ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山の心霊主義3

 
  楽山の心霊主義
 
 組織の奴隷になってはいけないということ
 2020年08月01日 楽山日記(LD) 今回は抜粋です。
 http://mn266z.blog.jp/archives/25731142.html
  を改めて批判。
 
 
楽山の、人間を超えたい欲望である心霊主義が、明らかになっています。証拠といってよいでしょう。楽山には、聖書など、キリストなど、どうでもよいのです。もう、ごまかせないです。聖書と、心霊主義の超常カルトとに、同時に従うことは出来ません。
 
楽山は、人間が嫌で嫌で、超常の心霊に、ワープでもして、一気に、霊的?超人?にでもなりたいのでしょう。考えること、感じることが、苦手で、嫌になった者が、陥りやすいカルトへの誘惑、そして、教祖願望です。楽山が気取って書いて、楽山が自己満の悪意と不備をさらすことになります。
 
心霊現象というものが、全然ないのかどうか、私は知りません。しかし、そこだけに拘泥して、人間性を失うのであれば、それは、カルト相当の非人間としか言いようがないのです。楽山に、思慮と高等感情が見られないのは、そのせいなのでしょう。
 
 

*組織の奴隷になってはいけないこと
ツイッターで、次のツイートを見た。

霊界からのメッセージ
@CaIrx4KSwAxAIYO
いったん一つの組織に帰属してしまうと、いつしかその組織に呑み込まれてしまい、今度はその組織がその人間をがんじがらめに束縛し始めます。そうなってしまうと(心の奥では信じていない)古いお決まりの教説を繰り返すことによって理性をマヒさせようとしはじめるものです。
午前6:00 · 2020年8月1日
 」
恥ずかしながら自分は、とある新興宗教の信者だったことがあるので、これは耳に痛くもあるし、心に深く染み入る言葉だ。

 
新興宗教の信者だったことがあるので、これは耳に痛くもあるし、心に深く染み入る」ならば、霊界からのメッセージなるものを、自身のブログの記事にするでしょうか。楽山は、今も、超常カルトの信奉者だということです。楽山こそ、人を束縛する超常気取りの自分カルトです。
 
組織に縛られる、古いお決まりの教説、これは、人間の限界を表しています。それが、かえって、罪になることもあります。しかし、その問題を、一気に、目新しい言説をもって、飛び越えようとするところに、カルトは生まれてくるのです。楽山の、のぼせ頭の成りすまし教祖願望です。
 
そして、自分がそのようなカルト教祖になりたいと、霊が分かるっぽい楽山は、欲望しているからこそ、前の、キリスト教の聖書のヨブ記についての記事から、軽々と、霊界の話に移れるのです。いつでも、楽山の頭は、空想と妄想が渦巻いて、自覚もなく、支配しているようです。
 
幽霊の正体見たり枯れ尾花、楽山の正体見たり自己顕示。楽山は、霊能者気取り、現実より霊の世界に親和する者。思想家ならぬ空想屋、空想非科学、空想非宗教、空想非人間が、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)という楽山の正体であります。
 
(ネットより)
幽霊(ゆうれい)の正体見たり枯(か)れ尾花(おばな):恐ろしいと思っていると、何でもないものまで恐ろしく見えてくるという意味
https://gimon-sukkiri.jp/yuurei-kareobana/
 
 

「組織の歯車とはなるな!」「組織の奴隷になってはいけない!」などというのは、誰しも承知していることであり、分かりきったことだろうし、自分もこれは分かっているつもりだった。
でもそれでいながら自分は、とある新興宗教の物語…ノストラダムスが予言した世紀末の天変地異が迫っている、このままでは人類は滅亡しかねない、この危機を乗り越えるために仏陀が地上に降りた、志ある者たちは仏陀の下に集い、救世のために力を合わせるのだ、みなが協力して、この危機を乗り越えるのだ…という物語に飲み込まれてしまったのだった。はじめは救世活動に励んでいる会員たちを、冷ややかに見ていたのだが、そういう人たちと付き合ううちに、朱に染まれば紅くなるように自分もだんだんのめり込んでいってしまった。

