ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山の詭弁と傲慢

 
  楽山の詭弁と傲慢
 
 2022年04月12日
 「アンチ論法 ー詭弁とは何かー」を読んだ
 幸福の科学とは何だろう? by 楽山
 http://mmknky21.blog.jp/archives/14172871.html#more
   を再度、批判。
 
 
先ず、楽山からの批判は無視してよいと思います。論理的に見せかけているだけです。論理の代わりに、楽山は迷路を用意しています。いちいち読んで返そうと思うと、精神疲労から人格破壊にもなりかねない危険な罠(わな)なのです。楽山については、次のようなことが言えるでしょう。
 
無反省、無責任、無理解、高等感情鈍麻、罪悪感の欠如、羞恥心の欠如、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)からの自己中によって、人を傷つけることだけを狙った論理に見せかけた論点逸らしです。乗ってはいけません。卑怯なポイントを指摘するにも忍耐力が必要です。
 
楽山の偽善~悪意の言については、問答無用です。楽山からの反論めいた言は、全て、自分を見て反省することのない病質者の卑怯な詭弁です。相手にして関わるのではなく、全否定を向ける必要があります。決して、楽山の言い分に乗ってはいけません。
 
 

*アンチ批判
 塩氏がアンチ批判を書いていたので、その感想を書いてみたい。

 
感想を書くのだそうです。反論でも弁明でもないのです。楽山の遊びなのです。そういう者への返事は、皮肉か、辛辣な比喩か、皮肉か罵詈雑言でも十分でしょう。楽山は、訂正不能に悪質です。捨てるべきゴミ人格という前提で準備していたほうがよいと思います。
 
 

ちなみに、塩氏は名前を「春」に変えたが、ここではこれまで通り塩氏としておく。

アンチ論法 ー詭弁とは何かー 
①反対する事だけが目的 なので、相手の意見に噛みつく。自分の意見は希薄。
②枝葉末節に難癖で傷をつけ、全体の否定へ誘導する印象操作 。
③相手の主張の一部分を抜き出し、継ぎはぎし、勝手な作文を創作。 
④この時に「事実の列挙」と称してスクショする事がある。
午前8:56 ・ 2022年4月11日・Twitter Web App
 」

・アンチ論法は楽で便利な論法ですが、
・これを使い出すと止められなくなり、
・だんだん「駄目な人間」に落ちて行きます。
・麻薬のようなモノですね。
・ご注意下さい。
午前7:11 ・ 2022年4月12日・Twitter Web App
 」
*感想
まず塩氏のツイートをざっと読むと、今回もまた、アンチはこういうものだと決めつけるばかりで、その根拠は提示していないのが目につく。

 
楽山は批判されて都合の悪いことは、「決めつけ」と決めつけてきます。これは常習です。根拠を示しても無駄です。真摯な意見を、全て無視するだけのサイコパスだからです。ロシヤの裏地見るとプッツン誰かに似ています。決めつけられて反論するなら、決めつけだと証明しないといけなくなります。
 
楽山は、遣り取りしてはいけない相手です。理路の迷路に誘導されて、混乱させてきます。そういう手段だけを学んで蓄えて体質として染みついてきたのが楽山です。一見、詳しく論述しているように見せかけていますが、楽山に理路は成り立ちません。ベースとなる良識と良心がないからです。
 
 

たとえば、アンチは「反対する事だけが目的」だとしているが、そういう判断をした根拠は提示されていない。これ以外の「相手の意見に噛みつく」「自分の意見は希薄」「枝葉末節に難癖」「全体の否定へ誘導する印象操作」…などについても同様だ。そのため読者には塩氏の判断が妥当かどうか精査することは困難となっている。これではいかんだろう。
塩氏はこういう決めつけを繰り返し、いくら注意されても改めないことからすると、自分が悪いことをしているという自覚は全くないのだろうか。

 
アンチの人々には、カルトについて議論・反論してほしいと思いますが、楽山についてだけは、誰も関わってはいけないと思います。精神衛生上、楽山のような者は、役に立たず、糧にもならず、疲労と混乱という害だけが残ります。それだけを狙って、楽山は、長たらしい記事を書いてくるのです。
 
 

*事例(1)
 さて、一応、塩氏がこれまでにやってきた決めつけの例も提示しておこう。

アナタのやってる事は、全部、愚痴ですよ。
愚痴は自分で始末して下さいね。
午後0:43 ・ 2022年3月25日・Twitter Web App
 」
まず塩氏はここで、相手の意見を「愚痴」だと決めつけている。どこがどう愚痴だという説明はなく、ただ決めつけて嘲笑している。

 
楽山の言ってきたことは、全部、愚痴のようなものです。のみならず、悪意の神経疲労物質です。つまり、相手の精神にダメ-ジを与えることで、疲れさせ、退かせてゆくのです。楽山は、受けて答えるということが出来ないのだから、こちらも、楽山の言を受けて返す必要は、全くないのです。
 
それこそ、虫が好かない、話しても受け取らない、自己愛性人格障害だ、正常な受け答えが出来ない、自分の言いたいことだけを執拗に繰り返す、反省しない、責任を負わない、・・そういう屑(クズ)が、楽山です。楽山の臭い言に、吐き気を何度も味わってきました。
 
