ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山こそNPD加害者

 
  楽山こそNPD加害者
 
 自己愛性パーソナリティ障害とは何だろう?(3)
 楽山日記(LD) 2022年08月20日
 http://mn266z.blog.jp/archives/33869495.html
   を批判。
 
 
「>」~「<」は、楽山の言、「>>」~「<<」は、楽山の引用です。前の記事の続きです。
 
楽山は、攻撃性の勝っている病質者です。自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)ですが、自分では理屈が得意と思っているために、インテリ気取りの屁理屈屋になるのでしょう。楽山の理屈は成り立たず、悲哀や良心などの情性が欠如していて、共感性もありません。
 
驚いたことに、楽山は、NPD批判を利用して、宗教のせいでNPDになったが、今は大丈夫と、自己正当化しましたが、大嘘です。むしろ、私は、アンチHSと称するようになってから楽山の記事を読み、楽山が自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)だと分かりました。
 
 

 前記事の続き。
 ここでも、この問題に関連したツイートと、簡単な感想を書いてみたい。

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モラハラ被害者の方が「私は自己愛性パーソナリティ障害なのではないか」と思い、バリバリの加害者が「相手こそが自己愛性パーソナリティ障害だ!!」とモラハラしながら言います。
<<

モラハラされる側は内省的で自分に問題があるのではないかと考え、モラハラする側は自己の問題を相手に投影するということだろうか。

 
気取りの勝っている楽山は、投影という専門用語を使っていますが、要するに、相手のせいにするということです。
 
(ネットより)
心理学における投影(とうえい、英: Psychological projection)とは、自己のとある衝動や資質を認めたくないとき(否認)、自分自身を守るため(防衛機制)それを認める代わりに、他の人間にその悪い面を押し付けてしまう(帰属させる)ような心の働きをいう[1][2][3]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%95%E5%BD%B1
 
自己愛者が、いつも、傲慢な態度だとは限りません。現に、楽山のような、学者気取りで、かつ、謙虚を装って、丁寧語を使ってくる者もいます。この方が、やさしい丁寧語に騙される経過を経て、いっそう害毒は酷いのです。
 
 
>>
■自己愛的変質者
攻撃して自己陶酔を補給したい→攻撃できる材料を捏造して攻撃
■そうじゃない人
何らかの被害を受けたことに対して怒って反撃
さらに自己愛的変質者はこれらをひっくり返し、自分が被害者で反撃をしていると主張しながら被害者の反撃をさらに攻撃の材料にします。
<<

この他に、モラハラする人の無視は相手を罰し、コントロールするためのもので、そうでない人の無視は相手と距離をとり、離れたいためのものだという話を読んだ記憶がある。
両者の相違点を知るのは実に有意義だ。

 
今の楽山が、その例になります。しかし、丁寧語で、話を勧めてきます。楽山と遣り取りをすると、私は数か月でしたが、魂を抜かれるような疲労感を覚えます。正当な理路がなく、理屈っぽい脇道に持ってゆくからです。それに気づくことで、楽山の自己愛性人格障害が明らかになっています。
 
 
>>
■自己愛的な変質者が好む「カモ臭」とは?
・共感的
・自分よりも相手を優先する傾向
・献身的、自己犠牲的傾向
・怒らなそう
・真面目
・反省する傾向
・それでいてトロフィー的な要素があると最高
<<

残念ながら、これには思い当たるところがある…。すぐ人のことが可哀想になったり、怒って当然のときに「まあ、いいや」と思ってしまうのだ。
 とりあえずは判官贔屓の癖や、怒るべきときに怒れないところは直さねば。

 
楽山は、自分には共感性があることをアピールしています。しかし、自己愛者が見せるのは、そういう相手に対する見せかけの共感性で、大方、世辞と、白々しい台詞です。ですから、楽山が「思い当たるところがある」というのは、カモ臭と同時に、カモる臭でもあるのです。
 
共感があるふうを装う楽山ですが、何事についても、深いところを、全く語れないということが、思想・宗教・信仰などの、感性を要するテーマについて、明らかになっています。全てが、言葉だけの浅い概念だけで、理解したつもりになります。要するに、心がないのです。
 
