ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山の嘘吐き自己中

 
  楽山の嘘吐き自己中
 
 『真っ赤なウソ』養老孟司
 2020年09月21日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/26337629.html
 
 
はっきり分かることは、楽山は、人の嘘を面白がっているようですが、自分の嘘には全く無頓着だということです。つまり、楽山は、人のふり見て我がふり直さず悦に入る、という軽薄者です。
 

本書はタイトルにひかれて読んでみた。宗教コーナーで見つけたので、宗教は「真っ赤なウソ」だとする本なのだろうと思ったのだが、

 
楽山のいちばん言いたいことは、宗教は「真っ赤なウソ」、ということでしょう。しかし、その根拠は、全く示されていないのです。それで、嘘の話を並べるというのは、宗教は価値がないと思い込んで、揶揄しているのでしょう。実際、宗教は、楽山には理解不能で価値はないのかもしれません。
 
楽山のように、宗教を軽口で嘘扱いして揶揄することこそ、物の価値というものを追求する態度を全く持たない楽山のスタンスを表しているわけです。楽山の言論は、おふざけです。それを、真面目くさって語るものだから、楽山としては、責任は負わない、と言いたいのでしょうか。
 
楽山の場合、嘘をまじめに語り過ぎたので、責任は負うべきというより、負わされることになります。その責任は、楽山が今まで言ってきたことを、自ら全否定して反省しない限り、追及され続けることになります。
 
狼と少年の話に近い、ということを、前にも言ったと思います。もはや、逃げることは出来ません。言っていることの、そして、これから言うことも含めて、信用がなくなっているのです。
 
この記事のような、おふざけも、また、悪質な嘘ということになります。真面目な態度を成りすますということが、いかに重大な結果をもたらすかということです。
 
また、人が言ったことだから自分に責任はない、ということも成り立ちません。人の言うことに賛同し、興味を持って引用したら、それは、人から借りてきた自分の意見になり、決して小さくない責任問題として発生するのです。いかなる言い逃れも、もはや、成り立たないのです。真面目芝居の嘘八百の報いは、逃れようがないのです。
 
ましてや、プラスを言い、マイナスを言い、どちらもはっきり断定していないから、責任はないなどということは、全然、成り立ちません。人間の発言は、みな、その時の判断であり、次の時には、別のことを言って平気でいることは出来ません。それは、意見を変えたのだから、変えたことについて、反省し説明しなくてはなりません。
 
総じて、楽山は、子供の駄々のような態度を正当としているようだが、それは発育不全であり、あるいは、退行であり、幼稚であり、全く成り立たないということです。
 

実際はそれに限ったものではなく、さまざまな問題について触れたものだった。その中で興味をひかれた話を挙げるとこんな感じだ。
大正10年。水道の塩素消毒がはじまって以降、それまでは男性より短かった女性の平均寿命が急に伸び始めた。
アフリカで人口爆発がおきているのは、スポーツ飲料による。子供の死因は下痢と脱水が多かったが、これによって子供の生存率が高くなった。

 
「実際はそれに限ったものではなく」の「それ」は、「真っ赤なウソ」ということでしょう。何の思考もなく、もはや、決めつけの自己満の世界に生きて、暴言だけ吐いている楽山です。
 
興味をひかれた・・これが、楽山の態度です。興味を持ち、引用しておいて、責任を負わない、と言うなら、真面目に聞いた人には迷惑だから、何も言うな、引用するな、ということです。
 

近代前の人は自分は永続しない、無常だと考えていたが、現代人は変わらない自分が永続し、死なないと考えがちである。これは昔は折に触れて名を変えたが、現代人は生まれて以降ずっと名を変えないこととつながっている。

 
個人によって違うことについて、近代前と、現代を、実に安易に分けています。そこに、楽山の好みの、荒い対象化で、またしても、要らぬレッテル貼りをしています。人を決めつけて、上から眺めたつもりで、自分だけは悟っているかのように見せかけるのが、楽山は、楽しい生業なのでしょう。
 
「近代前の人は自分は永続しない、無常だと考えていた」・・本当に、そうでしょうか。生きるのだけに必死だった人々もいたでしょう。このような、人に対しての、まるで共感のない、笑って首を切り落とすような分け方が、楽山の短絡的な思い込みのもとになっています。
 
「死なないと考えがち」・・短絡であり、誇張です。誰も死について答えなど持ち合わせてはいません。その共感が、宗教を生むのですが、楽山に限っては、実感というものがすっぽり抜けていて、多くの呆れるような短絡思考と決めつけを生んでいるようです。
 
これらを合わせて、楽山の非人間的な冷酷さと言ってよいでしょう。熟慮に必要なものが、同じ宿命に生きている人間であることの自覚と共感が、楽山には欠けていることの証拠になるでしょう。
 

