ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山のざらざら

 
  楽山のざらざら
 
 「ブログ村騒動」発言集(霊言論争)
 2021年08月14日 幸福の科学とは何だろう?ブログ by 楽山
 http://mmknky21.blog.jp/archives/10598020.html
 
 
起死回生でも狙っているのか、遺書のつもりなのか《それはないと思う》、楽山は、自分で、ろくなこと言えないものだから、他者の言葉を集めています。一方では、他者の意見を無視して、自分は分かっているという自己顕示欲の鬼です。
 
楽山のような人につかまって、人生を台無しにしないでください。何も持っていない人です。人のための言動などしたことのない人です。あらゆる善き人を気取って見せますが、気取りだけで、数か月、付き合えば、良いところなど、何も持っていないと分かる人です。
 
こういう人に引っかかっていると、さらに、言うことを鵜呑みにしていると、思考が妨げられて、理路が分からなくなるでしょう。妨げられた思考を、楽山と同様に、詭弁で、ごまかすようになるでしょう。精神機能が、無反省と無責任のために、全般に鈍麻するでしょう。
 
この一連の記事で、楽山は、自分の意見を殆ど書いていませんが、僅かに書いたことも、批判対象になるだけで、つまり、人生や思想や宗教の深みなど、全く理解していないのが分かります。にもかかわらず、賢者を気取って俯瞰しているつもりの、厚い厚い面の皮であります。
 
リンクは貼りません。楽山は、殆ど書いていないので、人の口で、よく思われようとする匹夫の浅知恵が見え見えであります。人を引用するためには、先ず、自分の不完全と弱さを晒さなければなりませんが、楽山は、自分を飾るために、こちらが震え上がるほど傲慢です。
 
楽山は、信仰とは、反対側に棲んでいる偽善者です。
 
引用元は、大方、HSの信者のようです。
 
リンクは省略して、一部を引用してみます。一貫して、楽山は、人の口を利用~悪用している事実は変わりありませんし、楽山個人の主張が成り立たないことについて、楽山自身が、どうしようもなくなったのでしょう。
 

私が、ブログ【癒し 天使たちのことば】を、肯定的に捉えている理由
もしも
原理主義者達が主張するように
『信者達の誰もが、高級霊のインスピレーションが降ろせず
高級霊のインスピレーションが降ろせるのは、総裁先生タダ一人だけ!』ならば
悪魔達は、大喜びだろうね?
それが、真実ならば
悪魔達は
総裁先生が
寿命で亡く成るまで
後、約二十年の間
じっと我慢するだけで良い
その後は、悪魔達の天下に成るだろう

 
教祖の教えが、人間にとって印象深いものならば、永遠性を持ってきます。例えば、キリスト・イエスは、今も、聖書を通じて、生き続けています。人間が生きるために必要不可欠なことであるならば、消えることはないからです。
 
教祖が、狂素に過ぎないならば、後遺症が残ります。オウムなどが、その例です。個人的に影響を受けて、自由になれないからです。楽山後遺症を残してはいけません。
 

教団は、タダの、能無し教団と成って
救済力は、全く無く
ただ
教団維持の為に、御布施を集め
形骸化した教えを、維持する為だけに
存在する事に、成ってしまうだろう

 
大方の人にとって、カルトは、嫌な記憶と記録になります。
 
教えが、人を生かすならば、形骸ではないものが、教団にいてもいなくても、書物等によって、残ってゆきます。つまり、そこに真実の永遠性があります。
 

日本の神々が
そのような事態を、望むハズも無く
せめて
数多くの、神社や神殿において
巫女や神主達が
衆生の、様々な要望に応じ
高級霊達のインスピレーションが
適切に降ろせる事が、望まれるだろう
今回、私が
ブログ【癒し 天使たちのことば】を
肯定的に捉えているのは
そのような、理由からだよ?
もちろん
総裁先生と
我々、一般信者とでは
霊格の差は、歴然だ

 
楽山という教祖願望においては、跡形もなくなくなることだけが望まれます。つまり、楽山の生きた数十年は、一生懸命、紙くずを食い散らかす期間に過ぎません。そして、人の心も、食い散らかしてきたのです。それが、楽山の、利のため、欲のためなので、生きるほどに醜くなります。
 

だから
巫女達が、受け取るインスピレーションも
あれが、精一杯だろう
総裁先生の様に
長時間の
神降ろしは
とてもでは、出来無い事が、ハッキリした
さあ!
これからが
弟子達の正念場だ!!
タダの、能無しで
今世の寿命を終える
【役立たずの職員】で終わるか?
それとも
適切に、高級霊達のインスピレーションを受け
総裁先生も感心するような、立派な仕事が出来るように成るか?
私は
世界中の
キリスト教徒達や
イスラム教徒達を
立派に感化出来る、弟子達を望む!!
ただ
彼らから
逃げ回るだけの
能無し信者は、必要とはしない!!!
『正義の法』は
誰に対して行えば、救済出来るのか
貴方の胸に手を当てて
良く考えることだ。