 
楽山は「朱に染まれば紅くなる」人ではなく、他者を、毒に染めて悪くする加害者です。人を歯車にし、人を奴隷にしたくてたまらない病質、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)なのです。手遅れにならないために、決して関わってはいけない人です。
 
「みなが協力して、この危機を乗り越えるのだ…という物語」という話に賛同して、あるいは、飲み込まれて、どうして、実際には、平気で他者を無視できるのでしょう。楽山が「飲み込まれてしまった」というのは、不都合を人のせいにする卑怯な他罰的被害者意識に他ならないのです。
 
楽山が組織の歯車になるのではなく、楽山が、人を、歯車のような道具として使い捨てているということです。楽山は、のめり込んだのではなく、楽山は、曖昧な言葉で誘導して、人を、のめりこませて、疲れさせ、抵抗力を失わせる、というカルトの手法を使っています。
 
楽山は、他者を、自分のための歯車にしたいのでしょう。だから、宗教など、あちこちにすり寄り、半端な知識をもって、分かったことにして、それらを、卒業したと思い込ませたいのでしょう。地道な努力をしたくない者が走る短絡であり、これこそが、他者を落とし入れて腐らせる罠であります。
 
 

そして最終的には、仏陀を自称する教祖と教団の都合がよいように動くロボットになってしまった。仮に教祖や教団に疑問を感じることがあっても、「自分の小さな頭で考えたって何が分かるものか。教祖と教団は、自分には分からない先の先を考えた上で判断なさっているのだ、自分はただ信じてついて行くだけだ」という風に自分の頭で考えることを放棄するようになってしまっていた。

 
楽山は、今は制御不能のロボットです。質が悪く、整わず、単調な丁寧語をもって、人を、だましています。楽山は、小さな頭という自覚がなく、いつも利用する側にいるつもりで、大きな、そしてガラクタに満たされた頭を、ガタガタと揺らして、部品が跳ぶのもお構いなしに、自己顕示してきます。
 
楽山は、自分の頭と心で、自立して感じたり考えたりすることが出来ません。にもかかわらず、キリスト教を浅薄な屁理屈で批判し否定しようとしてきたのは、恐らく、血の通った人間的な物の見方を放棄してきたからなのでしょう。その結果が、霊能者気取りになっているのです。
 
 

いやはや、「組織の奴隷になるな」という教訓を学ぶためとしては、いささか高い授業料を払ってしまったものである。でもこのおかげで、権威主義だとか、太いものには巻かれろという発想からは、うんと距離を取ることが出来るようになったのはよかった。

 
楽山は、自分の権威主義にだけは気づきもせず、太いものになりたいと今も思い続けて、人を支配して巻き添えにするためにブログを書いているわけです。その偏った自己中人格が、刷り込みのボンヤリ言語と、同情をひくトホホ言語の嫌らしさによって、人を巻き添えにしてきました。
 
楽山は、それこそ、自分が太いものになって、他者を巻き込みたいだけだと思います。被害から解放されたのではなく、被害者から、あるいは、元々から、加害者に変わってきたのでしょう。最後には、双方から酷い目に遭わされることを考えないのが、自己愛性パーソナリティ障害なのでしょうか。
 
 

*霊界からのメッセージ
この他にも、「霊界からのメッセージ」さんのツイートをいろいろ読んでいて、なぜか懐かしい感じがして不思議だったのだが、プロフィールを読んで納得である。スピリチュアリズムは、自分のルーツであるし、その名言がツイートされているのであれば、郷愁を感じるのも道理である。

 
楽山のルーツは、スピリチュアルではなく、ナルシズムであり、また、霊が分かるっぽい世界、即ち、超常カルトだと思います。楽山に、不可避のルーツなどはなく、根無し草で、生まれ育ちからの人格障害の瓦礫を背負って生きている人だと思います。
 
