ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山の悪意と欺瞞

 
  楽山の悪意と欺瞞
 
 批判から生じる恨みと怒り(HS信者のツイート)
 2020年12月17日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/27366345.html
 一部省略。
 
 
シャロームも言ってきたことを、楽山も言っています。許すということを、捻じ曲げた詭弁によって、自らの悪も許せとばかり、悪を放置することに結び付けているのです。
 
こういうときに、いつも思うことは、最悪の偽善の世界からの、言い訳を、批判されたにもかかわらず、受け取ることなく、改めることなく、反論も出来ないのに、2年近くも、平気で続けている楽山という人は、人類の敵となるために生まれてきたのだろうかということです。真黒な楽山。
 

*恨みと怒り
ツイッターで、アマミ氏のことが話題に出てたのでその方を見てみたら、LEOブログの記事をツイートしてて、恨みと怒りについてもたくさん書いてた。時刻日付のところをクリックすると、続きが読めるが、これは勉強になる。

アマミちゃん(野崎梨乃)@ウイグル香港チベット台湾トランプ加油!神仏両親縁ある方々に感謝!@潮満珠
·
12月16日

人に批判されたり裁かれたりした人に
お伝えしたいのは
「許す」
という心理作業も
細分化していくといいという事でして
実は
相手を許せない思い=怒り(恨み)

その裏には
当時の自分の未熟な判断の責任を相手に転嫁してたり
相手の長所よりも自分がされた被害をフォーカスしすぎてたりする。
 」

 
悪そして偽善を許していたら、世界は破滅するでしょう。
 
楽山には、無反省・無責任・自己愛・自己中で書いていますが、こういう者は、リーダー格になりたがるが、その能力は皆無なのです。自分の快楽以外何も求めていません。
 
楽山が、悪そして偽善者であることの根拠は、既に、十分以上に書いてきました。それに対して、楽山は、許すことについての、一般論的な、やさしい言葉を引用します。これが、楽山のやり方です。汚いやり方です。シャローム shalom も同様です。したがって、決して許さない覚悟を新たにします。
 
楽山みたいな人を許していたら、世界は破滅するでしょう。
 
(リンクなど、省略)
 

*反省
これらのツイートは、LEO氏のブログから強い恨みと怒りを感じたためにあえて書いたのか、それとも全然別の切っ掛けによるのかは分からないが、それはそれとして、意見の内容については自分にもよく理解できるし、共感もできた。

 
楽山は、理解と共感に必要な、高等感情の感受性がありません。総てを、学者気取りですが、よく読めば、小学生のような言い張りで、言って、かつ、聞かない人です。こういう根性は、正体を知れば、いずれ、誰からも、相手にされないことによって楽山に返されてゆきます。それまでに犠牲となってしまう人を、少しでも減らしたいので、批判しています。
 

自分は、あまり感情的になれない性格なので、恨みと怒りは希薄な方だと思うのではあるが、恥ずかしながら、余計なことを言って恨みと怒りを買うところがあるので気をつけたい。反省。

 
感情的になれないのではなく、思いやりや共感という高等感情がないのです。楽山の言うことは、総て、悪意に基づく誘導です。つまり、余計なこと言わないなら、楽山は、何も書かないことしかないのです。
 
反省は、いつもの、謙虚芝居です。楽山は、平気で、嘘を吐き、芝居をして、だましてきます。楽山の言うことを決して真に受けないでください。
 
 
 『教育勅語 昭和天皇の教科書』杉浦重剛
 2020年12月17日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/27366892.html
 
 
楽山のネトウヨぶりが発揮されています。しかし、楽山には、今までの、悪と偽善によって、何も成り立たないことが、既に、証明されています。ネトウヨにも、比較的、正直な人もいましたが、楽山は、例外的に、偽善と卑怯の要素しか持っていません。
 

随分前に山本七平の『昭和天皇の研究』を読んで以来、昭和天皇がどのような教育を受けたのかに興味があったのだが、遅ればせながら、「教育勅語」の御進講をまとめたという本書の存在を知り、さっそく読んでみた。
はたしてその内容はといえば、「教育勅語」にある徳目について、古今東西の歴史エピソードを紹介しつつ説明されており、大変理解しやすく、かつ記憶に残りやすく語られているのが印象的だ。文章はやや難しいが、ゆっくり読めば意味は把握できるし、難しい漢字にはふりがなが振ってあるのは有り難い。

