ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山の崩壊2

 
  楽山の崩壊2
 
 2021年03月25日
 家田荘子さんをめぐって(宏洋と広報チャンネル)
 幸福の科学とは何だろう?ブログ(楽山)
 http://mmknky21.blog.jp/archives/9035527.html
 
 
(ネットより)
家田 荘子(いえだ しょうこ)は、日本のノンフィクション作家、高野山高等学校非常勤講師、高野山真言宗大僧都家田荘子オフィス所属。マネジメントはエクセリングと業務提携。

家田荘子 - Wikipedia

 
 

*霊言は信じる? 信じない?
宏洋氏と家田荘子氏のコラボ動画が発表され、それに対して幸福の科学の広報チャンネルが物申してた。
ここでは動画の発表順に並べておく。

 
霊が分かるっぽい?という霊能者気取りの楽山は、反キリストのくせに、教祖願望があると思っていますが、今回は、「霊言は信じる? 信じない?」などと言っています。白々しい限りです。
 
(動画省略)
 
 

*感想いろいろ
以下には、動画を見た感想を書いてみる。
広報チャンネルでは、家田荘子氏は「霊言は本物」と明言したかのような言い方だけども、実際はもっと控えめな言い方だと思う。

 
ちなみに、楽山が、前に自分について言っていた「霊感の一種」は、丁寧語ですが、決して控えめな言い方ではないと思います。何故なら、霊と霊能力について、しばしば、話題にしてきたからです。また、「心の理論」という心理学の話を、呆れた心霊の話にすり替えたこともあります。
 
 
(過去に楽山の言ったことです。)

自分は多少冗談っぽい言い方をしたので、笑ってもらうのはいいけど、おばさんたちは仏様の気持ちは全然感じないっぽいのには驚いてしまった。
仏様が喜んでるか、悲しんでるか、怒ってるか…そういうことは何となしに感じるものだと思うんだ。
ちなみに自分としては以前は、これは霊感の一種なんだろうと思ってた。でも近頃は、「心の理論」の延長上にあるという説に説得力を感じてる。相手の心を推測する機能が拡大されて、人以外の存在…仏様、神様、ご先祖様に向けられたのではないかと…。

https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12659805529.html

  
心理学の話である心の理論を、いくら延長しても「霊感の一種」にはなりません。推測する機能がいくら拡大されても仏様やご先祖様などの超常の存在を推測することはありません。推測するには根拠がありますが、楽山の霊の話には根拠が全くないからです。
 
特に、楽山は、精神も推測も貧弱ですから、こういう、あからさまな間違いでさえ、訂正することがありません。訂正不能の確信~信条だと思います。自分には、霊能力があるんだ・・と言いたいために、とても幼稚な詭弁を振り回しています。
 
 

家田荘子氏の動画の方が、宏洋氏の動画よりも和やかな雰囲気のように感じられる。宏洋氏の動画を先にとり、家田荘子の動画はあとに撮ったということだろうか。
とすると、家田荘子氏は宏洋氏に気を使って霊言を信じているといった可能性はあるのではないか。会って間もない対談相手の実父をエセ霊能者呼ばわりすることなんてできないだろうから。

 
「気を使っ」たかどうかについて、楽山に分かることはないでしょう。楽山は全く気を使えない人だからです。心が無いものだから、机上の辻褄で思いつくことを言っているに過ぎないと思います。人間を見るセンスの無い人は、宗教を見るセンスもないのです。
 
 

霊現象を信じる人は、霊現象の真偽判定はゆるくなりがちだが、家田荘子氏もその傾向はありそうだ。

 
宗教についての楽山の真偽判定は、ゆるいどころか、全くのデタラメです。自分のことを棚に上げて、他者のことばかり、どうのこうのと言うのは楽山の特徴ですが、その資格も能力も、楽山にはありません。ひどい霊能者気取りです。
 
 

他の人の意見では、家田荘子氏は、大川隆法による霊言のことをよく知らないで言っているのではないかだとか、大川隆法の霊能に疑念を提示すると、自身の霊能の真実性にも疑念が及ぶことを恐れたのだろうというものもあった。どれも一理ある。

