ウソの国ー詩と宗教(戸田聡stdsts)

キリスト信仰、ポエム、カルト批判など

楽山の病質

 
  楽山の病質
 
 「内村鑑三先生の憶ひ出」志賀直哉
 2020年12月18日 楽山日記(LD)
 http://mn266z.blog.jp/archives/27378935.html
 
 
楽山が、書きたかったのは思い出ではなく、悪口だと分かります。引用しておきながら、悪口を言う、このような分裂した筆致が、楽山の腐った持ち味です。
 

これは内村鑑三と師弟関係にあった志賀直哉の随筆であるが、内村鑑三にまつわる逸話が多く紹介されていて、頁数は少ないものの、なかなかに読み応えがあるものになっている。
ちなみにここで披露されている逸話のうち、いくつかを抜き書きしてみると、まず内村鑑三は何かの折に「僕は男よりも女の人にはよく好かれる」と笑っていたことがあったそうだ。こんな冗談を言う人だったとは少々意外である。

 
楽山が、どういう読みごたえを感じているかが分かります。志賀直哉の口を借りて、内村鑑三をネタに、冗談でおとしめる楽山です。こういうことを材料に、キリスト教を、おとしめ、冗談まじりに、侮辱してきた反キリストが、楽山その人です。
 

また、外国人が郷土の言い伝えを披露したときに、「余程馬鹿な先祖だな」といって相手に嫌な顔をさせたとか、日蓮とキリストを同列にして語る人について、「そんな事をいふ奴は博士ぢゃなくてバカセだ」と決めつけたとか、閔妃暗殺に関わった社会主義者が聖書研究会に現れたときは「〇〇さん、貴女はこれから来ないように……」と断っていたともいう。さらには、著者がクリスマス会で罪の意識について疑問を持つような話をした時には、「そんな話より、バラのさし木を作る話でもすればよかつた。その方が聴きたかつた」といったそうだ。これらの逸話は人によっては酷いと感じるかもしれないが、自分には内村鑑三の正直さ、率直さをよく表しているように思えて愉快である。

 
馬鹿、バカセ、来ないように、このような悪口は、学者・評論家気取りの楽山に向けられるのが相応しいでしょう。自分の立場を弁えないで、自分が言われることを考える想像力を持たないで、人の悪口を、別の人の口を借りて、わざわざ、記事に書いてくる性根に、何か、有意義なものがあるでしょうか、否であります。
 
そして、内村鑑三の著作から引用してきた手前、後付けで、「正直さ、率直さ」などと、褒め言葉を書いて、それで、帳尻があったつもりでいる愚か者が、この楽山なのです。逆の言葉を書けば、化学実験のように中和されるとでも思っているのか、本当に腐ってる。
 
否定と肯定を、反省と訂正なしで書けば、それは、矛盾というのです。それが分からないならば、小学生以下です。楽山は、どこで、どうやって、成長し損なったのでしょうか。
 

聖書に関連した話としては、内村鑑三は、キリストはピラトから「お前はユダヤの王か」と問われて、「然り」と答えただけで、それ以上何もいわなかったところが大事だといっていたという。キリストは「然り、しかしその王の意味は」と細かく説明すれば命はたすかったかもしれないが、あえてそうはしなかったのだと…。著者の想像によれば、不敬事件の際の先生の態度は、この考えによるものだったのではないかとのことである。

 
けなした後で、先生と呼んでいることは、滑稽でさえあります。今までも、褒めた後で、けなすことは、しばしばありました。
 
悪口を集めておいて、敬意の言葉だけ付け加えればバランスが取れて、中立だとでも思っているのでしょうか。それを書いて、評論や感想文になると思っているのでしょうか。
 
人の気持ち、読者の気持ち、常識的なこと、配慮する気配り、など、全く持っていない病質者の特徴です。楽山は、書けないのです、まともな文章が。
 
自覚がなく、自尊だけ高い病的ナルシストが、どんな生き方をしているかが分かると思います。嫌がらせのように、書くことだけは止めない楽山に、まともな評価を受ける資格も与える資格もありません。
 
(ネットより)
1891年(明治24年)1月9日、第一高等中学校の講堂で挙行された教育勅語奉読式[1]において、内村が天皇晨筆の御名(おそらくは明治天皇の直筆ではなくその複写)に対して最敬礼をおこなわなかったことが、同僚教師や生徒によって非難され、それが社会問題化したものである。敬礼を行なわなかったのではなく、最敬礼をしなかっただけであったが、それが不敬事件とされた。この事件によって内村は体調を崩し、2月に依願解嘱した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E6%9D%91%E9%91%91%E4%B8%89%E4%B8%8D%E6%95%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6
 
楽山は、神にも、人にも、不敬であることが分かります。人のことを言えない立場でありながら、人のことばかり言う楽山は、真実の追求を目指す思慮深い人に、不敬・不快・迷惑・侮辱だけを与える病的人格の持ち主であります。
 
止めないのです、何度言っても、止めないのです。無反省・無責任・訂正不能厚顔無恥であり、他者のことを何も考えず、いつ犯罪に走っても、おかしくないような、病質者です。決して関わらないでください、近寄らないでください。
 

以上、この随筆で紹介されている逸話の一部を抜き書きし、簡単な感想を添えてみた次第であるが、本編ではこの他にも興味深い話がたくさん披露されているので、関心のある方にはぜひ一読を勧めたいと思う。

 
このように、キリスト教をおとしめようとする者は、あれだけ引用してきた内村鑑三を、別の日には、ボロクソに言える性根を持っているということです。
 
言うまでもないことですが、楽山は読書したとしても安定した感想を持てない人なので、楽山の感想文は全く当てになりません。くれぐれも、決して参考にしないでください。
 
つまり、楽山は、今日、褒めても、明日には、ボロクソにけなす、というような、気分易変に伴って、評価を180°変える人ですから、しかも、「愉快」と言っていますから、元々が、人をけなし、おとしめることに快感を覚えているだけの人なのです。
 
 

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                   病質者の収穫
 
 
(2020年12月19日、同日一部修正)
 
 
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※ 付録
何とかなることを祈っているが、新型コロナは、1年経っても、治まるどころか、ひどくなっている。来年で終わるかどうかも分からないなら、医療が崩壊する可能性がある。そのことも併せて作用して、経済が崩壊する可能性がある。そうなると、貨幣価値も当てにならなくなる。最悪の場合には、自殺、暴動、略奪、他殺、パニックなど、個人または集団による犯罪が多発するだろう。
医療・医学がどうの、とか、経済政策がどうの、という議論では済まなくなる可能性がある。国民の生存権を直接守る政策が必要な気がする。どの町でも村でも、そこに行けば、食糧と飲料があり、適温の中で眠ることが出来る、という場所を設定し、具体的に設置しておく必要があるだろう。凌ぎの時代が来るのだろうか。
 
生存権
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生存権を具体的に守るために法制度が必要ですが、末端におけるコミュニティの人間関係の役割が重要だと思います。支配や秩序だけではなく、人間力による節度ある助け合いが必要だからです。