ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山の児戯滅裂

 
  楽山の児戯滅裂
 
 「ブログ村騒動」発言集(番外編 楽山論争)
 2021年08月15日 幸福の科学とは何だろう?ブログ by 楽山
 http://mmknky21.blog.jp/archives/10611500.html
 
だらだらとURLばかり書いてい、URLをいっぱい並べていますが、クリックで跳べるようにはしていません。楽山は、ブロガーとして怠け者です。このような雑な出来というのは、楽山が、本気では、何も言えないことや、言うつもりもないことと、符合しているようです。
 
リンク先のアドレスを書いているだけなので、この記事では、いちいち、自分でURLをブラウザで確認するようなことはしません。恐らく、読み手を、批判者を、疲れさせたいのでしょう。そういう楽山の邪悪な意図だけが明らかになること、それが、この批判記事の意義であります。
 
飛べないリンクを、いちいち、こちらが、わざわざ追うことはしません。殆ど、楽山の、暇つぶしの記事だと思います。事情を知っている人だけが見れる設定ですが、事情を知っている人が、こんな記事を読むでしょうか。楽山が仕掛けている徒労への誘導は無視したほうがよいと思います。
 

*まえおき
数年前、ブログ村幸福の科学カテゴリー内において、HS信者同士の争いがありました。通称、「ブログ村騒動」です。
この騒動ではさまざまな争いがありましたが、今回はその番外編として、楽山論争を紹介したいと思います。楽山は「ブログ村騒動」を観察しつつ、その発言を保存し、感想を書いていたのだが、レオ氏はそこにあるレオ批判を見咎め、いわゆる当てこすりのような手法で楽山批判を書き、楽山の方もそれに応じて同様の手法でレオ批判をしたのでした。
またここでは、ついでにぽん吉氏による楽山批判も載せておきます。これによって、ぽん吉氏による楽山批判と、レオ氏による楽山批判との比較が可能となり、両者の性格の違いがよく分かると思うので…。私見ながら、批判というものは、批判対象よりもむしろ批判者本人の姿をあらわにさせるものなのだと思います。
編集方針は前記事と同じです。 

 
編集方針が、先ず、記事として成り立っていません。URLの林のような記事ですが、飛べませんし、楽山(自由)として書いていても、コメントも記事も分かりにくく、かつ、少ないのに、アドレスだけでクリックで飛べないのですから、何かを伝えようという態度ではありません。
 
楽山は、途中で投げ出したのでしょうか。ちゃんとやってるふうの見せかけだけなのでしょうか。主張が、全く見えてこない記事を書いて、いったい、何が言いたいのでしょう。ひょっとして、誰も見ないだろうということを承知の上での、自己満足なのでしょうか。
 

*発言集
 では、以下に双方の発言、記事を貼ってみます。(注 「自由=楽山」です)
楽山くーん、君ね、
人の意見ばかり集めて
自分の意見、ないんじゃないか??
君のポリシーは??
君の生き様は??
それが一番、大事なんだよww
楽山くーんww
シャキッと生きろや!!
シャキッと!!
2017/2/13(月) 午前 1:50 [ sle***** ](注 ぽん吉氏です)
http://mn266z.blog.jp/archives/17512695.html

 
確かに、楽山には、自分の意見などないと思います。どうでもいいのでしょう。かっこつけることだけが目的なのでしょう。だから、こんな不親切な記事を書いて、人が面倒くさがることを、サディスティックに見て、笑いたいのでしょう。こういうところが、迷惑男、楽山の本性なのです。
 

かしこまりました! (笑)
2017/2/14(火) 午前 7:36 [ 自由 ]
http://mn266z.blog.jp/archives/17512695.html

 
おふざけです。本気など、一度も、持ったことのない楽山らしいコメントです。しばしば、そういうときに「(笑)」を付けてくるのも、今に始まったことではないと分かります。これだけ、見苦しい自分を出しながら、平気でいられるのは、自己愛性パーソナリティ障害NPDだからです。
 

*これも偶然?
自分は、霊的なことにのめり込み過ぎてはいけないという記事を出したのだけど、その後に、悪魔は霊的なことから目をそらせようとするという記事が出ていたようだ。おもしろい偶然だ。何気に悪魔呼ばわりされたような気分がしないでもない(笑)。

 
楽山の悪魔性については、すでに書いてきました。ここでも「(笑)」で済ませられるところが、ますます、それらしいことを示していますが、楽山は、崩壊人格のために、感受できないでいるようです。にもかかわらず、こうはなりたくない病質というものを隠せなくなっているようです。
 

まあそれはともかく、この方も、悪魔は、菩薩以上の魂に限らず、それ未満の魂も狙ってくると考えているっぽい。でも、悪魔は基本的には、凡人は狙わないが、真理の団体の一員であれば、凡人レベルでも狙われることがあるという教義もあったように思うので、これはこれで従来の教義でも許容範囲かもしれない。
2017/3/14(火) 午後 7:36[ 楽山 (自由) ]