スピリチュアリズムは、自分のルーツであるし、その名言がツイートされているのであれば、郷愁を感じる」・・証拠といってよいでしょう。楽山は、人間性の深い情緒にではなく、超常の霊の世界に郷愁を感じる病質人格なのです。
 
 
以下は、霊に囚われた楽山という霊媒志向の超常カルトが、尊敬?するお仲間?の霊的?心理?を宣伝しています。ずいぶん、「?」が付く話です。
 

「霊界からのメッセージ」さんは、固定ツイートで、シルバー・バーチの関連書籍へのリンクを貼っておられる。

霊界からのメッセージ
@CaIrx4KSwAxAIYO
😃お知らせ😃
シルバーバーチは宗教ではありません。霊的真理を説いています。
シルバーバーチの関連本が、「シルバーバーチ読書会・かつしか」さんのホームページ上で無料で公開されています。
⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️
https://kokorodou.p-kit.com/page199127.html
皆さんも霊言をリツイートして霊的真理の普及にご協力を🙇‍♂
午前11:20 · 2019年11月19日
 」
ふと思い出したのだが、随分前に、幸福の科学(HS)に愛想を尽かして退会したあと、シルバー・バーチに回帰し、その思想の普及活動をしたいといっていた方がおられたのだった。その後は宣言通りにHPを作っているのを拝見したが、今も元気でおられるといいな。
シルバーバーチの霊訓 全十二巻
それにしても全十二巻を公開というのはすごい。これはちょこっとずつ読みたいと思う。スピリチュアルな方面については、しばらく前から遠退いていたのだが、そろそろまた読んでみるべき時期かもしれぬ。

 
楽山が、いくら、読みたい、読んでみる、などと、読むことを書いて、読書家アピールをしても、読解が、自己愛性パーソナリティ障害と、理路の不整と、共感性の欠如によって、自己中に偏っているなら、読めば読むほど、さらに、偏るだけなのです。
 
霊のメッセージ、霊訓を、霊的真理と呼ぶ人の言を、すごいと言っている楽山です。こういうのを、いわゆる、心霊主義、あるいは、心霊マニアというのでしょう。人間の大切な共感性を無視して、心霊主義の世界から、キリスト教・キリスト信仰・聖書について書かれたのでは、信仰に対する公害です。
 
楽山を聞き入れたら、求道者も、道を誤るでしょう。楽山の非人間的なカルト性が、いかんなく表れています。霊という言葉は、聖霊など、キリスト教でも使われますが、霊的○○といえば、宗教的な特別な何か、というような見方は、カルト的な短絡であり、間違っていると思います。
 
シルバーバーチについて:
(ネットより)
モーリス・バーバネル(Maurice Barbanell、1902年5月3日 - 1981年7月17日)は、イギリスの心霊主義専門新聞『サイキック・ニュース』の編集者。1932年の創刊時から同紙の編集の中心となり、途中で編集権を手放した時期もあったものの、後にこれを回復し、終生同紙の編集に携わった[1][2]。バーバネル自身も霊媒であり、「シルバーバーチ」という霊のメッセージ(霊訓、霊言、霊界通信)を伝えたとされている[3]。交霊は1920年から60年近く続き、広い影響を与えた。
ウィキペディア
 
私の立場から言えば、心霊主義の、霊的メッセージに脅かされて、人間性よりも超常に従って、それを聞けば救われ、聞かなければ滅びるかのような恐怖から、誘惑に乗るくらいなら、人間のまま、地上で死にたいと思います。
 
楽山のような人間性を捨てた者が救われるわけですから、そのような世界に生存することを、私は、激しく嫌悪し、存在する意味がないと判断するからです。楽山は、そのような人間離れです。まともな人ではありません。そうでない楽山を、楽山は表したことがないというのが根拠です。
 
だから、批判を続けています。自分を人格崩壊から守り、誰も悪影響を受けないためであり、ことの是非を考える人間でありたいからであります。同時に、楽山のような人が、カルト的に増殖して、今は知らない人々に対しても幅を利かせるようになってほしくないからでもあります。
 
