ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

キリスト信仰と批判

失敗と悲しみ2

失敗と悲しみ2 後半は、昔書いた詩のようなものですが、数々の失敗を抱えて、歩いてきた悲しみの道の、さらに先に、ようやく成長の意志と足跡があり、小動物に喩えたくなるくらいの不完全で罪深い人間がいて、召される日までを過ごしているのです。 「フッ…

良心4

良心4 過去記事「良心」+加筆 に一部、加筆修正して再録します。 キリスト者は、人間の良心を捨てて神に従うのではありません。良心とは、神から人が恵みとして与えられた良い心のことです。信仰へ向かう心も含まれています。人間としての知性と感性を捨て…

人からの自由3

人からの自由3 正月早々ポップアップで作業を妨害した可能性のある楽山は、証拠がないじゃろ❔・とでも言って、しらばくれるかもしれません。しかし、思い当たる加害者は、楽山以外にいないのです。楽山は、犯罪衝動を抑制できない人だということを自ら証明…

神と信仰メモ3

神と信仰メモ3 なぜ、神の存在を信じる人がいるのでしょう。神の存在の証拠があるからでもなく、超常奇跡の成就を信じるのでもありません。個人にとって、生きるために必要だからなのです。この地上には、どうあがいても、自分の思い通りにならない悲しいこ…

信仰の節操

信仰の節操 https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12555648217.html 加筆して再録 おもに偽牧師シャロームshalom 自称ヨシュア、などが言った驚くべき背教コメント。 ● 罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい。 悔い改めは、神が与える。 (絶対自…

悲しみと信仰3

悲しみと信仰3 お詫び:体調が良ければ、毎日、過去作+加筆修正を中心に書いてゆきます。現在、体調は、あまり思わしくないので、不定期発信になるかもしれません。その場合、日付間違いが増えると思います。 偽善者は、相変わらず、弁明が出来なくても何…

信仰と教義と学問そして思考3

信仰と教義と学問そして思考3 2013年03月13日を再録+必要なら修正 コメントの日付は省略します。ずいぶん昔の、ヤフーブログ時代の、今では見つからないブログ「日常×非日常」の記事「「信仰」を捨てて神に従う」のコメントから編集を加えて記事にしていま…

神を恐れる心4-3

神を恐れる心4-3 記事「神を恐れる」を修正加筆して再録 http://st5402jp.livedoor.blog/archives/111022.html 信仰の弁えは、神を恐れる心から生まれます。 神は漠然としているのではありません。 漠然などという言葉を神に当てることは出来ません。 キ…

超常と信仰2

超常と信仰2 神・キリスト、聖霊の聖三位は、いずれも、超常の御方であります。人間は、超常に住んではいないし、超常を解釈する立場でもありません。人間が神聖に関わるのは、あくまで、人間として、受け取り、考え、信仰者は、仰ぎ、希望として生きる縁(…

神の国は3

神の国は3 2018年11月22日 私の記事「神の国はいつどこに」に加筆して再録 http://st5402jp.livedoor.blog/archives/111016.html 再録+ 信仰者の中には神は、キリストは、聖霊はと聖三位のことばかり語ろうとする人がいます。信仰のことといったら奇跡のこ…

主の祈り2

主の祈り2 主の祈りは、イエス・キリスト自身が弟子たちに教えたと新約聖書に記されている祈祷文。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E3%81%AE%E7%A5%88%E3%82%8A もちろん、主が祈るためではなく、聖書・福音書によって明らかなように、私たち信仰…

信仰者と偽善者2

信仰者と偽善者2 私の記事「嘘と世辞と侮辱(4)」から https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12542381051.html 抜粋して、まとめてみます。 嘘と世辞と侮辱(2)のコメント欄 http://st5402jp.livedoor.blog/archives/4024687.html#comments 殺伐とした批判…

老化・・聖書抜粋3

老化・・聖書抜粋3 旧約聖書は、神と人の違いと関係を表しています。 分かりやすくて情感に溢れる聖句を引用しておきます。 私が大切に思っている聖句です。 誰かのために祈るとき、母のために祈るときでさえ、 まるで遺言のように祈っていることがあります…

大事なもの4

大事なもの4 (過去の記事を加筆して再録) 大昔からの、聖書に書かれている神の起こした奇跡。それら奇跡に私たちは共感できるでしょうか。 処女懐妊から復活に至るまでキリストにまつわりまたキリストが起こした奇跡。それら奇跡に私たちは共感できるでし…