 
「考えているっぽい」という楽山の言い回しに惑わされないでください。楽山の記事は、無視しても、何も失うことはありません。真に受けると、徒労と疲労、そして、楽山と同じような精神の鈍麻が待っているのです。良いことを何も提供できない楽山の意地悪なあがきです。
 

*おもしろい流れ
ははは。こうして並べると、この流れはおもしろい。
●宗教の見分け方|楽山日記

 
「ははは」と独りで笑ってる・・こういうことは、独りの部屋でやってほしいのです。流れは、少しも面白くありません。バカバカしいだけです。楽山は、バカだけが笑うところと言われることを予想しないのでしょうか。もはや、完全に孤立して、自己満足だけのベロベロになったのでしょうか。
 

●価値観は人それぞれ|楽山日記
http://mn266z.blog.jp/archives/17512678.html
https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/40713379.html
◇人それぞれ、というだけではなく、万人に共通する普遍の真理もやはり要る|LEO幸福人生のすすめ

 
楽山は、人それぞれ、人は人、自分を貫く、という言葉を、盛んに、ついには、必死に、自己正当化のために利用してきました。自由には責任が伴います。嘘と詭弁と悪と偽善は、自由から、自由によって除かれるのです。何も知らないで、古く酸っぱくなってゆく楽山の酢の物です。
 

●聖人の道は、平坦で、誰もが通れる道である?|楽山日記
◇自分を正当化するための屁理屈を編み出しても、意味は無い|LEO幸福人生のすすめ

 
自己正当化の屁理屈のために、誰よりも、自分の人格を壊してしまった楽山であります。しかも、数年前のことを蒸し返して、何になるのでしょう。今の問題が、それで、解決するとは、到底思えない記事の有り様です。こういう記事を書くしかなくなったのでしょうか。
 

●人生で、一番大切なこと…|楽山日記
●人生で、一番大切なこと…(その2)|楽山日記
◇自分はどうしたいか、ではなく、人はいま何をすべきか、を考える|LEO幸福人生のすすめ

 
自分のしたいことだけしか目に入らず、何をすべきかを考えない楽山の、末路の1シーンがここにあります。どうにもならないことになり、どうにもできないまま、記事を書くという体裁だけを作って、書いたことにするのは、何も見えて来ず、手も足も出なくなった楽山です。
 

●本にがっつりハマれない?|楽山日記
◇読んで、理解して、考える|LEO幸福人生のすすめ
◇「清水幾太郎の新霊言」を読みながら … その1|LEO幸福人生のすすめ
●恩にこだわると、正義を見失うのか?|楽山日記
◇単なる言葉遊びと、本当の理解とは、ぜんぜん違うのだということ|LEO幸福人生のすすめ
●知的正直、自己本位、聖賢におもねらないということ…|楽山日記

 
楽山は、読むことも、理解することも、考えることも、できない人だと思います。また、恩も知らず、正義も知らず、普遍的なことを何も知らずに、原始的な恨みだけに生きていると思います。そして、言葉の字面だけを並べて、出来たと思ってしまう自意識だけの理論家気取りです。
 

パーソナリティ障害の観点からいえば、日本社会は、どんどん自己本位になっているといえるだろう。

 
パーソナリティ障害の観点というのは、精神病理の症例報告であり、あってはいけないことなのです。楽山は、こう言われて、わざわざ書いてくるわけですから、いかに、楽山の理解が的外れであるかが表れてしまうのです。
 
自己本位と、自己中心は、違います。自分を大切にするという人間本来のあり方と、自分のことしか考えないという他者を傷つけて悔いない悪意の本性という違いです。後者こそが、楽山です。楽山には、全く病識が見られません。
 

●宗教を止めてよかったこと(恐怖心からの解放)|楽山日記
●自己変革にこだわっていたころ…(変えられることと、変えられないこと)|楽山日記
◇正しき心の探究 ~自分に都合のよい偏ったモノの見方は、ダメ~|LEO幸福人生のすすめ

 
宗教を恐怖としか思えない楽山は、殆ど自主性・主体性がないように思われます。ゆえに、変えられるものを変えられず、「自分に都合のよい偏ったモノの見方」だけで書いてくるために、当然のごとく、齟齬を来たし、矛盾を呈し、批判を浴びせられて、何も答えられないのです。
 

この退転アンチの悪質さは、ブログ村騒動では、第三者の仲裁があって、騒動の原因が明確になったにも関わらず、その後も延々と、相手方の方が正論であるかのような悪質な印象操作を交えた、事実改竄記事を書き続けて粘着していたこと。
・『アンチとのディベートは不毛だなぁと今更ながら振り返る』記事のその後 - LEO幸福人生のすすめ(ライブドア版)

 
どういう仲裁があったというのでしょう。仲裁というだけでは、誰なのか、どういう立場の人なのか、分かりません。説明できないのであれば書かないことです。印象操作、改竄、これに説明も説得もないのです。これが楽山の屁理屈です。難しそうな用語を並べるだけの自己満足に過ぎません。
 