欲望の悪しき誘惑を、根拠のない妄想を、そして、遊び半分の思い付きを、心霊主義と呼んでいる楽山のような者が、世の中には、いるということです。間違っても、真実の追求や、人間の救済や、キリスト教などの宗教について、楽山が語ることを、真に受けてはいけません。
 
 

      

              心霊に集(たか)る欲望
 
 
(2020年)
(2021年)
(2022年09月03日、再録+加筆)
 
 
 
  徒
 
徒な出会いであったかもしれぬ
片隅に腰掛けて
俯(うつむ)いていた小さな影
あるいは老婆か
生きるための祈りであったか
死にゆくための祈りであったか
別のことであったかもしれぬ
 
ああ誠に徒なる
かの人が出会い
私が出会ったのは
 
私が無駄な時も位置も捨て去りたいとき
この世で最も無為な徒労へと引き戻す
 
墓穴が欲しければ
それを指で掘り
それを再び指で埋めよと
 
そして小さな影の
かの人を思い出す
大きな雲の
空を見上げるように
 
(はっきりしたイメージではないのですが、
 教会で、小さく丸く俯いて座って
 祈っていた高齢女性の姿が今も忘れられません。
 楽山とは、真逆の姿勢です。)
 
 
  霊
 
霊は魂のうちに語らない
ただ思いのうちに留まるのみだ
 
私の思いは私のもの
私の体は私のものと
私が幾度それらを捨てようとも
霊は魂のうちに語らない
ただ思いのうちに留まる
 
捨てれば捨てる思いのうちに
空しければ空しい思いのうちに
私が思う時が
短くても長くても
そのあいだ私のすべては
私のものではないかのように
 
 
  誰の死
 
一つの死を前にすべての言葉は無力だ
茶色のうねりだったような道の中に突っ立っている
夕暮れの青ざめた人々
夕焼けさえ悪意の色で迫るかのように
焼かれる炎は
さらに焼かれる
誰のものなのか
いきなり破裂する
色も光も音も
皆ばらばらの吐物のようだ
誰のものなのか
鈍く包んでいく闇では終わらない
幽霊でもなく
幻でもなく
朝よりも静かな熱をもって
墓標よりも先に
冷ややかに立ち上がる
誰のものなのか
一つの無力の前にすべての言葉は命だ
 
 
 
 楽山のツイッターですが
 

心機一転★こも楽山
@komo266
ここは「僕なりの正義」という風に、限定的に書いてるから、そこまで否定しなくてもいいんじゃないかと思います。
信者のなかには、自分は「神の正義」に則って行動してると思い込んで、他を裁きまくる人がいるし、これよりは余程いいです。
午前7:02 · 2021年9月1日
https://twitter.com/komo266/status/1432826150137450497

 
楽山の「僕なりの正義」は、限定どころではなく、人を人とも思わない自己中のことです。どこまでも否定し続けなければいけません。それにしても、自己正当化のためには、誰の意見だろうが、好きなように言葉尻を利用してくるから、本当に、恐ろしい男です。
 
楽山は、手段を選ばず、人のものでも、都合のよいことは何でも勝手に盗んで利用するので、決して信用してはいけません。「神の正義」ではなく、楽山は、人間の常識と良心に反しています。楽山の思想ほど、悪質なペテンを、今まで見たことがありません。人間とは思えません。
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html

1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
 

2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。

 
楽山は、評論家かコメンテーターのように見せかけて書いてきますが、実際は、小中学校の教育も真面目に受けてきたのか疑問に思うほどの怠け者です。さらに「かなあ」「とほほ」「言えなくもない」など、ボンヤリ言語とトホホ言語の筆致は、それで書いたつもりになることが異常だと思うほどです。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
ツイッター
https://twitter.com/st5402jp
(ブログ記事をコピペすることあり)
 
 
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