ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

先入観から固定観念

 
  先入観から固定観念
 
 
書かれた文字や言葉で平板な宗教概念しか受け取っていないことを指摘しても、宗教や信仰を知っているような固定観念からの見なしを語る癖をやめない楽山です。基本は、無宗教ではなく、反信仰だと思います。信仰は自分を空しくすることですが、楽山は、自己中心に、自己の下に、宗教と信仰を見ていることが表れているからです。
 
 
  ふりだしに戻る(抜粋)
  https://ameblo.jp/aankzf2019/entry-12563240017.html
  2019-12-30NEW !
 

思想宗教は、青年期以降にいろいろ凝ったり、かぶれたりもしたが、結局はもとの無宗教に戻ってしまった。自分にはやはり特定の思想宗教によって定められた教義や価値観に則って考え、行動することはできない。

 
宗教は信仰のためにありますが、信仰は、教義や価値観に従って考えたり行動したりすることではありません。メニューの中から、気に入った思想内容を選ぶのが信仰だと思い込んでいて、いつも、自己中心の思想からしか見ない人には、届くことのないものです。
 

一巡した後で、元に戻ったというのは、そう珍しくはない話だけども、どうも自分もあらゆる面でそうなっているらしい。元に戻ったというところだけをみると、それまでのことは無駄であり、徒労にすぎなかったようにも思えてくるが、ずっと同じところにいたのと、いろいろなところを巡って還ってきたのとでは、大分ちがうだろうし、経験という点では益があったと思いたい。

 
楽山の一巡は、いろいろなところを巡って、気に入った商品はありませんでした、というような受け取り方ですから、信仰とは、かけ離れた物見遊山の散歩をしてきたに過ぎません。
 
楽山は、信仰とは関係のない所を、堂々巡りしているだけなのです。そのような態度では、救いも恵みも気づくことはないのです。それに、まるで気づかずに、ペンを控えることをしないのが、楽山の高慢の表れです。
 
 
  罪の意識を利用して、人を操る?
  https://ameblo.jp/aankzf2019/entry-12563226265.html
  2019-12-30NEW !
 

加藤諦三さんの本はあんまり読んだことはないが、ツイッターに流れてくる言葉を読んでると、なるほどと思えるものは多い。たとえば、これとか。

 
加藤諦三bot @心理学@katotaizobot )

相手の言うことに逆らったり、抵抗したり、断ったりすると、こちらが罪の意識をもってしまう時には、相手は要注意人物である。多くの人は罪の意識から相手の言いなりになる。そこが相手の付け目なのである。
2019年12月28日 04:34

 

こういうことは考えたことはなかったけど、過去を振り返ってみれば、「これを断ったら可哀想かな。冷たすぎるかな…」とか、「前にも断ってるし、そう何回も断るなんてできない」なんて考えてしまって、断りたいのに断れないという困った状況になったことはあった。
上のツイートのような見方を知ってみると、それこそが相手の狙いだったのだろうか。考えてみれば、そういう時の相手はやっかいな人が多かった。申し訳ないけどできないと断ると、怒って噛みついてきたりとか…。

 
宗教を、社交の上に載せている楽山です。
 
それに、楽山は、人を思いやったりすることができる人ではありません。約1年の間の言説に見られたのは、どこまでも自分基準で物事を考える狭量だけを感じます。「可哀想かな」「何回も断るなんてできない」なんて、真っ赤な嘘の芝居でしょう。「断りたいのに断れない」・・冗談じゃない。気に入らないことは、総て無視してしまう人です。悪質だ。
 

なんだか、そういう狙いで圧迫してきていたのだとすると、断ることに引け目を感じていたことがバカみたいだ。よし、今度からは、断る時には余計なことは考えず、きっぱり断ることにしよう。

 
断るか否かの前に、上に書いたような、思想という品物を選ぶ態度なら、宗教も信仰も語ってほしくないわけです。楽山には、知らない、分からない、という謙虚に相応しい自覚が欠けているからです。
 

蛇足ながら、メタリカのドキュメンタリーを見てたら、ジェイムズ・ヘッドフィールドが歌うことをきっぱり拒否する場面があったのだった。自分は喉が痛い、もう限界だ、だからこれ以上歌うことは御免こうむると。
自分はどうも根がどこまでも優柔不断でお人好しにできているようで、取り付く島もないほどきっぱりした拒絶は気が引けるのではあるが、今度からはジェイムズ・ヘッドフィールドになったつもりで、断るべきことは断ることにしたい。

 
まず、ミュージシャンが歌うのをやめることと、信仰を持たないことを、同次元で語ることは出来ません。楽山は、書けば、的を外してばかりです。
 
楽山は、悪意ある人です。このように、信仰を、軽く扱って書いて、気持ちがよいのでしょう。
 
 
  宗教の押しつけ
  https://ameblo.jp/aankzf2019/entry-12563222572.html
  2019-12-30NEW !
 

