ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山の不適格

 
  楽山の不適格
 
 霊言の判断方法(シルバー・バーチの霊訓)
 2020年09月27日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/26412442.html
 
 
楽山は、まるで使命のように、カルト批判を続けているつもりです。しかし、その楽山が、霊能者気取り、学者気取り、評論家気取りで、無反省で、無責任な発言を、ずっと積み重ねていることを忘れてはいけません。最も批判されるべきは、楽山です。ゆえに、楽山は、いかなる批判も、する資格はありません。
 

*内容
 霊言は、その内容で判断されるという考え方があるが、シルバー・バーチもそのように説いている。

全ては摂理によって規制されているのです。入れ替わり立ち替わりしゃべりたがる低級霊の場合は別として、名の知れた支配霊が道徳的に首をかしげたくなるようなことを言った例は決してないはずです。非難したり中傷したり陰口を言ったり、つまり低俗な人間のするようなことを支配霊がしたためしはないはずです。
(『シルバー・バーチの霊訓(二)』シルビア・バーバネル編、近藤千雄訳、潮文社、昭和60年、p.140)
 」
これをそのまま読むならば、悪口、中傷など、低俗で、不道徳な霊言は、低級霊によるものであって、まともな霊によるものではないということだろう。またこの文章のニュアンスからすると、低級霊というものは「入れ替わり立ち替わりしゃべりたがる」ものであるらしい。
これをまとめると、やたらと多弁で、落ち着きがなく、不道徳で、悪口や中傷が多い霊言は低級霊によるものであって、軽口は慎み、冷静で、道徳的で、悪口は言わず、中傷はしないのが高級霊によるものだということであろうか。

 
「やたらと多弁で、落ち着きがなく、不道徳で、悪口や中傷が多い」のは、楽山であります。
 
楽山日記ブログタイトルのLDは、ライブドア Live Door のことだと思いますが、楽山は、自己愛性人格障害によって学習障害 Learning Disability LDを伴っており、学習することが出来ないために、いかなる意見も受け取ることなく、自己中心の軸だけから、あれこれ言うのが生業になっている人です。楽山の言論の範囲に、一定の制限をしないと、他者の疲労の病原にしかならない人です。
 
楽山の婉曲的な発言は、根拠のない発言となり、悪口、中傷、当てつけ、言いがかり、そして、何よりも、無責任からの疲労を与えるものです。人の気持ちが分からない、共感という深い感情がない、心で受け取ることが出来ない、それが、楽山の特徴です。
 
楽山のボンヤリ言語という丁寧語にだまされてはいけません。楽山は、発言の責任を負うたことがありません。あらゆる真実の追求において、楽山は、議論不可で、決して相手にしてはいけない病質者です。
 
そして、時が経っても進歩がなく、同じことを言ってきます。それに加えて、さらには、全然、逆のことを言って、つまり、否定も肯定もせず、ゆえに、問われても責任を取らない男です。楽山は、口舌の害虫、言論の敵です。
 

*結果
シルバー・バーチによれば、霊言の良し悪しは、その影響、結果によっても判断できるとのことである。

実によりて木を知るべし──これは実に良い判断方法です。もし利己主義や欲得を煽るような、あるいは世間への義務をおろそかにさせたり、汚ない考えや隣人への思いやりに欠ける言葉を吐くようなことがあったら──もしも慈悲の心を忘れさせ自己本位の生き方を勧めるようなことがあったら、それが立派な罪悪性の証拠と言えます。
(同上、p.136)
 」
「実によりて木を知るべし」というのは、よく知られている考え方であるが、佐倉哲氏が批判を書いている。

「つまり、良い結果(善なる行動や幸福)を生むからといって、そういう結果を生んだ思想や信念が真理であるとは限りません。「ウソを言う人は閻魔様に舌を抜かれる」という非真理(ウソ)がひとを正直者にしたり、「あなたはガンではない」という非真理(ウソ)が病人を幸福にしたりします。つまり、良い結果(善なる行動や幸福)は、必ずしも、その人の信念や思想が真理であることを保証しません。
 」