 
どこが「一理ある」のでしょう。人の霊能力の話です。つまり、信じるかどうかの話です。楽山は、人の霊能の真実性を云々しても、自身の霊能を疑う気はないからでしょうか。霊能という超常に対して、恐れるどころか、ふつうあるもののごとく誇大妄想化しているのです。妄想には、一理もありません。
 
楽山は、何も学ばず、何も反省せず、何の責任も負わず、何の根拠もなく、霊能者を気取れば気持ちがよくて、その勢いで、人のことばかり書けるのは、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害)だからなのです。
 
 

家田荘子氏が駆け込み寺の話をしているのを聞いて思い出したが、幸福の科学清水富美加の出家騒動の時に、自分たちは駆け込み寺の役割を担っているとしていたのだった。今でもそのようなことを行っているのだろうか。
「設定崩壊」って、これまでさんざん言われてきたから、同じ言葉を言い返したいだけだろう(笑)。

 
楽山の場合、いかなる設定も、自己愛から出ていて、根拠を示すことがないため、理路として崩壊してゆく必然になります。あるいは、何らかの精神病理や欲求不満や怨念で、楽山が時に見せるところの、時と場合にそぐわない不自然な「(笑)」は、真剣味や深みのない異常者の笑いとなるでしょう。
 
 

自分は、大川隆法による霊言は信じていないせいもあってか、それを本物だとする意見には厳しい見方になってしまうのではあるが、上の動画を見て、大体このような感想を持った次第である。

 
楽山は、誰も、何も、信じていないと思います。誰かを、何かを、信頼することも信用することもないでしょう。楽山にとって、他者は、都合のよいところを利用するだけの素材なのです。楽山は、体質的ペテン師です。
 
楽山が、HS批判をしているつもりなのは、自分が変質ナルシストであることを隠すためなのでしょうか。楽山は、一方では、キリスト教への、批判ではなく、否定を続けているのです。そして、断定していないから責任問題は生じないと言っていますが、明らかに、否定、軽視、侮辱の反キリストです。
 
 
 
 宏洋氏はまた嘘をついたのか?(宏洋と広報チャンネル)
 2021年03月27日
 幸福の科学とは何だろう?・・楽山ブログ
 http://mmknky21.blog.jp/archives/9053813.html
 
 

*しつこい
広報チャンネルの宏洋批判はよく続くなあと思うのだが、もうかれこれ「宏洋氏に物申すシリーズ」は110回なのか…。まあ、しつこさについては、自分も人のことは言えないのだが(笑)。

 
「(笑)」・・またしても、楽山は、真剣味もなく、何を笑っているのでしょう。これは、批判でも忠告でもなく、揶揄、ひやかし、あざ笑い、の類であります。自虐にしても、楽山は、こういうことしか書けないのでしょうか、他に実のあることを何も書いてないのは。
 
批判者の資格もなく能力もなく、楽山が、否定を書くことは、明らかな迷惑行為です。しかも、楽山のしつこさには、根拠が無く、説明の理路が破綻しているために、説得力がありません。退屈で、真に受けると、疲労と徒労が増すだけであります。既に経験済みです。
 
そして、楽山を批判すると、それに対して、楽山は、基本的に無視してきますが、前に、st問題などと題して、悪口、いちゃもん、詭弁、そして、明らかな嘘までも、平気で書いてきました。楽山は、そういうことしか書けないのです。楽山は、うさんくさい詭弁しか書けないのです。
 
 

・出家で芸能界電撃引退のトップ女優と婚約破棄で教団教祖の父と絶縁/名誉毀損で2億の請求
動画省略。
・宏洋また嘘!「出家で芸能界電撃引退のトップ女優と婚約破棄」?両性の合意なしに婚約などありえない。【宏洋氏に物申すシリーズ110】
動画省略。

 
このように、引用・悪用、つまり、ゴシップで的なことを書くのが楽山です。他者の言葉と資料を借りる、本の言葉を恣意的に利用する、・・それ以外、何も出来ないのが、楽山です。正常な議論の邪魔でしかないのです。しかも、すべて、楽山自身の自己愛と快感だけのためです。
 
理路が成り立たない、高等感情が鈍麻していて、共感、罪悪感、羞恥心、反省力、修正能力、学習と成長の意欲と能力、などがない。不備の自覚がないのは、自己愛性パーソナリティ障害のために、自分を斬ることが出来ず、反省せず、学習機能がないためです。
 