信仰と思想

信仰と思想 正しい道、正しい信仰、正しいキリスト教、正しいキリスト教思想などと、正しさを強調する向きがあります。そういう向きは神と人の違いを分かっていないのです。神をどのような御方として信じているかという自覚がないのです。 全知全能、絶対完…

不都合4

不都合4 (加筆修正再録です) キリスト信仰の立場から書いてゆきます。不都合は、不幸、災難、悲劇と言ってもよいでしょう。 生きておれば、必ず、自分にとって不都合なことに出会います。それ自体を避けることはできません。その不都合を無視したり、敵視…

在る・祈る 3

在る・祈る 3 新約聖書の中のパウロの言葉で、愛の賛歌とも呼ばれる聖句です。 (コリント人への第一の手紙、口語訳)13:4愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、 13:5不作法をしない、自分の利益を求めない、…

聖霊2

聖霊2 父・子・御霊(みたま)、または、神・イエスキリスト・聖霊、という三位一体の三位について、私が、いちばん不可解なのは、聖霊であります。何をやっても、聖霊の導きなら正しい、ということになりますが、聖霊の導きかどうか、どうして、聖三位でも…

原初から3

原初から3 2012年02月24日の記事 「原初から」を修正再録 http://st5402jp.livedoor.blog/archives/105626.html 原初の信仰が生まれるときそれは復活の類似体験であると言えば、かなり語弊があるかもしれません。復活=死人が蘇るという先入観があ…

反面の偽善者3

反面の偽善者3 洗礼だけなら信仰ではない。儀式の過去は信仰を保証しない。 善の意識だけなら信仰ではない。できるだけ、では、安い道徳に過ぎない。 全能の神聖に向かって守っていますなんて通用しない。 人に対してほどほど善い人になるのが信仰ではない…

考える信仰3

考える信仰3 宗教そして信仰は一見、客観性を失わせるように見えるかもしれません。 というのは信仰を知らなければまず信仰については語れない。信仰者であれば信じているのだから客観的には語れないというような理屈になるのでしょう。 しかしここには大き…

「確信」3

「確信」3 2018年04月30日 http://st5402jp.livedoor.blog/archives/2018-04.html かなり前に書いた記事、一部加筆修正。 神については全知全能と信じています。神の詳細は不明です。聖書に書いてあっても神は人知を超えているから人には分からないはずです…

キリストと人々

キリストと人々 神の性質として言われていることがあります。全知、全能、絶対、完全、永遠、不変、など。 信仰者が知るべき人の性質があります。全知ではない、全能ではない、絶対ではない、完全ではない、永遠ではない、不変ではない、ということです。 信…

共感性2

共感性2 (以前の記事を修正加筆しています。) 共感とは共に感じること。情緒や感動を共有すること。相手の心情を全部でなくても理解すること。相手と同じような心情を共有すること。言葉だけではなく相手を思いやること。人間の最も大切な心です。 私のよ…

信仰の心3

信仰の心3 キリストの奇跡の話を2つ上げておきます。物や肉体の奇跡が実際にあったかどうかは知りません。しかし、それよりも、ここで重要なことが、救われた人々の、それぞれの心にあります。 信仰において大事なことは、神そして救い主イエス・キリスト…

修正可能(改)3

修正可能(改)3 信仰を語る上で私が何度も強調してきたことに修正可能ということがあります。 人生の学習を可能にすることでありこれは一般的にも成長するためには必要なことです。 罪を認める、悔いる、祈り、告白する、赦され癒される、 反省する、学習…

反面の者(改)3

反面の者(改)3 私の記事「反面の偽善者」 https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12506066182.html を修正再録します。 信仰について神の啓示と聖霊の導きが根拠ですから議論の対象になりませんね・・などと言う人がいます。 (人が、どう受け取るかは、議論…

信仰者の立場から(改、再録)2

信仰者の立場から(改、再録)2 私は、もう長いこと、教会には行っていない。教会を否定しているわけではないが、向かないと思ったことはある。「誤解」https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12445725961.html 今まで書いてきたことを、キリスト信仰の立場から…

雑感まとめ2

雑感まとめ2 前に「雑感」として書いた記事を、再録+します。 障害と人格 障害を否認し障害に卑屈になれば障害を補う努力を怠り障害を隠そうとして人格が嘘吐きになります。 健常者に恨みをいだくなら健常者をだますようになり健常者以上の振りをして人格…

戦争の時代3

戦争の時代3 私は、戦争を経験していません。1954年生まれで、「戦争を知らない子供たち」の世代です。そして、年を取りました。それはもう、すっかり老人になりました。 私の父は熊本が本籍で、母は静岡がお里です。父母は日本人ですが、父は、今の韓…