ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

ボンヤリ言語の誘導(5)

 
  ボンヤリ言語の誘導(5)
 
   オカルト兼自己啓発書とは? (『忘れられたベストセラー作家』小谷野敦著)
   https://blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013/41564903.html
   楽山ブログのコメント欄。
 
 
(楽山)

>人間は、出来るだけの判断をするのが務めです。
 」
それでも人は間違うのでしょう。だから自分の意見を他に押し付けることはできないのでしょう。
「神のみが正しく判断できる。私は人として出来るだけ正しくあろうと努力するが、それでも自分の意見には間違いがある。間違いがある意見を他に押し付けることは出来ない」
正しく判断できるのは神だけとすれば、この件についてはもう結論は出たと思います。
2019/8/1(木) 午前 5:48 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)

>それでも人は間違うのでしょう。だから自分の意見を他に押し付けることはできない
 」 
もう同じことを繰り返すしかなくなっているようです。
違いの中から、真実を見つけ出す作業を、楽山は一切放棄している。
だから、つまらないことしか言えなくなっている。
 
(楽山)

>それに、私は、決めつけているわけではない。楽山もシャロームも、そうではないという表れを示したことが一度もないということだ。
 」
ここは、決めつけてないといいつつ、決めつけてるようです。
もし本当に決めつけないなら、「一度もないということだ」と断定できず、「一度もないように私には思われる」という風に、「一度もない」は客観的な事実とは必ずしも言えず、あくまで自分の現時点における判断にすぎないことを明示するものです。
2019/8/1(木) 午前 5:50 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
これが、ねちねち、というもの。
・・楽山さんの言うことに従うと、あらゆる真実について、人間は、物を、はっきり言えなくなるではないかなぁ・・と私には思われる・・ボンヤリ言語で書いてみました。
(私)
「と思う」は、いつもついてくるのが、やり取りの常識。だから、いちいち付けない。このことで、否定してくる楽山の軽薄な非常識。
 
(楽山)

>そうではない、と書かずに、そうは見えないことも少なくない、と一般化して書いています。違うのなら、はっきり、違うと書くはずなのです。疑惑は、また、一段と、濃厚になってきます。
 」
 私は、物事を正しく判断できるのは神だけだという立場なので、自分の見たこと、判断したことは、「自分にはそう見えた」「自分はこう判断する」という風に書きます。
自分の見たこと、判断したことについては、「~だ」「~である」と、さも客観的な事実を正しく見、判断しているかのような書き方はあまり好みません。ていうか、人の不完全性を自覚したら、そんなことはできないです。
2019/8/1(木) 午前 5:51 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
・・ていうか、人の不完全性を自覚した書き方をしたら、みな、楽山みたいになるのではないかなぁ、それは、楽山は、うれしいだろうけど、とても、不自然だから、できるのは、楽山だけになっているのではないかなぁ、詭弁として、大切なんだろうな・・ボンヤリ言語です・・

人の不完全性を自覚したら、そんなことはできないです。
 」
中身・内容ではなく、形式の「と思う」であることを、強迫神経症状として、出してくるが、病んでいなかったら、こういうクレームは吐けないのです。言葉や文法だけにこだわって、それを相手を責める唯一の材料にしている。受け取り拒否を、ごまかすペテンのやり方。どんどん醜くなってくる。他に言うことがなくなって、強迫症状だけを出してくる。
文法と慣用であって、人の不完全性とは関係ないことを悪用している。こうはなりたくない。
 
(楽山)

>「ではありませんか」という書き方は、丁寧でしょうか。否、丁寧で穏やかに見せかけて、ごまかしているだけです。
 」
シャロームさんは、「2019/7/31(水) 午後 10:10」で重要な指摘をしてるけど、
stさんはこういう場合、意見内容を検討せず、その表現にケチをつけて、相手の心を悪く想像して、否定しさることが多いように思えます。
他のクリスチャンの方のブログでも、stさんを名指しはしないものの、神のことは分からないと言いつつ、神の代弁者気取りでいる云々と書いてるのを読んだ記憶はあるし、この批判は重要と思います。
2019/8/1(木) 午前 5:55 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
シャロームの表現ではなく、指摘しているのは8年間見てきたシャロームの体質的欠陥です。シャロームは、嫌がらせを言ってくるだけです。楽山は、病原として、病を広めています。人の心をもてあそぶ、最も悪質な偽善者、誰も関わってはいけない。
「神の代弁者気取り」
楽山とシャロームは、神の絶対性気取りから、自分だけは、無条件に除外して、相手に当ててくる。繰り返し言い張り、一度も聞かない、自分に当てはめようとしない。
 
(楽山)

