偽善者の失言集2
偽善者の失言集2
偽善者の失言集
https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12556148868.html
に少し加筆してアップします。
少し手を加えたものもありますが、今までのコメントの遣り取りから、これが、偽善者、偽キリスト者、偽牧師である証拠と思うことを上げておきます。ヤフーブログ終了後、所在不明なシャロームですが、時々、嫌らしいコメントを書いてきました。
ヤフーブログのシャロームの記事と、その後の私のライブドアブログについたコメントから、まとめておいた記事を少し手直しして載せておきます。シャロームの言い分を否定してゆきます。
>「罪は悔い改めなくても赦されるから気にしなくていい」
罪を悔い改めないキリスト信仰は、どこにもありません。
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全聖書によって神ご自身がその言葉と御業によって証明された出来事を人としてわからないから、わからないと片付けてしまっては神のみ言葉と御業であるイエスさまを信じる信仰は成り立たないでしょう。
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分からないものを、分かったと偽って、それが信仰だと言っているシャロームの正体が、今、シャロームの言葉によって、明らかになりました。
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また取税人のように、権力をかさに着て、人から不当な税金を搾り取り、弱い自分を守るために、人から見下されることをひたすら恐れ、弱さを隠したり、恐れて、権力に自分の心を売ってしまい、みじめな自分を恥じて苦しんでいる人の姿です。
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取税人であった弟子マタイのように、キリストに憐れまれた取税人は、耳あるものは聞くがよい、という、キリストの話を聞く耳がありました。それは、決定的な違いなのです。
パリサイ人、そして、シャロームには、聞く耳がありません。自分が神の霊によるものだということだけを根拠とする神がかりから人間離れしたものだからです。
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イエスさまは
ふたりの人は祈るために宮にのぼったと言っておられます。
二人の人をくらべてどちらの人が正しいか、
どちらの人が間違っているかについて話されたのではなく、
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(ルカによる福音書、口語訳)18:14
あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。
(ルカ18:14、新約聖書)
このように、神によって義とされたのは取税人だと書いてあります。明らかに、取税人のほうが信仰として正しいのです。シャロームは、自分がパリサイに似た信条であるために、神に背いて、故意に的を外してパリサイ人を弁護しているのです。
読解に必要な聖句を、故意に、自分の都合で、無視する、捻じ曲げる、という罪を重ねています。上の解釈から、故意であることは明らかです。シャロームは、そういう人です。シャロームが好きなのは、このような悪だくみです。
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イエスさまは人の相対的な真実によって裁かれ、十字架につけられたのですが、神はイエスさまを良しとされ、義とされ、死人の中からよみがえらせてくださったのでです。
<
シャロームの安易な言葉の例です。相対的な真実、と書けば、否定できるから、都合がよい、とでも思っているのでしょうか。私たち人間は、元々、絶対ではなく、相対でしかないのです。
さらに、キリストを裁いた者たちには、相対的も絶対的も、真実など無かったのです。即ち、シャロームの言は、キリストには罪がないのに、十字架にかけられた、という福音書のストーリーに、真っ向から反します。
シャロームは、まるで、キリストに、罪があったが、神が、キリストを憐れんで、よみがえらせた、という筋書きのような書き方です。分かっていない者が、詭弁で辻褄合わせをして、合理化しようとする醜い姿です。
