ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

病の個人歴

ガス抜きです。ちょっと息苦しい記事になります。
 
 
  病の個人歴
 
 
生まれて66年、コロナのこともある中で、ますます先行き不安、ということで、いつまで生きていられるか分からないので、今までも、ときどき書いてきましたが、また、私の病歴のようなものを書いておきます。大方、愚痴。
 
小学校1年の時に小児リウマチ熱という病気にかかりました。発熱と関節痛が出る病気で、ひどいときは歩けなくなります。当時、リウマチといえば年寄りの病気と思われることが多く、まだ、よく知られていない病気でした。一般の人はもちろん、開業医は知らないことが多かったです。
 
長崎大学の付属病院で、ようやく診断がついて、ステロイドが特効薬のように効きました。1日目には熱が引き、2日目には痛みがなくなり、3日目には入院生活がとても退屈になる、という具合でした。小3までは、入院と退院の繰り返しでした。ステロイドの副作用で、顔が肥満して、満月用顔貌(ムーンフェイス)の私の写真が残っています。
 
しかし、診断と治療が遅れたため、私の心臓にはリウマチ熱の後遺症として、大動脈弁逆流(AR)という心臓弁膜症が残りました。この心臓の障害が、私の生涯に、体力勝負とスポーツについての可能性、つまり、人生の可能性の半分を、奪っています。体の無理を利かせると、その分、寿命が縮まるという負い目を与えています。
 
その後、リウマチ熱は、小3、小5、中1、中2と再発しました。中3の時には原因不明の肋膜炎になりました。そのたびに約1か月の入院を余儀なくされました。
 
小5まで、体育は見学しました。「体育参加しないなら出てくるな」と言われたことがあります。また、友だちと缶蹴りをして、いつまでも鬼で、ついに泣き出して帰ったことがあるのですが、後日「いつもああなのか」と聞かれたことがあります。兄のことを話したからでしょう、精神症状と思われたようです。「離れて歩け」と言われたこともあります。
 
 
私の兄は、囲碁が強いです。もちろんアマチュアですが5段と聞きました。父が初段で、兄が中学生の時に教えたら、中卒の頃には兄が父を追い越したらしいです。おかげで、かどうか、私は、勝負事には何の才能もありません。
 
兄が、あのころは精神分裂病と呼ばれていた統合失調症を発症したのは、高校に入ってからです。囲碁はますます強くなりましたが、勉強は、公式一つ覚えなかっただろうと思います。頭がいいって、どういうことなんでしょう。
 
どこかに書いたかもしれないが、あるとき、兄は、夜中に、おかあさん、おかあさん、幻聴が入るんやもん、と母を呼びました。幻聴という自覚がある。それから数時間後、私がトイレに起きてみると、兄は、妄想を得々と話し、父が、苦虫を噛みつぶしたような顔で、相づちを打っていました。数時間で、病識がなくなる。・・なんて病気だ・・!?。
 
 
小学校の通知表、体育と音楽は2、主要五教科のうち4が1つ2つあれば上出来という程度で、平均ほぼ3だった私は、中2の途中から、スポーツや肉体労働は出来ないのだからと勉強するようになり、成績も上がって、高校、そして、大学へと進学しました。
 
学生時代には、薬はまだ飲んでいませんでしたが、高校のときの酷い失恋で鬱気分は既にあり、生い立ちや家族のこともあって、打ち明ける相手もおらず、物を殆ど言わない精神科志望の医学生でした。向かないのは、高校のときから分かっていましたが、宿命だと思いつめていました。
 
学生時代に、求めもしないのに受けたアドバイスが、「(失恋の相手)何言ってるの?頭よかったじゃない」「(同)学生さん」「(精神科医を目指すことについて同僚)キチガイを診るのはやめた方がいい」「(別の同僚)向いてないと思うね、うん。呼吸器か循環器なら、まあ・・」「(医局の講師)対人緊張のある人は精神科には向かない。ひらめきとしてね」・・私の言動が消極的だったからか、人は、実に、上から言いたいように言ってくるものです。
cf.「トラウマ」https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12523423664.html
 
精神医療は、薬物療法などの自然科学の恩恵を受けてはいるが、未だに、面接による対人関係の心理と病理などの人文科学、また個人の資質や人格が重要な部分を占めているところの、特異な分野である。
 
精神科医ならば、どうしようもなく予後の悪い患者をたくさん見ているのだから、こうするのが正しい、こういう人が向いている、など決めつけて人をさばくことは、身の程を弁える医者なら、決してしないはず。
 
その高慢をいちばん持っていながら、"精神科医"然として他者へ適否の評価をして慢心しているのは、自己愛性人格障害者である。自ら「ひらめきとしてね」などという自慢をポショポショと語りたがる知ったかぶりである。他者にいっさい共感できず、自分発信の逆説的衒奇的言辞をハナタカに弄する者である。
 
精神科医に最も求められるのは、知識や知能ではなく、多様な精神性に対して、人間性が豊かで柔和な修正可能の精神であり、共感力であり、反省力であり、学習能力である。決して柔和に見せかけた気障(きざ)な目立ちたがり屋ではない。
 