 
やはり、楽山は、ネトウヨです。教育勅語は、天皇を神聖化して利用するための、国家主義の思想が盛り込まれており、民主主義の現代には、古い主義主張であり、現代日本に、通用させることは無理な思想です。
 
楽山が、教育勅語を褒めるのは、矛盾しています。楽山は、自己中であり、国のことも、人のことも、何も考えることのできない人です。楽山の書いた文章で記憶に残りやすいのは、詭弁、印象操作、刷り込み、など、とてもいやらしい筆致だけです。どうして、この楽山に勧められて教育勅語を読まなければならないでしょう、全くの否であります。
 

私見ながら、早い時期に本書に親しむなら、長じてから道徳的判断において大きく間違うことはなさそうである。また自分の判断基準について自覚的になることができ、他者に対して、歴史エピソードを活用して、明確に説明できるようにもなるだろう。
大分出遅れてはいるが、自分も毎日少しずつでも本書を繰り返し読み、勉強したく思う次第である。

 
道徳的判断において、大間違い、というより、故意に、体質的に、無反省、無責任、無理解、無情を通しているのが、楽山であります。決して、真に受けないでください。楽山は、思想と言論の破壊者です。
 
 

   f:id:stdsts:20201218003019j:plain

                        悪意の欺瞞
 
 
(2020年12月18日)
 
 
追加します。
 
 「鬼滅の刃」と「キリスト教
 2020年12月17日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/27365942.html
 かなり、端折ります。
 
 
リンク先は、「鬼滅の刃」の登場人物を、聖書の登場人物に喩えています。
https://note.com/fumikahiba/n/naa490b2f75d3
そこで、ブログ主は、
 

キリスト教界関係各者はくれぐれも真面目に読まないように
 」
 
と書いています。
 

*布教活動の一環?
こういう文章は、聖書やキリスト教に興味を持つきっかけづくりという布教活動の一環なのだろうけれども、それはそれとして読んでいて、「へえー、そうだったのか」と新しい発見もあっておもしろい。

 
楽山の思想の根拠は、聖書でもなく、有名人の本でもなく、ホラー小説や映画だということを、楽山が示しています。幼稚です。
 
鬼滅の刃」、決して布教の役には立たないでしょう。ただ、勧善懲悪として、鬼退治があり、その中に、人間の心は描かれていると思います。
 
楽山は、人間の心が分からないか、無いので、布教か、みたいなことを言っています。そういう人ですから、悦に入って、キリスト教を揶揄するために、上のリンクを貼ったのでしょう。
 

それから、「鬼滅の刃」に対して、幸福の科学(HS)は霊的に危険だとして強く批判、警戒していたのと比べると、キリスト者の方は随分と寛容、好意的に語っているところは興味深い。

 
趣味だと言うことが分からない楽山は、真に受けて、キリスト者は寛容で好意的だと書いていますが、どうでしょう。自分の批判対象を、おとしめるために、キリスト教を褒めていると思います。
 
また、決して、楽山に対して寛容ではない批判者である私への当てつけという意味もあるでしょう。どんどん、壊れて、手段を選ばなくなっているようです。これで、通用すると思っているなら、笑止であります。
 
 
(2020年12月18日、追加)
 

 
私の「ウソの国ー詩と宗教」ブログ:
 
https://ameblo.jp/st5402jp/
https://stdsts.hatenablog.com/
(古い記事は載っていません)
 
https://st5402jp.blog.fc2.com/
http://st5402jp.livedoor.blog/
(古い記事もインポート済み)
 
https://blogs.yahoo.co.jp/st5402jp
(更新、コメント不可、12月消える)
 
ツイッター
https://twitter.com/st5402jp
(ここは、たまにブログ記事をリンクする程度)
 
 
ブログ村ランキングリング:INポイントが付かない。
https://poem.blogmura.com/darkpoem/ranking.html
にほんブログ村 ポエムブログ 暗い詩へ(文字をクリック)]
https://philosophy.blogmura.com/christian/ranking.html
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ(文字をクリック)]
 
ブログランキング
https://blog.with2.net/rank4482-0.html