ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

福音から遠い者

 
  福音から遠い者
 
 
 楽山のツイッターですが

  ・・書くか引用しないと人生が成り立たないのでしょうか。反省はせずに。



心機一転★こも楽山
@komo266
·4時間
キリストは、アメリカや日本にも訪れていたとすることは、モルモン経、竹内文書にも一理ありとすることになりますね。
午前7:13 · 2021年3月28日·Twitter Web App
https://twitter.com/komo266/status/1375934086527639552
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これってどうなの@宗教2世
@asasfjgg
昔の幸福の科学は、イエス・キリストの復活とは霊的な復活だと言ってた。
なのに最近は、宇宙人の協力を得て物理的復活を遂げ、その後アメリカ大陸、さらに日本の青森へ渡ったと言うことになったそうだ。訳わからん。
午前1:10 · 2021年3月28日·Twitter for Android
https://twitter.com/asasfjgg/status/1375842780027580417
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イエス・キリストは、すべての人のもとを訪ねて来られます。
 
目に見えないあり方で、ということを、霊的、という言い方もしますが、霊的と言うことで、神秘の味を人が加えたがる傾向は、あまり良いこととは思えません。
 
さらに、楽山のような者は、キリスト教が、こんなにバカなことを言っている、あるいは、言われていると、揶揄して笑うだけです。悪意と作為で物を言う者の定めなのでしょう。
 
聖書を読んで、キリストを必要とする人と、笑いか妄想のネタにする人が分かれます。
 
キリスト者であってもなくても、2つに分かれてゆきます。楽山は、後者なのでしょうか。笑いのネタばかり探しているのは。
 
神の存在や、キリストの教えに、疑問をいだくのは、正常です。そこから、人の生きた学習が始まり、神の導きが始まるのでしょう。
 
しかし、最初から、おごり高ぶり笑っている妄想家に、真実が届くのは、それこそ、ラクダが針の穴を通るくらい、無理だということです。笑えば笑うほど、怒れば怒るほど、慢心すればするほど、揶揄すればするほど、別の者に愛され、利用され、捨てられてゆくのです。
 
 (マタイによる福音書、口語訳)
19:23
それからイエスは弟子たちに言われた、「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。
19:24
また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。
 (マタイ19:23-24、新約聖書
 
 (マタイによる福音書、口語訳)
23:23
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。はっか、いのんど、クミンなどの薬味の十分の一を宮に納めておりながら、律法の中でもっと重要な、公平とあわれみと忠実とを見のがしている。それもしなければならないが、これも見のがしてはならない。
23:24
盲目な案内者たちよ。あなたがたは、ぶよはこしているが、らくだはのみこんでいる。
 (マタイ23:23-24、新約聖書
 
地上に生きる人の信仰が、完全になることはありません。
完全という能力が人にはないからです。
 
完全な信仰を求めること自体が間違いであります。信仰が完全になる、あるいは、なったと思うなら、その思いは罪であります。人間である限り完全はありません。神の前に、信仰者であってもなくても、人は罪人です。
 
救われることと、完全になることは別です。人間の希望は、前者であって、後者ではありません。
 
ゆえに、おごり高ぶる者は、傲りを信仰し、高ぶりを信仰し、即ち、自分を信仰しているので、いかなる救いも、受け取ることがないのです。神がどうこうというよりも、人がどうこうということで、救いを受けるかどうかは、終末以前に決まってゆくものなのです。
 
 

心機一転★こも楽山さんがリツイート
藤倉善郎YoshiroFujikura@やや日刊カルト新聞総裁
@SuspendedNyorai
確かに隆法って変に正直なところありますよね。信者さんたちも含めて、それがおかしいことだと考えてないから、ことさらに正直じゃなくて普通にしてるだけって感じかもしれないですが、それでも結果、正直っちゃ正直。特に信者さんは基本、ウソはよくないっていう教えにも忠実な真面目な人たちだし。
午後3:58 · 2021年3月28日·Twitter Web App
https://twitter.com/SuspendedNyorai/status/1376066211612483584

 
HSは、教祖も信者も正直だというツイートを、楽山が引用しています。「変に正直」と楽山が言っても、不正直よりは、マシです。楽山は正直なところが全然ありません。
 
ゆえに、なおさら、不誠実で、嘘吐きの楽山には、HS批判をする資格はないことになります。楽山の体質的な嘘吐きは、当然ながら、体質的な正直よりは、はるかに性悪です。
 
どんどん墓穴を掘ってゆく楽山です。既に、批判されて、その卑しさが明らかにされてゆく途上ですが、ますます、高ぶって、書いては、寒くなる楽山です。
 
 
 
※ 信仰は
 
信仰は、
静的ではなく、動的です。
守ることではなく、求めることです。
保存ではなく、成長です。
達成ではなく、努力です。
到着ではなく、旅路です。
座すことではなく、歩むことです。
境地ではなく、道です。
 
だから、気づけば誰でもできることです。
 
それを可能にするのは正直な祈りです。
 
信仰者は、
得ていると高ぶることをせず、
足らざるを知って低さの弁えを欲します。
 
偽善者は、そこを、真逆に勘違いしてゆきます。あざ笑うかのように。
 
 

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              高ぶる寒さ
 
 
(2021年03月30日)
 
 
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