・海外「日本人はキリスト教徒的なのに…」 カトリック司教が語る日本での布教の難しさが話題に|パンドラの憂鬱
コメント欄を読むと、宗教の押しつけに対する嫌悪感はすごい。一神教もイメージはよくないようだ。
信者側からすると、私はこれで救われたという思いや、これこそ正しい宗教だという確信が強いほど、布教活動に熱心になるのだろうけど、一般人からすると、熱心に宗教をすすめられるほど、たとえそれが善意によるものであったとしても、押しつけと感じて迷惑するのだろうから、布教活動にまつわる問題はややこしい。

 
楽山は、いつものように、反宗教・反信仰の宣伝に専念して印象操作をしています。楽山は、一般人ではなく、宗教と信仰に強い偏見を隠し持っているので、宗教と信仰についても、一般にとっても、有害だと思います。
 

実際のところは、信仰観は人それぞれであってそれを一つにまとめ上げることは不可能であろうし、もし仮に唯一の正しい信仰があったとしても、人がそこに辿り着くには各人に定められた時があり、その時が来るまでは周囲がいくらやきもきしたところでどうにもならず、その時を早く招き寄せようと焦って働きかけても相手の心を頑なにするばかりでかえってその時を遠のかせることになりがちでもあり、結局は周囲にできることはその時が来るまで見守り続けることくらいしかないのだから仕方がない。

 
信仰観が、反信仰であるのが、楽山です。そういうベースだから、宗教も信仰も、余計なおもちゃと見なしているのです。一般的に、宗教の強制や強制的態度はカルトの特徴です。真実の宗教と信仰は、強制など出来ない本質です。
 
アドラー教に倣って、自己中を広めている楽山は、カルトの宣教を批判していますが、楽山のやり方は、ボンヤリ言語によって、"一般は・・ですよね印象"を植え付けようとしているのでしょう。こういうやり方をしてくるのが、軟派カルトの特徴なのです。
 
高圧ではなく、空約束でもなく、印象を吹き込み、刷り込んでくるのです。この記事も、はっきり言わずに婉曲的な書き方をしています。これは、言論において卑怯なやり口ということになります。
 

こういう考え方は、心が沸騰するほど信仰に燃えている熱心な信者には受け入れがたいことだろうけど、自分はかつてとある新興宗教に凝り、伝道活動をした経験からすると上のようなパターンは多かったし、

 
このように、楽山が、硬派カルトを批判しながら、自身の軟派カルトの刷り込みをしたり、クリスチャン芝居をしたり、批判されても書こうという執念深さを思うと、楽山は、とんでもない企みを持っていると判断せざるを得ないのです。
 

そのせいか宗教とは距離ができた今は、宗教を信じている時に必要なことは、人を裁いたり、善導しようとお節介をすることより、まずは自分を律しつつ、相手を信じて待つことではないかとつくづく思うようになった次第である。ちなみにこれは、宗教の布教活動だけでなく、その反対のカルト信者に対する脱マイコン活動についても言えることだと思う。

 
そう言いながら、反信仰を刷り込んでゆくのが楽山ですから、誰も読まないほうがいいと思います。自分を律するということが自己愛の強い楽山にはできないのだと思います。そして、硬派の高圧的態度ではなく、遠回しに、自分は一般人ですよ、という立場で、すりこみ、ふきこんで、ほのめかして、マインドコントロールしてゆくのが、軟派カルトの手口のようです。
 
 
  『旧約聖書 詩篇』関根正雄訳、岩波文庫
  https://ameblo.jp/aankzf2019/entry-12563216235.html
  2019-12-30NEW !
 

