ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

すいすい曲解する楽山

 
※ 光への接続工事は、9月5日と聞きましたが、書類では9月9日のようです。失礼しました。
 
 
  すいすい曲解する楽山
 
 『超訳 種の起源ダーウィン著、夏目大訳
 2022年09月04日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/34029508.html
   を批判。
 
楽山には、正常ならばあるはずの学習機能がありません。学習して成長するということがありません。平板な褒め言葉だけを並べて、一人前のつもりでいられるのは、自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)の症状なのです。考えても単純な賛同の言葉しか浮かばないのでしょう。
 
そして、楽山自身の人格崩壊が進行したのか、書けば書くほど、ますます浅くなるようです。よかった・・と言うのと同じことしか書けず、正直を忘れた未熟者が、発作的に書いたところで、おおよそ感想文としては小学生レベルであることから、正常な節操を失っているという判断になります。
 
 

*読みやすい本
著者の言葉によれば、本書はダーウィンの『種の起源』を「できるかぎり内容を損なわないよう、簡潔にわかりやすく書き直した本」(p.8)とのことである。
そのわかりやすさはどの程度かというと、『種の起源』を数ページで挫折して完読できなかった自分でも、すいすい読めるくらいである。おかげで最後まで楽しく読めた。これほど読みやすく面白い進化についての本と出会えたのは、ドーキンスの『進化とは何か』以来である。

 
読書を悦びながら、一ページ程度の、しかも、褒め言葉だけのイージーライターが楽山です。つまり、言論の無法者、放浪者ということです。改造バイクではなく、壊れた一輪車に乗って、転んで、また乗って、すぐ止めてしまって、短くて中身の無い一記事でも、数え歌に加えて気持ち良いのでしょう。
 
楽山が「すいすい読める」と言っているのは、すいすい曲解してゆくからでしょう。極めて単純に、自分の自己愛の妄想に合っていることだけを、すいすい飲み込んでゆく楽山の読書のやり方は、楽山の自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)人格を、正当化し、促進し、破壊します。
 
「読みやすく面白い進化」「楽しく最後まで読めた」とだけを書いて、感想文のつもりです。自分なりの評価がなく広がりのない楽山の読書は、巻き込まれてはいけないし、決して鵜呑みにしてはいけないものです。中身の無い単純べた褒めモードを真に受けるならば、楽山の闇に感染するでしょう。
 
 

*自然選択と変化の速度
 個人的には本書の中でもっとも刺激を受けたのは、次の箇所だった。

自然選択は、生物に多様性をもたらす一方で、生物の多様化を抑制するはたらきもしている。
(『超訳 種の起源ダーウィン著、夏目大訳、技術評論社、2019年、p.82) 
 」

自然界の生物に、飼育栽培されているものほど急激な変化が生じないのはなぜか。それは、個体差の多くが、自然界では、生存にとって不利になるからである。
(同上、p.81)
 」
自然選択は進化を生じさせ、促進するというイメージがあったけれども、これは言われてみれば、なるほどその通りだ。こんな風に自力ではとても思いつけなかったことを教えてもらえるのは有難い。本を読んだり、人の意見を聞くと、こういうことがあるから実に楽しい。

 
楽山は、自分の妄想思想に合わせて読書したことにするのです。、この短い記述で種の起源や進化論を理解したつもりになる軽率さが、楽山の特徴です。「その通り」と言ってますが、楽山は「本を読んだり、人の意見を聞く」ことはありません。結論は、訂正不能に決めつけています。
 
楽山の、妄想に近い決めつけに合っているように読めば、それは「実に楽しい」でしょう。違う意見を、全く受け付けず、全く問題外として、何を言われても、同じことを、ネチネチと言い続けて、うんざりした批判者が去ることを待つやり方は、もはや、正常人の神経では説明できません。
 
楽山の「なるほど」は、なるほど自分の見方に合っているから合格、という、上から見下ろした褒め言葉なので、議論によって深くなる可能性もなく、何かが修正されて新しくなることもなく、楽山の自画自賛おのうちに読書した気分になってしまう習性から、洞察も理解も生まれようもないのです。
 
楽山は、感想を書いても、賛同するために自分と同じ方向の本を読んでいるだけなので、理解の実感を表すことが出来ません。だから、とても単純な褒め言葉「なるほど」「有り難い」「実に面白い」しか書けないのです。反省も学習もしないので、褒めるために選んで読んで、ただ褒めているだけです。
 
 

        

             イージー 安易
 
 
(2022年09月06日)
 
 
 
  メッキは剥がれて
 
板よりも紙よりも細胞膜よりも
薄いスチールをメッキして
それに塩水をかけてゆく
 
成長と老化
 
剥(は)がれてゆくメッキの中は
恐らく醜(みにく)く見にくい
 
好きになれない自分のために
メッキは錆びて剥がれて
ボロボロになりながら
時々そっと中身を垣間(かいま)見せる
 
人を愛するためには
まず自分を好きにならなければ
と多くの人が言う
 
でもどうしてもやってしまうなら
自己嫌悪
それは愛すべき高さを持っている
 

 
自己満悦
それは憎むべき低俗であります
 
自分を愛するためには
自らを省みて
人に共感し
人を愛することを学ぶことが必要です。
 
人を愛せない者に
自分を愛することはできません。
 
 
  希死と質量
 
体重はあるが
質量がない
と自己評価を
重力以上に下げて
死にたいと思ってしまうとき
その陰で軽々しくも罪を
誰かの何かのせいにしてはいないか
 
自ら死にたいと望んだとしても
死ぬことを好む者はいない
死を思う分だけ切実な
生きる願望
死を思う分だけ薄弱な
生きる欲望
当たり前だったはずだから
意識されなかった生きるための条件
 