 
>>
奴等に対しては
とりあえずでその場を丸く収めようとしたらアカン
とりあえずご機嫌をとる
とりあえず気を使う
とりあえず謝る
とりあえず、この場を収めるために。
これはな、絶対したらいけん
<<
 
直接の遣り取りなどで関わると精神を蝕まれるので、遣り取りを避けて、記事で批判するしかありません。半端ではなく、人格の病気ですから、人格を、根底から否定するという厳しい作業になります。そういう批判を支えるのは、冷静な、反人間性の指摘ということです。
 
 

「とりあえず、この場を収めるために」というのは、すごく身に覚えがある。気が立ってる人を落ち着かせるために…相手に譲歩してみせるとか。
これが大人の対応だと思って、そうできるように努力してたけど、とんだ見当違いだったようだ。まともな相手ならともかく、世の中には絶対そうしてはいけない相手もいるということか…。

 
慣れてくると、楽山は、笑っているのが分かります。軽く見なして、あざ笑うか、見え透いた労わりの言葉か、皮肉や当てつけでしょう。大笑いではなく、冷笑、得意顔、または、世辞の労わりのような笑いです。相手に対する優越感に浸っているからです。大人の対応ではなく、幼稚な優越感なのです。
 
 
>>
ナルシストが仕掛ける罠と言動パターン
①エンパス発見→確保→モラ発動
②揉め事起こし人格否定
③『こんなことされた』とタゲを不利な立場に追いやって被害者ヅラ
④フラモンと事実を嘘で塗り固めるスミアキャンペーン
⑤評判落とす
⑥タゲがメンタル不調→おかしい人/悪者扱い
⑦自己陶酔搾取完了
<<
 
今、まさに、被害者面をして書いている楽山です。実は、いつも、自己陶酔を求めているだけです。どんなときにも、メインとなるのは、自己愛であり、被害者芝居なのです。自らの演技に酔っているところもあるでしょう。バレてしまえば、とても、醜いのです。
 
 

この流れは目撃したことがあるし、中途までなら体験したこともあるのでよく分かる。
無慈悲な結論かもしれないけれども、たとえ可哀想に見えた人であっても、無警戒に近づき、同情、共感してはいけないのだと思う。

 
楽山は「可哀想に見えた人」が「無警戒に近づき、同情、共感」してくるのが、垂涎の的なのでしょう。注意を喚起するのではなく、不注意につけ込む楽山です。信頼度は、ゼロです。どこまでも、警戒されるだけの対象で、そういう人生になってゆくでしょう。
 
 

*補足
・エンパス → 共感力の高い人
・フラモン → フライングモンキー、ナルシストに操られてる人
・スミアキャンペーン → 組織的中傷

 
こうならないように、楽山批判を、約3年余り続けています。今回、楽山は、他の批判者を、逆に利用して、自己愛性人格障害ではないという言い訳の詭弁の刷り込みをしたいようです。事実は、真逆です。楽山のような、つまらない男を、しつこく批判するのは、欺きによる害毒が強いからです。
 
 
>>
加害者は被害者に全ての責任をなすりつけてスッキリしようとします(自動的・依存的に)。
そして、なすりつけるための行動があります。なすりつけるための行動がモラルハラスメントです。
<<
>>
今までハラッサーや取り巻き(フラモン)と接してきて、この人達には「恥」がありませんでした。
良心の呵責や罪悪感でいたたまれなくなるような感情は防衛機制で無くなるので、人間らしいそれらの後悔や謝罪が無いんですね。
だから腹の中で思っても普通やらないことをやれてしまうんです。
<<
 
楽山は、恥知らずです。3年あまり批判されて、何も答えられないのに、なお、書き続けことだけは止めません。このままだと、いつか、警察沙汰か、暴力沙汰になるのではないかと思います。自覚がないために、今、過ごせれば、明日も過ごせると思っているのでしょう。正当化できると思うのも病質です。
 
 

*恥知らず
ブーメラン発言を繰り返す人を見ていて、「なんで、こんな恥ずかしいことを繰り返すんだろう?」と不思議だったが、自分を守るために、自分の問題を相手に押し付けることに必死で、そんなことを考えてるどころじゃない状態だということか。

