ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

体質と言葉3

 
  体質と言葉3
        (再録+)
 
 
体質とは、ここでは、先天的または後天的に規定されるところの、その人の言動を特徴づける人格の意味で使っています。
 
(ネットより)
百科事典マイペディアの解説。
体質:
すべての精神的・身体的な人間の形質の総和で,遺伝と環境の相互作用によってつくられる。
https://kotobank.jp/word/%E4%BD%93%E8%B3%AA-91236
 
思想・宗教の言葉は、それを表した人の言葉によってではなく、それに反対する人の言葉によってでもなく、それを発する人の体質の良否によって、それを受ける人の、救いともなり、邪悪ともなります。
 
神の言葉は、それを受け取った人格の言葉を通して、人を生かすことがあり、人を壊すこともあります。こういうことは、人間の不完全性によりますが、なぜ起こるかは神の秘密でしょう。以上は、認めるしかない事実であります。認めない者は、自分信仰になるでしょう。
 
神の言葉は、人の言葉となって、先ず、人は、神と人の、そして、神の言葉と人の言葉の違いを学ぶべきです。神の言葉の真理は不可知であり、人の言葉の真実は曖昧に可知であります。この違いが、心掛けて弁えるべき信仰の節操であります。
 
 
受け取ることと、信じ込むことは違う。
 
思うことと、、決めつけることは違う。
 
判断と、断定は違う。
 
救いの希望と、不変の境地は違う。
 
いずれも、前者がキリスト信仰である。
 
 
絶えることがないのは、常時の平安ではなく、必要なときに、祈りに答えて与えられる癒しと平安であります。信仰は不変の境地ではなく、成長可能な生き方を支えるものであります。
 
人は、受け取れるものを受け取りますが、信仰が、物としてのプレゼントと違うのは、受け取って忘れるのではなく、受け取ってそのまま置いておけるものでもなく、即ち、固定できるものではなく、いつも人生に必要だから否定できなくなることであります。
 
それは、信仰が、固定して揺るがないのではなく、忍耐強く求め続けるものであり、否定の判断が下せないほど必要だと思い、希望し続ける祈りの生き方に生かされてゆくものです。
 
それゆえ、信仰は、いつも、新しい目覚めを求め続けます。完全に知ることが出来ないゆえに、求め続けるのです。そうして、信仰は、成長してゆくのです。一時に一気に、悟りを啓くことではありません。
 
正直に祈ることによって、人は、神の偉大さとキリストの愛と共感を新たに知るからであります。
 
 
 
異常な体質の特徴:
 
自分を責めることができない。
罪悪感がない。
しんみりと悲しむことがない。
自己中心にしか考えることができない。
 
思考と感情に深みが見られない。
短絡しやすく、上気しやすく、妄想化、固定化しやすい。
 
それゆえに、不都合において、自分の罪を認めず、反省せず、すべてを人のせいにする。
思慮によって理路を整えることができず、結論的決めつけを繰り返す。情緒面で、深い高等感情が発達していない。ゆえに、他者の意見を受け取っておらず、学習不能で、自己修正できない。
 
能力ではなく、異常な人格が、理路と感性を奪うからです。
ふつうに共感できることが、過大な自尊のために出来なくなります。
 
ゆえに、バランスが保てず、バランスが分からず、大仰な讃美言葉や、世辞の褒め言葉、そして、整わないまま結論を、でっち上げて、作り話やデマなどで、相手を侮辱するしかなくなり、暴論も正論も理解できず区別できずに、自分に都合の良い欲望の方向と、相手をおとしめ罵る言葉だけを繰り返します。
 
しかも、その間、高みから見下ろす嘲りが感情の表現として見られ、自分が上だという立場から抜けられないために、相手を見くびった発言しか出来ず、そういう見下し言葉だけを探しては出してきます。
 
そういう者が、人の意見を聞く耳を持たず、しかも、上から教える態度だけに凝り固まって、万事が益となると信じ込んで、自分の利益、つまり、正当性の根拠として、よく引き合いに出しているのが以下の聖句です。
 
 (ローマ人への手紙、口語訳)8:28
神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。
 (ローマ8:28、新約聖書
 
共に働くことなく、自説に慢心している者には、万事を疫病となるように、今に至る加害の成り行きが出来ているようです。決して、友達にも、仲間にもしてはいけない破壊的人格です。そういう人を批判するのでなければ、そういう人から遠ざかることが唯一の対策となります。
 
 

   

               誤謬を撒き散らす者
 
 
(2020年)(2021年)
(2022年03月29日、再録+加筆)
 
 
 
※ 
 
 楽山のリツイートですが
 
楽山は、他者の言を引用すれば責任はないと思っているようです。しかし、例えば、リツイートなどで引用して、批判対象としないことは、引用の意図が、賛同か、利用であるという責任を、全く理解しないのが楽山の自己中の病質なのです。口出しするな・・と、他者の口にしゃべらせて平気な楽山です。
 
 

心機一転★こも楽山さんがリツイート
ゲイの精神科医Tomy
@PdoctorTomy
·3月21日
何にでも口出ししてくるお節介な人っているじゃない?
そういう人はね、
暇なのよ。
別にアナタのことを気にしてるんじゃないの。暇つぶしなの。