言った側は、覚えていないかもしれません。言われた側は、いつまでも、呪いのように、ときどき血を噴くように、思い出す、ということです。鬱の原因にもなるので、どうか、心のあり方と言葉には気をつけましょう。思い出すたびに、とても醜く、身の毛が弥立ちます。
 
大学を卒業して、怖いものから逃げるように、大学を去り、約13年間、医者として民間病院で過ごしました。内科1年、精神科12年です。最後は、体が不眠症についていけず辞めてしまいましたが、一応、行けるところまで行かないと気が済まない、という初期の志望は変えなくてよかったと思っています。
 
社会人となってからの、20年以上の、ほとんど効かなかった抗うつ薬抗不安薬睡眠導入剤、などの服薬歴があります。抗うつ薬の副作用らしい"静座不能症"、"むずむず症候群"が出て抗うつ剤は止めました。心因性が強いと効きにくいのでしょうか、私の場合、服薬を止めても、良くも悪くもならず、気分は全く変わりません。約40年続く鬱と不眠症は治らないと諦めています。
 
呼吸器は喫煙による慢性気管支炎で咳・痰あり、心臓はリウマチ熱の後遺症で大動脈弁逆流があって労作時動悸など予備力低下を感じている老年期です。病気といっしょに生きてきた感があります。
 
以上、ガス抜きでした。失礼いたしました。
 
 
余談ですが、小学校低学年のこの頃、私は、運動神経が鈍いのか、自転車に3度ぶつかって血が出ました。なんか、出来が悪いな、と自分でも思ったことでした。

 
余談ですが、私は、3回、意識を失って救急車で運ばれたことがあります。1回目は、高校の組み立て体操で3段目から落ちて脳外科へ・・脳震盪で済みました。2度目は、オートバイで、居眠りか脇見か、緩やかなカーブを直進したらしく、防波堤のセメントの壁に追突して、大腿骨骨折。3回目は、原因不明の全身けいれん発作でした。・・3ってのが多いのか・・
 
余談ですが、心に鬱やトラウマを抱えていると、人生を歩んでゆくのに、かなり支障をきたします。人が笑い合うところで笑えないとか、自分をけなすような独り笑いが増えるとか、それより何より、マイナスの感情とともに、意欲が落ちるのが一番つらいです。感情面では、悲しい詩を読んだり、悲しい歌を聞いたりすることは、解決にはなりませんが、かなり発散にはなります。
 
 
最近、気づいたことですが、つらい体験を、感情のまま思い出すと、ますます、つらくなるので、私が試みてきたことが、体験を資料化することです。
 
そうして、感情を伴わない資料として、書類を見るような心を一部に持つことは、うまくいけば、過去を、乾燥したデータとして見ることで、感情の起伏を減らすのに役立つような気がします。ただ、総てを見る目がそうならないように注意することが必要です。
 
 
何も実のあることは出来なかったと思うし、つまらなくて空しい私の人生が、じわじわと、終わりに近づいてゆくようです。
ちなみに、全く余計なことですが、そういう人生だったので、結婚とか考える余裕がなく、女体も未経験のまま、2014年からAV見てます。ときどき、スクリーンに向かって、ぶつぶつ文句みたいなこと言ってる自分に気づいて、うんざりします。
 
私が与えて欲しかった人生と、神がお与えになった人生とは、明らかに違います。
 
しかしながら、私が、自殺もせずに生きて来たのには、主イエス・キリストの同伴があったことを決して否定できないし、それゆえに、祈りを忘れなかったことです。
 
そのことだけが、私の、人間としての最低限の、潤いと温もりとして、幸いであったと思っています。これからも、先は長くはなくても、信仰者であり続けたいと願い、祈ることになるでしょう。
 
読んでくださった方には感謝いたします。拝。
 
 
(2020年05月08日、同日一部修正)
 
 
昔、書いた詩のようなもの。
 
  あの夜と病    戸田聡
 
幼いころ
母と汽車の旅
窓から見た
蒸気機関車
機関室から吹き出す炎
あの夜とともに
 
母の背にいた
幼い頃ではなく
小学生の私がいた
痛くて足が動かなかった
 
癒えていた確かに
進学し就職した
それだけで孝行息子と
恵まれていると喜んでくれた父と母
 
確かに
耳の遠くなった父母に
今更の病は信じられないことだ
私も詳しく説明はできない
でも追い越し
やがて遮るだろう
 
この類(たぐい)は
自業自得のようでもあり
誰も責めようがない
親不孝に親不孝を重ねて
むしろ恥ずかしい
 
勝ったつもりか病よ
だがお前と私が同じ体にいる以上
お前も恥ずかしい代物だ
私が最後に意識を失うまで
勝負だ 言っておくが
私の恥は
お前の憎々しい喜びほど
軽くはない
 
消してみよ
あの夜を
 
 
(日記と感慨+昔書いた詩のようなもの再録)
(90年代に書いた詩のようなものです)
 
遮る(さえぎる)
代物(しろもの)
 
 
(2020年05月08日、再録)
 
 
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