他のアンチと違って、楽山については、説き伏せるのではなく、追放することのみを目的とするべきです。でないと、こう言ったじゃないか、何を言ってる、という苛立ちだけで、むしろ、こちらの理路が乱れてしまい、精神衛生上の危機を迎えるからです。楽山は臭い屁、それで十分なのです。
 
 

*事例(2)
こちらでは、二世問題を描いた漫画には、事実誤認、冒涜、すり替えがあるとダメ出しするだけで、どの部分がどう間違っているという指摘はない。事実誤認が沢山あると決めつけ、悪印象をふりまいているだけである。  

私見です。
池真理子氏が描いた『「神様」のいる家で育ちました~宗教2世な私たち~第5話』を信者目線で見た場合、
・明らかな事実誤認・・・6カ所
・信仰の対象や教義等に対する不当な侮辱的描写、冒涜・・・13カ所

午前10:50 ・ 2022年4月9日・Twitter Web App
 」

・親子問題と自立の問題を信仰の問題にすり替え・・・10カ所
を確認しました。
作者におかれては社会に是非を問いたい気持ちだったのかもしれませんが、「多数の人を巻き込むデリケートなテーマ」なのでもっと丁寧に描くべきと思います。

午前10:51 ・ 2022年4月9日・Twitter Web App
 」

 
楽山には、誰に対しても、一切、批判をする資格はありません。楽山は自分の発言に責任を負わないからです。肯定し否定したから責任問題は生じない・・などという、幼稚な言い分でしたが、そういうことは、言論では、一切、通らないことを知らないのだから、実践して否定するしかないのです。
 
どう書くべき・・などという楽山の言い分は、自己愛絶対からの、自己中心による、いつのまにか、上から物を言う楽山の人格障害の症状です。他者は自分より下という前提だから、教える立場しか持つ気のない楽山です。理路など無く「悪印象を振りまいているだけ」なのは、楽山なのです。
 
どこが、どこがと、問い詰めてくるのは、理路を混乱させるための楽山の常套手段であり、詭弁であり、楽山自身は、言ったことの大方を忘れています。無責任の体質が、そうさせているわけですから、楽山を真に受けてはいけません。楽山と不毛の言い合いになる愚を避けてください。
 
単方向の言い合いになるくらいなら、批判をぶつけるのではなく、自分の記事として批判して、非人間の楽山を、最低の評価とともに、全否定してゆくしかないのです。
 
 

*事例(3)
こちらは、詭弁と決めつけずに、その根拠をきちんと説明すべきだと言われたときの返答である。

私は、アナタが「詭弁師」に見えます。
アナタは「あー言えば、こー言う」だけの人であり、
言葉に「信」や「真」や「芯」が見られません。
だから、これ以上のツイートは不要です。
残念です。
午後8:47 ・ 2022年2月18日・Twitter Web App
 」
どうやら、塩氏にとっては、自分に詭弁に見えたら、詭弁ということになるらしい。また相手の言葉に、信、真、芯が感じられなければ、それが無いことにもなるらしい。これではどうにもならん。
ところで、事例(1)、(2)、(3)の引用元を確認したい方は、引用文の最後の日付をクリックすればよい。そうすればツイッター上にある議論全体を見ることができるし、塩氏の決めつけの酷さが、より理解できると思う。

 
「自分に詭弁に見えたら、詭弁」「信、真、芯が感じられなければ、それが無いことにもなる」・・普通そうでしょう。そして、楽山は、何も返せないのです。返ってくるのは、上のような単純なクレームか、前に言ったことか、決めつけを根拠とすることだけなのです。
 
楽山には、良心がないと思います。楽山は、本当に「どうにもならん」人なのです。議論全体を見る必要はありません。私は、今まで、3年余り見てきて、病質が明らかと判断し、それ以上の議論は、健康を破壊されるので拒否しています。楽山は、精神衛生上の病原であります。
 
 

*おまけ
おまけとして、塩氏の昔のアカウントとされる棒氏の発言を貼っておこう。
「(画像省略)
2020-03-16 【二つの顔】 アンチは必ず嘘をつく
 」
これについては、アカウントごと、すべてのツイートは削除されているのだけれども、「アンチHSは必ず「嘘」を付く」という断言から、決めつけの酷さが分かると思う。ふつうの人は、いくら大嫌いな相手に対しても、なかなかここまでは言えまい。

 
アンチはどうか知りませんが、楽山は必ず嘘を吐き、詭弁を弄します。それは、3年余り指摘してきましたが、楽山は無反応です。こちらは、ある時点から、直接の遣り取りを拒否して、楽山からの異常な疲労の病原を浴びないようにしています。楽山は、つまり、宗教よりも、精神衛生上の敵なのです。
 
 

*まとめ
というわけで、アンチ論法なるものは、塩氏が決めつけているだけという結論になる。「詭弁とは何か」と書いているので、それなりの論証があるかと期待したが、それは間違いだったようだ。残念。