 

*話題
広報チャンネルの動画は、ツイッターで話題になっていたので見てみたのだが、自分もこのツイートと同じ感想だ。婚約があったかなかったかは傍からはわからないし、現状では事実上の引退だろうし、女優として優れているにもかかわらず、一般の映画、ドラマに出演できていないのであればその方面では干されているということなのだろう。

 
まさにゴシップですが、宗教について、真面目な話が出来ない楽山は、こういうネタに飛びついて、興味本位の悪意を増幅しています。しかも、それで、「(笑)」って満悦しているのです。下種の勘繰りもいいとこでしょう。
 
どういう病気になれば、楽山のように人格が低格化して、遊びだけで、真剣なカルトの問題に、口を挿んだり、それで、笑ったりできるのでしょうか。恥ずかしくないのでしょうか。真実の追求から最も遠いところで、滑りっぱなしのピエロが、楽山です。とても宗教を語れる男ではありません。
 
 

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              あらさがし ゴシップ
 
 
(2021年03月29日)
(2022年04月18日、再録+)
 
 
 
 楽山のツイートです。
 

心機一転★こも楽山
@komo266
『運命の開拓』は、大川隆法の著作の中では、最も格調高い文体だったし、自分の先輩会員もかなり熱心に読み込んでたのだけど、だからこそ落とされてたのかもね。
大川隆法は自分より人気があるものは、人でも霊でも神でも、みんな嫌いみたいだから…。
絵文字(青ざめた顔)
午前9:03 · 2021年3月27日·Twitter Web App
https://twitter.com/komo266/status/1375599277888602113

 
「格調高い」と、褒めているのでしょうか、「だからこそ」「落とされてた」と、アンチとして批判しているのでしょうか。ボンヤリ言語で書いて、ごまかしに忙しい楽山です。自分のことを、全く考えなくなると、こういった無責任な他者への評価だけが楽しみになるのでしょう。
 
似たようなこととして、自己満悦か、取り入るために書いているだけで、明確な主張がないために、肯定を書いて、否定を書いて、断定していないからと責任を全く負わない、というのが、以前からの楽山の特徴です。だから、自分の言葉が、自分を斬ってくるのです。
 
楽山は、自分と、自分を満悦させてくれる霊の話以外は、人でも神でも「みんな嫌い」です。楽山に受け入れられていると思ったら、だまされているということです。その結果、楽山の書いたものを「熱心に読みこんで」近ければ近い人ほど「青ざめた顔」文字の用途にしてしまう楽山です。
 
分かりやすいカルトとも違います。楽山は、ボンヤリ言語で真面目を装い、トホホ言語で同情をひきます。全部、「絵文字」のような芝居です。何も信じていないし、信じたこともないと思います。アンチという遊び場を見つけて、オレは分かるんだと、楽しんでいるのです。
 
楽山の言の、うわべだけで気取り、中身の薄さと軽さ、生きている真剣味の乏しさ、非を求めない無反省と無責任、という、自己愛性人格障害の特徴を、見抜けるようになってほしいです。反省、共感なども、字面だけは書きますが、前後の文脈につながっておらず、まるで実感のないものです。
 
楽山の、言葉をわざとらしく書くだけで、感情・情緒の深さを表せない筆致に気づいてください。楽山は、深く考えることも、共感することも、病質のために出来ないのです。そのために、人を欺くことに快感を覚えるようになったのでしょう。
 
楽山の、高等感情鈍麻を知って、基本的に乏しい表情と、時に前の「(笑)」のようにニヤニヤするのとか「ははは」の高笑いとかを、思い浮かべながら、楽山の文章を読めるようになったら、現実的には、ただただ、うんざりしてしまうだけです。
 
他者の感情を表す「みんな嫌いみたいだから…」という婉曲表現と、「絵文字(青ざめた顔)」で、それこそ、ヒエーこわいよね・・、みたいに誘導する書き方しかできない楽山です。楽山は、感情・情緒について、表現する言葉面を持っていても、切実な中身を持ちません。
 