 
キリスト教も、一枚岩ではないですから、感化されたり、無信仰になったり、妄想作りに変貌したりはあるでしょう。現にあるような気もします。だから、宗教において、最も大事なことは、超常の奇跡がどうかではなく、人間一人を生かすかどうかです。
 
信仰は、地上にあるあいだ、地上の人間に対して、何が一番大事なことなのかを、問い続けるでしょう。聖書を通じて、キリストが問い続けているからです。
 
楽山のように、自分だけを大事にしている者は、問うこともなく、問われることもないので、だんだん近くなるのは、警察か、精神病院か、どこかの河原・・だろうと思います。
 

今日は、エルカンターレファイトのことについて、感じたことを書いてみたいと思います。
なぜかと云いうと、私は最近少し体が重く、何となく変だったが、巫女役の方もそのことに気づき、どうしてだろうと意識を向けてみたところ、誰かが数名で私達に向けてエルカンターレファイトをしているのを発見しました。
これは、主との約束事なので、行じると主の光の降魔の光が相手に届くことになります。
私達はその降魔の光をありがたく受け取ることにし、しかし、その中に混じっている「砂」の部分は取り出し、祈りによって浄化し、発信者にお返しさせて頂きました。
ただ、私達が気付くのが少し遅かったので、私の家族にその影響がでまして、緊急に病院へ行くことになりました。幸い軽くてすみましたが、私の力不足を、とても悲しく残念に思っています。

 
お大事に。・・楽山は、人間性を喪失して、人間を物扱いするペテン師になっているために、こういうことも書けないのか、乱暴に引用だけしています。
 
2014年の記事の引用のようです。楽山は、なつかしモードに入っているのでしょうか。それとも、古い記事なら反発もあるまいと計算しているのでしょうか。いずれにしても、楽山が、今、目の前にある問題から逃れようとしているのは確かでしょう。
 

「砂」と書けばご理解していただけると思いますが、もう少し詳しくお話したいと思います。
これは、爽やかな風のお話の中で、この風に砂塵が混じっているというところから「砂」を使ったものです。
砂は、「あまりよろしくない思い」と言う意味で前回の文章に使っております。
その思いが人を傷つけると、言っているのです。
このエルカンターレファイトを行じるにあたり、まず自らの心を点検し、この砂塵が混じっていないかどうかをよくよく点検する必要があると思います。
そして純粋な気持ちで行おうとしているのか、主の教えに反した心でもって行おうとしていないか、これを問う必要があるのではないかと思います。
ですから、エルカンターレファイトを行うにも、修業の観点を忘れてはならないのではないかと思います。
多くの経験をすることにより、主の理想に近づく、そして、人の役に立つエルカンターレファイトが出来るよう、常に常に努力が必要ではないかと思っております。

 
砂が入っているというより、砂だけで出来ているのが、楽山だと思います。今まで、一度も、宗教と信仰の、実質の理解を表したことがありません。キリスト教と信仰について言えば、小学校レベルの屁理屈で否定したり肯定したりしたことだけです。嘘にまみれて、ざらざらしているだけなのです。
 
楽山も、楽山の記事も、決して信頼してはいけません。部分的には良いなどと思っているなら、その部分においても、一部を全部に見せかけるという詭弁を用いているのです。楽山の脳内理路が狂っているのか、作為の詭弁か、いずれにしても、関わってはいけない相手です。
 
 

    f:id:stdsts:20210814235610p:plain

          砂でしょうか。いいえ、潟(がた)です。
 
 
(2021年08月15日)
 
 
 
  一所懸命
 
森が町になって
町が焼かれて
火事が荒野をつくって
荒野が砂漠と呼ばれて
砂漠が山になって
固まっている
その上に黄色い人がいる
のが見えるくらいの小さい山だ
 
耕して種を蒔(ま)いている
穀物や野菜
果物まで植えている
のが見えるくらいの山だ
 
平地は誰かが持っていった
山をどうしようと持ち主の勝手だ
一所懸命とはこのことだ
 
山に家を立てる
道をつくる
車が走る衝突する
電気を通す感電する
水道を通す
プールができる
水があふれる溺れる
 
その上にビルが建って
コンピューターが置かれる
ゲームができる
町ができる
店が並ぶ
次々にビルが並ぶ
 
結局その中で温室栽培している
穀物や野菜や果物を
植えたり埋めたり掘ったり捨てたりしている
 
試験管を扱った手で
酒を掛けて祈っている
アルコールがガソリンに変わる
石油をまき散らす
余ったからだという
 
ここはどこだ
元々どこだ
黄色い人
ここは誰もいない
のが見えないくらいの山だ
 
(90年だか)
 
 
 
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(古い記事は載っていません)
 
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(ここは、ブログ記事をリンク・抜粋)
 
 
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 ※ 水害のニュースについて。広範な災害で、数十年に一度、経験したことのないような、命の助かる可能性のある方法を、とまで報道しながら、死者の報道が、数人というのは、どうなのだろう。 土砂や水に呑まれて、埋まっている人、沈んでいる人など、報道規制でもあるのだろうかと思ってしまう。発見が遅れるのは分かるけど。
老婆心ながら、岐阜県白川郷とか、大丈夫でしょうか。