独創的なことは他人と共有されない。自分の話を他人が分かるということは、個人心理は存在しないということ。

 
独創的なことというのは、まだ気づいていなかったことを気づかされたから言うのでしょう。楽山が言うようなことは、病理以外は誰にも気づかれることのない、妄想的なことですから、他人が分かる必要もないのです。独創的というのは評価ですから、個人心理とは関係ないと思います。
 
ぞんざいに言葉と言葉を結び付けて意味ありげに語るのが楽山の、だまし癖であり、自己を高めるために、楽山が捏造しては、どこにも響くことのない、命なき固まり、すなわち、墓石のようなものでしょう。
 

無宗教の葬式では「参列者は手持ちぶさた」になる。

 
ここから、宗教は、「手持ちぶさた」から生まれた無用のもの、と言いたいのでしょうか。楽山は、また、自分の子供じみた無理解を表しています。宗教の本質は儀式ではありません。
 

倫理は個人的なものであり、マニュアルは他者と共通のルールであるから、「倫理マニュアル」とはおかしな言葉であり、考え方だ。

 
共有される倫理もあるでしょう。マニュアル形式のルールは、書き方としてはあり得るというだけのことですが、倫理の本質はマニュアル化できなくても、行為の是非をマニュアル化することはあり得ます。
 
楽山の言によると、楽山が人を傷つけても、それは個人的なものだから、いけないとまでは言えない、とでも言うつもりでしょうか。ペコパのお笑いでしょうか、バカなのでしょうか、楽山。
 

宗教は「ウソから出たマコト」である。ハリー・ポッター千と千尋の神隠しが流行るということは、宗教が弱っているということ。

 
フィクションである童話と、宗教を、同一に語る詭弁です。楽山は、宗教への幼稚な曲解と偏見を、またしても、訂正不能に表してきました。宗教が弱っているのではなく、楽山が狂っているだけです。
 

西洋で出会った無神論者からは、宗教や教会に対する反感は認められたが、神に対する反感は感じられなかった。

 
これは、ある意味、真実を表している、と私は思うのですが、楽山は、どういう気持ちで書いているのでしょう。
 
宗教を理屈で語る、また、決めつけて語る、有頂天気分で語る、宗教から組織大事になって人に圧力を及ぼす、などは、人の罪のわざとして、楽山などもですが、宗教の誤解が、人間を傲慢にする例であります。そうなるくらいならと、無神論者を気取りたくなるのは、ある程度、理解可能です。
 
共感のない楽山は、またしても、プラスもマイナスも断定しないから自分は正しいというのでしょうか、自分の意見を書いていません。責任を問われるのが嫌だからでしょうか。それで何も説明しないなら、この記事も書かないほうがいいのです。
 
楽山は、いかなることにも責任を取りたくないような、臆病者なのでしょうか。ならば、正しくはないのです。加えて、楽山の小理屈倒れは、宗教に必要な人間性を損なってゆくのです。楽山に人間性を感じることは殆どありません。
 

以上。本書の話題は多岐にわたっているので、何についての本かと問われれば、一言ではこたえにくいのではあるが、小ネタの宝庫で面白い本であるとは言えると思う。

 
このように、有名人の話さえも、上から見下ろして、都合の良いところだけを拾って、小ネタ扱いしている楽山です。楽山と遣り取りしていると、だんだん、腹が立ってくる、ということが分かると思います。
 
宗教という人生と命に関わるテーマについて、興味本位のネタとして扱ってヘラヘラ笑っていられるのが楽山なのです。そういう、ふざけ半分で、宗教を一人前に語ったつもりになる楽山は、神に対して冒涜であり、信仰を真剣に考えている人に対して侮辱もいいとこです。
 
人をバカにしながら、宗教をバカにしながら、自らは、どんな大きなテーマも真面目に考えて生きようとする意志がなく、軽くて浅はかな見方しか出来ない楽山です。だから、いつか殴られるだろうと前に書いたわけです。
 
はっきり分かることは、楽山は、人の嘘を面白がっているようですが、自分の嘘には全く無頓着だということです。つまり、楽山は、人のふり見て我がふり直さず悦に入る、という軽薄者です。
 
(ネットより)
人の振り見て我が振り直せ
【読み】 ひとのふりみてわがふりなおせ
【意味】 人の振り見て我が振り直せとは、他人の行動を見て、良いところは見習い悪いところは改めよということ。
http://kotowaza-allguide.com/hi/hitonofurimite.html
 
批判記事が増えてゆきます。恥も積もれば山となる楽山です。
 
 

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嘘吐き自己中

 
 
(2020年09月22日)
 
前は、URLは、記事をアップしたとき、自動的にリンクになっていたのに、今は、文字列扱いになっています。URLをドラッグして範囲指定しマウス右ボタンのプルダウンメニューからジャンプするしかないようです。操作関係は便利になることが多いのに、不便になっています。私が、何か、知らないだけでしょうか。
 
 
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