シャロームは、神はキリストの相対的な?罪を良しとした、とでも言うのでしょうか。神が罪を良しとするでしょうか。また、シャロームは、三位一体をどう考えているのでしょうか、三位同士で赦し合いが必要とでも言うのでしょうか。聖書についても信仰についても、シャロームが、何も分かっていないデタラメであることを露呈しています。
シャロームの信仰?は、その相対を人間として考えることなく否定して、神が、死人の中から蘇らせてくださったと奇跡だけを、絶対だ、絶対だと、喜んでいるような、幼稚な言葉と物質的な肉体的な奇跡にのみ頼る信仰?なのです。
だから、誰のためにもなりません。シャローム独りが、空を見上げて、口をアパ~ンと開けて、奇跡が降ってくるのを待つのでしょう。
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イエスさまは十字架の上で、「私を誰も助けてはくれません」とは祈られませんでした。反対に、ご自分を十字架につけた人(私たち)のために、父よ、彼らをおゆるし下さい。彼らは自分のしていることが分からずにしているのですからと祈られました。
あなたの泣き言とは全く真逆の祈りをされました。
<
私が、神に対して、弱音を吐いたことを、泣き言と、信仰とは真逆だと、責めています。そして、事もあろうに、キリストの祈りを例示したのです。
次は、私がコメントに書いたことです。記事にも、既に書いています。
私たちキリスト者が、救い主イエス・キリストとは、違うからです。
キリストは救い主、私たちは、救いを受ける側です。
なのに、あなたシャロームは、それを、立派な祈りをしなかったことで、私を責めています。
そこに、悪魔性があり、そこに、あなたシャロームが、キリスト相当と自分を並べていることが明らかなのです。愚かな。それが、あなたシャロームの次元、誇る信仰?なのです。
こういうデタラメを言って、信仰者や求道者に、嘘の信仰を勧めていたシャロームの罪は、無反省・無責任・訂正不能の悪性とともに、最悪の偽善として、計り知れないものがあります。
シャロームは、現代のパリサイ人だと、私は何度も言っています。まさに、それが表れています。
あなたシャロームは、湖に行って、キリスト相当なら、水の上を歩けばよいのです。
信仰は、人間がするものですから、信仰の正しさは、立派さではありません。それはパリサイ人の、取税人を見下す自慢の祈り?とキリストの言葉において明らかです。私たち信仰者は、人間に相応しい祈りをするのです。弱さを隠さずに。
キリストが、いかに、人間と共感性を持っていたかが、聖書には表されていることを、キリスト者は知っています。
キリストは、決して、シャロームのように人を見下ろして偉そうに語ったのではありません。悲しみと苦しみを、人々と共にして、かつ、それを、乗り越えているのです。
(マタイによる副遺書、口語訳)26:39
そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。
(マタイ26:39、新約聖書)
楽山やシャロームのような偽善者は、ここを、イエス・キリストは、何も出来ない人だったので助かりたくて弱音を吐いた、などと思っているのかもしれません。
キリストは、人間の肉体と心を持っておられるゆえに、人間としての悲しみと苦しみを人間と同じように受けます。それゆえにこそ、人間に共感できるのです。かつ、耐え忍ぶことで、ご自身の命を賭して、救いの使命を全うしました。
>
16. shalomです。おはようございます
2019年12月05日 13:19
「
「全聖書は呼んでいません。私が書いたのは、新約聖書を通読したということだけです。旧約は、ソロモンあたりで、ダニエル書あたりで、止まっています。責める材料にしますか。」
」
全聖書を読んでいない。そうでしょう。
一度は読みました・・あなたは自分の正直さを強調するために、虚言したり、嘘だと認めたりして、悔い改めを演じているだけなのです。
<
悔い改めないシャロームが、私の悔い改めの何を知っていると言うのでしょう。バカ丸出しと言います。
安いエサ投げたら、すぐ食いついてくるパターン。
私は、自らの弱みを、人の前で隠すことがあったとしても、神の前では隠しません。神は、既に、総て、見抜かれているからです。神に対して、隠すことは罪であり、かつ、無駄なのです。
シャロームは、自分のほうが正当だ、立派だ、という主張だけを繰り返してきました。
