ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山の破正顕邪2

 
※ 光への工事が終わりました。パパパパと、ほぼストレスなく表示、・・速いです。
 
 
  楽山の破正顕邪2
 
 「ブログ村騒動」発言集(外伝 破邪顕正
 2021年08月11日 幸福の科学とは何だろう?ブログ by 楽山
 http://mmknky21.blog.jp/archives/10560488.html
 
 
執拗につづく「騒動」シリーズのようです。楽山が書く理由は不明ですが、「数年前」と書いてありますから、他に書くことがないときに、何も書けなくなったときに、こういうことをするのだろうと思うしかありません。書いて、説明しないのが、楽山の特徴です。
 
一連の記事において、引用の「>」の使い方が雑なので、楽山のコメントなのか、後のほうにある別のHNのコメントなのか、分かりにくいです。責任の所在を不明確にするための作為でしょうか。こちらは、推測して、引用し、楽山だけを批判しています。
 
 

*まえおき
数年前、ブログ村幸福の科学カテゴリー内において、HS信者同士の争いがありました。通称、「ブログ村騒動」です。
この騒動ではさまざまな争いがありましたが、その背景には「破邪顕正」という考え方があったようです。今回はそこに関連した発言をまとめました。
編集方針は前記事と同様です。名前のない文章についてはアドレスをみれば、発言者またはその派閥の見当はつくだろうと思います。

 
学があることを見せる、いや、見せかけるために、用語の説明をしない楽山、今に始まったことではありません。「破邪顕正」とは、漢字を見れば、邪を破り正を顕す、ということだから、だいたい、分かるとは思います。つまり、意味としては、新しくはなく、当たり前の正義を表しています。
 
(ネットより)
はじゃ-けんしょう【破邪顕正
誤った考えを打破し、正しい考えを示し守ること。不正を破って、正義を明らかにすること。▽仏教語。「破邪」は邪道・邪説を打ち破ること。「正」は「せい」とも読む。

dictionary.goo.ne.jp


 
相変わらず、プロデューサー気取りか、編集長気取りで、楽山は、自分が、なれない、できない、通用しないところを、お伽噺のように、独り芝居で演じて、満悦するのでしょう。楽山の人生は、芝居で出来ており、真実・真理・現実がないのだと思います。「破邪顕正」に、ずっと背いた来たのが楽山です。
 
 

*これもおもしろい
上とは違った意味で、これもおもしろい。口が悪いことで有名な英さんを正義感が強いとべた褒めした人が、コピペ攻撃で有名なポン吉さんを正義の人といった人を批判するという……。

 
このように、楽山は、他者の名を出し、他者を指して、他者のことをとやかく言って、邪悪だとけなして面白がることしか出来ません。自分を見ない者の地獄が、既に表れているのです。
 
 
 

選挙中おじゃまします
「某掲示板におかしな書き込みがある。アモーレさんのブログのコメント欄が発端」という連絡をいただき、確認のためにおじゃましております。
かつてLiberty webで、英の降魔成道さんと喧々諤々の議論をしていた、私 着ぐるみと他のお二人とも、アモーレさんのブログで、英さんに対して謝罪したことはありません。
今後英さんに対して、謝罪することもありません。
一体何が原因の謝罪かも理解不能です。
最近忙しくしておりますので、幸福の科学会員さんのブログに訪れることも殆どできませんので、無責任な書き込みに、これで終止符を打てたらと思っております。

 
楽山が、謝罪したとしても、現実感のない楽山の嘘ですから、無責任な楽山への批判は、無視が長期にわたって訂正不能であることを確認した時点で、楽山への信頼度ゼロが既に始まっており、楽山の記事がなくなるまで、止むことはないでしょう。信頼回復は、楽山の場合、ほぼ不可能だと思います。
 
 

破邪顕正公開処刑
ひょっとしたら、レオさんたちが法友批判しているのは破邪顕正の一環なのでしょうか。
そうして、レオさんたちの法友批判(破邪顕正)を、ぽん吉さん、コウさんらは「公開処刑は止めろ。法友を屠るのか」と非難しているという……。
レオさんたちの法友批判は、破邪顕正なのか、公開処刑なのか、それとも他の何かなのか、これはなかなか難しい問題です。
*結果から逆算すると
とはいえ、リバティwebのコメント欄が閉鎖されたという結果からいえば、そこでは破邪顕正というより、荒らし行為が横行していたんだろうなあとは思います。

 
楽山の記事とコメントは、人間離れした楽山芝居から楽山自身への、"破正顕邪" とでも言うべきものです。言論と言論者を、宗教と宗教人を、公開処刑ではなく、謀殺~暗殺してゆくことになる、というより、楽山が、自身の鈍麻病を伝染させることによって、実際、やってきたことです。
 
つまり、楽山というペテン師の言は、無反省に、無責任に、評論家気取りやインテリ気取りなど様々な気取りや、見せかけの丁寧語、ボンヤリ言語、トホホ言語、三文芝居、などによって、真面目に真実を追求する人と努力に対する、悪質な荒らし行為であります。
 
3年以上批判しているのを承知の上で、それを無視して、平気で、自分の言いたいことだけ書き続けられるという楽山の心性には、いつも呆れます。不都合を無視、罪悪感なし、ということでしょうが、それにしても、人間としての性質を、良心を、どんどん捨ててゆく楽山です。
 