相手方の非が数多く証拠もあがって、事情がいっそう明確になった後でさえも、それらのことはスルーして、わたしを貶めたいあまりの、自己都合の解釈論でもって、延々と相手方を弁護し、こちらを誹謗中傷するという邪悪な行動を行ってきました。
・『アンチとのディベートは不毛だなぁと今更ながら振り返る』記事のその後 - LEO幸福人生のすすめ(ライブドア版)

 
楽山の解釈は、"論" になったことはありません。嘘と詭弁だらけです。それが、新たな証拠となってゆくのです。不毛なのは、楽山自身であります。議論の気もなく毛もないのです。
 

ブログ村騒動は、いくつもの論点があるので、これだけでは、どれについて言ってるのか分からない。
>LEO氏には確実な証拠が示され、事実は明らかになったにも関わらず、楽山は屁理屈をいって、事実をひっくり返し、誹謗中傷していたように見えているのかもしれないが、自分としてはたとえ証拠が提出されていてもそれだけでは事実確定できず、解釈の余地があるなら、ああでもない、こうでもないといろいろな可能性を考えることになるし、はっきりした事実が確定できるものなら、はっきりした考えを持つことになる。ただそれだけのこと。
信者ブログを見たけれど 2(古い話の蒸し返し)|楽山日記(LD)

 
楽山は、自己愛性パーソナリティ障害NPDですから、総て自己中心に回っており、解釈の余地など分かりません。事実が確定されることを、真実と思うのは、間違っています。心の問題を考えることの出来ない障害者である楽山の自閉世界に過ぎないからです。
 
「ああでもない、こうでもない」と、何事にも難癖をつけてきた自分の事実関係さえ、楽山は自覚していません。はっきりした事実確定も、はっきりした考えも、楽山には生まれないと思います。何故なら、人格が、自己中心では、結論など出しようがないからです。
 
まともな結論も経過も分からないから、意地の悪い婉曲の誹謗中傷しか出てこないのです。自己愛・自己中の軸しか持たない者は、議論自体が不可能です。何故なら、自己中の結論が前提になってしまっているからです。
 
議論は、正否を明らかにするためですが、楽山自身に、妄想的な正はあっても、否を思う要素がないからです。楽山は、いつでも、いつまでも、今のままでしょうから、議論をしたい人は楽山に関わってはいけない、という結論にしかなりません。
 
さて、自己愛性パーソナリティ障害の症状全開の楽山はどうなるのでしょう。記事の文脈も整理できなくなっています。主張もまとまりません。楽山は、ついには、繰り言にも疲れて、パニクって、何かのケダモノのように、ブラッパッパッパァァ・・とでも吠えてまわるのでしょうか。
 
理路の成り立たない度合いが、ひどくなっている楽山、ゴールは廃人でしょうか。なにはともあれ、おぞましくなってゆく楽山には、近づかないほうがよいと思います。昔の話をほじくり返して、まとまらないまま、長々と乱雑に並べても何にもならないことさえ、分からなくなっている楽山です。
 
あの頃は、輝いていたと懐かしみたいのでしょうか。思考がまとまらないから、まとまらない箇条書きにしかならないのです。今の問題から顔を背けて、なお、インテリ気取りで、整ってるふうを装うのでしょうか。整うことは、最初から、なかったのです。
 
 

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             整理しても滅裂の造花
 
 
(2021年08月16日)
 
 
 
  情報人間だ
 
多くの人が歩いている街
それぞれは血も涙もある人間だし
会って話している人もいるけれど
出会うことないお互いは
動く障害物にすぎない
障害物をよけながら
多くの人が上手に歩いている
群がり移動するお互いは
えさを運ぶ蟻以上の無関係
整然と群衆が移動する風景
確か複数のファイルをまとめてコピーする方法があったな
 
情報化社会のシステム
マルチメディア・ネットワーク
規格の統一
バーコードになった言葉
会話?
その恩恵から取り残されるとよっぽど怖いことになるのかな
 
今でさえテレビにも新聞にも本屋にも
情報はあふれているのに
どう選択したらいい
人間の記憶には限界があるのに
どう整理したらいい
コンピューターに保存しておけばいい
コンピューターの記憶装置が整理してくれる
コンピューターと記憶装置はつながっているが
人間とコンピューターはどうつながっている
人間の記憶の中にあった大切なものが
コンピューターに移されて
 
大切な約束のために訪ねたある日
ちょっと待ってねと
彼は部屋に入った
入ったきり出てこない
心配で見に行くと
パソコンがやさしい声で言った
「もうすぐですから少々お待ちください」
パソコンの前に座っている彼は
背筋をまっすぐ硬直させたまま
ディスプレイに向かって
複雑なバイナリーのコードらしきものを
さかんに左右の眼を点滅させながら
口から泡をふきながら叫んで発信し続けているのだった
 
(90年代か)
 
 
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
ツイッター
https://twitter.com/st5402jp
(ここは、ブログ記事をリンク・抜粋)
 
 
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