 
ただ、楽山が、感性が異常なために、必要なことに気づかず、「自分を守るために、自分の問題を相手に押し付けることに必死」になっているという醜態なのです。ひたすら、自己正当化を企んで、言葉をあれこれ細工して、良心をけがし、その結果、何も返ってこない世界へのめりこんでゆくのです。
 
 

こういう内面を知らされると、「すごく苦しいだろうなあ、可哀想に…」と思ってしまうのだが、こういう甘さが余計な面倒を背負い込む原因なのだろうな。気をつけねば。

 
ということは、自己愛性人格障害の楽山は、少しも苦しくないのでしょう。だから今も、正当化の企みを実行しています。それは、自己愛が妄想化して、そこに、どっぷり使っているからで、いつか、温水は、冷水に、そして氷結に代わってゆくのです。そのとき悔やんでも、もう、遅いのですが。
 
今まで、楽山は、好きなように自己愛者ぶりを表して、鼻高になり高慢になり、時には、とぼけて、自己陶酔の芝居もしてきましたが、ここに及んで、自己愛性人格障害批判に近寄って、正当化を図るとは、何とも、自尊も節操もない有り様になって、程度の低い保身に走る姿が、何とも悲惨です。
 
 

      

         洞察なき退行
 
 
(2022年08月23日)
 
 
 
  不眠と退行
 
もう遅いから
眠ろうとするけれど
眠りに入ろうとしているのか
黄泉に入ろうとしているのか
 
後頭部に住みついている
モヤモヤとしたしこり
ときに硬くなり激しく緊張して
沸き上がってくる怒りのようなものが
その理不尽を問うては責め続ける
顔と盲目と死を含んで
叫び声を誰にも聞かせない
 
お母さん
僕のお母さん
心配しないで
あなたは何もわかっていないこと
よくわかっているから
僕が相続したと思っている
泣き虫と笑い虫をありがとう
乳が欲しい
吐き気がする
乳が欲しい
もう遅いから
 
お父さん
僕のお父さん
なぜ戦争で死ななかったんだ
なぜあなたの息子は病気なんだ
見えないルールを作って
自分を厳しく律してきたお父さん
くわっと怒って自分で苦しんでいた
お中元もお歳暮も受け取らなかった
それが立派だったお父さん
なぜ今になって
長生きして欲しいのに耳が遠いんだ
 
危ない情動を青白い顔の端末に隠して
先祖のぶら下がりの血の重み
妄想の救い難い正直さ
あらゆる血の徘徊を
飲み込もうとして咽頭が裂ける
薬で癒されぬ重い風の迷いの中
 
無理な睡眠に逃げていこうとする
無理な答えに問いに
また悪夢から悪夢へ
のめり込む遊びの前に
明日はすでに数え始めている
眠れなかったとは言えない速さで
 
 
 

★こも/楽山日記3
@komo266
これは正論だろうけど、それだけに「お前が言うな!」と感じてしまう。
総裁が素直に間違いを認め、改めたことはあるのだろうか。不都合なことは、誰かのせいにしたり、無かったことにしてる印象しかない。
>>
#本日の格言
ryuho-okawa.org
判断は大きな価値を生む
判断は大きな価値を生みます。 特に、「判断が、常に、よい方向を向いている」ということが大事です。 時には判断を間違うこともありますが、「間違った」と思ったならば、素直に改めなくてはなりません。 正しい判断をするためには、知識や情報が大事です。「知は力なり」ということを肝に銘じてください。知識や情報を持たない者は判断を間違えます。
<<
午前11:16 · 2022年8月21日·Twitter Web App
https://twitter.com/komo266/status/1561175427309113344

 
間違っているから指摘しても、楽山は、同じことを書いてきます。何も変わらない訂正不能です。しかも、しつこくネチネチと遠回しな婉曲表現で書いてきます。他者のことを言う資格はなく、楽山自身が、間違いを「素直に改め」ることがありません。無反省の自己愛の病質のせいなのです。
 
 
 