前々から詩篇にひかれつつも、本文だけを読んでいるとなんとなしに自分の理解に自信が持てず心許無い感じがするし、詩篇講義というような本格的な書籍は難しすぎるし、どっからどう読んだらいいのだろうと迷っていたのだが、最近、岩波文庫の『詩篇』を見て、「おぉっ! これはいい!」と思えたのはよかった。

 
詩篇だけでなく、聖書全般に、楽山の感想文は、信頼してはいけないと思います。根拠は、今までの記事に書きましたが、とても何かを虚心に受け取る姿勢ではなく、上から見下ろして品定めをするように批評する立場で、その批評は、あまりにも的を外して、見当違いも甚だしいからです。恐らく、作為であり、自尊過大の評論家気取りの、興味本位に過ぎないので、聖書から何も受け取る気はない、ということでしょう。
 

岩波文庫は、自分にとっては若干敷居が高いのではあるが、本書では本文とともに、巻末には一篇につき数行の簡潔な解説があり、なかなかいい感じだ。ようやく自分が求めていた本に出会えた気分。本当はこれも自分には難しすぎるのではあるが、とりあえずこの本を通読してみることにしよう。
本を読むとき…特に宗教書を読むときは、自分の霊感に従って読むのがもっとも大事だという考え方はあるし、実を言えば自分もかつてはそういう考え方が強かったのだった。とんでもなく傲慢なことだけど、宗教書は霊的直観がなければ分からないし、それに欠ける学者の解説を読んだって仕方がないとさえ思ってた。

 
「宗教書を読むときは、自分の霊感に従って読むのがもっとも大事」・・楽山は、霊感が分かっているつもりなのでしょうか。その楽山の霊感は、楽山が書いてきた記事やコメントのどこにも響いていないし、意義のあることを何も提供していません。楽山は、霊感という言葉だけで、何も持っていないことが、何も表していないことに、逆に表れているのです。霊感があるっぽいという思い込みにしがみついているようです。
 
楽山は、前から、霊感?が大好きで、他の人は分からなさすぎるっぽい、自分は、霊感があるっぽい、仏様の心が分かるっぽい、みたいなことを言ったりしています。宗教をそういう霊感っぽいものだという先入観があり、人間として受け取る姿勢が欠けています。
 
前には、奇跡について、とんでもない詭弁を弄していました。
https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12562025912.html
 
恐らく理路も情緒も、シャロームと同様、損なっている人だと思います。
 
今まで、「っぽい」「ていうか」「かなあ」「かも」「でもまあ」などの婉曲表現は、受け狙いで、決めつけをごまかすための、ですよね口調の延長にあって、楽山のボンヤリ言語のひとつで、むず痒くなるような気持ち悪い表現です。
 

でも最近は自分の愚かさに気づき始めたのと、宗教にどっぷりつかるのではなく、やや距離ができてきたせいか、やはり霊感ばかりでなく、その書物の書かれた背景、一般的な解釈などについて専門家の見解を知っておいた方がよいと感じるようになってきた。宗教書に対するこういう向き合い方にはいろいろな意見はあるのだろうけれども、少なくとも今の自分にはこういう立ち位置が自然であり、必要でもあるようだ。

 
「自分の愚かさに気づき始めた」・・楽山に限って、自分の愚かさに気づくことはないと思います。自分がどんなに愚かでも、自分を高めないではおれず、人に、いちゃもんをつけるナルシシストぶりが続いています。
 
また、宗教も信仰も「どっぷりつかる」という本質は持っていません。宗教を嫌悪している者は、物言いも雑で荒くなるということです。楽山は、思い込み信じ込みのカルトと、信仰の区別も分からないレベルなのです。
 
「背景、一般的な解釈などについて専門家の見解を知っておいた方がよいと感じる」・・楽山を警戒してください。読んで都合の良いことだけに感想を書いていると思います。専門家の意見だからと、自分の都合で選択した情報だけを与えている可能性が大です。だから、楽山の勧める本を読む気にはなりません。いままでのことから、楽山は誤解と曲解だらけだと思います。
 
楽山の、宗教と信仰に対する作為的な姿勢においては、本についても、選択して記事にすることが可能ですし、上に書いたような、宗教を、おもちゃを見る感覚や、平板で幼稚な固定観念からしか見ないことなど、看過できない問題があります。
 
宗教や信仰について理解していないなら、分かっているふうに記事に書くべきではありません。分かってない自覚がなく、分かってる自尊だけだから、まともに書いているつもりになり、結果として、書いてくるものに深みも努力の跡も見られないのです。
 
分かっていないのだから、記事にせずに勉強するべきです。それができない、それをしないのは、楽山に、別の、執拗な、自己愛、作為、故意、悪意、企みが、訂正不能に、あるからだと判断しています。ゆえに、思慮のない分だけ固定して訂正不能になり、どこまでも打算と誤算で意志が働いて、お粗末なことばかりを書いてしまうのでしょう。
 
楽山の、自慢げに、批評家のように、本を読んだからと、書いてくるのは、いい加減さをごまかすボンヤリ言語とともに、読んで参考になる何ものもなくて、読むことを誰にも勧められない記事だから、批判しているのであり、これからも続けることになるのです。
 
 
(2019年01月02日、同日一部修正)
 
 
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