ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

一期一会、国破れて (修正)

 
  二つの言葉について
 
 
  「一期一会」
 
生涯に一度だけ会うこと
・・これだけだと何となく分かりにくい感じ?・・
それで
次に再開できるという保証のない人の世において
会っている今ひとときが全て ( なのだから、
相手を大切にもてなさなければいけない )
と受け取ってみる。
・・ひとときが永遠・・という広がりを
感じさせる言葉になるような気がする。
 
(ネット検索)
一期一会の解説 - 三省堂 新明解四字熟語辞典
いちご-いちえ【一期一会】
一生に一度だけの機会。生涯に一度限りであること。生涯に一回しかないと考えて、そのことに専念する意。もと茶道の心得を表した語で、どの茶会でも一生に一度のものと心得て、主客ともに誠意を尽くすべきことをいう。▽千利休の弟子宗二の『山上宗二記やまのうえそうじき』に「一期に一度の会」とあるのによる。「一期」は仏教語で、人が生まれてから死ぬまでの間の意。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E4%B8%80%E6%9C%9F%E4%B8%80%E4%BC%9A/
 
 
 「国破れて山河あり」
 
人間の無常と自然の悠久のようだが、
否定的に読むと、
国が滅びて山河だけしか残っていない。
肯定的に読むと、
国は滅びたが山河は今なお昔のまま残っている
という希望とも受け取れる。
 
さらに
国が滅びても
山河を「山河」と呼ぶ人々は今なお残っている
という希望とも受け取れる。
 
さて仮に
「人類滅亡して自然あり」となるとどうだろう。
前に
人類が滅亡しても自然は自然であり続ける
と書いたことがあります。
あながち間違っているとも思えないのだが、
見方を変えると、
人間のみが自然を認識し「自然」と呼んでいるのだから
人間がいなくなれば、その認識そのものがなくなり、
つまり
人類が滅亡すれば、もはや自然 ( と呼ばれるもの ) はない。
 
すなわち
「人類滅亡して自然なし」という見方も出来るかもしれない。
人類が滅亡してしまったら
山河を「山河」と、自然を「自然」と、
呼ぶ者がいなくなるという意味で。
 
(ネット検索)
国破れて山河あり - 故事ことわざ辞典
国破れて山河ありとは、戦乱で国が滅びても、山や川の自然はもとのままのなつかしい姿で存在しているということ。
有為転変の世の中と変わらない自然とを対比し、感慨深くいう言葉。 杜甫の詩『春望』の冒頭の句「国破れて山河あり、城春にして草木深し(国は滅亡したが山や川はそのままで、町には春が訪れ草木が茂っている)」から。
「国敗れて山河あり」と書くのは誤り。 自然災害などの影響を受けず、自然が残っていたという意味で用いるのは誤り。
http://kotowaza-allguide.com/ku/kuniyaburetesanga.html
 
 
(2011年12月11日)
 
(2019年06月01日、修正)
 
悠久(ゆうきゅう)
 
 
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