表現力のない楽山が、本や他者の文章を読むのも、リツイートするのも、学ぶためではなく、自分の都合に合わせた言い回しを拾って、利用・悪用するためです。結果として、薄皮のような、深みのない文章になり、賛同者は薄く同調し、一般には素通りし、理路を追えば疲労と混乱を招くことになります。
 
楽山は、他者の理路を理解できないから無視します。ゆえに、私の理路は、読者に、理路不全の楽山がサイコパスであることを知ってもらうため、私の、厳しい比喩などは、そういうことしか感じない楽山に向けています。
 
 
 
  消滅のベクトル
 
味方も仲間もいないことが
自分というものなのだと
細くなり薄くなり掠(かす)れるように
座標から消え失(う)せるベクトルの先を
何によって見ようとしている
 
贅沢病だと言われれば
そうでないことを証明するには
死んでみせなければならないだろうか
 
遠ざかるものが
遠ざかることによって
殺しにかかるなら
黙って殺されてあげようか
 
しかし何の土産(みやげ)もない
天に
何の宝も
未だ積んではいないというに
 
荒廃から崩壊へ
喪失から消滅への
方向しか持たないベクトルに
長さを問う儚(はかな)さよ
 
 
  夜明けのテロリスト
 
与えられなければありえなかったのに
人生切り取り放題と言わんばかり
聞いてもしようがないのは
成功者の格言めいた話だ
しかもそれが誰にとってもお宝のように
賛美する脇役や端役
騒ぎ立てる石ころや石焼きイモだ
 
夜は腹が減る
 
体は動物のように正直だな
賢者の話なら聞いてもよいが
賢者が賢者だと
わかるほど賢くはないのでね
 
 
 
楽山に似た筆致の raku という人のツイートです。楽山の成りすましを疑っています。楽山は、実に多くのキャラのHNに成りすましていると思います。楽山の根は荒らしですが、記事をもっともらしく書くのは、楽山の正体が、三文芝居の大好きな大根役者だからです。
 

raku
@rakusyo34
宗教アンチを見てて、素朴に思ったこと。
僕も宗教反対なのだが、
アンチ同士でなぜ反発するんだろう?
同じ目的、目標なら手を取り合っていけばいいのに、と思う。
なぜなんだろう?
同質は反発するから?
#宗教 #反対 #あんち #アンチ
午後0:21 · 2021年3月5日·Twitter for iPhone
https://twitter.com/rakusyo34/status/1367676679095607302

 
自称アンチのつもりの楽山は、誰とも、「手を取り合」うことなど出来ないと思います。「同質」でもありません。正直さもなく、深さもなく、情緒もなく、道理も節操もなく、薄笑いだけで、真実を求める人々の邪魔だけをしてきます。
 
楽山は、偽者です。アンチではなく、野次馬です。議論の場にはいないほうがいい人です。自己顕示のために、アンチのふりをして、実は、自分の霊能を信じていますし、自分信仰の自己カルトを、宣伝しているような楽山ブログなのです。楽山は、誰とも、信頼関係を築けない人です。
 
楽山は、複数のキャラへの成りすましの疑いがあります。疑われていながら、それでも書いてくるのは、楽山が、鈍いヒトで、危機意識もなく、罪悪感もなく、分別・反省力・責任感もない病質者だからなのです。高等な精神機能がないために、いつも平気でいられるのです。
 
楽山のような、思い込みが前提となって、訂正不能になっている心性では、正常ならば気づくことが、汽車の窓から見る風景のように、実感のない乾燥した絵の流れように見えるのかもしれません。深い意識を集中することが出来ないのです。
 
自己愛に囚われることは、人間を人間らしくする一番大事なものを捨てることです。自己愛者に出くわすことは、不幸であり、災いであり、偶然ならば事故であり、故意ならば犯罪なのです。
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html

1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」

2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。

 
 
嘘ばかり重ねてゆくと、自身も嘘の存在になり、存在感がなくなり、芝居とリアルの、空想と現実の区別ができなくなり、現実的な危機や罪悪に気づけなくなるのでしょう。楽山の笑いは、人格を捨てた者の笑いとなってゆくのです。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
ツイッター
https://twitter.com/st5402jp
(ここは、ブログ記事をリンク・抜粋)
 
 
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