私が関わりのないカルトの話でも、楽山という無神教カルトの話でも、一貫しているのは、人を欺くという罪悪が善を装うという偽善の色彩を帯びてくると、人間性がなくなり、いくら丁寧語を並べても空しく、ケダモノの臭気だけが、悪臭とともに噴き出してくることでしょう。
 
 

       

               臭気はケダモノ
 
 
(2021年08月12日)
(2022年09月10日、再録+加筆)
 
 
 
以下は、失恋の詩ですが、なぜか、ここに載せたくなりました。対話というものが、成立しない状況は、いろいろあります。また、言葉というもののもたらす罪もあるでしょう。
 
真実と詩情から離れれば、世の中には、言葉に、対話に、悪意と嘘と詭弁を載せて運ぶ病原菌のような人もいるのでしょう。腐敗は感覚を鈍らせ、悪臭には慣れるからです。
 
 
  対話
 
光が街中で叫んでいたのに
二人腰掛けて
向かい合って話していた
一人は一人の後ろの人を
もう一人はまた別の人を
二人が話していたという場面
それは対話
光も記憶もそれ以外を写さなかった
光が街中で叫んでいるのに
あれから数々の対話
人とだったか
幽霊だったか
幻だったか
夢だったか
話す方も答える方も
数さえわからない
対話?
今も光が街中で叫んでいる
 
 
  古い端末
 
誰かを判別し
誰かを裁いたかのような日々の終末
誰も愛さなかったことの結末は
ひとつの端末のように
ここにまだ残っていて
狭い箱の中で
飛び散る暗号をころがしては
間違った解読を遊んでいる
 
遠い遠い昔
「一応働いてもらってるから」
君は笑いながら言ったのち
求める位置へ去っていった
 
一応働かなくなってしまって
たまっていくほこりを払うように
たまに体を動かしてみる
腰と首と頭と
どこからどこまでだろう
解読できない痛みが
壊れかけた端末に年齢を刻み
安否だけは知りたいけれど
不意に現れるデータひとつひとつの
とびとびに欠けた部分の
傷つけたり壊したりの
入力を拒み
修正をできなくしている
もうこの顔しかない
 
 
 
楽山の害毒メモ:
今までの記事の流れに表れてきたこと。これは、楽山に限らず、聖書においてキリストの敵となった宗教指導者や、世に数多いる偽善者の特徴でもあります。この世で最も迷惑な人の特徴です。楽山は無責任です。決して信用しないでください。
 
楽山は、1つのことを書いて、別の時には、それに反することを平気で書いてきます。そこで、反省、修正、というステップを書かず、あたかも最初から思っていたことのように書いてきます。自分に誤りを認めない自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)だからです。
 
人格:
自己愛が強く自己中である。
笑いと怒りしかなく、反省と共感がない。
自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)と思われる。
平気で嘘を吐く。様々な詭弁を弄して、柔和に見せかける。
深い情感がなく、共感性がない。相手が疲れるのを見て快感を得る。
後悔、反省、修正ができない。学習による成長がない。
罪悪感、羞恥心が見られない。サイコパスと思われる。
アドラー心理学の宣伝をしていた。自己中心である。
中身や実質のない形骸的精神機能しか持たない。
 
議論:
議論や交流が、表面的で、整わない、できないし、する気がない。
相手の意見を受け取っていないので、反論、弁明が成り立っていない。
理路が常識的にも浅く、基本的に訂正不能である。理解力がない。
自分なりの堅実な理路を組み立てられない。
読書自慢。感想は平板で、独創性や深みがない。
様々な気取り。読書家気取り、評論家気取り、インテリ気取りなど。
分かっているという我執から離れられない。
非を指摘されると、逆に、こちらに当てはめて被害者面をする。
人を批判~誹謗中傷するが、その言葉で自分が斬られるブーメラン現象。
真面目に応答~議論すればするほど、病的な徒労感と疲労のみをもたらす。
ボンヤリ言語:語尾を濁し曖昧で婉曲的な言い方で、印象を刷り込もうとする。
トホホ言語:謙虚で弱いと思わせて悪意を隠すための嘘の芝居。
しばしば、自身への同意を期待して、見え透いた世辞を言う。
「反省。とほほ」などと書くが、不自然であり、前後で何も変わらないので嘘です。
 
宗教:
反キリスト、反宗教。聖書およびキリスト信仰を、貶めてくる。
キリスト教とキリスト信仰を字面だけで云々し、理解していると思い込む。
HSを脱会したと言っているが、真実かどうか、疑わしい。
霊能者のつもりだが、それに見合う直観的洞察は皆無である。
 
楽山の書いた文章を、3年数か月のあいだ見てきた結果ですから、大きく変わることはないでしょう。これらについては、新しい情報によって、必要なら加筆し、繰り返し載せることになるでしょう。
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html

1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
 

2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。

 
真実は、飾る言葉ではなく、事実でも喩えでも、人間性の精いっぱいの叡智なのです。決して、偽善者やカルトやサイコパスを飾るためにあるのではありません。楽山の妄想は、どこまでも言葉と人間に対する侮辱であり、正直の結晶を、病原の伝染から腐敗に変えてしまいます。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
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