 
他者を気にせず、暇つぶし、これは、まさに楽山のことでしょう。楽山は、おおよそ、関わるだけの真実も心得も持たないまま、宗教とカルトの問題に、さも分かっているふうに、コメントや記事を入れてきます。人の迷惑を考えず何でも自分勝手にやるのが自由だと思っているのです。
 
それに文句を言うのは、全部、余計な口を出すことでお節介だと言いたいのです。通らない屁理屈の刷り込みで、いちゃもんだけのボンヤリ言語で、真実に反する卑怯な迷惑行為をして、根拠もなく良いことを言っているつもりでいる裸の王様が楽山なのです。
 
そして、批判されると、このリツイートのように、他者のツイートから都合のよい文言を選んで当てつけてくるのです。自分で説明とか弁明とかが、全然できないからです。
 
楽山は、実に気安く、暇つぶしで、かつ、小学生レベルの知識で、宗教・信仰・真実について書いているとしか思えないのです。読者に対しても、とんでもない無礼な話であり、さらに、引用元に対しても、無礼な話であります。
 
以上より、楽山がこのツイートを引用する妥当性は、楽山が、していること、してきたこと、言ってきたことなどを考えれば、どこにもありません。人のことを考えず、なりふり構わない楽山の自己中の病質が今回も表れています。
 
 

中途半端に相手すると、どんどん入り込んでくるから、
笑顔で一言こう言いなさい。
「あ、大丈夫です」
午後2:45 · 2021年3月21日·Twitter for Android
https://twitter.com/PdoctorTomy/status/1373511102223454208

 
人を巻き込み、評論家気取りで、子供じみた幼稚な先入観で物を言い、かつ、責任は一切負わず、詭弁で言い逃れを書いて、全くの無反省でいられるような楽山は、ずいぶん前から、病質の者であり、全く "大丈夫" ではない、とても有害な人です。
 
前に書いたように、楽山の笑顔は、微笑みではなく、意地悪な、ほくそ笑みか、あざ笑いか、高笑いであります。それ以外に求めるものがないようです。また、他にすることもないようです。ゆえに、楽山は言われるべきです・・あなたは大丈夫ではなく病気です・・。
 
楽山は、悪意と作為について、結果を気にしなければ、平気でいられると思っているようです。あらゆる結果を無視して気にしないということは、正常心理ではありえないことなのですが、楽山は、病識がないので、反省することもなく悔いることもなく生きていられるのでしょう。
 
そのようにして、何度も何度も、楽山は、醜い自分を表して、恥をさらしに来るのです。楽山は、偽善者であり、カルト教祖願望であり、刷り込みや印象操作の詭弁屋であり、大嘘吐きです。
 
 
 
  値踏み
 
一人で思い巡らす人
こいつから学ぶべきことは何もない
むしろ邪魔だ
自ら手を下さずともこの辺が弱み
チクチクとついてやれば
そのうち手も足も出なくなるさ
逃げ出してくれれば願ったりかなったり
この男は役には立たないが
咬まれることはあるまいゆえ
当分は飼ってやるとするか
この人は一応立てておいて
程々の敬意を見せておけばことはあるまい
このお人からは幾らかは頂戴できる
今のところ借りるだけでもよいな
このお方こそ組んで、お味方、お味方
うまくいけばいつかは・・・
ん、ん、・・・フフ
 
私にいくらの値をつけた
人格を値踏みする者よ
 
えっ・・・?
空耳か
 
一人で思いわずらう人
人の気持ちをあれこれと推し量り
自分と比べ
思いあぐねては疲れ果て
寝込んでいる人
見積もれば
自分が誰よりも安くなることだけは知っていた
 
 
  少年と空
 
少年は空に焦がれる
少年は病んでいた
 
少年は口笛を吹き
歌を歌った
 
歌は空に流れ
きらめく無数の塵となって消えた
野に遊ぶだけの
少年の毎日
 
いつか風が吹いていた
いつか草が倒れていた
日は暮れつつあった
燃えるように誰もいなかった
 
少年が空に投げた希望も、夢も
やさしさも、光も、鏡も、人形も
ついに空に届くことはなかったが
夕暮れ、赤く焼けた大地に
空はどこまでも
少年の面影を追い続けた
 
口笛は空に焦がれる
口笛は病んでいた
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html

1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」

2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。

 
 
「反省、謝罪は大事なことだと分かって」いないのが楽山です。まともな人なら口だけ「実践するのは難しい」などと、ごまかすことは出来ないからです。楽山は「恥ずかし」という感性を持っていないので、みんなそうでしょ・・とばかり「人間の性」という、実に迷惑な一般化という詭弁を弄します。
 
また、楽山の、発作的で衝動的な多量の投稿が見られます。こちらは、まるで昆虫観察をしているようです。楽山については、病質者、偽善者、サイコパスなどと言ってきましたが、楽山は、そうじゃないという弁明の代わりに、悪口を書いてきます。この態度にもサイコパシーが表れているということです。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
ツイッター
https://twitter.com/st5402jp
(ここは、ブログ記事をリンク・抜粋)
 
 
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