>シャロームは、シャロームの、罪を認めず悔い改めないでも赦される、という反キリスト妄想に凝り固まっている
 」
これは、stさんの解釈ではあっても必ずしも事実とは限らないかと思います。
たしか、シャロームさんが悔い改めは必要だと明言したのに対して、stさんは、悔い改めをすればそれは言動に現れる、でもシャロームにはそれがない、悔い改めは必要ないと考えているのだという風なことを言ってたかと思います。要はシャロームさんの言葉よりも、自分の推理を優先した結果、シャロームは悔い改めは必要なしとしていると結論を出してた。
stさんは自分の推理、解釈を客観的な事実であるかのように言うのは止めた方がいいです。
2019/8/1(木) 午前 6:03 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
シャロームは、自らが問われているのに、誰に向けているのか、悔い改めは必要、だが悔い改めは神が与える、と言ってきました。それで、悔い改めたとは言わないのです。言い逃れの詭弁です。しかも神のせいにしている。しかし言い換えると、シャロームが、悔い改めていないなら、神は、シャロームに、何も与えてはいないということです。
(私)
・・楽山さんは、内容を全然受け取れないから、書いても書いても、真実味が表れることはないかと思います・・ボンヤリ言語です。「かなぁ」も、よく見かけました。はっきり言わないのが、正しいと思っていることになります。楽山は、書いていることが無責任だから、重みを付けたくないのでしょう。だから、心に響きませんし、楽山の軽さは、きわめて迷惑な疲労物質だと書きました。
(私)
ここまでの経過で、楽山が、遣り取りをやめたい、コメントをやめさせたいばかりに、理屈倒れで中身のない因縁を吹っ掛けているのは、明らかです。これが、楽山の他者に対する態度だろうと思います。やさしそうな言葉づかいではなく、作為なのです。ああでもない、こうでもないと、全部やんわり否定しておれば、気持ちがいいのでしょう。
(私)
シャロームが、まだ、何か書けると思っていることが不思議だ。私は、シャロームを全く信用していないのに。だから嫌がらせと言っている。そして、楽山も、崩壊して、もはや、人間と遣り取りしているのではなく、異常な世界から機械的にしか返していない。この段階で、中身が、まるで無い。疲労させ、イラつかせたいのだろう。全部、記事にしているのに、恥を知らない。
 
(楽山)

>楽山とシャロームが何か書くたびに、判断は強化されてきたという経過と結果である。
 」
正しい判断ができるのは神だけであれば、人の判断はどれだけ精度を高めても、完全に正しいものにはならず、間違いを無くすことは出来ないでしょう。
そうであれば、他の人に対して、「私はこのように判断しました。間違いもあるでしょうけど、よいところもあるかもしれません。できれば参考にしてください」とは言えても、自分の判断をやたらと主張して、他に押し付けようとしたり、それを受け入れない相手を責めることはできないかと思います。
2019/8/1(木) 午前 6:19 [ 楽山 (自由) ] 返信する
 
(私)
・・物が言えなくなる、ていうか、物が言えないものだから、そのことを法則のようにして、誰も物を言うなと言っている感じがあったりするのかなぁ・・ボンヤリ言語です。
(私)
病理丸出しの気持ち悪さ。ボンヤリ言語に侵食され、ボンヤリ言語だけになった人格の、作為とは、これほどにも、人間離れして、臭いのか。人間の言葉ではなく、機械か、オイルか、煙幕か。
 
(シャローム

> st5402jpさん おはようございます
 」
念のために調べてみました。参考にしてください。
自戒の用語解説 - [名](スル)自分の言動を自分でいましめ慎むこと。 「おごり高ぶらないように自戒する」
自讃毀他戒 - 自分自身をほめたたえ、他人をそしりけなすことを禁じた戒。このようなことを誰かに教えて、させることも禁止されている。不自讃毀他戒ともいう。
我田引水ー田にとって、水は不可欠なものである。だから、どんなことをしてでも水を取り入れなければならない。だから、いささか強引でも、自分の田に水を引き入れるということ、転じて、物事をすべて、自分に都合のよいように考えたり、すすめたりする ことをいう。
自壊の用語解説 - [名](スル)外部からの働きによらずみずから壊れること。「内部紛争から 組織が自壊する」
shalom!
2019/8/1(木) 午前 6:41 [ shalom ] 返信する
 
(私)
壊れたシャロームの、自分を見ない他者への暴言のあり方です。これも、今に始まったことではない。だから、私は、しばしば、そっくりそのままお返しします、と書いたが、こともあろうに、それさえも、シャロームは、自分を見ずに、こちらへ返してきたことがあります。自ら壊れていることは、シャロームに対して、私が指摘してきたのです。
(私)
これで、この二人が、正常でないことだけは分かると思います。総て、故意なのです。そして、狂いながら、故意、作為、悪意によって、疲労させ、おとしめて、相手が、去るのを待っているのです。こういうことしか、できないのです。議論も遣り取りも、理屈遊びに過ぎない軽さで、はっとさせる何ものも出せない。少しも真剣に話す気がなく、引っ掛けて、人を嘲笑う精神しか持ちません。
(私)
この二人の言うことを受け容れると、中身のない非人間になり、あらゆる学習と成長の可能性を捨てることになります。既に無意味だということが、明らかになってることを、繰り返す生業です。因業と言ってもよいでしょう。人間ではない、このような存在には、決してなってはいけない。人生の終わりです。彼らと付き合っても、疲れるだけで、何も始まらないでしょう。
(私)
今回は、ずっと、腐った病巣を見るようです。
(私)
楽山、シャローム、易坊の3者には、同一人物の成りすましを疑っています。今回、理屈屋の易坊が顔を出しているようです。悪意しかないトリオですが、しかも、3キャラにとどまらず、tensoba、団鬼七、こうさん、PCI****、・・など、成りすまし疑惑のキャラが、どれだけあるかさえも分からない、故意の悪意の病質なのです。治らないと思われます。ほっこり装いのキャラを使いますから、やさしいお人柄・・などと思ったら、楽山の思うつぼです。決して近づかないでください。
(私)
・・それにしても、世の中には、だまされやすい人が少なくないような気はする・・きっと、楽山の善人気取りが、まともに見える人もいるのかも・・たぶん・・ボンヤリ言語です。
(私)
私は、自分を善とはしていない。楽山やシャロームのような偽善者を相手にする場合、自分も無傷では済まないし、揶揄、比喩、雑言で、罪も犯すだろう。そうしても、なお、楽山とシャロームには、決して許してはいけないものを感じ続けているから、批判は続くでしょうし、それを、どう受け取るかは、読んだ人が決めることです。

(私)
私は、生きている限り、どこまでも、引き続き、この悪質な気取りに対して、警鐘を鳴らしてゆくだけです。
 
 
(2019年08月01日、同日一部修正)
 
 
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