楽山の害毒メモ:
今までに表れてきたこと。これは、楽山に限らず、聖書においてキリストの敵となった宗教指導者や、世に数多いる偽善者の特徴でもあります。この世で最も迷惑な人の特徴です。楽山は無責任です。決して信用しないでください。
 
楽山は、1つのことを書いて、別の時には、それに反することを平気で書いてきます。そこで、反省、修正、というステップを書かず、あたかも最初から思っていたことのように書いてきます。自分に誤りを認めない自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)だからです。
 
人格:
自己愛が強く自己中である。
笑いと怒りしかなく、悲しみの情がない。
共感がなく、罪悪感がなく、反省しない。
自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害NPD)と思われる。
平気で嘘を吐く。様々な詭弁を弄して、柔和に見せかける。
深い情感がなく、共感性がない。相手が疲れるのを見て快感を得る。
後悔、反省、修正ができない。学習による成長がない。
罪悪感、羞恥心が見られない。サイコパスと思われる。
アドラー心理学の宣伝をしていた。自己中心である。
中身や実質のない形骸的精神機能しか持たない。
 
議論:
議論や交流が、表面的で、整わないし、できないし、元々する気もない。
相手の意見を受け取っていないので、反論、弁明が成り立っていない。
理路が常識的にも浅く、基本的に訂正不能である。理解力がない。
自分なりの堅実な理路を組み立てられない。
読書自慢。感想は平板で、独創性や深みがない。
様々な気取り。読書家気取り、評論家気取り、インテリ気取りなど。
分かっているという我執から離れられない。
非を指摘されると、逆に、こちらに当てはめて被害者面をする。
人を批判~誹謗中傷するが、その言葉で自分が斬られるブーメラン現象。
真面目に応答~議論すればするほど、病的な徒労感と疲労のみをもたらす。
ボンヤリ言語:語尾を濁し曖昧で婉曲的な言い方で、印象を刷り込もうとする。
トホホ言語:謙虚で弱いと思わせて悪意を隠すための嘘の芝居。
しばしば、自身への同意を期待して、見え透いた世辞を言う。
「反省。とほほ」などと書くが、不自然であり、前後で何も変わらないので嘘です。
騙して、言い分を詭弁や嘘で通そうとする、通っていると思い込む。
 
宗教:
反キリスト、反宗教。聖書およびキリスト信仰を、貶めてくる。
キリスト教とキリスト信仰を字面だけで云々し、理解していると思い込む。
HSを脱会したと言っているが、真実かどうか、疑わしい。
霊能者のつもりだが、それに見合う直観的洞察は皆無である。
 
楽山の書いた文章を、3年数か月のあいだ見てきた結果ですから、大きく変わることはないでしょう。これらについては、新しい情報によって、必要なら加筆し、繰り返し載せることになるでしょう。
 
 
 
楽山日記へのコメント再録 ( 1.が誰のコメントかは不明 )
http://mn266z.blog.jp/archives/19971376.html

1. 隆くんへ 2019年07月26日 22:53(抜粋)
「間違ったら誤ったら素直に詫びて自分正さなくちゃいけない」「それが出来て初めて人間だと それ出来ないなら人ではないと」
「嘘ばかり重ねる君よ 保身だけの卑怯者の君よ そんな君は魅力の欠片もないのに」「失敗した君は 大きな過ちを犯した君は 最大限の償いと最大限の反省と共に 開いた出店を畳むしかないんだよ」「人間で在り続けるのなら 人で在り続けるのなら」
 」
 

2. 楽山(自由) 2019年07月27日 09:13
反省、謝罪は大事なことだと分かってても、これを実践するのは難しいんだよなあ。恥ずかしながら、自分もそんな風です。これも一種の、人間の性なんでしょうかね。

 
楽山は、自己愛性パーソナリティ障害NPDでありながら、その人格障害を批判する人たちに、まるで仲間であるかのように、逆に利用して、自己正当化を企んでいます。保証など、どこにもない世界で、身の程を知らぬ妄想です。跳ね返ってくるものを、未だ何も知らない病質者なのです。
 
 
 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
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(古い記事は載っていません)
 
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(ブログ記事をコピペすることあり)
 
 
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