 
楽山という反信仰と反真実は、そこで、固定されて訂正不能の自我意識、自己愛の自己中であるために、人を思いやって正直や幸福にすることは一切ありません。結局、言い知れぬ疲労を与えてくるだけです。それが、楽山は大好きなのでしょう。生きる理由ででもあるかのように、何を言われても、悪魔のように、平然と他者を無視して執拗に書いてくるのです。
 


この意味でも、「その木が良い木かどうかは、実を見ると分かる」というイエスの教えは間違っています。行動と思想は関係していますが、行動を見てその人の思想のが真理であるかどうかは判別できません。」
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/neo/n016.html
 」

 
いかなる宗教や学問によっても、真理を完璧に理解することは不可能だと思います。人には、限られた時空しかないからです。人は、ただ、把握できそうな限られた範囲の因果を思うだけなのです。
 
 (マタイによる福音書、口語訳)
7:15
にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。
7:16
あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。
7:17-19
そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。 良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない。 良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれる。
7:20
このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである。
 (マタイ7:15-20、新約聖書
 
単に行動からということではなく、結果を見れば正体が分かると言うことでしょう。例えば、楽山の、主張に芯のない発言は、嘘と詭弁と無反省と無責任という正体を、結果として表してきました。
 
なお、キリストの言葉を、また、聖書の言葉を、一義的に解釈して、その意味だけで全体に当てはめるのは、楽山は気づかないようですが、とても危険です。神の言葉だからといって、解釈しているのは、人間だからです。
 
つまり、楽山に対して必要なのは、他者を批判することではなく、もし楽山が自らを批判できないのであれば、一刻も早く、火に投げ込んであげることでしょう。決して反省だけはしない男、というのが、ここに、楽山という名で、存在しているのです。
 

この意見は、筋が通っているように思う。ただ思想と行動は無関係ではないとしたならば、特定の思想を信奉する者たちの言動について、一定の傾向性が見受けられるということは皆無ではなかろうし、そうであるならば「実によりて木を知るべし」という考え方は、常に正しいとは言えぬまでも、まったく考慮する必要なしとまでは言い切れぬようでもある。

 
「皆無ではなかろう」「考慮する必要なしとまでは言い切れぬ」・・楽山お得意の部分肯定のボンヤリ言語です。このような言い方を何度も読まされるのは、腐ってゆくようで、とても気持ち悪いです。楽山には、過去には、「かなあ」「ていうか」などという、ふざけた言い方が付いてくることもありました。
 
つまり、ここは、楽山の、何とか責任を逃れようとするときの、言い回しです。楽山は、キリストの言葉を、人が一義的に解釈することの危険を、ボンヤリ言語の言い回しでないと、言えなくなっているようです。だから、臭いと感じるほど、恐ろしく、回りくどくなって、論旨が散乱しています。責任を取れない者の苦し紛れの筆致です。
 
楽山が得意になって難しい言い回しで書いているのは、言われなくても分かるようなことです。楽山は、そういう当たり前のことを、理論家気取りや、様々な気取りで、難しいことも分かるんですアピールとして書いてきます。しばしば、私が読んで、不快で、吐き気を催してきた筆致であります。
 
楽山は、このような言い方で、自分が否定されないように、ということだけを企んできたのです。その結果、かえって、楽山は実に無責任な奴だ、という経過が続いています。
 

ちと緩い考え方かもしれないが、霊言の価値を判断する際に、その影響を受けた者がどうなって行くか、はたまた、どのような者がそれに興味を持ち、信じるかというようなことを観察するのは、一定の目安、参考にはなり得るように思える。

 
その観察を向けられている対象は、まさに楽山であります。自我の弱い人々が、楽山のボンヤリ言語に頷き、トホホ言語に親しみを持ってしまいます。その結果を見て、また、その文章の、いい加減さを整理することで、楽山は、人の心を破壊する悪魔のような詐欺師だと分かるのです。
 

*とある宗教団体の霊言
それにしても、シルバー・バーチの霊訓を読んでいると、どうしても幸福の科学(HS)のことを思い浮かべてしまう。大川隆法は霊言の回数を誇るけれども、これは「入れ替わり立ち替わりしゃべりたがる低級霊」に当てはまりそうであるし、その内容の低俗さについても、いろいろ議論があるし、それを信じる信者たちの人品についても同じく議論があるし…。
ちなみに、大川隆法の霊言なるものがネット上に出回っているが、その一部がこちら。↓