その時点で、つまり、いつも、シャロームは、キリスト信仰を真逆に取り違えてきました。
シャロームの信仰?は、真っ赤な偽物です。今回も、あからさまに、ボロだけが出てきたのです。
カルト的な偽信仰は、自分を立派に見せようとし、自分を飾り、言葉を飾ります。
本当の信仰は、神の前で、弱みを隠さず、飾らない正直な祈りを、神に捧げます。
「背教発言」コメント欄
http://st5402jp.livedoor.blog/archives/4710401.html
シャローム(shalom、シャロム、あなた、彼)
しばらく鳴りを潜めていたが、また、シャロームが、恥ずかしいコメントを書いてきました。
>
1. shalomです。おはようございます
2019年12月11日 12:15
12月15日のyahooブログの閉鎖が迫り、
相も変わらぬ妄想と虚言の締めくくりをされているようですね。
<
いつもながら結論の嘲りだけの悪口。
シャロームが言っている妄想も虚言も、実際は、私がシャロームに対して批判として、シャロームの発言を例にあげて、根拠とともに、指摘した言葉です。こういう返し方しかできないのがシャローム。
批判に対する根拠ある反論も弁明も、一度もなしえたことのないシャローム。
>おつかれさまです。
当てつけの皮肉。
>
しばらくご無沙汰しました。
わたしはさいわい良い天気に恵まれた年末の日々、
一枚でもたくさんのれいわ新選組のポスター貼りに努めています。
<
善人アピール。今までの経過から、説得力皆無。
>
st5402さんもお元気かどうかはわかりませんが、
れいわ一年も残り少なくなりました。
くれぐれも悔いのない一年としてください。
<
余計なお世話。既に、さんざん、こちらをけなしてきたのに、こういう世辞や挨拶だけは書いてきて、善人ぶろうとしてきます。すべて、嘘、偽者、ということが、既にバレているのですが。
>
お母さんを迎えて素晴らしい時をお過ごしください。
また新たな心で主の恵みの年2010年お迎えください。
<
母を迎える?・・外出で、介護施設から一時帰宅のことは記事に書いたけど、シャロームは、親孝行のことを書けば、私が自責の念でシュンとなるとでも思ったのでしょうか。(ここは2019年末時点の話です。現在、2020年末の時点で、母は、老健施設に入所しています。認知症で、会話も辻褄が合わず、歩行も難しく、自宅への外出・一時帰宅も無理になってきました。)
あなたシャロームは、学習も成長もしないから、これから2010年なのでしょうか。偽りから、偽りへ、ずっとそうやって年越ししてきたのでしょう。あるいは、からかっているのか。
自分の善行アピール、相手への求められてもいないお節介説教、言うだけならタダと思っているんだろうか。偽善を際立たせる結果にしかならないのに。
シャロームの、いつも自分のほうが上だと言わないと気が済まないのは、信仰を履き違えた、とんでもない老醜でしょう。
>
Shalom!
Shalom!
Shalom!
<
「平和」という意味のヘブライ語の挨拶に見せかけたシャロームのHN、という嘘のハンコを押しまくる強迫症状になっています。これまでのことを考えると、追いつめられた野良犬の遠吠えのように感じます。
長いこと、シャロームを見てきましたが、分析が単純になってきました。
こちらは既に何の興味もないのに、わざわざ、自ら進んで、同じパターンで恥をさらしに来るのは、無知と無恥の厚顔によって、恥ずかしさを感じないからでしょう。
底が知れてしまうということは、哀れなことです。自覚がなければ、迷惑なことです。
シャロームは、見当外れも甚だしい自尊によって、繰り言のように、根拠もなく「相も変わらぬ妄想と虚言」と、相手に言わないと気が済まない、寄る年の波と、年の瀬を迎えているのでしょう。
そして、シャロームの丁寧語は、シャロームの嫌らしさを表すだけです。
悪と偽善以外は伝わらないのに、今も丁寧語を使って、まともだと思われようとする老いの醜さが、間違ったペダルを踏み続けているのでしょう。他者を轢(ひ)くことにだけはならないように、黙っていなさい。
失言
(2019年12月12日、同日一部修正)
(2020年12月26日、加筆して再録)
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
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