 
全然「まとめ」になっていません。楽山の勝手な見なしに感情的になってはいけません。楽山が無視する分、健康のために、楽山を無視するべきです。何か言ってきたら、「残念」ではなく、くだらん・・の一言でもいいと思います。決して、まともに相手にしてはいけない病質者が楽山です。
 
 

ただの感想や悪口であれば、「こう見えた」「こう思った」というだけでもいいかもしれないが、きちんとした意見を言おうとするなら、その根拠や論理も明示しなくてはならない。塩氏にはこの辺りのことを理解した上で発言して欲しいものだ。

 
楽山は、悪口を言うときにも、冒頭のように「感想を書いてみたい」などと書いてきます。つまり、楽山において悪口と感想は区別されていません。楽山は「きちんとした意見」を書いたことなどありません。なお感想も意見も、物を言うときには同じで、根拠と論理がなくていいということはないのです。
 
 

◇◆ 追記 2022.4.12 ◆◇
*念のため
蛇足ながら、上の議論に関連した私のツイートへのリンクも貼っておこう。こうしておけば、上に貼った塩氏のツイートが削除されても、議論の場所が分からなくなることはあるまいと思うので。〈 事例(1)、事例(2)、事例(3)〉

 
リンクは省略します。楽山は、議論したこともなく、核心を突いたこともなく、蛇足しか書けません。むしろ、核心から外してゆくのが、楽山の詭弁の常套手段なのです。リンクをつけるどころか、楽山の言は、一度も見ないのが幸いであります。
 
 

*投影?
今日の議論で、「アンチ論法」と塩氏の論法の共通項について指摘されていたので、そのリンクも貼っておこう。〈その1〉
もし塩氏のツイートが削除されて全体像が見られないなら、こちらを見ると良い。〈その2〉
それにしても、塩氏はアンチに噛みついては、返り討ちにあうことを繰り返しているけれども、なんでそんなことをするのだろうな。

 
楽山は、しのびやかに企んで、人を傷つけます。いつのまにか混乱させてゆくのです。「返り討ち」ではなく、最初から議論など出来ないので、議論に見せかけた迷路を用意してきます。いわば、楽山は、地獄を用意して、笑いながら待っているのです。これほど陰湿な悪意は珍しいです。
 
楽山の詭弁を受けないためには、楽山が何か言ってきたときは、バ~カですか・・とでも言って構わないと思います。さらに言ってきたときは、また、バ~カですか・・と言って、出禁だと言ってください。議論が得意な人も、楽山という詭弁だらけの変質者とは、受けず答えずにしてください。
 
話を聞いたら楽山のペースにはまります。アンチであろうとなかろうと、楽山を、部外者で、話にならない奴という見なしを与えてください。楽山のアンチは、他者と社会に向けたお笑いの「投影」に過ぎません。楽山の言を見ることは、毛虫を見るのと同じです。毛虫と議論は出来ません。
 
 

    

           見せかけの言論者
 
 
(2022年06月02日)
 
 
 
  むごい死
 
むごい死体だ
親しい友人もいなかったという
近所付き合いもほとんどなく
発見が遅れて
死後どれだけ経っていることか
少ない関係者から話を聞くにつれ
ひょっとしたら死ぬよりもずっと前から
すでに生きてはいなかったのかもしれぬ
昔は集まりや宴会にも出ていたし
ありきたりの付き合いをして
正直でおとなしく
酒を飲み過ぎて吐いたことも再三あったと聞く
 
他殺の線は消えた
病死らしいが
ここ数年は家にこもってばかりで
ろくに食事もとっておらず
栄養失調もあったらしい
孤独病・慢性自殺とでもいうか
最近はこういうのが多い
身元はすぐに割れた
番号や記号の類だから
身元確認だけは造作もない
 
最近はああいうのが多い
もっとひどくなるかもしれない
ときどき見かけるのだ
決まったルールの関係は多くても
関係をつくれない底辺が増えている
システムに乗り遅れた老人が
鼻をかんだチリ紙をじっと見つめていた。
マニュアルになった文書を抱えて
番号になった顔を隠して
システムの中の
数になることを拒んだ若者が
路上で激しく黙っていた
 
 
  偽物
 
真実を悟っていると少しでも思うときには
たとえば自らの信仰について
いちばん信じていることに
自ら偽物の称号を与えてごらんなさい
少しはへりくだった気持ちになれるでしょう
少しは自ら信じることに嘘がないか
内省してみる気持ちになれるでしょう
それを謙虚と呼びたいのです
 
人は人が知るべき真実に
近づき触れる機会を与えられていながら
見かけの美しい言葉で飾らなければ
理屈で辻褄を合わせ思いで納得しなければ
真実として人前に出せないような気がして
どこにも響かない空気の流れや
派手な排泄物にしてしまうのです
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html

1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」

2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。

 
 
楽山は、「反省」は「大事」と言いながら、「実践」したことがない。「恥ずかし」と言いながら、恥を知らない。つまり、言ってること、全部、嘘。「そんな風」を吹かせながら、今日も、楽山という人間離れの性根は、また、嘘を吐き続けています。嘘吐き楽山のウソッピ物語です。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
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(ブログ記事をコピペすることあり)
 
 
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