また、自分の言葉で、自分を斬っているようですが、今まで、ずっと、あらゆるシャロームの言葉が、シャロームを斬り、否定する根拠となっているのです。シャロームの低劣な発言を見るたびに、その醜い根性がますます臭ってくるからです。
(シャローム)
私たちだけではなく、誰もが認めようと、認めなくても、生ける神の御手に守られ、御手に導かれ、愛され、生かされているというのが私の信仰なのです。
(私)
シャロームの讃美言葉の酸味は、腐敗しか表しておらず、実に気持ち悪いことです。
(私)
神は、嘘を、偽善を、神の名を悪用した無罪妄想を、守るでしょうか、否であります。シャロームは、聖書から都合の良い言葉だけをベロベロしゃぶっているだけで、聖書を読んでなどいないと思います。
(私)
神は、偽善者を守る神でないことは聖書から明らかなのです。シャロームは、聖書から、欲望の保証を受け取っているようですが、そのような神は、どこにも存在しません。このように、信仰という生き方の真実を求めるテーマにおいては、人それぞれは決して成り立ちません。
(私)
シャロームは、生ける神の御手は、偽善者をいずれ滅ぼすということを、聖書から学んでいないのです。神さえも欺いて、今も、平気で信仰?を説こうとする悪意は、いかなる詐欺師よりも、激しい病理の発露として、ネットをヌルヌルと邪悪さで滑りやすくしてゆくだけなのです。
(シャローム)
あなたがどのように考え、思われるかはあなたの自由です。
いつまでも私のお尻をなめるような生き方をしているのはあなた自身であって、くさいくさいと文句を言っても、それは私のせいではありません。
(私)
シャロームは、言わなくてもいい自由を書いたあとで、おかしなことを書いています。
自分に対してお尻を持ち出すのは珍しい比喩の書き方ですが、シャロームは、とりわけ臭さを強調したいのでしょうか。シャロームは、すでに破壊されている途上ですから、そういうことも、あり得るのでしょう。人格の低格化、シャロームを動かしているのは、とても、原始的な感情反応に基づく嘘と詭弁と悪口です。今後さらに醜くなり、最後はパニックのうちに狼狽するでしょう。
(シャローム)
いつでもあなたが自分で自分の歩み始めればよいことです。今週でyahoo ブログもおしまいになりますから、残り少ないこれからの時間を大事にされてはいかがですか。
Shalom!
2019/8/26(月) 午後 11:05 [ shalom ] 返信する
(私)
「こんばんは」「Shalom!」という挨拶言葉を書けば、丁寧な説諭を言い得たと思うようです。どちらの言葉にも相応しくない無根拠の悪口ですから、発言するたびに、罪と偽善を重ねているのです。ここまで来ると、手遅れのような気がします。
(私)
巻き添えにならないように、決して相手にしないでください。批判目的以外でアクセスしないことが大事です。世辞を言われて世辞を返したらシャロームの思うつぼです。ヤフーが終われば、別のブログで、同じことを始めるでしょう。百害あって一利なしですから、筆致からシャロームと分かれば批判も続けるつもりです。
(私)
前にも何度か書いたことですが、シャロームは、かつて、私に対して、1.被虐待児が大人になって虐待者になっている、2.自分に人格依存しているから構ってあげないと攻撃する、3.エホバの証人に似ている、と書いてきました。3つとも根拠のない侮辱です。
(私)
1.私の幼少期をシャロームに話したことは一度もありません。私は普通の両親の愛によって育ったと思っています。それを誇りはしませんが、シャロームは、全然知らないことからも、嘘を作り出すということを知ってほしいです。それが甘言で誘う低劣な詐欺師なのです。
2.シャロームに、依存する魅力は皆無です。依存される人というのは、その言動に何らかの魅力がるものですが、シャロームは、丁寧語と讃美言葉と聖書語を乱暴に羅列するだけしか出来ません。
それで誰もが頷いてくれると思っているのでしょう。自我の弱い人はそうかもしれないので注意してください。これは楽山や易坊にも言えることです。
3.エホバの証人について、私は、食べ物の戒律があることくらいしか知りません。
シャロームは、信仰においてさえも見栄を張る的外れですが、シャロームは、奇跡で守られていて、罪は悔い改めなくても赦されるので気にしてなくていい、という原始的なカルトのご利益信仰を語っていました。これは、シャロームの発言であり、シャロームは訂正していません。
(私)
そのことは隠しながら誘ってくるので警戒しておく必要があり、何より、近づかないことが最善です。シャロームの、やさしい言葉には、作為であり、実体はケダモノだと思っています。
(私)
シャロームは、キリスト教について書いてきても、讃美言葉を並べるだけなので、突っ込んで聞くことで馬脚をあらわしてきたのです。そのシャロームの信仰?は、おおよそ、人間の生き方からは、かけ離れたもので、何の救いにもなりません。シャロームというキリスト信仰など全く知らない者が、自分に都合の良いように捏造した妄想に過ぎません。シャロームは、不感不応と訂正不能の猛者(もさ)、そして、反キリストの亡者となっています。
(私)
シャロームは、今回「尻」という下品な言葉を使っていますが、問題は、言葉使いが荒いとか下品とかいったことではありません。シャロームは、平気で嘘を吐く男です。人間としての品格も節操もないと思います。その時点で、既に、シャロームの信仰についての発言は、詐欺師の騙し文句に過ぎないのです。
(私)
だから、理路も情緒も持ち合わせていないので、批判に対して返せないで、代わりに、コメント不承認・削除による隠蔽や、無根拠の悪口など、手段を選ばないのだろうと思います。捕らえられたケダモノの、涎を垂らしながら牙を剥いた断末魔の顔を連想させるほどの、野蛮な白々しさを、約8年間感じてきました。シャロームの、やさしそうな言葉は、全て嘘だと知ってほしいです。
(私)
私は最初から厳しい批判をしてきたわけではありません。シャロームに対しては、まともに答えず、はぐらかし、当てつけをしてきたことから、批判に路線を変更しました。約8年前のことです。
(私)
楽山に対しては、物わかりのよさそうな言葉面に騙されていたと分かったのは、シャロームの意見が常識的にも通らないところで、根拠もなくシャロームの味方をしたことで、信頼してはいけない相手だと知って批判をしています。
(私)
楽山&シャロームのラインは、私を、自説を強要する荒らしと見なしたいようです。では、彼らの言い分は、公共において成り立つでしょうか、否です。自己中心を勧め、実践しているところの、無罪妄想のシャロームと、アドラー教の楽山は、許可されてはいけない社会悪です。そこにおいて、批判の源泉が生じることは、必然だったと思います。
(私)
皆が信じれば社会が成り立たなくなるのが、カルトであり、自己中心は、その中心なのです。良心があるなら誰でも分かるはずの常識的判断が、楽山もシャロームも欠落しています。ゆえに、既に否定されて答えられなかった言い訳を、さも成り立つかのように、やさしい詭弁として、否定されても繰り返すしかなくなっているのです。
(私)
私は、自説の絶対的正義を主張しているのではない。楽山とシャロームの言うことが、とんでもないことだから、決して成り立たない社会悪だから、批判が続いているということです。
(2019年08月28日、同日一部修正)
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