ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

伝道と宣伝

ずっと前にシャロームを批判していたときの記事の一つ。
 
 
  伝道と宣伝
 
 
カルト宣伝者は言うだろう
 
未知を既知としたときから
自説の解釈の中で
絶対者の概念をモノのように決めて
一般化して当てはめて
一つの言葉は
無感動な一つの意味しか持たなくなって
それを繰り返すしかなくなっているのが
繰り返すだけで満悦するホラー
 
一つの言葉も
その時その場その人によって
違ってくるのに
人間として考えることをしない
 
まず
「苦しい試練を乗り越えて、今は幸せです」
という心地よい体験話
 
対応させて聖句
「主はその愛する者を懲らしめ、
受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである」
(へブル人への手紙12章6節)。
試練の後に救いというパターンだけを言って
 
あらゆる苦しみと悲しみから
信じれば除外されるかのような
楽園か境地に至れるかのようなことを
しかも誰もが至れるかのように語る
 
神の与える恵みが
いつも人に恵みだと分かるわけではなく
神に任されているということを語らず
 
明るく楽しく面白おかしく生きてぇ
という欲望を釣ろうとする
 
あるいは真理を得て
誰にも低く見られることのないように
高く高くなりてぇ
という欲望を釣ろうとする
 
答えとして、また聖句
「神を愛する人々、すなわち、
神のご計画に従って召された人々のためには、
神がすべてのことを働かせて
益としてくださることを、私たちは知っています」
(ローマ人への手紙8章28節)
 
肝心の「益としてくださる」の
「益」についての解説も
人間としての考察もなく
良いことだけを伝えるのがカルトの宣伝
 
 
福音伝道者は言うべきである。
 
「益」は人に都合のよい益とは限らないし
また世俗の利益でもない
 
人には測りがたい益
神の御心に適う益であって
信じることを捨てられないほど
キリストに絆された者だけが
それを受け
それに耐え
それを悲しみ
それを喜ぶ
 
人の目には
それは悲劇としか映らないことがある
 
ゆえに地上の信仰は
死に際して
讃美か叫びか悲鳴とともに
地上の生と死は過ぎ去るという定めを持つ
 
祈るしかない時がある
 
それが信仰の共感となるのに
 
 
それでも良心のないカルト宣伝者は言うだろう
 
まるで批判を見越したかのように
聞いたことのある言葉ばかり
デジャブのような教条の先入観で
同じようなことを繰り返してくるだろう
 
これからも息のない辻褄を繰り返すのだろう
まさしく
人の意見を聞かないモノ化症候群
 
心を病気にするモノ
心をモノにする病気
 
 
(2011年10月16日、同日若干修正および加筆)
http://st5402jp.livedoor.blog/archives/105570.html
 
(2020年05月09日、さらに修正再録)
 
 
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