しばしば希死において考慮されないのは
自己評価は下げるのに
生きているという事実に基づいて
生きる条件を下げる試みである
 
差し迫って今
誰かが何かが殺しに来る予定はなく
仮にあったとすれば
希死にかかわりなく死ぬのであるから
今息をしている
というところまで
条件を下げることが出来たら・・・
とは言っても辛いとは思うのだ
 
体重はあるが質量がない
これが下げるものは重くも軽くもない
量(はか)れない質(たち)なのである
 

 
量れないものを
我欲から高く見積もって
満悦する者は
実に
体重を量って悦び
心の成長を無視して悦び
満悦して人を侮る者となっている
 
そして無条件に
鏡を見て悦ぶのである
 
 
 

★こも/楽山日記3さんがリツイートしました
本ノ猪
@honnoinosisi555
9月3日はドラえもんの誕生日。
「自分の意見をしっかり持つということと、
 相手の意見を認めないということは、
 まったくちがうんだ。」
(『じょうずに話せ、発表できる』小学館、P127)
午前8:59 · 2022年9月3日·Twitter for iPhone
https://twitter.com/honnoinosisi555/status/1565851827706290176

 
楽山は、自分の妄想的な意見を訂正不能に持ち、他者の反対意見を、批判できないのに認めません。これは、言論というより、むしろ、そういう恣意の生き方だということです。煽動屋、そして、他者を低く見て、上から決めつけて見なしの結論の塊だけを投石してくるのです。人間の生き方ではありません。
 
なお、人の意見が、公共の福祉に反していて、自己中心で、反省もしないならば、その意見を、決して認めてはいけません。その意見は、しっかりしておらず、身勝手な自己中だからです。その意見に、流されてもいけません。批判が苦手ならば、決別し、関わらないことが、いちばんの批判になります。
 
上のような、楽山のリツイートは、その意味を、楽山の、巣穴のような狭小ワールドで歪曲して、都合よく偏向した自己中正当化に悪用するものです。自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)は、このように偏りながら、嘘と詭弁で擦り寄ってきます。決して近づかないでください。
 
 
 
楽山の害毒メモ:
今までに表れてきたこと。これは、楽山に限らず、聖書においてキリストの敵となった宗教指導者や、世に数多いる偽善者の特徴でもあります。この世で最も迷惑な人の特徴です。楽山は無責任です。決して信用しないでください。
 
楽山は、1つのことを書いて、別の時には、それに反することを平気で書いてきます。そこで、反省、修正、というステップを書かず、あたかも最初から思っていたことのように書いてきます。自分に誤りを認めない自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)だからです。
 
人格:
自己愛が強く自己中である。
笑いと怒りしかなく、悲しみの情がない。
共感がなく、罪悪感がなく、反省しない。
自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)と思われる。
平気で嘘を吐く。様々な詭弁を弄して、柔和に見せかける。
深い情感がなく、共感性がない。相手が疲れるのを見て快感を得る。
後悔、反省、修正ができない。学習による成長がない。
罪悪感、羞恥心が見られない。サイコパスと思われる。
アドラー心理学の宣伝をしていた。自己中心である。
中身や実質のない形骸的精神機能しか持たない。
 
単細胞。
 
議論:
議論や交流が、表面的で、整わないし、できないし、元々する気もない。
相手の意見を受け取っていないので、反論、弁明が成り立っていない。
理路が常識的にも浅く、基本的に訂正不能である。理解力がない。
自分なりの堅実な理路を組み立てられない。
読書自慢。感想は平板で、独創性や深みがない。
様々な気取り。読書家気取り、評論家気取り、インテリ気取りなど。
分かっているという我執から離れられない。
非を指摘されると、逆に、こちらに当てはめて被害者面をする。
人を批判~誹謗中傷するが、その言葉で自分が斬られるブーメラン現象。
真面目に応答~議論すればするほど、病的な徒労感と疲労のみをもたらす。
ボンヤリ言語:語尾を濁し曖昧で婉曲的な言い方で、印象を刷り込もうとする。
トホホ言語:謙虚で弱いと思わせて悪意を隠すための嘘の芝居。
しばしば、自身への同意を期待して、見え透いた世辞を言う。
「反省。とほほ」などと書くが、不自然であり、前後で何も変わらないので嘘です。
騙して、言い分を詭弁や嘘で通そうとする、通っていると思い込む。
 
宗教:
反キリスト、反宗教。聖書およびキリスト信仰を、貶めてくる。
キリスト教とキリスト信仰を字面だけで云々し、理解していると思い込む。
HSを脱会したと言っているが、真実かどうか、疑わしい。
霊能者のつもりだが、それに見合う直観的洞察は皆無である。
 

 
楽山の書いた文章を、3年数か月のあいだ見てきた結果ですから、大きく変わることはないでしょう。これらについては、新しい情報によって、必要なら加筆し、繰り返し載せることになるでしょう。
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html

1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
 

2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。

 
私が1~3日休むと書いたら、楽山は、すぐ記事を書いてきました。楽山は、ここまで我欲のみに執着しているのでしょうか。楽山が書いたところで、ろくな記事ではないので批判しているわけです。ただ、こういうことから楽山の原始的な自己顕示欲からの無反省がバレてゆくわけです。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
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(ブログ記事をコピペすることあり)
 
 
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