ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山の嘘と詭弁

 
  楽山の嘘と詭弁
 
 
霊能者・評論家などの気取り、無反省・無責任・無理解・訂正不能、高等感情の鈍麻、理路の未熟と荒廃、などが見られる反キリストの楽山の詭弁について、メモしたことを投稿しておきます。
 
既に、反キリストの偽善者の例として、約2年間の資料となっている楽山は、宗教を、趣味的にとらえ、甘く見た者の、宿命のような我執に対する、おのずからの報いであります。
 
批判されても、弁明も反論も出来ず、にもかかわらず自分の言いたいことだけ書き続けることこそが、楽山の、宗教に対する無理解と、議論と交流の相手にしてはいけない単方向性というものです。
 
仏様の心が分かるっぽいと言ったり、発達心理学を心霊の話にしたり、哲学者を心霊学者と言ったり、語っている詭弁が循環論法の矛盾を来たしたり、愚かさを積み上げてゆく不感不応の醜態。
 
道徳という言葉を使って、道徳的な詭弁からの解放を唱えています。"道徳的な詭弁"など、あり得ません。詭弁は、嘘の一種であり、道徳に反することです。また、当然、キリスト教と信仰にも反することです。
 
楽山にとっての、自然のままであることは、道徳から解放され、悪意をもって、嘘を吐き、詭弁に専念すること、そして、自己満悦に浸って、自己愛に溺れること。
 
思考も情緒も意志もない雪とかの自然現象のお伽噺の因果に喩えている悪の台詞を、変わっているから気持ちがいいのでしょうか、真実であるかのように語ります。
 
裏切ることも、同じ人間の心から生まれているからいいんだ、正しいとか正しくないとかないんだ、とでも言いたいようです。恐らく、楽山には、基本的な節操・分別さえもないのでしょう。
 
楽山は自分の意見に反することを、「堅苦しい主義や封建的道徳」などと見なしてくるところに、まともな道徳による判断の欠如が、真実に目を向けないことが、さらに自慢として、表れています。
 
主義や道徳は、堅苦しかったり、封建的であったりするものばかりではないでしょう。人間ならば守るべき節操というものがあります。楽山は、思いやりと共感、温もりと潤い、そういったことを学習していないので、人間なら当然の反応が出来ないのです。
 
具体的に間違いを認めて反省するのではなく、そして修正するのではなく、曖昧に「生来の情緒を取り戻し」などと言っていましたが、またしても、有能な人間だと自慢したいだけなのです。
 
楽山については、カルトが自身を言い表すのと同様に、全く説得力が無いために、超常や神聖や心霊の体験を持ち出して、だますしかないという習性があり、心霊、スピリチュアル、死後の世界、超常体験、などの超常が大好きな楽山の特徴となっています。一気に、超常になりたい願望は、カルトの特徴であろうと思います。
 
ホラーやオカルトを否定しないだけでなく、むしろ、自分に当てはめている楽山は、しかし、霊が分かるっぽいというだけの自覚であり、実際には、いかなるスピリチュアルの深さも、書いたことはありません。
 
都合の良い他者の口を正しいとして取り上げ、都合の悪い他者の口を無視するのは、まさに、カルトの断線であり、邪悪の一本道であり、自己中の沼であり、反宗教の身投げであります。
 
楽山が、批判されても批判されても、弁明も反論も出来ないでいて、全くお構いなしに、無視して、平気で、言いたいことだけを書いてくるのは、心性に欠陥があるとしか思えず、常人のものではないと思っています。こちらとしては、もはや、楽山の話を聞くくらいなら、犬猫の鳴き声を聞くほうがマシなのです。
 
楽山の言においては、きれいごとのボンヤリ言語「ありのままの自分に正直になり、自然体でいること」は、良心も感性も思慮も捨てて、人を食うケダモノになることを意味しています。
 
「生きている他者との会話ができなくなってゆく恐れ」などと、わざわざ書くのは、「注意の大切さを実感した経験がないでもない」と言って、つまり、自分は霊能者だ、という印象操作と宣伝です。
 
楽山は、ボンヤリ言語で、どこが詭弁や誘導であるか、ちょっと読んだだけでは分かりにくい書き方をするので、豪語するカルトと違って、邪悪さに気づきにくい傾向がありますから、何より、楽山を相手にしないこと、楽山に関わらないこと、近づかないことが大切です。
 
私は、数か月、だまされていました。受け答えがハッキリしないため、次に、責任を負うことが大切だ、といった牽制・指摘によって問いただしたら、ごまかして応じなかったため、相手にしてはいけない人だと気づきました。その後、批判して、信頼度ゼロと判断しましたが、その判断を覆すような記事を、楽山は、一度も書いたことがありません。
 
楽山は、批判に対して、嫌がらせ、言いがかり、嘘、詭弁を書いてくるだけだ、という証拠も、二年分、同時に積み重ねられて資料となっています。
 
「かなあ」「ていうか」「言えなくもない」「反省、トホホ」「信じやすい性分」など、芝居がかった若者言葉や、逆に、同情をひく年寄り言葉や、曖昧表現、婉曲表現、丁寧語で、言い逃れようとしたり、ちょっと変に丁寧だけど、いい人そう、と思うような人が近づいてきたら、改めて、楽山かシャロームの成りすましの別キャラの可能性があるので、要注意です。
 
 

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            おわりなきのうてんき
 
 
(2021年01月20日、同日一部修正)
 
 
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