霊言 ブルース・リー
霊言 小保方晴子守護霊
霊言 宏洋守護霊 SMAPが解散した理由
霊言 宏洋守護霊、映画館に賽銭箱
 」(画像および詳細は省略)
上から、ブルース・リーの霊言、小保方晴子守護霊の霊言、大川宏洋守護霊の霊言×2であるが、これらは氏の行った霊言なるもののうち、もっとも低俗な箇所なのだろうけれども、こういうものを内輪の冗談とするならまだしも、本にして一般に売り出すというのは、どういう考えによるのか謎ではある。

 
子供の頃から仏様の気持ちが分かるんだ、と言っていたのが、楽山その人であります。楽山こそ、冗談ではなく、ブログに書いては、自らの霊性を見せびらかしてきました。
 
そして、「心の理論」という、とてもシンプルな発達心理学の話を、曲解し改造して、心霊の話に、でっち上げる、という、真っ赤な嘘を吐いていたのです。
 
そういう、みすぼらしく白々しい楽山に、いったい誰を批判する資格があるというのでしょう。だますための仮面が、他者の仮面を批判している体(てい)なのです。
 

特に、宏洋守護霊の言葉と称して、自分が出てきたからSMAPはもういらなくなって解散しただとか、自作を公開する映画館の前には賽銭箱を置いて全財産を寄付させるとか、無茶苦茶なことを言っているのは理解不能である。大川隆法は一体何がしたいのだろう? またこれを本物だと信じ、讃美する信者は何を考えているのだろう?

 
自己中であり、無反省で訂正不能で、無責任な発言を続けている楽山が、カルトのことを批判しても、楽山自身が、罪悪感を持たない悪意の嘘吐きであるならば、いくら文章を書き続けても、罪悪の履歴が蓄積されるだけであります。
 
正直な意見を出し合って、お互いに学習し成長してゆく言論の道を、楽山は、自らの詭弁によって、否定も肯定も出来ない迷路に誘導することで、自尊の快楽を求め続けているのです。
 
言ったことの責任を負わない楽山には、言論ではなく、吐物の汚い蓄積だけが、記事というゴミとして残っています。
 
いかなる善悪にも正邪にも真偽にも、楽山自身は、振り分けられる身なのであって、それらについて楽山自身が口を出す資格はありません。いつまでも、口先だけの、論客気取りの詐欺師に、だまされていてはいけません。
 
いったい、楽山を本物の批評家だと信じ、賛成する人は、何を考えていたんだろうと言われるでしょう。早く目覚めてほしいところです。カルト批判がいけないのではなく、楽山には、カルト批判をする資格がないと言いたいのです。楽山に、決して関わらないでください。
 
 
  石打ち
 
都会のオフィスには石ころが無い
代わりに人が石ころのように
ビルに壁に命中したり外(はず)れたり
 
ビルは紙切れ一枚であったりもするのだが
跳ね返されたりしている
 
石ころの人として当たって
砕けて死ぬまで続くこともある
 
石ころが石打ちの刑を受けている
 
 
  逃げる月
 
息子は暖炉に引き籠もり
炭から石灰へと化してゆく
 
娘は街で乳首と皮を売り尽くし
路地裏の溝に住むことになる
 
母親は血走った眼で台所へ行き
コトコトと指を刻み始める
 
父親は揺り椅子に腰掛け
新聞を眺めながら煙草の火を吸い込む
 
逃げる月日に追い立てられて
逃げたいのか休みたいのか遊びたいのか
 
しかし何事もなく夕食が終わり
父親はベッドに横になり眠ろうとするが
玄関のドアをノックする音がする
 
起きて行ってドアを開けても誰もいない
明るすぎる暗すぎる冷え冷えとして
 
手をこすりながら一歩外へ出れば
劫火のように天に向かって
燃え上がる家を背にして突っ立っている
 
 
人間は、受け取って返すことの繰り返しです。
返すことを忘れたら、奴隷になります。
受け取ることを忘れたら、凶器になるでしょう。
 
楽山は、凶器です。
 
 

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             不明の領域に巣食う者
 
 
(2020年09月28日)
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
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